若冲

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著者 : 澤田瞳子
  • 文藝春秋 (2015年4月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163902494

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若冲の感想・レビュー・書評

  • 何かを表現する術を持ち合わせた者は、
    自分の中に押しとどめられない程の深い悲しみや苦しみをも
    約束事のように一緒に持ち合わせてしまうのでしょうか。

    江戸時代の絵師、伊藤若冲の物語。

    美術関連に疎い私は、描かれた絵も
    見たことありませんでしたし、存在も知りませんでした。

    でもこの本の表紙にクギ付けになった人は
    私だけではないと思います。
    何でしょう、この絵から出てくるものは。
    綺麗な色で塗られているのに、
    見た人をフリーズさせる程、強く掴まれるような感覚。

    この物語を読んで納得します。
    全くの物語なのですが、
    こんなことがあれば、そうなってしまうかもしれないなと。

    生きることとは、朽ち果てていくこと。
    絵画の中にはこの世の輝く一瞬を閉じ込めて欲しいと
    勝手に思ってましたが、
    清濁を同時に閉じ込めた絵の方が、
    私の中の核心の部分が揺さぶられるんですね。

    見る側の心を捉えて離さない作品には
    作者の苦悩が幾重にも塗り込められている。
    絵画を鑑賞するときはその一兆分の一でも
    感じられるようになりたいと思う一冊です。

    読んでいる間に、
    この作品が直木賞候補になったようですね。
    他の作品をほとんど読んでいないのに申し訳ないですが、
    私はこの作品に一票入れたいです。

    日本画もいいですね。澤田瞳子さんのおかげで
    美術オンチが日本画にも興味を持ち始めました☆

  • 以前、棟方志功展に出掛けた際、
    作品制作中の彼の姿を捉えた映像を見て
    仰天した事を思い出した。

    棟方氏と作品の間に
    彼の意識は無く、
    まるで見えない何者かによって
    絵筆を持つ手を支配されていた、かの様な…
    実際、彼曰く。
    「私は描かされているだけ。」

    何かしらの才能を天から与えられた者は
    それをこの世に<誕生>させる使命を担う。
    だが、それが決して容易い事ではない、と言うのが
    人であるが故、人として生きる為の道理も通さねばならない事。

    若冲も絵筆さえ手にしていれば
    それで良い性分であったが、
    彼の不運が名立たる名家の長男として生まれた事。
    家で起こる度々の騒動にも全く関心を示さず、作品を制作し続けてばかりいた若冲はやがて悲劇に見舞われる事となる。

    その悲劇こそが、
    その後の彼の作品に多大な影響を受けてゆく事となるのだが、とにかく彼の見る視界は暗かった。
    根はただの天才絵描きだからこそ、
    彼が受けた傷は計り知れない程大きくて、物語が(彼の一生が)非常に長く長く感じられた。

    一生許しを得る事なく
    生き続けなければならないつらさ、
    その目的とは
    絵を描かねばならぬ故。

    まっさらな紙面を前に絵筆を持つ
    若冲の胸中はいかなるものだったであろう。
    しっとり降る雨音が未だに耳に残っている。
    彼亡き後、
    残された人達が彼の一生と向き合うシーン。

    暗い雨雲でびっしり覆われた空ではあったが、
    作品に向けてようやく光は射した。
    その瞬間、彼がこれまで描いてきた絵の中のちょっと奇怪な生き物達がほっと和らいだ表情を見せてくれた様な気がしたのだが。


    若冲という号は
    『枡源』(若冲の実家)の主を退くと決意した際、
    大典(僧侶)が老子第45章の
    「大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、その用は窮まらず」
    すなわち
    「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である。」という一節からつけてくれたもの。

    若冲の絵に意味を持たせるとすれば
    すとん、と腑に落ちるこの一文がとても好きだった。

  • 京の老舗青物問屋の長男でありながら、若くして弟に家督を譲って隠居、その後は描画に邁進した若冲。
    彼を突き動かしたものは、自殺した妻と、そのことで若冲を憎み続けた義弟でした…

    恥ずかしながら、伊藤若冲という絵師については、樹花鳥獣図屏風の作者であるということくらいしか知りません。
    しかし、本書の中に描かれる、憑かれたように筆を運ぶ若冲の姿や、表紙を飾る緻密に描きこまれた紫陽花双鶏図の迫力に圧倒され、若冲の画を目の前で見てみたいという衝動に駆られました。

    この時代について私がよく知らないせいかもしれませんが、どこまでが史実でどこからが著者の創作なのか、どんどんわからなくなっていきます。
    著者に誘われるままに読み終えたとき、はじめはおぼろげだった伊藤若冲という人物が、しっかりとした輪郭を持った姿で自分の中に立っていました。
    その姿がたとえフィクションであれ、この先私が若冲作品を目にするときに、より一層滋味深く作品を観る助けとなってくれることでしょう。

    人々の心の内を描き出す筆者の筆の巧みさに敬服。
    小説を読む楽しみを存分に味わえる時代小説でした。

  • 「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。そやから世間のお人はみな知らず知らず、若冲はんの絵に心惹かれはるんやないですやろか」

    江戸時代の京都、市井の絵師が数多いる中、一際奇抜で色鮮やかな絵を描く若冲。
    世に二つとない絵を描く、と評された若冲は常に最高級の画材を使って己の想いを絵に託していく。
    精密な花鳥画や風狂な水墨画を得意とし、観るものを不思議と虜にしてしまう。
    内に隠された葛藤の渦が若冲の絵の魅力と合間って、こちらの感情も揺さぶられていく。

    例え絵師本人が亡くなっても、絵は永遠に残り何時の世も人々を魅了する。
    何時までも生き続け、観る度に新たな輝きを放つ若冲の絵をこの目で観たくなる物語。
    池大雅、円山応挙、与謝蕪村等、同時代を生きた絵師達との関わりも楽しめた。

  • 伊藤若冲は江戸中期、京都で活躍した異色の絵師である。細密な描写、過剰なほどに溢れる色彩の絹絵、飄々とした禅味が漂う墨絵、しんとした異界に誘うような版画。驚異の技術を持ち、生きとし生けるものを描ききった85年の生涯であった。
    本作はこの若冲を主人公に据えた歴史「小説」である。

    物語は8つの章からなる。連作集と見ることもできよう。
    8つのストーリーを通じて、画家としての頭角を現す壮年期から晩年と死までを追う。
    天明の大火や錦市場の再開といった歴史上の事件、池大雅、円山応挙、谷文晁といった同時代人をちりばめ、世界が立体的に立ち上がってくる。市場同士のつばぜり合い、大災害の起きた際の都市の様子などは筆が冴えて読ませる描写である。上記の人物に加えて、交流があったとされる文人・木村蒹葭堂や儒学者・皆川淇園などが、姿は見せないものの、ちらりと名前が織り込まれるあたりが物語に厚みを与えている。

    だがしかし、メインのストーリーがいただけない。

    作者は若冲の人となりを形成する重要な人物として、架空の人物を複数配する。その架空の人物との事件を通じて、若冲の画風が生み出されたとしている。
    なぜ架空の人物との架空の事件を配したか。それは作者が若冲の絵に「負」の感情を見ているからだ。すなわち、人生に対する後悔、自らの「業」、人の醜さ、そういったものを抱えて、生み出されたのが若冲の絵だと捉えているからだ。
    その前提がそもそもどうなのか。
    若冲の画風は特異かもしれないが、「弱さ」や「苦しみ」が大きな部分を占める絵だとは私には思えない。作中何度も、「え? それは本当に若冲の絵のことを言っているのか?」と奇異な思いに捕らわれた。特徴の具体的な描写(例えば碁盤の目に区切ってそれぞれに色を入れた「鳥獣花木図屏風」の説明など)を読めば若冲の絵について述べているのに疑いはないのだが、その裏に込められているのが負の思いだとは、私には思えない。
    同じものを見ても、これほど思うことが違うのか。むしろそのことに驚きを覚える。

    もちろん、真相は誰も知らないわけだ。
    しかし、わざわざ架空の事件を作り出してまで若冲という奇才の重要な内面を構築する根拠が、もしも作者の「直観」だけだとするならば、少なからず踏み込みすぎで、なおかつ踏み込んだ方向が間違っている印象を個人的には受ける。

    江戸の風俗、人物模様という意味ではおもしろかった。しかしここに描かれているのは、「若冲」とは思えない。


    *若冲はやっぱり絵を見る方がよいのかもしれません(^^;)。

  • 名前と絵を数点知ってるだけだった。なんで読んでみようと思ったんだろう。
    フィクションもあるようだが、彼のいた時代は有名な画人が沢山いたようだ。沢山の人との絡みは興味深いし、だけど人嫌いだったようだし、内に篭る感じが沢山の素晴らしい作品を生み出していったのであろうし、小説の最後の君圭の思いのくだりは込み上げてくるものがありました。素晴らしい小説だと思います。

  • 伊藤若冲をはじめて“それ”と認識して観たのは、2008年のトーハク 対決-巨匠たちの日本美術展
    http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=55
    トップアーチストを対比させて次々と展開する素晴らしい展示だったが、好き嫌い抜きで 強烈に記憶に残ったのが 若冲 vs 蕭白のギトギトの作品群。
    さぞやクセの強い人物か?と思いきや、立派な青物問屋の跡取りなのに家業をほっぽらかして画ばかり描いたと知るにつれ、なんだかわけがわからなくなる。

    今年はサントリー美術館で、クジラvs白象の巨大屏風を観て、あ〜〜この人実物は観てないんや!と確信。
    しかし、上手くて上手くて!
    ヘンテコリンなのに上手くて 観たとたん笑っちゃうくらい上手い。
    ↑イマココ 、という若冲体験の途中でこちらを読む。

    短編8編が時系列にそって並ぶ。
    隠居のいきさつ、池大雅との交友、円山応挙との出会い、家業の危機に奔走する話、蕪村の悲哀、義弟の哀れ、
    嫁が自死して、彼女の実弟が贋作画家で、生家からは疎まれ、母に嫌われ、というあたりは作家の創造。
    登場する有名画家の生い立ちがよく織り込まれているし、生家のある錦高倉市場のピンチに奔走するくだりはしっかりと実話に基づいている。
    歴史学者の研究報告に2008年に美術史関係者が気づいて若冲がどのように生家を助けたか、より詳細がわかったという、そんな経緯も面白い。
    そして、最後は 鳥獣花木図屏風の真贋を題材に、祇園会宵山の華やかさや若冲亡きあとの法要を舞台に、これまで登場したたくさんの人々を繋ぎ合わせて行く。
    時代物らしいまっとうに泣かせる手法も光って、心慰められる大団円でした。

    鳥獣花木図屏風vs樹花鳥獣図屏風、 観たいわぁ!

    ああ若冲、京都に行ったら相国寺を訪れたいが、石峰寺の羅漢さんにもお目にかかりとぉす...♡

    お供の画集は必須。

    p.s. 澤田瞳子さんて 澤田ふじ子さんの娘さんなのですね。京都の素顔にお詳しい。

  • 今、話題の若冲。
    確かに、一度見たら忘れられないような絵が何点もありますね。
    虚実ないまぜて織り上げた奇矯な画家の物語。

    京の老舗「枡源」の長男に生まれた若冲。
    (1736年~1803年)
    自分の部屋にこもって絵を描いてばかりで家業は省みず、仕事は母親と弟達に任せていました。
    作品を売るという感覚も当初はないのですが、相国寺の僧・大典が才能を認め、引き上げてくれます。
    (ここまでは多分、史実。あとは、どれぐらい想像なのか‥?)

    結婚すれば少しは落ち着くかと結婚させられるが、その甲斐もなく、妻・お三輪が二年後に首をくくり、若冲は生涯、その後悔にさいなまれたという。
    執拗なまでの色彩の追求や、普通は雌雄仲良く描くと決まっている題材を別々に描いているところが、その表れだと。
    妻の弟は恨み、後に画家・市川君圭となって、若冲に対抗しようとする‥

    妹・お志乃の視点から、大部分が描かれます。
    腹違いの妹で年の離れたお志乃は顔料作りを手伝い、後に君圭が置いていった幼子を育てることにも。

    当時というのが文化的で、画業が花開いた時代。
    池大雅、丸山応挙、与謝蕪村、谷文晁といった面々との交流なども描かれています。
    京の画壇という特殊な世界の雰囲気をうかがわせつつ、濃密な画風にふさわしい数奇な人生が展開。
    面白く読めました!

  • あの緻密さ執拗さには何らかの念が裏付いているという考えは解るが、それにしたって話も雰囲気も極端に鬱で辛気臭すぎる。そしてその極端な辛気臭さを演出し過ぎ。実際にあった事を取り込んで人物造形を行ったのは分かるが、絵との繋がりがこじ付け臭いというか、画道や画力について主人公が若冲なのにろくに頭割いてないし、動植物を好んで描いた理由やあの絶妙だったり軽妙だったりするデフォルメセンスの出所とかにも触れないし、描き方を試行錯誤する場面すら特に無く、どうも釈然としない。辛気臭さと主軸にしてる事柄(贋作師との関係)に拘り過ぎてないか?絵師“若冲”の話を読みたかった身としては読んでる最中ずっと不満が燻る(せめて「等伯」レベルのものが読みたかった…)最近若冲が見直されてブームだから流行りにのったor出版社からのせられた、結果出来上がったんじゃないかなどと変な邪推までしてしまうぐらいだ。

  • 折しも、西条奈加さんの「ごんたくれ」を読んだ後だったので、まだこの時代にどっぷり浸かっていられました。
    ここにに出てくる若沖は、妻をめとっていたことになっています。その妻を失った罪の意識と、妻の弟からの意趣返しであるのか、若沖の贋作画家になっていたことが、若沖に一生つきまとい、絵を描かせる衝動となった。
    ・・・というフィクションなのですが、謎の絵師若沖をいきいきと作り上げて、まるで本当にこういう人生を送ったのではないかと思わせるリアリティがありました。
    若沖の異様とも思える技法はどこから生まれたのか、それの根拠が、罪の意識や恨みをもたれたことかという設定は意外でしたが、ここまでリアルに描かれると、思わず「そうだったのか」となってしまいますね。私は芸術的な衝動だと思っていますが。
    錦市場の存続に尽力した社会的な一面もかいま見て、隠居して絵を描くだけに打ち込んだひとではなかったことも知れました。同時代の画家たちとの交流も、おもしろいエピソードでした。ことばづかいから京都のひとのたたずまいまで見えてきて、それもよかったです。

  • 若冲の絵は、何度と見ているけれど、人となりについては、あまり知らず・・・でした。実際は、妻帯していないし、故に義弟もいないなど、フィクションの部分が多いというのも後で知ったので、読んでいる間は、本の中の若冲を実像として、楽しめました。先日行った若冲展の前に読んでおきたかったなぁ。

  • 近年、非常に人気の日本画家として有名になった伊藤若冲の生涯を描いた物語だ。
    多分にフィクションの香りがするけれど、どこまでが史実でどこまでが創作なのかわからなくなる作者の手腕が楽しい。
    裕福な青物問屋に生まれて偏屈で有名だったということは知っていたけれど、物語の重要な核となる妻の自死についてはまるで知らなかった。これって創作なんだろうか。だとしたらすごいな。
    細見美術館など有名な美術館に作品が所蔵されている若演についてもボロクソに言われているあたりなど、現代の事実と作中の過去を重ね合わせてみると面白い。
    謎めいた作家の心のありようを思い浮かべ、三百年前の時代に気持ちを馳せる、そんな楽しさのある一冊だった。

  • 私は若冲に関する知識をほとんど持っていません。
    この作品は、史実も織り交ぜながらのほぼフィクションという感じでしょうか。元々の若冲ファンの方からはイメージが違うなど否定意見もあるようですが、あくまでひとつの物語として読んでみて、面白かったです。
    「樹花鳥獣図屏風」と「鳥獣花木図屏風」も、澤田さんの発想を楽しみながら読みました。
    史実とはかけ離れてるかもしれない。でも、作者の解釈や仮説などでガラッと人物や出来事の印象が変わるのは歴史・時代小説の醍醐味だと思うので、これはこれで。
    若冲に関する他の本も読んでみたくなりました。

  • 個々の話は、ぐいぐい引き込まれ、すごい筆力だと思います。ただ全体をみると、何か物足りない。最初の設定に無理があるというか、各々のどろどろした交わりをもっと書いてほしい気がします。あっさりしています。

  • 伊藤若沖が、青物問屋を弟たちに引き継がせた後、生涯を絵描きとして全うしていく。
    それを支える妹。
    精神的には敵対するが、若沖に負けまいと贋絵を描く亡き妻の弟市川君圭。
    短編それぞれに、有名絵師が登場する。

    若沖展を見る前に、半分読んでいました。
    150分待って見た若沖展の後に、初めから読み返しましたが、絵の描写の所では、実際に見た作品が浮かんできて、とても良かったです。

  • 伊藤若冲。
    ひきこもりで、人見知り。
    それでも、人を想う。とても不器用な絵師。

    なんかすごいなあと。なんでもそうだと思うけど、物を生み出す人たちって、本当にすごいと改めて感じた。

    若冲という人を少し知ることができて、またちゃんと絵を観たいと思った。

  • タイトルでおわかりの通り、伊藤若冲をモデルにした小説で、第153回直木賞候補にもなった作品です。
    が、本書は、あくまでもフィクションです。
    フィクションとわかっていながらも、破綻なく、納得させられるストーリー展開には唸らされました。
    美術史に詳しい方から見れば、多々気になる部分もあるかと思いますが、私は、これはこれで物語としてありだと思います。

    池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭ら、若冲と同時代に活躍した画師たちも次々に登場します。
    現若冲研究上では、接点が無かったとされる与謝蕪村との絡みがあるのも、フィクションならではで面白かったです。

    ひきこもりの天才と呼ばれた若冲ですが、本書では、若冲には、姑との不仲から自殺した妻がいて、その罪悪感から絵の世界に没頭したという設定に。
    さらに、その妻の弟が、若冲の贋作を描いた絵師・市川君圭だったという設定に。
    その君圭との確執から、君圭が真似できない絵を描かねばならぬと、若沖の作品が進化を遂げていくという展開には感服しました。

    また、若冲研究上で大きな謎となっている《鳥獣草花図屏風》 と 《樹花鳥獣図屏風》 に関しての解釈も大変興味深かったです。

    国芳は、常に見る者の為を考えて絵を描き、人々の心を掴みました。
    一方、若冲は、自身の心の底に沈む鬱屈を美しい絵として紡ぎ、人々の心を震わせました。

    若冲は、他の画人があえて筆に起こさなかった生命の醜さ、不気味さを、人の心の欠損、暗澹を、あるがままに晒し続け、その絵を観る者に内省を迫ります。
    若冲の墨画の寂寞感、色彩画の溢れ出る鮮やかさは、美しさを超えて、狂気すら感じえます。
    若冲にとって、生きることは描くこと、描くことは生きること。
    若冲の絵に本当に向き合うためには、覚悟が必要だと気づかされた一冊です。

  • 醜いがゆえに美しく、美しいがゆえに醜い。今に残る、若沖の屏風絵はあれから五百年後、千年後の人の心をもとらえて離さないのだろう。
    オリジナルなものを表現することを仕事にする人すべてに読んでもらいたいと思った。

  • 絵画とは。変わらずとも、観る心が変わるとおのずと見える部分が異なる。何に惹かれ焦がれるかは人により、時期により、それぞれ。
    絵師の人生を知らずとも絵は楽しめるが、知ることでより、はまってゆく。

  • 異彩の画家に異色の人生を
    読み取った野心作。

    小説としてよくできている。

  • 若冲の絵のイメージと言えば、
    緻密で豪華な感じがしていました。
    植物画のように正確に描いているのかと思っていました。
    だから、異様な構図だの題材だのというのは
    言われてみて初めて気がついたという感じです。

    改めて、しみじみと見ると、
    彼の心の内が感じられるようで
    史実ではないと思いますが、世界観に引き込まれました。
    うまい運びだと思います。

    また、何となくしか知らなかった同時期に活躍した著名人など
    京都の景色と相まって堪能できました。
    サクッとした展開も、読みやすかった。

    ただ、あまりに欲のない若冲に対して
    制作意欲をかき立てる存在として君圭が出てくるが
    そこにちょっと違和感を感じた。
    ちょっとやり過ぎちゃったかな~みたいな。

    本物は見たことがないが、自分の目で見てみたいと痛切に思いました。

  • #読了。第153回直木賞候補作品。初読み作家。江戸時代中期に京都で活躍した絵師の伊藤若冲の半生を描く。家族、また与謝蕪村、市川君圭らを含む絵師など、彼を取り巻く人々と、当時の京の都の様子を丁寧に描く。歴史&美術ものが得意でなく、初めのうちはとまどう箇所もあったが、読めば読むほど惹きこまれていった。

  • 非の打ちどころがなく、

    読み応え満載の重厚な歴史文化・時代小説でした。

    直木賞候補止まりで終わりましたが、

    逆に今後、直木賞受賞作品という肩書を一切必要としない

    日本文学の誇る至極の至宝として

    読み継がれていく作品だと思います。

    史実やその時代背景と文化の素養と知識を

    得る為に作者が要したエネルギーや

    実直さに感嘆しながら読み終えました。

    書き手としての成長も著しく、

    読み手を引き込む力量も申し分なく思いました。

    改めて非の打ちどころのない最高佳作です。

  • 若冲のカレンダーが付いた雑誌を買おうかと思った~枡屋源左衛門が絵に打ち込む姿は,異母妹の志乃からすると,いびられて首を吊って果てた嫁の三輪への罪の意識から来ている気がする。家業に身が入らない源左衛門は,三輪の弟・弁蔵と志乃を娶せて家を継がせると言い出すが,弁蔵はとことん枡源を憎んでいて話にならず,この程度の絵なら我でも描けると言い出す。家督を弟に譲った若冲は名を茂右衛門と変え帯屋町に隠居して,妹を助手に使って作画三昧の生活をしているが,相国寺の大典から鹿苑寺大書院の障壁画を依頼された。池大雅に誘われた先は,元左少弁・裏松光世の蟄居部屋で,弁蔵の描いた贋作を見せられ,更に自分しか描けない絵をと決意を新たにした。錦高倉市場のお宮に住み着いたかっぱらい二人の子どもを捕らえたのは,後の円山応挙。自分も苦労の果てに身すぎを手に入れたのだ。志乃に五條問屋町・明石屋半次郎の後妻という縁談が持ち込まれ,三兄の信三郎が胃病で死に,幸之助の冷たい言葉に,死んだものと思えと捨て台詞を残した若冲は,相国寺に二十数葉の動植綏絵を寄進した。勿論,弁蔵への挑戦状だ。禁裏の口向役人・関目貢が市川君圭から教えられたと,因幡薬師に納める屏風絵を依頼してきたが,忙しくて断った。五条の問屋町・明石屋半次郎が,錦高倉市場の営業停止という嫌がらせを仕掛けてきたため,志乃は若冲の許に帰り,若冲も自分の住まう町のため,奔走する。江戸から来た勘定役・中井清大夫の知恵を受けて,卸している百姓からの請願と茗荷金で利権を守り,中井は付喪神を書いて礼にしろという。そもそも中井は口向役人の不正を暴きに来たのだった。帯屋町に住まう二人は伏見の石峰寺に石仏五百体を納め続けるが,一斗米の値で作画を引き受けるという評判が高まった。実家出入りの料亭が二度目の嫁を披露して歩く中で騒ぎを起こしたのは与謝蕪村の娘で,水呑百姓の出である事が離縁の原因だった。実家で二度の卒中の発作で母が死に,葬儀にも出ずに書き上げた涅槃像は,二股大根を釈迦に見立て,子どもを蕪に見立て,摩耶夫人が描かれていない事から知れる。焼け野原になった京で行方不明の弟子を探す内に,妻を捜す市川君圭と出会い,死んだ岡本雪峰になりすまして,御所造営に係わるので,子・晋蔵を押しつけられた。薬種問屋・吉野寛斎から西福寺に寄進する襖絵の注文を受け,顔料屋で,若林に再会。中井からは絵師選びに付き合わされて,その場にいた君圭は絵が完成して中井に呼ばれ,名を騙った事で咎められ,絵は破かれ,都から所払いとなる。升目を書いて貰うと綺麗に塗りつぶすことが出来るようになった晋蔵に手伝わせて,祇園宵山で屏風を見に行った先で,谷文兆が写してきた屏風絵を見た若冲は,弁蔵が吾を越えようとして描いた屏風絵に衝撃を受け,更なる大作を完成させる。絵は人のために成すべきと言う言葉に打たれ,種種の動物を描く中で,白象の上に見えない亡き妻・三輪を乗せていたのだ。若冲が亡くなって尽七日の法要を営むと,大八車に屏風を乗せて若冲の絵を売りに来た爺と孫が門前にいる。法要が終わって,出てきた谷文兆は7両で買えればしめたものと交渉に乗り出し,5両で手に入れようという時,弁蔵が現れ,十両で買うという。山笠の宵山で見た屏風絵で漸く敗北を悟った弁蔵は若冲の理解者となったのだ~7年後,7年後,7年後…と来て,最後の5年後には吃驚しました。この瞳子さん,77年生まれで若いんだよねぇ

  • 伊藤若冲の伝記的小説。といいながら、同人物のことは情けないことに知らなかったです。亡き妻とその弟への葛藤が根底に流れ、それと向き合いながら自分の絵が完成していくというドラマは、ありがちに思えるけどやっぱり効果的で、本作も求心力は抜群でした。逝去後の後日談が描かれる最終章は、彼と関わった様々な想いが綴られていて、やっぱりグッと来るものがありました。ふと手にした作品だったけど、面白かったです。

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若冲の作品紹介

奇才の画家・若冲が生涯挑んだものとは――今年、生誕300年を迎え、益々注目される画人・伊藤若冲。緻密すぎる構図や大胆な題材、新たな手法で周囲を圧倒した天才は、いったい何ゆえにあれほど鮮麗で、奇抜な構図の作品を世に送り出したのか? デビュー作でいきなり中山義秀賞、次作で新田次郎賞を射止めた注目の作者・澤田瞳子は、そのバックグラウンドを残された作品と史実から丁寧に読み解いていく。 底知れぬ悩みと姿を見せぬ永遠の好敵手――当時の京の都の様子や、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭ら同時代に活躍した画師たちの生き様も交えつつ、次々に作品を生み出していった唯一無二の画師の生涯を徹底して描いた、芸術小説の白眉といえる傑作だ。

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