若冲

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163902494

作品紹介・あらすじ

奇才の画家・若冲が生涯挑んだものとは――今年、生誕300年を迎え、益々注目される画人・伊藤若冲。緻密すぎる構図や大胆な題材、新たな手法で周囲を圧倒した天才は、いったい何ゆえにあれほど鮮麗で、奇抜な構図の作品を世に送り出したのか? デビュー作でいきなり中山義秀賞、次作で新田次郎賞を射止めた注目の作者・澤田瞳子は、そのバックグラウンドを残された作品と史実から丁寧に読み解いていく。 底知れぬ悩みと姿を見せぬ永遠の好敵手――当時の京の都の様子や、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭ら同時代に活躍した画師たちの生き様も交えつつ、次々に作品を生み出していった唯一無二の画師の生涯を徹底して描いた、芸術小説の白眉といえる傑作だ。

感想・レビュー・書評

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  • 何かを表現する術を持ち合わせた者は、
    自分の中に押しとどめられない程の深い悲しみや苦しみをも
    約束事のように一緒に持ち合わせてしまうのでしょうか。

    江戸時代の絵師、伊藤若冲の物語。

    美術関連に疎い私は、描かれた絵も
    見たことありませんでしたし、存在も知りませんでした。

    でもこの本の表紙にクギ付けになった人は
    私だけではないと思います。
    何でしょう、この絵から出てくるものは。
    綺麗な色で塗られているのに、
    見た人をフリーズさせる程、強く掴まれるような感覚。

    この物語を読んで納得します。
    全くの物語なのですが、
    こんなことがあれば、そうなってしまうかもしれないなと。

    生きることとは、朽ち果てていくこと。
    絵画の中にはこの世の輝く一瞬を閉じ込めて欲しいと
    勝手に思ってましたが、
    清濁を同時に閉じ込めた絵の方が、
    私の中の核心の部分が揺さぶられるんですね。

    見る側の心を捉えて離さない作品には
    作者の苦悩が幾重にも塗り込められている。
    絵画を鑑賞するときはその一兆分の一でも
    感じられるようになりたいと思う一冊です。

    読んでいる間に、
    この作品が直木賞候補になったようですね。
    他の作品をほとんど読んでいないのに申し訳ないですが、
    私はこの作品に一票入れたいです。

    日本画もいいですね。澤田瞳子さんのおかげで
    美術オンチが日本画にも興味を持ち始めました☆

  • 以前、棟方志功展に出掛けた際、
    作品制作中の彼の姿を捉えた映像を見て
    仰天した事を思い出した。

    棟方氏と作品の間に
    彼の意識は無く、
    まるで見えない何者かによって
    絵筆を持つ手を支配されていた、かの様な…
    実際、彼曰く。
    「私は描かされているだけ。」

    何かしらの才能を天から与えられた者は
    それをこの世に<誕生>させる使命を担う。
    だが、それが決して容易い事ではない、と言うのが
    人であるが故、人として生きる為の道理も通さねばならない事。

    若冲も絵筆さえ手にしていれば
    それで良い性分であったが、
    彼の不運が名立たる名家の長男として生まれた事。
    家で起こる度々の騒動にも全く関心を示さず、作品を制作し続けてばかりいた若冲はやがて悲劇に見舞われる事となる。

    その悲劇こそが、
    その後の彼の作品に多大な影響を受けてゆく事となるのだが、とにかく彼の見る視界は暗かった。
    根はただの天才絵描きだからこそ、
    彼が受けた傷は計り知れない程大きくて、物語が(彼の一生が)非常に長く長く感じられた。

    一生許しを得る事なく
    生き続けなければならないつらさ、
    その目的とは
    絵を描かねばならぬ故。

    まっさらな紙面を前に絵筆を持つ
    若冲の胸中はいかなるものだったであろう。
    しっとり降る雨音が未だに耳に残っている。
    彼亡き後、
    残された人達が彼の一生と向き合うシーン。

    暗い雨雲でびっしり覆われた空ではあったが、
    作品に向けてようやく光は射した。
    その瞬間、彼がこれまで描いてきた絵の中のちょっと奇怪な生き物達がほっと和らいだ表情を見せてくれた様な気がしたのだが。


    若冲という号は
    『枡源』(若冲の実家)の主を退くと決意した際、
    大典(僧侶)が老子第45章の
    「大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、その用は窮まらず」
    すなわち
    「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である。」という一節からつけてくれたもの。

    若冲の絵に意味を持たせるとすれば
    すとん、と腑に落ちるこの一文がとても好きだった。

  • 京の老舗青物問屋の長男でありながら、若くして弟に家督を譲って隠居、その後は描画に邁進した若冲。
    彼を突き動かしたものは、自殺した妻と、そのことで若冲を憎み続けた義弟でした…

    恥ずかしながら、伊藤若冲という絵師については、樹花鳥獣図屏風の作者であるということくらいしか知りません。
    しかし、本書の中に描かれる、憑かれたように筆を運ぶ若冲の姿や、表紙を飾る緻密に描きこまれた紫陽花双鶏図の迫力に圧倒され、若冲の画を目の前で見てみたいという衝動に駆られました。

    この時代について私がよく知らないせいかもしれませんが、どこまでが史実でどこからが著者の創作なのか、どんどんわからなくなっていきます。
    著者に誘われるままに読み終えたとき、はじめはおぼろげだった伊藤若冲という人物が、しっかりとした輪郭を持った姿で自分の中に立っていました。
    その姿がたとえフィクションであれ、この先私が若冲作品を目にするときに、より一層滋味深く作品を観る助けとなってくれることでしょう。

    人々の心の内を描き出す筆者の筆の巧みさに敬服。
    小説を読む楽しみを存分に味わえる時代小説でした。

  • 伊藤若冲と市川君圭の物語。
    と、あえて書こう。

    本作は、伊藤若冲の人生を若冲と妹お志乃の視点から描いている。
    青物屋枡源の主源左衛門(若冲)は、商いを二人の弟に任せっきりにして絵に没頭する毎日を送っている。
    それは、かつて自ら命を絶った妻お三輪への悔悟、そしてお三輪をいびった義母お清への憎しみの気持ちが原動力になっていた。

    ある日、源左衛門は店をお志乃と弁蔵(市川君圭)に譲ると言い出す。しかし、弁蔵は姉を死に追いやった源左衛門に憎しみをぶつけ姿をくらます。
    その後、源左衛門の贋作絵が町に出回るようになる。それは行方のわからない市川君圭—弁蔵の手によるものだった。

    研究本や解説本を読んでいないので細かいところまでは分からないが、作者独自の設定が結構入っているようだ(若冲は妻帯していなかったらいしので、妻の存在は大きなフィクションということだろう)。

    鮮やかな色彩で描かれながらも、決して陽気とは感じられない若冲の絵。これが悔悟や憎しみの中から生まれた、というところは好みが別れるかもしれない。

    しかし、行方をくらましてから若冲とはほぼ会うことの無かった市川君圭による贋作絵の存在が若冲に大きな影響をおよぼし、それが若冲の支えのような存在にまでなる、というところは読んでいてグッときた。

    伊藤若冲の物語は本作が始めてなのだが、若冲像は作家さんによってカラーがかなり違いそうなので他の作家さんの"若冲物"も読んでみたいと思う。

  • 「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。そやから世間のお人はみな知らず知らず、若冲はんの絵に心惹かれはるんやないですやろか」

    江戸時代の京都、市井の絵師が数多いる中、一際奇抜で色鮮やかな絵を描く若冲。
    世に二つとない絵を描く、と評された若冲は常に最高級の画材を使って己の想いを絵に託していく。
    精密な花鳥画や風狂な水墨画を得意とし、観るものを不思議と虜にしてしまう。
    内に隠された葛藤の渦が若冲の絵の魅力と合間って、こちらの感情も揺さぶられていく。

    例え絵師本人が亡くなっても、絵は永遠に残り何時の世も人々を魅了する。
    何時までも生き続け、観る度に新たな輝きを放つ若冲の絵をこの目で観たくなる物語。
    池大雅、円山応挙、与謝蕪村等、同時代を生きた絵師達との関わりも楽しめた。

  • 今、話題の若冲。
    確かに、一度見たら忘れられないような絵が何点もありますね。
    虚実ないまぜて織り上げた奇矯な画家の物語。

    京の老舗「枡源」の長男に生まれた若冲。
    (1736年~1803年)
    自分の部屋にこもって絵を描いてばかりで家業は省みず、仕事は母親と弟達に任せていました。
    作品を売るという感覚も当初はないのですが、相国寺の僧・大典が才能を認め、引き上げてくれます。
    (ここまでは多分、史実。あとは、どれぐらい想像なのか‥?)

    結婚すれば少しは落ち着くかと結婚させられるが、その甲斐もなく、妻・お三輪が二年後に首をくくり、若冲は生涯、その後悔にさいなまれたという。
    執拗なまでの色彩の追求や、普通は雌雄仲良く描くと決まっている題材を別々に描いているところが、その表れだと。
    妻の弟は恨み、後に画家・市川君圭となって、若冲に対抗しようとする‥

    妹・お志乃の視点から、大部分が描かれます。
    腹違いの妹で年の離れたお志乃は顔料作りを手伝い、後に君圭が置いていった幼子を育てることにも。

    当時というのが文化的で、画業が花開いた時代。
    池大雅、丸山応挙、与謝蕪村、谷文晁といった面々との交流なども描かれています。
    京の画壇という特殊な世界の雰囲気をうかがわせつつ、濃密な画風にふさわしい数奇な人生が展開。
    面白く読めました!

  • 伊藤若冲は江戸中期、京都で活躍した異色の絵師である。細密な描写、過剰なほどに溢れる色彩の絹絵、飄々とした禅味が漂う墨絵、しんとした異界に誘うような版画。驚異の技術を持ち、生きとし生けるものを描ききった85年の生涯であった。
    本作はこの若冲を主人公に据えた歴史「小説」である。

    物語は8つの章からなる。連作集と見ることもできよう。
    8つのストーリーを通じて、画家としての頭角を現す壮年期から晩年と死までを追う。
    天明の大火や錦市場の再開といった歴史上の事件、池大雅、円山応挙、谷文晁といった同時代人をちりばめ、世界が立体的に立ち上がってくる。市場同士のつばぜり合い、大災害の起きた際の都市の様子などは筆が冴えて読ませる描写である。上記の人物に加えて、交流があったとされる文人・木村蒹葭堂や儒学者・皆川淇園などが、姿は見せないものの、ちらりと名前が織り込まれるあたりが物語に厚みを与えている。

    だがしかし、メインのストーリーがいただけない。

    作者は若冲の人となりを形成する重要な人物として、架空の人物を複数配する。その架空の人物との事件を通じて、若冲の画風が生み出されたとしている。
    なぜ架空の人物との架空の事件を配したか。それは作者が若冲の絵に「負」の感情を見ているからだ。すなわち、人生に対する後悔、自らの「業」、人の醜さ、そういったものを抱えて、生み出されたのが若冲の絵だと捉えているからだ。
    その前提がそもそもどうなのか。
    若冲の画風は特異かもしれないが、「弱さ」や「苦しみ」が大きな部分を占める絵だとは私には思えない。作中何度も、「え? それは本当に若冲の絵のことを言っているのか?」と奇異な思いに捕らわれた。特徴の具体的な描写(例えば碁盤の目に区切ってそれぞれに色を入れた「鳥獣花木図屏風」の説明など)を読めば若冲の絵について述べているのに疑いはないのだが、その裏に込められているのが負の思いだとは、私には思えない。
    同じものを見ても、これほど思うことが違うのか。むしろそのことに驚きを覚える。

    もちろん、真相は誰も知らないわけだ。
    しかし、わざわざ架空の事件を作り出してまで若冲という奇才の重要な内面を構築する根拠が、もしも作者の「直観」だけだとするならば、少なからず踏み込みすぎで、なおかつ踏み込んだ方向が間違っている印象を個人的には受ける。

    江戸の風俗、人物模様という意味ではおもしろかった。しかしここに描かれているのは、「若冲」とは思えない。


    *若冲はやっぱり絵を見る方がよいのかもしれません(^^;)。

  • 読むのに凄く時間がかかってしまった(途中で何度かやめようかと思った)

    後半はとてもテンポよく進んでいき、最後のほうはページターナーとなるが、それまでは全体的に同じようなことの繰り返しのように感じ、じれったさを感じる。
    梅雨のようなじっとりとした薄暗い雰囲気。
    最後はよかったので、とりあえず途中で読むのをやめなくてよかったと思う。
    (というか、最後の"浄土"の作品であふれ出る命と生きることの美しさを描くシーンはそれまでの対極。対比が凄い。それにしてもそれまでが長い・・・若冲さん長生きとはいえ、、、長い。)

    江戸時代の京都の街にまるでタイムスリップしたような描写の巧みさは素晴らしい。
    文章もとても丁寧で、綺麗だったので他の作品を読んでみたい。

    "若冲という号は(中略)、『老子』 (中略) の「満ち足りたものは一見空虚と見えるが、その用途は無窮である」という一節からつけてくれたもの"

    因みに他のレビューで書かれていたが、若冲に妻はいなかったそうで、そう考えると作者の想像力はすさまじい。

  • 知識なくてどこまでが史実なのか分からないけど、残っている絵から受けた印象をうまくお話に乗せてあり重厚だった。著名な日本画家が多く登場しており、今後、美術館で作品に出会ったときにまた違う邂逅が期待できる。…早くなにか見たいと思った。このところ美術館行くこと多かったので、先に読んでいればと悔やまれる。
    澤田瞳子著作3作目だが、どれもとても文章美しく、たんたんと進行するのに、重く心に残り、大変慈しんで読ませて頂いている。

    • あけあけさん
      美術館に行きたくなりますよね〜。
      美術館に行きたくなりますよね〜。
      2022/08/15
    • コプ眠さん
      岡田美術館に行きたくなりました。
      今、ちょっと調べたら、来年の1月から出光美術館でこの作品に出てきた絵が見られるようです。
      岡田美術館に行きたくなりました。
      今、ちょっと調べたら、来年の1月から出光美術館でこの作品に出てきた絵が見られるようです。
      2022/08/15
    • あけあけさん
      行きたい。絵心あれば、描きたい。
      行きたい。絵心あれば、描きたい。
      2022/08/15
  • 追うものと追われるもの、双方の悲しみを見つめ続けたお志乃。涙でした。

  • 名前と絵を数点知ってるだけだった。なんで読んでみようと思ったんだろう。
    フィクションもあるようだが、彼のいた時代は有名な画人が沢山いたようだ。沢山の人との絡みは興味深いし、だけど人嫌いだったようだし、内に篭る感じが沢山の素晴らしい作品を生み出していったのであろうし、小説の最後の君圭の思いのくだりは込み上げてくるものがありました。素晴らしい小説だと思います。

  • 伊藤若冲をはじめて“それ”と認識して観たのは、2008年のトーハク 対決-巨匠たちの日本美術展
    http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=55
    トップアーチストを対比させて次々と展開する素晴らしい展示だったが、好き嫌い抜きで 強烈に記憶に残ったのが 若冲 vs 蕭白のギトギトの作品群。
    さぞやクセの強い人物か?と思いきや、立派な青物問屋の跡取りなのに家業をほっぽらかして画ばかり描いたと知るにつれ、なんだかわけがわからなくなる。

    今年はサントリー美術館で、クジラvs白象の巨大屏風を観て、あ〜〜この人実物は観てないんや!と確信。
    しかし、上手くて上手くて!
    ヘンテコリンなのに上手くて 観たとたん笑っちゃうくらい上手い。
    ↑イマココ 、という若冲体験の途中でこちらを読む。

    短編8編が時系列にそって並ぶ。
    隠居のいきさつ、池大雅との交友、円山応挙との出会い、家業の危機に奔走する話、蕪村の悲哀、義弟の哀れ、
    嫁が自死して、彼女の実弟が贋作画家で、生家からは疎まれ、母に嫌われ、というあたりは作家の創造。
    登場する有名画家の生い立ちがよく織り込まれているし、生家のある錦高倉市場のピンチに奔走するくだりはしっかりと実話に基づいている。
    歴史学者の研究報告に2008年に美術史関係者が気づいて若冲がどのように生家を助けたか、より詳細がわかったという、そんな経緯も面白い。
    そして、最後は 鳥獣花木図屏風の真贋を題材に、祇園会宵山の華やかさや若冲亡きあとの法要を舞台に、これまで登場したたくさんの人々を繋ぎ合わせて行く。
    時代物らしいまっとうに泣かせる手法も光って、心慰められる大団円でした。

    鳥獣花木図屏風vs樹花鳥獣図屏風、 観たいわぁ!

    ああ若冲、京都に行ったら相国寺を訪れたいが、石峰寺の羅漢さんにもお目にかかりとぉす...♡

    お供の画集は必須。

    p.s. 澤田瞳子さんて 澤田ふじ子さんの娘さんなのですね。京都の素顔にお詳しい。

  • 「人の心いうのは、誰であれどっか薄汚れて欠けのあるもんどす。むしろ時に人を恨み、憎み、殺したろと思いもするからこそ、その他の行いがえろう綺麗に見えるんやあらしまへんやろか」 若冲はんの絵はきっと、と弁蔵はわずかに声を上ずらせた。「美しいがゆえに醜く、醜いがゆえに美しい、そないな人の心によう似てますのや。…

  • 作者の小説だから許される果てしなく広がる想像力に圧巻!あの絵を見て、そこまでイマジネーション広げられるなんて、さすがモノ書き!
    18世紀の京都の風物や、京ルールなどさすがだと思う。布石を拾いまくるのがちょっといまいち。
    キーマンの君圭の描き方が浅すぎるし、若冲の複雑だろう心象が描ききれていないので、現実にあるあの絵を実物でみてしまう物足りなく感じる。
    どうしても説得力に欠ける。


  • #読了。第153回直木賞候補作品。初読み作家。江戸時代中期に京都で活躍した絵師の伊藤若冲の半生を描く。家族、また与謝蕪村、市川君圭らを含む絵師など、彼を取り巻く人々と、当時の京の都の様子を丁寧に描く。歴史&美術ものが得意でなく、初めのうちはとまどう箇所もあったが、読めば読むほど惹きこまれていった。

  • あの緻密さ執拗さには何らかの念が裏付いているという考えは解るが、それにしたって話も雰囲気も極端に鬱で辛気臭すぎる。そしてその極端な辛気臭さを演出し過ぎ。実際にあった事を取り込んで人物造形を行ったのは分かるが、絵との繋がりがこじ付け臭いというか、画道や画力について主人公が若冲なのにろくに頭割いてないし、動植物を好んで描いた理由やあの絶妙だったり軽妙だったりするデフォルメセンスの出所とかにも触れないし、描き方を試行錯誤する場面すら特に無く、どうも釈然としない。辛気臭さと主軸にしてる事柄(贋作師との関係)に拘り過ぎてないか?絵師“若冲”の話を読みたかった身としては読んでる最中ずっと不満が燻る(せめて「等伯」レベルのものが読みたかった…)最近若冲が見直されてブームだから流行りにのったor出版社からのせられた、結果出来上がったんじゃないかなどと変な邪推までしてしまうぐらいだ。

  • 折しも、西条奈加さんの「ごんたくれ」を読んだ後だったので、まだこの時代にどっぷり浸かっていられました。
    ここにに出てくる若沖は、妻をめとっていたことになっています。その妻を失った罪の意識と、妻の弟からの意趣返しであるのか、若沖の贋作画家になっていたことが、若沖に一生つきまとい、絵を描かせる衝動となった。
    ・・・というフィクションなのですが、謎の絵師若沖をいきいきと作り上げて、まるで本当にこういう人生を送ったのではないかと思わせるリアリティがありました。
    若沖の異様とも思える技法はどこから生まれたのか、それの根拠が、罪の意識や恨みをもたれたことかという設定は意外でしたが、ここまでリアルに描かれると、思わず「そうだったのか」となってしまいますね。私は芸術的な衝動だと思っていますが。
    錦市場の存続に尽力した社会的な一面もかいま見て、隠居して絵を描くだけに打ち込んだひとではなかったことも知れました。同時代の画家たちとの交流も、おもしろいエピソードでした。ことばづかいから京都のひとのたたずまいまで見えてきて、それもよかったです。

  • 歴史の網の目を縫うような快作

  • 割と色んなブックレビュー見ると高評価なんですけどね
    そんな中で、低評価出してる人と、大体同意見…ってところです。
    若冲がヘタレだっていう設定なんですが
    それはともかくとして
    絵に対する姿勢は、なんだろうな、
    もっと狂気じみてて欲しかったというか…

    もうコレに関しては、私個人の若冲観って言われてしまえばそうなんですけど
    あの人の作品を初めて間近で見た時に
    「常軌を逸しているな」
    と思ったんです。
    今見てもやっぱりそう思います。
    現代でこそ「超リアル細密画」とか描く人もいらっしゃって
    事細かに描くこと自体は珍しくないのかもしれませんが
    あの時代に、つまり
    写真もなく、もちろんネットもなく、なんなら電気もない時代に、
    動植物などという、対象物に「静止」を求めることができないものを
    あれだけ精緻に描く…ということの狂気、執着。
    やっぱりまともな精神では描けないのではないかと…
    そうでなければ
    ある種の、何かしらの信仰心に似たものに基づいていなければ
    描けない。と、思います。

    だからね
    もしかしたら、その「信仰心的な何か」が
    この小説における「妻への贖い」と「追われる者の孤独」だったのかもしれないのですが
    なんて言うのかな…
    そんな、人間的なメンタルで果たして描けただろうか、っていう疑問。
    フィクションとは言え…疑問。

    実際の若冲作品の「背景エピソード」という体での小説ですが
    私はどうしても、その
    若冲作品を見て「うわぁ、頭おかしいな、若冲って!!」という衝撃を受けてしまったもんですから
    ちょっとこう…生温さを感じてしまいました。
    「そんなモンじゃねぇ…」っていうか。

    虚実ないまぜだからと言って、
    読者である私までも虚実ないまぜに捉えるのはどうかと思いながら
    受け入れがたい何かがあります。
    が!
    若冲作品を見たことない人、写真でしか見たことない人、それから
    見たことがあっても、私と同様のインパクト(「若冲、頭おかしい」)を彼の絵から受けなかった人なら、
    おそらくアリでしょう。
    ってことで
    バイアスかかりすぎてるのを差し引いて★3つにしとく。

  • かの伊藤若冲を捉えた小説、絵はいまや誰でも知っているけど如何なる人と生りかを知ることが出来た。本に因ればあの独特な絵の根底には亡き妻への贖罪と 彼に姉の怨みを贋作によって衝き通した義弟、義弟の絵画力に負けられない意地等が相俟った結実があるという。今一つ絵にのめり込む要因や 絵によって怨みを晴らそうとし続ける義弟の心理、納得できないながら終生 支え続けた腹違いの妹の気持ち 等 腑に落ちない点はあるものの、伊藤若冲の人物像を大まかに掴むことが出来る力作です。

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著者プロフィール

1977年京都府生まれ。2011年デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞、’13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞、’16年『若冲』で親鸞賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、’20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、’21年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。近著に『漆花ひとつ』『恋ふらむ鳥は』『吼えろ道真 大宰府の詩』がある。

澤田瞳子の作品

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