満映とわたし

  • 文藝春秋
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (311ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163903149

作品紹介・あらすじ

今年95歳になる岸富美子。女性映画編集者の草分けであり、「満映」(満州映画協会)の最後の生きた証言者でもある。15歳で第一映画社に編集助手として入社し溝口健二監督の名作「浪華悲歌」「祇園の姉妹」の製作に参加、その後、原節子主演の日独合作映画「新しき土」の編集助手も務める。映像カメラマンだった兄の渡満に従い、1939年、国策映画会社だった旧満州映画協会に編集者として入社。赴任当時の甘粕正彦理事長の姿を記憶にとどめている。1945年8月敗戦直後に甘粕は自決する。指導者を失った満映社員とその家族たちはソ連侵攻にともない、朝鮮への疎開を図り奉天まで移動するが、脱出かなわず、再び新京の満映に戻る。国共内戦の勃発と共に、岸一家(夫も映像カメラマン)は日本人技術者として貴重な映画機材を守り、中国人技術者を教育するという決意のもとに中国共産党と共に松花江を渡り、鶴岡に赴く。ここで記録映画の製作などを始めるが、多くの日本人が人員整理の対象となって松花江近くの部落で過酷な重労働を強いられる。1949年、苦難を経て三年ぶりにかつての満映、東北電影製片廠に戻り、中国映画の編集をしながら、中国人スタッフに映画編集の技術を教える。1953年にやっと日本に帰国するが、レッドパージで日本の映画会社には就職できず、岸にはフリーランスで働く道しか残されていなかった。その歴史に翻弄された苦難の生涯と国策映画会社「満映」の実態を、ノンフィクション作家・石井妙子の聞き書きと解説によって描きだす、戦後70年の貴重な証言本。

感想・レビュー・書評

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  • おばあちゃんの自分史レベルのものかと思いきや、その想像を裏切りかなり読みごたえがあった。ロサンゼルスで書店経営をしていたような一家のもと、満州で生まれた著者は父や兄の早逝や様々な事情も重なって十代半ばで映画編集の仕事に就く。日活に始まり満映を経て、終戦後もしばらく日本に帰ることができず新生中国や北朝鮮の映画製作にもかかわる。
    満州に渡る前の窮乏生活なども波瀾万丈という感じだし、新京での生活も興味あるところだったが、よかったのは終戦後の中国に残っての日々。書中で岸さん自ら述べてもいるが、映画技術陣は監督の言うことに従う姿勢でいたり、映画をつくるということには関心をもちながらも、その映画がどのような意図や使われ方をするこかということには無頓着だったというのにうなずけるような終戦前に比べ、理不尽な「精簡」を経て中国や北朝鮮の映画人に指導しながら映画製作に協力するような頃は、その筆致からも自覚的に満足しながら映画製作にかかわったことが伝わってくる。その意味では、戦時中のとか、満州での……といったところは呼び水だろうし、自分もそこに興味を引かれ読みだしたのだが、建国前後の共産主義台頭の中国の空気など、あまり見聞きしたことがなかった部分を一般女性的な目から伝えてくれているのも価値あることだと思う。
    プロのもの書きでない岸さんを石井さんがサポートしたかたちだが、各章末の解説は石井さんが自ら述べてもいるように、ほぼ本編の繰り返しで不要。不十分であっても、(実際は本編にもかなり石井さんの手が入っているようだが)生の岸さんの筆が感じられるほうがいい。

  • 我が家にも満州に渡り引き上げてきた親類がいる。が、当時のことを聴く機会は一回もなかった。しかし、祖父の文箱から、戦時中の満州から届いた手紙が見つかった。現地の窮状と身の振り方を思い悩み、神戸空襲を気遣う伏字部分がある。

    15歳から働きはじめ、満州に映画編集の技師として渡った女性家族の半生。壮絶という一言では片付けられない。文字通り時代に翻弄され、生き残ったことが奇跡とも思える。そして今、そのような危機的状況に晒されている人が世界にどれだけいることか。

  • この後、読みたい関連本。
    「幻のキネマ満映」山口猛、「私説 内田吐夢伝」鈴木尚之。

  • 岸富美子は大正9年生まれ、私の母も大正9年生まれ、他に原節子や李香蘭も同じ年の生まれ。結婚したのは25歳ということなので母とほぼ同じ年だ。でも人生は全く違った。15で第一映画社に入社し、編集助手として働く。ほかの仕事をやっていれば満州に渡ることもなかったのに。19歳で満州に渡り満映に入社 そこでも編集者として技を習得していく。終戦後はソビエトの略奪に合うなど、厳しい時代を生き抜く。八路軍から映画つくりを手伝ってくれと言われ、そのまま中国にとどまった。日本に帰ってきても食べるものもなく、住まいも不自由だったと思えば、残った方が良かったのではないか。しかし思想教育など厳しいことにも合う。日本に帰ってからも赤のレッテルを張られ、つらい思いをした。本人は映画の編集という仕事をしただけなのに、外からはそのようにみられたのだろう。晩年はどのょうに過ごしたのか興味がある。

  • 戦前に満州で映画製作に携わった女性、岸富美子さんの自伝。
    数奇な運命に驚くとともに、よくぞ95歳まで長生きされているなと、なおさら驚いた。
    戦後の中国での混乱期を良く耐え抜いたと感動した。

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著者プロフィール

大正9(1920)年、中国奉天省営口で生まれる。満14歳(数え15歳)で京都の第一映画社に入社し編集助手となる。溝口健二、伊藤大輔といった巨匠作品を手伝った後、日独合作映画『新しき土』に参加。昭和14(1939)年、満洲に渡り満洲映画協会(満映)に入社。敗戦後、中国共産党とともに行動し、昭和28(1953)年まで中国映画の草創期を支える。帰国後はフリーランスとして主に独立プロで映画編集を手がけた。平成27(2015)年、映画技術者を顕彰する「一本のクギを讃える会」から長年の功績を表彰された。19年5月永眠。

「2022年 『満映秘史 栄華、崩壊、中国映画草創』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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