勉強の哲学 来たるべきバカのために

著者 :
  • 文藝春秋
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  • / ISBN・EAN: 9784163905365

感想・レビュー・書評

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  • 【はじめに】
    著者の処女作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』はすでに一定の評価を受け、売れ行きもそこそこらしい。その処女作のタイトルからも分かるように、著者の専門はフランス現代思想である。哲学を志したきっかけが、大学二年生のときに東浩紀の『存在論的、郵便的』に出会ったことだという。その著者が、『勉強の哲学』というタイトルで書いたのがこの本だが、何と東大と京大の生協書店で売上No.1だという。今の学生もフランス現代思想を前提とした「勉強の哲学」なるものを興味を持って読むのかと思うと大変な驚きである。前著でこれまた売れ行き好調な『動きすぎてはいけない』も読んでいないのだけれど、参加する読書会で取り上げるということなので読んでみた。

    【概要】
    ■ 「勉強」について
    「勉強」という一連の作業の中で、「情報を探す」ということに関して現代はかつてないほど恵まれた環境となっている。90年代末に学生であった著者から見てもその観点では「勉強のユートピア」と呼んでもいい時代になったという。それは逆に、今までにない程、情報と勉強に関するリテラシーを身に付けることが必要な時代になったということでもある。だからこそ、少し意識の高い学生にこの本は受けるのかもしれない。

    著者は勉強をすることは、「ノリが悪くなることである」と告げる。勉強することによって、それまでの「ノリ」から自由になり、別の「ノリ」に移るということになるからだと表現する。それは著者自身の経験でもあったのだろうか。「勉強とは喪失すること」であり、また「勉強とは自己破壊である」という。そのことを著者はキモくなるとも表現する。東大・京大で売れているのは、「キモく」なることへの自己正当化にもなっているのだろうか。

    そもそも人間は「他者によって構築されたもの」である。もう少しいうと「自分に言語がインストールされている」という事実が、他者によって構築されたものでことを示しているのである。なぜなら明らかに「言語は他者」であるからである。そして、そこから人間は「言語的なヴァーチャル・リアリティ」を生きていると言えうことができる。フランス現代思想には、「言語」への拘りと同時にそこからの自由を求めることがその思想の中心となっている。そして、フランス現代思想が言語の他者性について考えることとだとすると、この本はそのことに苦しんだ著者の、そこから自由になるための勉強論、というメッセージであるのかもしれない。

    ■ ツッコミとボケ (アイロニーとユーモア)
    ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアを、既存のコードから自由になるための思考スキルだという著者のフレームワークは知的で刺激な考え方ではある。著者はアイロニーを過剰化せずにユーモアへと折り返すことを推奨する。

    アイロニーとヒューモアという点で思い出すのは、柄谷行人に『ヒューモアとしての唯物論』という著作である。柄谷は、この本の中でアイロニーに対して、ユーモアを上に置いている。いずれにせよ、アイロニーとユーモアを対置するフレームは決して新しいものではない。しかし、その議論が繰り返されるというのは、そこには何か重要なことが含まれているということでもある。いかに「闘争」ではなく「逃走」するのかという現代思想の鍵と弱みがそこにあるような気がするのだ。

    ■ ツールとしてのフリーライティング
    著者は具体的な「勉強」のツールとして、フリーライティングを薦める。自分もEvernoteを利用して読書ノートを付けて、少し形をまとめてブクログに上げるようにしている。勉強を継続するためにノートアプリを利用して書くことを薦めているが、まったくその通りだと思う。

    ■ 限りない保留
    著者は、比較を続けること、絶対的な結論を出さないこと、最終的な決断をしないことこそが大切なのだという。その思考スキームは、現実の世界においては、実際のところちっとも役に立たない。その意味で「勉強」とはすでに役に立つものでもなくなっているのだ。それでもなお「信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である」という言葉には強く共感するのである。

    【所感】
    この本を読んで、ポスト構造主義(ドゥルーズ・ガタリやデリダ、ラカン、バルト)が残したものは何であろうかと考えた。「深く勉強することは、言語偏重の人になることである」と著者はいう。それは、彼らを結果として裏切りはしなかったか。
    壮麗な装丁の『アンチ・オイディプス』を買ったとき、『差異と反復』も『千のプラトー』もまだ邦訳が出ていなかった。その『アンチ・オイディプス』も結局読むことなく書棚に鎮座している。『差異と反復』も『千のプラトー』も、その後邦訳が出たけれども結局まだ買っていない。ラカンの『エクリ』はそれ以上に受け付けることができなかった。それでも、デリダは頑張って読んだ。
    その頃の自分は、彼らの言語がバーチャルなものであったからなのか、少なくともそれらの著作からリアリティを得ることができなかった。言語偏重が過ぎて、その結果として言語遊びになっているようにしか感じられなかった。どうしても深くその中に入り込むことができなかったのだ。違う「ノリ」に行けなかったのだ。

    本作の中にある著者の「欲望年表」から、著者は34歳まで東京大学の博士課程にいたことがわかる。東京大学に入学して期待を担っていたであろう著者のことを、例えば周りの親族はどう思っていたのかと勝手ながら想像するし、相応のプレッシャーや葛藤もあったであろうと思う。その中でもドゥルーズの研究を続けるということが強き意志の存在を示しているし、ドゥルーズやフランス現代思想の魅力についても示しているように思われる。そして、本書は著者自身の自己正当化のための本であるようにも感じたのである。そうであっても全くかまわないのだけれど。

    最近、老いによるものであろうか言語能力の劣化(言葉が思い出せないなど)によって逆に改めて言語の存在を意識する。言語なくして思考がないということもより実感するようになった。言語能力が年を重ねるごとに向上している間は意識に上らないようなものが、言語能力がピークを過ぎるにあたって、かつて得られたものとの差によって、これまでにないものが意識に上ってくる。それは他者としての言語そのものであるのかもしれない。それは悲しいことでもあるが、新しい体験として期待もするのである。少なくとも、そう思うべきであるのだと。


    ---
    参考: 「超越的/超越論的」と「イロニー/ユーモア」
    http://yokato41.blogspot.jp/2014/06/blog-post_29.html?m=1

  • 勉強が気になっているすべての人に向けて書かれています。と最初にある。根本的に、「勉強とはどういうことか?」を考えてみませんか? と。

    深く勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方。それは状況にうまく「乗れる」、ノリのいい生き方。周りに対して共感的な生き方。

    逆に「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まること、「ノリが悪くなる」こと。・・そして時間をかけ勉強すると、その段階を通り越し「新しいノリ」に変身するという。そうするとこれまでのノリでできた「バカなこと」がいったんできなくなる。「昔はバカやったよなー」というような昔のノリが失われる。しかしその先には「来るべきバカ」に変身する可能性が開けていると。この本は、そこへの道のりをガイドするものだ、と。

    勉強の目的とは、これまでとは違うバカになることだ。

    う~む、最初から目からうろこだなあ。まさにノリのいい生き方をしてきた自分だ。研究者は勉強して勉強して、自説を生み出し、超越したノリの世界、俯瞰した世界にいるの人なのか。

    後半では勉強のやりかた。
    まずは、信頼できる著者による紙の書物を読む。

    まずは複数の入門書を読み比較する。「ざっと知っている」という範囲を把握し、最初の足場を仮固定する。一冊くらいでわかったと思われては困る。複数読んでいろんな角度から、分野の輪郭を眺める必要がある。

    次に「教科書」 これは読み通すのではなく、入門書の理解を深めるための事典として使う。「専門分野の名前 教科書」で検索すれば紹介している記事が見つかるでしょう、とある。「社会学」有斐閣2007 と学問の名そのものの書名が多い。

    次に「基本書」 これは教科書より上級のレベル。その分野の中心的なテーマについて詳しく書かれた重要文献。入門書や教科書に繰り返し出てくる文献がそれ。

    ああ、これを学生時代に読みたかったなあ。しかし学びは、いくつになっても発生する。

    また、中断によって、一応の勉強を成り立たせる。どんな段階にあっても、「それなりに勉強した」のです。完璧はないのです。とある。しかし中断の後に、また再開してほしい。

    ・・以上、つまみ食いしました。

    2017.4.10第1刷 2017.4.30第3刷 図書館.

  • 1.勉強することの意味を考えたくて読みました。

    2.勉強とは自己破壊であり、ノリが悪くなることです。これは、勉強してない今までの自分と比較し、深く勉強することで新しい環境へと変化していくことができると言っています。人はどうしても同調圧力にノッてしまう生き物ですが、勉強することは人とは違う道を歩むことになります。そのためには、自分の考えを常に言語化しておく必要があります。言語化するためには多様なジャンルの本を読むことやメモをしておくなどがあります。
    本書では勉強とは何かということを踏まえて、勉強の役立つ未来に向けて話しています。

    3.言葉遣いが哲学っぽくて理解するのに苦労しました。勉強することで同調圧力を跳ね除ける、今までのノリと違くなるのは当然だと言っています。ただし、その勉強が本当にのめり込むくらい面白がっているかどうかが大切です。
    「勉強しなきゃ」という危機感を持つことは大切ですし、そう思う人が少なくなっているのも事実なのですが、それよりも面白がった方がより良くなるんじゃないのかと思いました。それによって僕の場合、「なんか楽しくてやってる」くらいの感覚でいた方が身につきやすいこともわかりました。

  • 勉強するとはどういうことかを書いた本。
    「勉強の哲学」という題名だが、「哲学の勉強」ともいえる哲学の入門書。

    本来、哲学の本は、難解な哲学用語で書かれているため、読んで理解するのは難しいが、この本は、若者たちにわかりやすい身近な例え話(芸能人の不倫の話題における会話のコードとは何か、など)を挙げ、説明することで、非常に読みやすくなっている。

    ただし、それは比喩として分かりやすいだけで、本来の意味を知ろうとすると、「なんでなのだろう?」とわからない事が多数。例えばこの本で面白い部分で、アイロニー=ツッコミ<>ユーモア=ボケという説明があり、真を知ろうと考えを深めていくアイロニーこそが、勉強の本質といいながら、真の答えには絶対に行きつかないから、途中でユーモアの方にいき、観点、切り口をたくさんもち、連想を見つけていく。その上で享楽的という部分にもたどり着く。という話があるが、なぜ「真の答えにいきつかないか」ということは、感覚的にはわかるが、厳密になぜそのように説明できるのかというと、私には読み取れなかった。

    ただ、筆者も本文で主張しているが、すみからすみまで書いてあることを理解する必要はない。という事なのかもしれない。
    とにかく、この本を読んで、哲学的に思想するとはどういことか、勉強するとはどういうことか、ということに興味を持ち、そこからどんどん哲学、勉強へのめり込んでいければ、この本を出す目的を達成しているのだろう。

    また、哲学的な考え方を身に着けることで、今までになかった視点から自分自身を客観的にみることができるようになるのではないだろうか。

    この本は、割と難しい哲学の本であり、そんなにとっつきやすい記載でもないと思うので、本が売れているということに、驚きを感じる。

    何か、この本を読んだら、薀蓄を語りたくなる部分はあり、ある意味ハウトゥー的に読めるのかもしれない。哲学的な語り方を。

    また、東大生、京大生が読んでいる。とのことだが、意欲のある学生が少し背伸びして読み始めていくうちにどんどん世界が広がっていく、そんな経験を影響しているのかも知れないと思った。

    副タイトルの、「来るべきバカのために」というのは、頭が超良い人が、わざと「バカ」という言葉を使っている感じがして、もしかして、筆者は賢すぎることをコンプレックスに感じて、「バカ」という言葉に憧れているのでは?と思ったけど、idiotの意味なんですね。

    ドストエフスキーの白痴のムイシュキン公爵をイメージすると、なんとなく筆者のいわんとすることが理解できる気がした。どちらかというと純粋さに近い、平衡感覚がないような感じか。

  • 勉強=いままでのノリから抜け出すこと

    相対的に比較していくことで世界を認知するならば、比較対象を増やしていくことはより比較の精度を上げることになる。

    懐疑(アイロニー)と連想(ユーモア)を繰り返して思考を深めていくが、それは際限がないので享楽(自分のこだわり)によってある程度見切りをつける。

    自分の享楽について理解するためには欲望年表を作成すると良い。

    「ある程度勉強した状態」はあっても「勉強完了」の状態はないので享楽を繰り返しながら深めていけば良い。

    この知の有限化のプロが教師。教えられる者は何を教わっているかと同時に教師は何を切り捨てているのかも意識できた方が良い。

    学問も、それぞれの世界にノることと同義。入門書→教科書→基本書→専門書と深めていく中でその学問のノリに入っていく。そうした書物はプロ・モードで書かれているためにそうして慣れていかないと理解ができないから。

    本は修正が効かない分注意深く書かれていることが多い。でも間違っていることも往往にしてある。プロ・アマ両輪で読むことによって必要な分だけ自分のものにしていく。

    ノートは勉強のタイムラインになる。
    考えた結果を書くというより書きながら考える。箇条書き(アウトライン化)も有効。

  • これはもう千葉雅也さんによる『独学大全』ではないか。双方の読者はかなり重なっているのではないでしょうか。それにつけても自分は「連想型」で行ったきり戻ってこないタイプだと実感しました。
    蛇足ながらも「両利き経営」で対応付けると、
     ツッコミ = アイロニー = 深化(exploitation)
     ボケ = ユーモア = 探索(exploration)
    であろうと感じました。

  • 勉強とは自己破壊である。この最初のフレーズに驚いた。勉強することの考え方が今までに無い発想で、とても面白かった。内容が難しく感じたので、その分減点しました。

  • また改めて自主学習を始めるに当たって、なんで勉強したいって思うんだろ?ってメタ的に考えてたから読んだ。
    (今後はあんまメタ思考に逃げないように手は動かそう。。)

    自由に対する考え方が、スッと入ってきた。1章だけでも自分にとっては読む価値があった。完全な自由なんてそもそもない中で、環境の中にいる自分を相対化するためなんだな。だから勉強が好きなんだ。
    SNSで見て納得感あったように、「ヤンキーほど校則に詳しい」ってことなんだと思う。

    ・深く勉強するとはノリが悪くなることである
    ・勉強は獲得するものではなく、今までの自分を捨てること
    ・そもそも無限の選択肢を持てることはありえないという立場にたつと、自由とは有限との付き合い方を変えることである
    ・どうするかというと勉強することで言葉を意識し、その場にいる自分を相対化すること

    ・漫画のパターンがわかって面白く無くなったのは、ある。。
    ・環境における当たり前を察知する力が弱い人はズバッと正論(当たり前を取っ払った時の合目的的な発言)をしてしまうんだろうな。だから、「そんなんできたら苦労しないよ」って返しをしたくなる。

  • すこしのぞかせていただいた、現代思想読書会の課題本。
    勉強の本という自己啓発本の皮を被った哲学本。

    多すぎる情報の洪水の中で何を有限化するのか。
    これまでの同調圧力を外して、わざとノリが悪い人になる。キモい人になる。

    勉強における自己破壊とは何か。
    自分自身の享楽的こだわり 欲望年表を洗い出す作業はこれから試みてみるとしよう。

    簡単にかみ砕いて書いてあるようで深い知識もさらっと必要になる本。

    素敵な本。
    再読したい。

  • 2017年発刊の人文書中で話題になった一冊。千葉雅也はlifeとかゲンロンなどで、かすめる程度に知っていたが、なんとなく自己愛過剰なルックスなのでちょっと遠巻きに見ていた。たまたま電車での長距離移動があり、kindleで暇つぶしを探していたら出会い、ものの勢いで読み始めた。

    しかし面白かった。ただのポエミーなハウツー本だったら嫌だなと思っていたが、ちょっと先入観が強すぎたようで、準専門書と言ってもいいぐらいしっかり理論的で、かつ読みやすい内容。フランス現代思想の影響を色濃く反映しており、言語に対する視点と扱いから、勉強を考えるという感じ。理論はとてもうなずけるもので、非常にためになった。僕自身も勉強好きで、職場でも多少浮くところがあるので、こういう形で理論づけしてもらえると自身のことながら納得がいって、ありがたかった。

    実践編では「読む」ことと「書く」ことを教えてくれている。自身に不徹底なところがあるので、時に思い出しながら癖をつけていきたい。


    18.1.22

著者プロフィール

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
著書に『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)、『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』(青土社、2018)他

「2019年 『談 no.115』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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