孤独な祝祭 佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163905501

作品紹介・あらすじ

「諦めるな、逃げるな、媚びるな」──こんな日本人がいた──極東の島国から「本丸」バレエの殿堂、パリ・オペラ座に討ち入り。偏見と嘲笑は一夜にして喝采へと変わった。誰もが不可能と信じていたことを、執念の交渉で次々現実にしてきたタフネゴシエーターは、2016年4月30日、一人ひっそりとこの世を去った。それは半世紀前、まだ日本が貧しく、西洋のオペラなど夢のまた夢、胴長短足の日本人はバレエには向かないとされた時代。無謀な夢を抱いた一人の若者がいた。のちに日本で初めてミラノ・スカラ座の引越し公演を実現させ、鬼才モーリス・ベジャールに不朽の名作「ザ・カブキ」をつくらせ、世界各国の名門オペラハウスに自らのバレエ団を率いて乗り込むことになる、その青年の名は佐々木忠次。日本のオペラ・バレエブームを牽引、カルロス・クライバー、ジョルジュ・ドン、シルヴィ・ギエム……佐々木が日本に招いた伝説のスターたちは、日本人を熱狂させ、劇場を祝祭空間に変えた。日本人の体系的な弱点を日本人ならではの統一美で勝負することで克服。敗戦国の島国から来たおかしな東洋人と冷たい視線を浴び、日本の官僚の無理解に苦しみながら、各界の大物と一歩もひかずに徒手空拳で直談判。ついに「THE TOKYO BALLET」は、20年間外部の団体の公演を許可してこなかった、世界中のダンサーが憧れるバレエの聖地、パリ・オペラ座をも制覇。そして、16年間にわたる執念の交渉の末、誰もが「不可能」と口を揃えたミラノ・スカラ座、ドミンゴ×クライバー「オテロ」の幕が日本で開く。しかし、「美」と「本物」への激しい渇望は、同時に己を焼く業火となった──。過剰な情熱が巻き起こす周囲との軋轢、美意識をめぐる衝突、盟友との訣別……。劇場に生きた男の孤独な闘い。その誰も知ることのなかった舞台裏が、徹底取材により、今、明らかになる。

感想・レビュー・書評

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  • 昨年亡くなった東京バレエ団の創立・主宰者佐々木忠次さんの評伝。
    佐々木さんは日本のディアギレフ(注)と言われました。

    以下、この本の最初のほうでまだ本題に入らないところなんですが
    私の中に衝撃が走ったエピソードなので記録。

    昭和2年、ロシア革命から亡命してきたエリアナ・パヴロワが鎌倉に初めてバレエ教室をつくり、
    終戦から10年以上たった昭和30年代初期―のちに東京バレエ団結成の母体となった、チャイコフスキー記念東京バレエ学校が開校する頃―には
    「東京だけでも400を超える中・小バレエ教室が存在するが、必要な教育知識を有する教師はおらず、…日本バレエ界は全体として低いレベルにとどまっている」(林広吉氏)

    昭和32年8月ソ連からボリショイバレエ団が初来日。
    当時その踊りに魅せられた、現在の東京バレエ団芸術監督斎藤友佳理さんの母である木村公香さんの言葉が、次々私に衝撃。
    「大変なショックでした。私たちが、回ること、跳ぶこと、保つことにものすごく苦しんでいた頃に、
    舞台上のダンサーたちは何の不安定なところもなく演じていた。
    足がひとつもグラグラしない、あの秘密はどこにあるのだろう、どんな理論があるんだろう、そう思ったんですね」

    公香さん含め小牧バレエ団員全員が、師の小牧正英さんの勧めで東京バレエ学校の入学試験を受けました。
    公香さんがその試験で単純なパを行った時、ソ連の先生が見た瞬間に通訳を介して『それはちがう』と。
    彼女の中でボリショイバレエを見た時の衝撃と重なりました。
    彼女は今も多くの生徒を輩出していますが、その指導の原点にこの時に体験があるそうです。

    「眼から入るバレエを教えている人がいまでも多いですが、
    それでは呼吸や力の配分は教えられないんです。
    たとえば手でも、肘には力をいれるけど、手首には力を入れてはいけないし、手先はだらっとしてはいけない。
    完全な理論があるんですけど、そういう理論でバレエを習わなかった。
    足も、内側と外側で力の入れ方や筋肉の使い方が違う。
    足一本を同じように力を入れると外側に筋肉がついてしまう。
    そういう理論があるんですけど、見ただけでやると10人が10人、違うとり方をしてしまう。
    手首に力が入っていて上手な人は一人もいないんです。
    胸や肩や首に力が入っていて上手な人は一人もいないんです。
    でも、どこかに力を入れないと保って回れない。
    それまで、それをきちっと理論的に教えるシステムがなかったんです」

    ボリショイバレエ団に衝撃をうけた日本バレエ界は「日本バレエ協会」を設立。
    ソ連から講師を呼ぼうと交渉をすすめ、ほぼ合意をを得ていた矢先、
    林広吉氏が東京バレエ学校を設立。
    ボリショイバレエ団経験のソ連教師二人を招聘。
    彼らは「日本人教師は要らない」と言う。

    日本の既存のバレエ界の中には、嫉妬羨望敵意さまざまな屈折した思いがあったと思われる。
    あらかじめ話がついていたにもかかわらず日本人教師不要となったことに怒った小牧バレエ団の小牧正英氏が、合格した生徒全員に引き上げるよう厳命したが、何人かはそれを拒否。
    木村公香さんもその一人。

    ではなぜ林広吉だけがそんなことを実現できたのか?
    林氏は元新聞記者で、戦前から社会主義国ソ連に共鳴していたのです。
    彼の娘陽子(その後早逝)が小牧バレエ団に所属していたそうです。
    その陽子のために東京バレエ学校を設立したと思われます。
    彼は、自分は企業家ではなく、政治的にソ連に共鳴している運動家だと強調し、ソ連側もそこを信頼した。
    ソ連としては、親米日本のなかに、文化活動を通して親ソ勢力を増やしたいとの思惑があったのです。

    私が衝撃を受けたのは次の二点で。
    1. 改めてバレエの奥深さ
    2. ロシア・ソ連との、政治的つながりを秘めた文化的な関係(このあとも、たびたび。)


    そして、佐々木忠次さんの並外れた行動力で、
    この後日本のバレエ界は大発展を遂げるのです。

    有名人やそうでない人々の、さまざまな人間模様が描かれていて
    とても面白かったです。

    「過剰だから何かを成し遂げたが、
    過剰だから生きにくそうでもあった」著者・追分日出子

    (注)ディアギレフ…「天才を見つける天才」である彼は、当代一流の芸術家を集めて、自ら創設したバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演により、ヨーロッパ文化全般に衝撃を与えた。

  • エネルギーの塊のような人が、日本に素晴らしい舞台をスゴイ勢いで、作ってくださったのだなぁと、驚きに近い…

     一方、日本の政府、役人、政治家は、知的な芸術センスが皆無なのは、
    今だになのだなと、恥ずかしくて残念に思う

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  • 【孤独な祝祭 佐々木忠次】

    追分日出子著、文芸春秋社、2016年

    全く知らなかった。こういう人がいることを。

    強烈な個性の持ち主で、世界の一流を巻き込む圧倒的な構想力、展開力、実行力で、戦後の日本に本物のバレエとオペラを持ってくる。

    そして、東京バレエ団(正式名称 チャイコフスキー記念東京バレエ団)を本場ロシア、フランスのバレエ通も唸らせるバレエ団に仕立て上げてしまう手腕。

    「チャイコフスキー記念」が冠される理由には東西冷戦構造が影響していたり、ヨーロッパ各地で東京バレエ団が公演する際の現地日本大使館の無理解、そして、新国立劇場とバレエ団ができる時の政治的思惑など、日本に芸術文化が根付いていない様がありありと描かれている。

    数々の偉業を実現してしまう佐々木忠次の物凄さがギラギラと眩しく、そして、その間に垣間見える寂しさが本書を単なる偉人伝にしていない。

    バレエは嫌いじゃないが、東京バレエ団は見たことがなく、佐々木が生きているうちに見たかったと猛省させられた。

    #優読書

  • 90年代、お世話になったので。
    もうすぐ1周忌。

  • 東京バレエ団、海外のオペラ・クラシック・バレエを招聘するNBSを主催した佐々木忠次の評伝である。破産したバレエ団を一から作り直し、海外の一流バレエ団・オペラ劇場等と切った張ったのやり取りを繰り広げ、ベジャールやギエムとの深い親交を持ったまさに、「日本のディアギレフ」。面白いが、佐々木の自著「闘うバレエ」と重なるエピソードが多く、「闘うバレエ」の方が臨場感に勝る。とはいえ、子供っぽく人間関係が下手だったという佐々木に切り捨てられた側の人の証言が(少しだが)あるところ、病に倒れたあとの晩年の状況に触れられているのが、この本の存在意義か。しかし、凄い人である。

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