最愛の子ども

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著者 : 松浦理英子
  • 文藝春秋 (2017年4月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163906362

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最愛の子どもの感想・レビュー・書評

  •  本書は閉じられた王国の物語である。
     私たちはその王国を直接目撃することができない。私たちが読むのは国民がささやくロイヤルファミリーのゴシップと、その周辺の人々に関する描写にすぎない。それでも、私たちはこの王国を知っている。役割は無力な子どもでありながら内実は大人に近く、感受性を持て余す少女であった記憶を残した、私たちは。

    「王国」は今より少し前の日本の高校の片隅に人工的に作られ、その「国民」以外に存在を知る者はない。思春期の少女たちはしばしばそのような閉じた国を作る。この国の領土は土地ではなく、物語である。彼女たちは大人たちと男たちを排除した語りを繰りかえす。ロイヤルファミリーはいずれも高校生の女の子三人で、「パパ」「ママ」「王子」という役割を持ち、「家族」を構成する。パパもママも子も社会に規定された役割の名でありながら、少女たちの許せない性質が除かれ、少女たちが愛玩できるステレオタイプが残されている。だから子どもは女性の「王子」なのだ。

     クラスメイトたちはパパとママと王子に関する噂話をする。物語ることで場をつくるのが少女たちであるから、噂話はそのまま、王国を構成するための活動の描写でもある。すなわち、この小説は三重の円構造をもつ。もっとも内側の円はパパとママと王子。これは王国の神話であるから、小説の中で決して一人称を与えられない。ロイヤルファミリーは本心や真実を語らない。それは推測されなければならない。推測する国民たち、すなわちクラスメイトたちが第二の円、王国の境界線をつくる円である。クラスメイトたちは伝聞、憶測、妄想を交換し、それらがいきすぎないよう集団的に制御し、ストーリーをつくる。彼女たちは第一層(パパ・ママ・王子)を注視する脇役であり、さらにその外側の第三層(保護者や男子生徒、さらには読者)から見れば王国を構成する主体でもある。国民主権。その他大勢による世界の構築。なんという小説か。

     しかし、本書においてそのような技巧は主役ではない。筆者はきわめて技巧的な小説家ではあるが、技巧をめあてに小説を読む者はきっと後悔する。狼狽するほどの感情、ほとんど不快なまでの強い感覚がすべての読者を襲う、そういう小説でもあるからだ。

     十代の少女たちはなぜ王国を作るのか。おそらくは許せないものを排除し彼女たちにとっての正しい世界を確保するためである。読者である私たちは大人で、かつて許せなかったものを保身のために見過ごすすべを身につけている。だからそれを見過ごせない高校生たちのふるまいに狼狽する。彼女たちがいくら楽しそうでも、そのあまりの鮮烈さ、現在の自分とのあまりの距離に、なんだか泣けてしまう。彼女たちは大人なるものと男なるものの暴力性を排している。しかし、彼女たちには彼女たちの暴力性がある。男性性に回収されることのない暴力性が。

     彼女たちはなぜ暴力的であるか。それは愛を肯定しているからだ、と断定したい。私は常々思うのだけれども、力の不均衡が完全に均されたら、愛は存在しえない。特定の子に対し特定の大人が権力を持つことのない社会が実現すれば、親子愛は消える。特定の相手に自分に関する特権を付与することによってのみ恋は成立する。特権の付与が不均衡であれば恋はより恋らしくなる。すべての成員がたがいに権力を与えないのなら、恋は成立しない。個人の愛は権力の不均衡を要請する。個人の愛は権力の行使によって成立する。そうして愛は言うまでもなく、閉じこもることが好きだ。密室の親子。密室のカップル。究極の密室としての家庭。権力と密室は暴力の両親である。

     大人と男を排した少女たちの密室では、もちろん大人や男のふるう暴力は排除される。本書の「王国」における愛は、社会に回収されることも、性に回収されることも、美談に回収されることも... 続きを読む

  • 高校生だと、こんな感じなのかな。

  • 「わたしたち」にも「わたしたちのファミリー」にもこの時間と、その「物語」が必要だったのだろうね。
    眼の前にいるファミリーと、ファミリーが語る出来事をわたしたちが妄想で埋めていく。そして記録していく。その全てが彼女たちにとって必要な時間だった、と。
    女子高の経験はないけれどこういう感じはわかる気がする。ちょっぴりもどかしくて切ない同性同士のあまやかな時間。わたしたちの最愛の子どもたちのそんな時間を守っていける大人でありたい。

  • 読了したのでレビュー。

    最後の最後まで、異性愛規範におさまってメデタシメデ
    タシなお話ではないのか?という疑いを持って、不快を予感しながら拝読した。
    この作者の文体なのか、言葉選びのセンスなのか、時折古めかしい表現が挿入されている点だけ、好みに合わなかったので☆4つとした。

    海外小説だったら
    「さっさと主人公のセクシュアリティ決めて動かせ!」
    と、エージェントがダメ出ししてるかも知れない内容である。

    ゆらぎながら≪わたしたちのファミリー≫の物語を見守る女子たちと、色々な傾向を持った『未満』を自覚(というより見守り女子たちの妄想によって補完捏造された)ファミリーの三名の記録。
    そして、周辺視野の画像のように提示される、女子への抑圧、男子への抑圧。女の子たちが大人たちへ向ける、基本的には抑圧者を警戒する視線。

    ガッツリ娯楽としてラブラブ百合を求めたり、もだもだする人間関係を見守る級友ドラマ、等を期待すると、

    『大外れ』

    だと感じるかも知れない。

    筆者としては、『リアル系百合未満文学』、として評価できる作品である。異性愛規範の押し付けではなく、かといってセクシュアリティの多様性を言祝ぐこともしない、セクマイ文学としては慎重な立ち位置を評価したい。

    人として心が乏しい美少女と、抑圧側の男子の『こういう風にするものだから経験しておこう』的行為のシーン。
    これと、その後に描写される別のキャラクターたちによるシーンの暖かさの対比は、巻末の名場面といえよう。

  • 3人の女子高生の疑似家族の話。
    いやはや、全然世界がわからない。
    話についていけない。
    何があっても意味がわからない。

    最後まで読んで、なんだったんだろう?と考えてもわからない。
    再読しようというほどでもない。

  • 男女別学(今どき少ないよなあ)の中高一貫の女子クラス。高2のあるクラスでの疑似ファミリーとそれを見守るクラスメイト達。父親・母親と子供である王子様。それぞれがそう思われていることをわかっており、そういう環境を受け入れている。見守るクラスメイトも、3人を理解し妄想し心配している。

    思春期の女子高生たちのセクシャリティー感。取り巻く親世代や教師たちの感覚。疑似ファミリーとリアルファミリーの比較と葛藤。なかなか面白かった。
    安価なYA小説にありがちな理解のない大人が少なく、大人もそれぞれ描かれていていいと思った。生徒を広い気持ちで見守る感じの教師や、行き詰まってしまった主人公たちに解決方法をさりげなく提示するグループの保護者。
    女子高生も、男子も、親も、教師も、それぞれの迷いや生き方をしていることがわかる書き方と思う。

  • 女子高生達の,空想と妄想の疑似家族,あるいは疑似恋愛のような小説.家族とは違った学校生活の中は,丸ごと一つの世界であり,だからこそあらまほしき物語のような想像とともに生活が共存する.たくさんの女子高生の視点を変えながら,選ばれた三人のパパ,ママ,王子を核にして綴られた夢見る乙女達の群像劇だ.

  • 今の女子高生って、こんなかんじなのかなあ、と思った。
    疑似家族より本当の家族の記述のほうがリアリティがあって、疑似家族にのめりこむ気持ちも、分からなくもない。それでも高校生だったら、それが現実という諦めがおおきいのではないかな、と思う。

  • ふわっとしててそれでいて描写は克明で面白かった
    少女たちの疑似ファミリーと現実の家族の距離は遠い
    アドバイスできる大人がすごいな
    タイトルにかなり違和感を感じてしまった
    ≪ やわらかい 少女の心 三人で ≫

  • 雑誌でも読んだが、単行本になるとなんとなく印象が変わる不思議。
    大変オモチロイのです。過去の作品も追おう!

  • 疑似家族を作る女子高生三人と、それを見守る級友達の話。
    「わたしたち」の語りは徐々に脱線していき、何が事実なのかわからなくなっていく。
    主人公は三人の誰かではなく、実体のない「わたしたち」なのではないか。
    子供達に終盤で手を差し伸べたような大人でありたいなぁ。

  • 自分の価値観に合っていなくて、尚且つ作者の意図が全く理解できなかった。

  • この女子校風?の世界観に入り込めなかった。
    鞠村の必要性もよく分からなかったし。

  • う~ん、なかなか微妙な本。
    松浦理英子さんにリアル感ある物語を期待はしていないが、今回はやや中途半端な気もしなくはない。
    おそらくは横浜界隈の中高一貫私学共学校での女学生たちが繰り広げる、少々高踏的な「家族ゲーム」と言ってしまえばいいだろうか。
    色んな書評を見て、期待しすぎたかもしれない。

  • 7月3日読了。図書館。

  • 読書記録です。まだの人は読まないでね。

    タイトルから予測していたのとぜんぜん違った物語でした。
    書評も読んでたのに。
    共学なのに男子クラスと女子クラスが分かれている私立高校に通う、そのなかでもコアな女子高生グループのお話。
    はるか昔にもあった自分の高校生時代とは、まったくかけ離れた日常の描写に想像力がついていかない…
    こんなにも客観的に自分や周りを見つめたことなんかなかったし、みんなオトナすぎる。
    私は美織ちゃんのご両親のような柔軟な対応はできないと思います。伊都子さんほどではないけど、最愛の子どもには無難な人生を望んでしまうリアリストだし。
    あ、書評もこんな感じでした。だから、親として~みたいな内容だと思い込んでたんだよね。
    「夫婦」と「最愛の子ども」の役割を分担した3人の女子高生。私は読書の際には、脳内で映像化するとしたらの配役を決めて読むんだけど、空穂(うつほ)ちゃんがイメージできずに配役できませんでした。

  • 212頁より

    いったいどれだけ賢ければ
    波風たてずに生きていけるのだろう

    どれだけ美しければ世間に大事にされるのだろう

    どれだけ性格がよければ今の私が
    全く愛せない人達を愛せるのだろう

  • 父と母と子ども、という「ごっこ」
    当事者たちも周りも
    それをすごく愛しんでて
    高校時代特有のなんともしれない甘やかさが
    微笑ましかった
    なんだろな
    あの「ごっこ」みたいの
    みんなやるのかな

  • 自分の高校時代を思い出したり、友人達の関係とか。同性愛ものとかって括りじゃ足りなくて、本当の家族よりも大切なものってあるなとしみじみ思った。

  • 触感の描写がとても多く、読んでいるこっちまで何かを触りたくなってしまう。
    これからの世の中、こういう少女たちに「普通の枠」を広げていってほしい。

  • わたしたちのファミリーやわたしたちのまっとうさに心打たれます。
    松浦さんの作品は、物語にこめられている深い想いにうなってしまうしかありません。
    頑なな心の鍛え方だけでは生きがたい、ともに感じたり気にかけたりする存在の重みに、真汐の想いに、胸をうたれました。

  • 久しぶりに著者の作品を読めてよかった。読み終わった今、なんだかホッとしている。随分前に会ったきりのいとこに久しぶりに会ったような感覚。

    昔から著者の作品が好きだ。セクシャルさにゾクゾクするし、心理描写にゾクゾクする。今作品のキーワードもやはりひとつはセクシャル。あとは女子高生、親子といったところか。一見俗っぽいようで、その実深みのある作品と思う。心の闇とまでは言えないものの、奥底にある小さな闇。そんなものがあるべきものとして描かれることに安心する。

    全編通して何度となく呟かれる「わたしたちのファミリー」という言葉が印象的。女子高生達の擬似ファミリーはふわふわと夢の中であるのに対し、本当の家族はシビアだ。

  • そんな長い話でもないのに、読み終わるのに時間がかかった。つまらないということはなく、非常に興味深かかったが。生まれてくれば、必ず愛されるというわけではなく、最愛の子どもになるのにも才能がいるわけだ。

  • 一人称複数の「わたしたち」が語る物語
    女子高校生のあるクラスの「わたしたち」が妄想と鼻の穴を膨らませ見守る「擬似ファミリー」がいる

    ファミリー達の独特な関係、色の濃い空気の3人
    ママの真汐
    パパの日夏
    王子の空穂
    愛なのか 友情なのか 判然としないまま蜜月の時を経て独立へと向かう子どもたち
    ファミリーたちの小さな情報を大きく大きく豊かな物語へと導くタフな想像力の「わたしたち」

    それが「わたしたち」の友情でもあり、潤いでもあった
    学校、家族、恋、友達、セクシャリティ
    「わたしたち」は大人が思うよりももっと複雑な思いに揺れ動き生きている
    「わたしたち」の紡ぐ物語に心から笑い、たおやかな強さに頷き、まだ弱きものと知っている聡明さに目頭が熱くなる

    愛され方を知っているけど真っ直ぐさが邪魔をしそれでも愛されないといけないともがく

    「わたしたち」は思っているより大人で、触ってみると柔らかかった
    その柔らかさを大人はどれだけ守ってあげられるだろう

    「わたしたち」と語れる短い時間、世界がこのにあった
    忘れていた小さな痛みと共に確かにあったなぁと思い出した

    読後にひたひたの迫り来る何とも言えない感慨
    余韻のある本はいいなぁと心から思った

  • 女子高生たちの批評眼の鋭さがすごい。そこが本作の魅力の核心。
    のみならず、練りに練って書かれた小説という印象を受けた。フローベールの『ボヴァリー夫人』の冒頭近くで、ノイズのようにあらわれる一人称複数「私たち」を本作では方法的に用いているため、その私たちとはいったい誰なのか問題が読者の関心を引っ張っていきもする。
    安易なレズビアン小説には決して走るまいという、作者の気概が感じられた。

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最愛の子どもの作品紹介

日夏(ひなつ)と真汐(ましお)と空穂(うつほ)。夫婦同然の仲のふたりに、こどものような空穂が加わった。私立玉藻(たまも)学園高等部2年4組の中で、仲睦まじい3人は〈わたしたちのファミリー〉だ。甘い雰囲気で人を受け入れる日夏。意固地でプライドの高い真汐。内気で人見知りな空穂。3人の輪の中で繰り広げられるドラマを、同級生たちがそっと見守る。ロマンスと、その均衡が崩れるとき。巧みな語りで女子高生3人の姿を描き出した傑作長編。

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