影裏 第157回芥川賞受賞

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (96ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163907284

感想・レビュー・書評

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  • ⚫︎受け取ったメッセージ
     人間を含む自然の美と不可知

    ⚫︎あらすじ(本概要より転載)
    第157回芥川賞受賞作。

    大きな崩壊を前に、目に映るものは何か。

    北緯39度。会社の出向で移り住んだ岩手の地で、
    ただひとり心を許したのが、同僚の日浅だった。
    ともに釣りをした日々に募る追憶と寂しさ。
    いつしか疎遠になった男のもう一つの顔に、
    「あの日」以後、触れることになるのだが……。

    樹々と川の彩りの中に、崩壊の予兆と人知れぬ思いを繊細に描き出す。



    (✖️以下あらすじ✖️ネタバレ注意✖️)

    懇意にしていたにも関わらず、今野には何も言わずに日浅は会社を辞職し居なくなる。連絡手段がなくなる。数ヶ月後現れ、今野と再会。今野は以前の自由業者風の面影はなくなり、訪問型営業マンとなってビジネスパーソンといった出立ちである。日浅は会社を辞めた二日後には再就職をしていたことがわかる。再び釣りを一緒にするようになる。日浅は今野に仕事絡みの頼みをする。
    のち、釣りに行く2人。日浅はピリピリしており、今野も勧められた酒を頑なに固辞するなどの態度で仲違いする。
     震災で行方不明になる日浅。のちに今野の同僚にも同様の頼みの上、彼女に借金をしていることが判明。募る孤独と崩壊。大きな崩壊に感銘を受ける日浅が海に飲み込まれたであろうと想像する今野。
     日浅の実家を訪れる今野。今野の父親は被災から三か月経っても捜索願を出していないと知る。父親は、今野が大学に通わず、仕送りをしていた間ずっと遊んでおり、卒業証書は偽造であり、4年間騙されていたと言う。そんな息子とは絶縁したという。また、息子なら、死んではいない、と言う。息子の幼少期を語り、彼が不気味だったということ、決まって1人の人間としか付き合わないこと、どれも長続きしなかったことをつげる。 そして、震災の最中の泥棒すらやっていそうな人間であるとも言う。探すのはおやめなさいと言われる。が、最後に見せられる今野の大学の合格通知。
     後日、朝刊でATMを破壊しようとした男を思い出し、今野がその男の同胞であることを頼もしく感じた。


    ⚫︎感想
     エンタメ性や、はっきりとした帰結を求める人にはおすすめできない。
     純文学、文章表現の細やかさが好きな人にすごくおすすめ。

     自然。海へ繋がる川、樹木、小動物、鳥、猛禽類、昆虫などの美しい描写は、表現の仕方によって如何様にも美しくなるのだとわかる。大変細やかで、素敵だった。

    「そもそもこの日浅という男は、それがどういう種類のものごとであれ、何か大きなものの崩壊に脆く感動しやすくできていた。」という一文に痺れた。

     主人公である今野の目を通して描かれる日浅は、自然一つ一つの描写と同じく、繊細で丁寧に書かれてある。まるで自然と一体化しているような男として描かれていく。
     そんなふうに日浅を観察していたにも関わらず、突然居なくなったり、今野の知らないところで転職の動きをしていたり、何かピリついていたり、死んだのか?と思いきや、そんな簡単に死ぬような男ではないと思えたりする。

    著者は、日浅は自然そのものであり、今野の観察眼を通して、自然の美しさ、壮大さ、魅力、孤独、怒り、を描いたのだ、と思った。「一番身近な自然は、人間である」ことを日浅が代表している。

     自然観察同様、目に見える一部分の「今」はわかる。しかしながら、内部は全くわからない。しかもわからない部分の方が大きい。恩恵を享受し、仲良くなれるかと思っていたら、同時に命を取られる(作品では日浅が今野に精神的ダメージを与える)危険性がある。

     人間は、発生し、成長し、老いて、死んでいく。100パーセント人工物ではない。自然である。現代の私達は人工物にまみれながら思考し、それらを取り込みすぎるせいで、自分が自然であることを忘れている。我々は自然(この物語では日浅)に振り回される存在なのだ。そしてまた、今野自身も。もちろん自然である。周りを自分勝手に振り回し、助け、隠し、傷つき、回復する。

     なるほど、だから人間関係は複雑で難しいのだ。自然と自然のぶつかり合いなのだから。決して一筋縄では行かず、複雑にからみあって、こんがらがって、でも表面ではまとまっているように見えたりする。

     純文学を読むことの醍醐味は、今の自分を知ることにあると思う。同じものを読んでも、人によって、読む時期によって、感想や惹かれる部分が変わるのは本当に面白い。それは、人間は自然だからだ。人工物は決して感動したり、理解したりしない。

     改めて、人は自然であり、自然は人であると思うと、知り得ない部分を抱えているどうし、そりゃあコントロールできないよね、自分が自分でですら不可能と思った。

    表題「影裏」は、四字熟語「電光影裏」からきてい言葉である。(以下オンライン四字熟語辞典より引用)

    人の一生は短く儚いものだが、悟りを得た者の魂は滅びることなく、永久に存在するということのたとえ。
    中国の宋の僧の祖元が元の兵に襲われたときに唱えたとされる、「電光影裏、春風を切る」という経文の一句を略した言葉。
    命は落としても魂は消えることはないということをたとえた言葉で、春風を鋭く光る稲妻で切り裂いたとしても、春風は何の影響もなく、いつもどおり吹くという意味から。

    日浅=自然=魂=永久

    日浅の魂は今野の中に生き続ける。

  • えぐいね。この作品。

  • 面白かったけど難しかったな。岩手の川の自然の描写が壮大だった。濃密で。大きなものの崩壊に心を奪われてしまう日浅。「わたし」の釣り仲間だった日浅。岩手の唯一の友人だった日浅。突然会社を辞めた日浅。ノルマが足りないからと知人をまわって契約をとりつける日浅。学歴を詐称していた日浅。
    「わたし」はひとりで釣りを続ける。



    でんこう-えいり【電光影裏】
    人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることがなく、存在するというたとえ。▽「電光」は稲妻のこと、「影」は光の意。「電光影裏春風を斬きる(稲妻が春風を斬るようなもので、魂まで滅し尽くすことはできない)」の略。中国宋そうの僧祖元そげんを元げんの兵士が襲って殺そうとしたとき、祖元が唱えた経文の一句。

  • わたしは すきな話だった。
    それぞれの映像が目に浮かぶようで、
    西山さんの人となりも想像できるし、
    「次の人」のエピソードなんかもすごくよくわかるし、
    独りで生きることを続けてきた者にはグッとくる作品になっていると思う。

    ザーッとほかの人の感想見たけど、
    そうか低評価の方々は、マジョリティ側として生きることの多い方なんじゃなかろうか。
    それならば、この圧倒的孤独は、
    たぶん、わかることのない痛みなのかもしれない。

  •  文藝春秋に選評とともに掲載されているものを読みました。
     きれいな自然の描写や生き生きとした釣りの様子がありながら、どこか不気味な人物の言動が描かれていたり、重大そうな要素がさらりと書かれていたりして、物語の雰囲気を感じとっているうちに最後まで一気に読めてしまう作品でした。なるほど純文学、なるほど芥川賞と思わされます。人によっては受け入れづらかったり読みにくかったりするでしょうが、こういった作品が好きな人も間違いなく多いはずです。
     おもしろいなと読んでいながらも、こんな文章を書ける沼田真佑さんに嫉妬してしまうくらいに魅力的な作品でした。続編、もしくは新作も読んでみたくなります。

  • 影裏
    著作者:沼田真佑
    発行者:文藝春秋
    タイムライン
    http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
    大きな崩壊を前に、目に映るものは何か交差する追憶と現実

  • 文學界で読んだが、単行本でも。
    文体と風景が大変好みです。

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