- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166602513
感想・レビュー・書評
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内田樹による構造主義の入門書。構造主義に繋がるまでの背景から、構造主義の父と呼ばれるソシュール、そして「四銃士」フーコー・バルト・レヴィ=ストロース・ラカンまで。
先ずはあとがきから引く。
“そういう年回りになってから読み返してみると、あら不思議、かつては邪悪なまでに難解と思われた構造主義者たちの「言いたいこと」がすらすら分かるではありませんか。
レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
「なんだ、『そういうこと』が言いたかったのか。」(p.200)”
ここまで単純化(俗化?)されると構造主義も形無しだが、専門家でもない僕にとってはこう言い切って貰えるととても分かりやすい。
結局構造主義というのは、「立場によって見方は変わる」という、極々常識的なことを主張しているに過ぎない。しかし、まさにこの構造主義の考え方から、この常識というものも単に現代の私たちにとっての「常識」でしかないことが従うわけだ(このことすらも(メタ的な!)常識かもしれない)。実際、このようなものの見方は40年ほど前には見られなかったらしい(p.22)。構造主義的発想が自明なものとなってしまった現代は、筆者の述べるように「ポスト構造主義期」にある(p.17)。そして、哲学が、自明なものにクエスチョンマークを付ける営みである以上、当たり前になっても、いや当たり前になったからこそ、構造主義は依然として重要なのだ。
フーコーは、「監獄」や「狂気」、「学術」といった現在当たり前に思われている存在の起源=バルトの言うところの「零度」にまで遡って考えるという系譜学的思考から、制度が人間を作ってきたことを見出した。
バルトは、人々はあるエクリチュール(社会集団や立場にローカルな言葉遣い)を選択し語ることでそのエクリチュールによって規定される型にはめ込まれてしまうと言い、語り手の主観の介入を完全に欠いた「エクリチュールの零度」(日本語!?)を追い求めた。
レヴィ=ストロースは、文化人類学の視点から文明社会を相対化すると同時に、人間社会に普遍的な贈与と返礼のダイナミズムを発見した。
ラカンは、精神分析の対話における「私」の現れ方と、私が「私」であることに根源的な二つの詐術について語った。
解説の合間に挟まれる例え話が分かりやすく、それだけ読んでも面白い。原著を読むにしても、まず本書を読んでから挑戦すると、かなり見通しよくなるのではないだろうか。筆者には似たコンセプトの『現代思想のパフォーマンス』があるが、それよりも本書の方が好み。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
構造主義についてざっくりわかった。ノートとかにまとめて整理したい。
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メモ バルトに関する本を読む
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ラカンの章だけはわかりづらかったが、それ以外はとても読みやすく、入門書として良い。
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今回は感想ではなく、覚書に使わせて頂きます。
マルクス:労働ーーー人間の個別性はその人が何者であるかではなく何事をなすかによって決定される。「人間は、彼によって創造された世界の中で自己自身を直感する」
フロイト:抑圧ーーー構造的な無知「人間は自分自身の精神生活の主人ではない」
ニーチェ:畜群・奴隷/貴族・超人、距離のパトス
ソシュール:一般言語学講義ーーー「あらかじめ定立された観念は無い。言語の出現以前には、判然としたものは何一つ無いのだ」
フーコー:人間主義的進歩史観の否定、出来事の零度
バルト:記号学、エクリチュール
レヴィ=ストロース:音韻論の理論モデルによる研究。親族の基本構造、近親相姦の禁止とコミュニケーション欲求
ソシュールの構造言語学は特にグッとくる。
構造主義的思考の、その断片だけでも、ひとりでも多くの人に知って欲しい。世界のあり方がきっと変わると思う。 -
「自分が見えている世界が相手にも見えているわけではない」
「自分が育った環境によって、物の見え方・感じ方が変わる」
といった考え方が構造主義。
正直「そりゃあそうでしょ」というのが感想である。
しかし、私がこのように感じたことからもわかるように、構造主義というのは現代の人々の考え方の基礎になっており、あらゆるものに応用できる、現代社会において抽象度が最高に高い哲学なのだ。
具体的なものの方が抽象的なものよりもわかりやすいため、構造主義は分かりづらいと思われがちで、私もこの本を最初に読んだときは「で、結局、なに?」が正直な感想だった。
しかしこれも何かの縁か、細谷さんの「具体と抽象」を読んだ後、この本の内容を思い出すと「そういうことなのね!」と理解。
これからこの本を読もうとしている人は、「具体と抽象」とセットで読むのがいいかも。 -
寝ながらは、無理かもしれないけど
難解な内容が語り口の巧みさで
スルスル入ってくる。
後書きにもあるけど
確かに年齢を重ねることで
分かってくること、あるなー。 -
自分が学生時代を送った頃には、すでに浅田彰とか栗本慎一郎とかのブームは終わりきっていて、正直、キャンパスでそういった名前を聞くこともほとんどなかった。「レヴィ=ストロースが~~~」とか語り出す人間もいなかったし。と言ってもニューアカ的な見方をすることが古くなっていた、ということではもちろんなく、何かを議論する際には、構造主義的な見方は前提視されていて、その意味では、ポスト構造主義だったわけですね。少なくとも実存主義的な問いで人生を悩む隣人、なんてのは皆無。
ともあれ、そのすでに考える手法としては埋め込まれてしまった構造主義を、真面目に学ぶこともなく学生生活を終えてしまったわけですが、肩肘張らずにこういう本を読めるようになったのは幸せですね。
いろいろな方面で顔を見せている著者ですが、プロフィールみると、専門の欄の一番はじめにフランス現代思想、とあるから、一応本職の仕事のようですね。各人の思想をわかりやすく切り取っていて、すぐに読み終えられます。飛行機の中でさくっと読めました。
実存主義がどのように葬り去られたのか、など歴史的な背景・事件と絡めて読み解くと、より理解が深まりますね。
でもねぇ、著者によると、レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っているそうなのですが、そこはまだ理解できず。まだまだ歳の取り方が足りないようです。
昔、試験監督のバイトをしていたとき、不正行為を見張るのには、前に立って睨みをきかせるより、みんなの後ろにいて、彼らの視界から消えたほうが効果があることを発見し、よく一番後ろに椅子を運んで寝ていました。なんてオレは頭いいんだろう、とか思いながら。
でも、このからくり、ベンサムさんという人が、200年も前に発明していたんですね。
フーコーを引用した本の、パノプティコンから自我を説明するくだりのところで知りました。 -
前に『はじめての構造主義』を読んでいて、その時は解ったような気になっていたのだが、こうして別の切り口で説明されると新しい気づきやより深い理解が得られたように思う。
とかく学者の書く文章は正確性を欠かない事を優先するため、結局何を言っているのか解らないものが多い中、この著者は思い切り良く構造主義を定義していて理解しやすい。