なにもかも小林秀雄に教わった (文春新書 658)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166606580

感想・レビュー・書評

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  • 自らの半生を語る木田元はいつも痛快で、ヒーロー物の映画を見ているような楽しい気分になる。勉強になったのは第8章のキルケゴールと第12章のハイデガーについての言及。いつもながら、難しいことを分かりやすく説明していてくれて有難い。

  •        -2009.02.24

    ハイデガー思想やフッサールやM.ポンティの現象学を専らとしてきた哲学者の読書体験を軸にした自伝的回想録。

  • 何かを掘り下げたわけではなく、木田元さんの読書、思索遍歴を赤裸々に綴っただけなのだが、これがわたしにはすこぶる面白い。

    語学の習得方法、一筋縄ではいかない読書遍歴、ハイデガーの思想と人物の立て分け方、保田と小林の立ち位置、哲学という学問の性格などなど。

  • 木田元 「 なにもかも 小林秀雄 に教わった 」

    著者の読書歴の本。著者のハイデガー研究は 小林秀雄の「時間を捉える直観性」や ドストエフスキーの「絶望した人間の存在構造」を基盤にしている と思った


    著者が 青年期に読書から抽出したもの
    *蕪村俳句〜故郷への郷愁→時間の遠い 故郷の思い出
    *滑稽小説〜道化の笑い→道化は人間の存在自体の不合理を肯定→不合理ごと笑いとばす


    小林秀雄や芥川龍之介の評論、太宰治や坂口安吾の滑稽小説、松尾芭蕉、ドストエフスキー「悪霊」、ドストエフスキー論、キルケゴール など 読みたい本が増えた

    ゴッホについての比較
    *小林秀雄〜ゴッホの天才=色とデッサンとの格闘
    *ハイデガー〜芸術の本質=芸術作品そのもの→「農婦の靴」は 農婦の世界を示している=芸術作品の存在論

  • ・木田元の著作は未読で、哲学者ということだけ知っている。なので、本書は「小林秀雄」論を期待して読み始めた。だが内容としては、彼がハイデガーへと至る道がどうやって形成されたかを知ることのできるといったものだった。そこに興味がなく、小林秀雄論を期待した者からすれば期待外れのエッセイに過ぎなかったという印象。ただし、木田さんが興味を持った複数の思想家と小林秀雄との共通性についての所見は面白かった。若干、牽強付会の印象もないではないが、優れた思想家であれば洋の東西を問わず、類似した問題意識、思考を辿るということなんだろうな。

    ・タイトルに偽りありと言ってもいいんではないだろうか。著者自身も書いてる通り、「小林秀雄だと思ってたが、ちゃんと思い返してみると、他にも師匠(と呼べる本)がたくさんいた」と、なかなか、タイトルに対して無責任な記述が。要所要所で小林秀雄が出てきてはおり、終章では「やはり小林秀雄が総元締めだったのかと思わないでもない」という記述があるが、これはこじつけた感が拭えない。

    ・歴史の歯車がもう少し違っていたら、哲学者ではなくて闇屋になっていたという戦後の暮らしぶりについての描写は面白かった。とは言え、「永山則夫」で、悲惨な戦後の家庭を本書の直前に読んだだけに、木田さんの境遇との違いに、少し気分は沈んだ。

  • 2008年刊。著者は中央大学名誉教授。タイトルから誤解しそうだが、著者の読書遍歴に自叙伝という具を加え、味付けに小林秀雄とハイデガー著作に関するエッセイ風評論を加味したもの。この自叙伝部分は他書での既視感あり。また、小林よりもヘーゲル著作が主。実のところ、小林著作に興味が湧くかと期待し本書を紐解いたが、食指動かず。けだし「無常といふ事」「考へるヒント」を、大学受験予備校時代に現代文対策として眺めたが(勿論、到底読んだとはいえない)、扱う題材に全く興味を覚えず、そのまま現在へ至る。その印象は変化なし。
    もっとも、興味が湧く以前に、たとえ、ノートをとりつつ、一生懸命読んだとしても、難解な小林秀雄の著作を理解できる力がこちらにあったとも思えないが…。

  • 「おわりに」で著者自身も述べているのですが、小林秀雄だけでなく、著者が青年時代に触れたさまざまな文学書や哲学書について振り返っている本です。

    著者の乱読の回想については、他の著作の中でもしばしば語られていますし、それらに比して内容がまとまっているわけでもなく、やや期待外れに感じてしまいました。小林秀雄とハイデガーの比較も多少展開されてはいるものの、本格的に取り組んだものとは言えず、印象批評的な類似性の指摘にとどまっているように思います。

  • 『小林秀雄は近代日本の生んだ偉大な思索者 Denker の一人である。』所以を伝へてくれる本。著者木田元氏自身の終戦直後の混乱期の生活振りも大変興味深い。

  • 著者自身が「おわりに」で書いているけれど、本書は小林秀雄について書かれた本ではない。木田先生の若いころからの読書遍歴が語られている。それはそれでおもしろい。でも、小林秀雄に興味があって読み始めたからちょっと物足りない。小林秀雄とは何者なのか。残念ながら1冊も小林の本を読んだことがない。読んでみたい、読んでおかないといけない、などと思いつつ、ちょっとこわくて手が出ない。茂木健一郎さんなんかが小林の講演会CDを聞いているなどという話を読むと、一度聞いてみないと、と思ったりもする。でも、それもまだ。さて、ドストエフスキーについても気になっていたので、その点については参考になった。こちらを先に読もうと思う。自分はどちらかというとトルストイ派なのかもしれないけど。ハイデガーについてのくだりは、やはり(前にも木田先生の本を読んで途中で挫折している)読み通せなかった。ただ、ナチスに加担していたとか、性格が悪かったとかいう話しはちょっとおもしろかった。いずれにせよ、自伝は楽しい。

  • ドストエフスキーとキルケゴールのところだけ拾い読み中

  • 絶対だな。本当になにもかも小林秀雄に教わったんだな?
    えーー いきなり芥川龍之介に教えられたって言ってるじゃん。しかも第1章で。なにもかも小林秀雄じゃないじゃん。

    こうしたわだかまりを抱えながら読み進めてみたところ、この本はどうやら著者の自伝的読書遍歴のようです。
    戦後の鶴岡市で貪るように本を探し、買い集め、読みあさり血肉にしようという気迫。すごいですね昔の方々は。
    情報は何でもすぐ入手できて広く浅くなぞらえるだけで教養ブームとか言われてる現在とは、その必死感あふれる知識欲というかモチベーションが全然違う。

    なるほど「知」とはこうやって体系立てられていくのかーと、そのプロセスのほうが興味深く感じられました。
    ただ小林秀雄が軸になっているかどうかはビミョー。そもそも小林秀雄そんなに出てこないし。
    そしてとうとう後半になって「どうやら読書の師匠は小林秀雄に限られなかったということも明らかになってきた」などと白状しています。

    『なにもかも小林秀雄に教わったような気もするが、よくよく考えるとドストエフスキーやハイデガーのほうがウェイト高いし、東京移住後は小林秀雄なんてほとんど読んでないっす。てへぺろ』にタイトル変更した方がよくない?

  • 後半のハイデガーと小林秀雄について語っているあたりは、哲学の知識がないと難しい。
    また出直してきます。

  • 11.06.26読了。難しいよ内容(´Д` )とりあえず小林秀雄、ハイデガー、サルトルに興味がわいた。にしてもカタッ苦しくて難しいな哲学、面白いけど。あと小林秀雄リスペクト感があんまりなかったのは気のせい?

  • 世俗的であればあるほど、向学の徒のさわやかさ、すがすがしさに感化されたいと思うのかも。メルロ・ポンティの『目と精神』ではお世話になりました。

  • [ 内容 ]
    ランボオ、ドストエフスキー、ゴッホ、モーツァルト…「何もかも小林秀雄に教わった気がする」と回想する哲学者の、自伝的読書風雲録。
    「あのころは、文学のいいお師匠さんが大勢いた」。

    [ 目次 ]
    敗戦直後
    俳文学遍歴
    父の帰国
    読書三昧
    小林秀雄との出会い
    ドストエフスキー耽溺
    さまざまなドストエフスキー論
    ドストエフスキーとキルケゴール
    哲学へ
    芸術と哲学
    『モオツァルト』
    言葉について

    [ POP ]


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    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
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    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 木田元の「なにもかも小林秀雄に教わった」でモーツァルトの話がでてきます。

    この本の中に以下の小林秀雄の引用が載っていました。

    「確かにモオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていたかなしという言葉の様にかなしい。」

    小林秀雄は交響曲第39,40,41番に震撼されたとあります。

    またハイデガーの引用もあり、「神の竪琴の演奏」という箴言で言われているものがモーツァルトであると述べられています。

    ソレルスの引用もあります。

    「モーツァルトはだから彼の音楽を聞くことができる者にとっては、たえずそこにいるのだ。その証拠が《交響曲第39番変ホ長調》の最終楽章である。いま、まさに、モーツァルトの信じがたい陽気さがただよっている。ぼくらは1788年6月26日にいる。レナード・バーンスタインがウィーン・フィルハーモニーを指揮している。録音は1984年だ。これらのすべての日付は、今日なのだ。」

    これらを読んで今、youtubeで交響曲第39番最終楽章を聞いています。

    クラッシックを哲学と絡めて聞いたり、思考したりすることはなかったので今後はそういう楽しみもしてみようかなと思っています。

  • 秀雄好きならご一読を。

  • 試験のため、仕方なく読むことに。
    小林秀雄も知らなければ、文中に登場する数々の文学者も名前ぐらいしか知らないという状況の中、読んでみたけど、ほとんどわからんかった。しかし、著者の人生(戦後の生活、どのような本に出会ったかなど)そのものを語っている部分は興味深く読めた。いくつか読んでみたいなと思う本が紹介されていたのでいい足がかりになったと思う。

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著者プロフィール

中央大学文学部教授

「1993年 『哲学の探求』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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