徳川家が見た幕末維新 (文春新書 741)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607419

作品紹介・あらすじ

ペリー来航から十五年で幕府は倒れた。しかし「賊軍」の藩主らは一人も殺されず慶喜は後に公爵に叙せられる。大転換期の決断力とは。徳川家から見ると幕末維新は一層面白い。

感想・レビュー・書評

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  • 田安家11代当主の徳川さん(徳の字は徳永英明おやびんと同じ心の上に一が入る字が正しい)幕末を語った1冊です。
    つまり、徳川家の方が徳川幕府崩壊の時代を考察したお話です。

    相変わらず読みやすかったし、幕府と新政府とどっちが悪でそっちが善とは言えないことが改めてよっくわかりました。
    ようは時代が来たってことだったんだね。
    で、大きく時代が変わる要因として内部の不満や腐敗よりも外からの刺激が大きいと…。

    今の日本もTPPとか外部からの平成の黒船で何か変わるかな~。
    変わってもそれが良かったかどうかはかなり後にならないとわからないので、今の時代に生きている らじたちは、今与えられた時代のなかで幸せを見つけていかなくちゃいけないね。
    ……ってなことで、明日のショートケーキの日(毎月22日)はどこのケーキを食べると一番ハッピーになるかじっくり考えようっと!

  • 徳川家の末裔が著した幕末維新の内容である。
    徳川家、皇室とも親戚である作者の視点からみた内容は、身近な子孫達との交流など、当事者でないとわからない内容など、読んでいて親近感を覚えた。

  • 流し読み。徳川の末裔がいたなんてことにまず驚いた。書かれている事の裏は取れているのか疑問もあるが、教科書では語られない事が多い。

  • 徳川家のちょっとした裏話が面白かった。幕末の基礎を学ぶ上ではとてもわかりやすい本。もちろん幕府側に偏りがあるけど。

  • 徳川家の子孫(田安徳川家11代当主)が、幕末の動乱期について思うところを書き記した本。著者は幼少の頃より皇族や徳川宗家、島津・毛利・前田等の大名の子孫と親密な交流がある(これらの家はみな親戚筋にあたるらしい)ためか、明治維新についてもきわめて公平中立な見方をしているところが印象的である。いち早く官軍側に付いた尾張徳川家当主の慶勝が、江戸城の無血開城や松平容保・定敬らの助命のために走り回ったことは、名古屋人として誇らしい。御三家で唯一将軍を輩出できなかった尾張徳川家であるが、徳川一門の存続に関してこれ以上ない役割を果たしたのである。他にも、徳川慶喜の跡を継いた徳川宗家第16代当主の徳川家達(幼名:亀之助)が、30年にわたり貴族院議長を務めた後、大正3年には危うく(?)総理大臣にされそうになったエピソードなど、興味深い逸話が満載で面白かった。歴史にifは無いけれど、徳川家達の首班指名は見てみたかった気もする。(本件は大正天皇まで了承していたのに、徳川の同族会議で辞退と決まったらしい)

  • 歴史というものは常に勝者が許可したものが記録に残り伝えられていきます、私が中学高校と習ってきた歴史は勝者により選択されたものです。7年程前に、井沢元彦氏の著作されている「逆説の日本史」に出会い、本当に何が起きていたのかを知るには、正式な記録書として認定されていないものや、記録に残っていないものを研究する必要性を理解しました。

    私はそのような時間や能力もなく、その成果物を楽しく読ませていただいています。更に最近では、敗者側から見た歴史観について書かれた本も出版されるようになりました、研究論文ではなく、一般人に読みやすく書かれた本という点では今まではあまりなかったと思います。

    この本もその種の本で、明治維新(この本では幕末維新と呼称)を敗者側である徳川側から見て書かれています。徳川田安11代目の徳川宗英氏が書かれた本であり、楽しんで読ませていただきました。

    以下は気になったポイントです。

    ・幕府とは、「征夷大将軍が出陣する際の陣営」を意味するのもであり、諸外国と外交を初めていたので、征夷大将軍も幕府も必要がないことに、慶喜には分かっていた(p22)

    ・最後の将軍慶喜が、徳川幕府を倒した明治天皇や熾仁(たるひと)親王の兄にあたる、当時は幕府と天皇は深い関係にあった(p25)

    ・幕末の頃の1ドルと1両の交換レートは、1ドル=0.75両であった、当時の1両は5万円程度(p49)

    ・諸外国の関心事は、外交窓口には新政府と旧幕府のどちらがなるかであった、各国公使は鳥羽伏見の戦いまでは、大阪城で慶喜と会見していた(p52)

    ・慶喜が大政奉還を急いだのは、その頃朝廷では、薩長両藩に討幕の蜜勅が下されようとしていたから(p68)

    ・維新後の華族令により、徳川宗家・慶喜家(明治35年に創設)・水戸家は公爵に叙された、大名家では島津の本家と分家、毛利家の3つ、尾張と紀州は侯爵、御三卿は伯爵、華族制度は戦後に廃止されたが、旧華族からなる霞会館という団体はある(p83、229)

    ・長州藩は新田開発、瀬戸内海の開拓、製糖、製紙等の産業によって、幕末の実質石高は100万石になっていた(p85)・薩摩藩は総石高(77万石)であったが、平坦な土地が少なく、桜島噴火や風水害が多く、実質石高は半分程度(p86)

    ・借金総額が500万両(当時の幕府の財産:400万両)を超えて、利払いのみで60万両(300億円)となり、利払いなし、250年かけて元金返済という財政再建策をとった(1835年)、維新後に薩摩藩がなくなり、返済終了となる(p87)

    ・廃藩置県はスムーズにいったことに諸外国はびっくりしていたが、藩の借金を政府が肩代わりすることになっていたので、どの藩も大歓迎した(p89)

    ・幕府は、オランダ以外にも、朝鮮(対馬藩を窓口)、清国(薩摩藩が琉球を仲介して)、ロシア(加賀藩が樺太を中継して)、アイヌ(松前藩)等と密貿易をしていた、海外情報も正確に把握していた(p109)

    ・ペリー艦隊は4隻とも2000トン前後の木造船、2隻は蒸気船だが、残りは帆船、大砲が空砲とわかると花火気分であった(p113)

    ・錦の御旗とは、朝敵の討伐に出征する大将に天皇から与えられる旗であり、官軍の証となるもの、最初の錦旗は、承久の乱のときに後鳥羽上皇が北条義時を討つときに使用(p161)

    ・鳥羽伏見の戦いで、正月4日に、征討大将軍に任命された仁和寺宮嘉彰親王に、錦の御旗が下賜された、淀藩の稲葉家(春日局の末裔で譜代中の譜代で、当時は老中)では徳川軍の入城を拒否した(p163)・譜代筆頭の彦根藩(徳川四天王の井伊家)も戦場には出陣しなかったものの、公然と新政府軍についた(p167)

    ・慶応4年(1868年)の4月4日が、江戸城開城であり、徳川幕府最後の日である、迎える最後の主は田安徳川家で、城を接収するのは官軍の先鋒である御三家の尾張徳川家(p194)

    ・江戸開城ととも旧幕府の軍艦8隻をすべて引き渡すことになっていたが、実際には4隻のみ、残りの軍艦(開陽丸、回天等)は輸送船4隻(咸臨丸等)、2000人の将兵とともに榎本が指揮して北上した(p207)

    ・日の丸と「君が代」が正式に国旗と国歌にさだめられたのは、平成11年8月13日であり、歴史は浅い(p223)

    ・大正元年から3年にかけて政界では政権交代が繰り返された、シーメンス事件で山本権兵衛内閣が総辞職すると、元老会議で大正天皇了承のもとに徳川家達に組閣の大命が下された、半世紀ぶりの政権奪回になったかも(p225)

  •  著者さんは田安徳川家11代当主。

     幕末のあのとき、このとき、徳川の人々やその家臣たちはどうしていたのかが、他の幕末本に比べると詳しく書いてある印象でした。

     徳川が自ら幕府を閉じて新しい時代を始めようとしていたことや、260年続いた江戸を終わらせた頼りない人と見られがちの慶喜が、列強が動向を見守る中で微妙な綱渡りをして道を拓いていったことなど。
     散々悪しざまに言われる慶喜を擁護してくれたのは嬉しかったです。禁門の変での活躍や、大政奉還のタイミング、また、幕府の外交力も、彼あってこそのものだったと思います。
     また、出てくる人々の血縁関係なども分かり易く書き添えてあったので助かりました。人々の繋がりを見れば、ますます佐幕・尊皇といった括りでは判断できなくなります。

     当時のカオスな情勢を、徳川家という固定された視点から整理して見ることができるので、読みやすい一冊です。
     ただ、あまりディープな話はないので、全体としてはちょっと物足りませんでした。

  • 田安徳川家11代当主の御本。これを読むと、徳川家の懐の大きさが分かるような気がする。というか、幕末から今まで佐幕だ倒幕だといがみ合って来たのは下々の層なのねと思ってしまうのであった。
    徳川家ならではのエピソードも交えて解説される幕末維新は、初めて知る事もあって面白い。他の著書も読んでみたくなった。

  • これは本当に面白かったです.徳川家は倒されたのではなく,自ら旧体制の終止符を打ったのだということがよく分かります.攘夷を主張するのかしないのか,すなわち欧米列強(ロシアも含め)からの圧力に対し,抵抗しようとするのか,上手に受け入れようとするのか,日本国民の多くが強いジレンマに陥っていた頃だと思います.結果として「征夷大将軍」が率いる徳川幕府には終止符が打たれ,新たな国家像が模索されることとなりました.あと,「鎖国」政策というのは,言葉だけが独り歩きしているようで,実際には徳川幕府はそうした政策はとっておらず,長崎の出島などからかなり諸外国の事情収集を行っていたようです.

    ・・・混迷する現代の我々にも,大きな示唆を与えてくれる1冊だと思います.

  • [ 内容 ]
    ペリー来航から十五年で幕府は倒れた。
    しかし「賊軍」の藩主らは一人も殺されず慶喜は後に公爵に叙せられる。
    大転換期の決断力とは。
    徳川家から見ると幕末維新は一層面白い。

    [ 目次 ]
    プロローグ
    第1章 徳川慶喜
    第2章 坂本龍馬
    第3章 長州と薩摩
    第4章 幕閣・幕臣
    第5章 朝廷
    第6章 戊辰戦争
    第7章 江戸城開城
    エピローグ

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著者プロフィール

とくがわむねふさ 1929年ロンドン生まれ。御三卿筆頭・田安徳川家第11代当主。学習院、江田島海軍兵学校を経て慶應義塾大学工学部卒業。石川島播磨重工業にて海外事業本部副本部長、関西支社長、石川島タンク建設副社長などを歴任。95年に退職。

「2017年 『徳川家が見た西郷隆盛の真実 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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