新装版 竜馬がゆく (3) (文春文庫) (文春文庫 し 1-69)
- 文藝春秋 (1998年9月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167105693
作品紹介・あらすじ
浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。勝との触れ合いによって、かれはどの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始めた。生麦事件など攘夷熱の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならない、とひそかに考える。そのためにこそ幕府を倒さなければならないのだ、とも。
感想・レビュー・書評
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【感想】
竜馬がゆく3巻目。ここからは土佐藩士ではなく、脱藩後のイチ人間としての竜馬の活躍が光る。
「自分は人生で何を成すのか」という使命を、糸口かもしれないが、この時期からようやく見つけ始めているのではないだろうか?
夢があるって本当に素晴らしくて尊いなぁ・・・・
大河ドラマ「龍馬伝」に出演していないが、個人的には清河八郎の存在はこの幕末になくてはならないモノなんじゃないかなーと思う。
(お田鶴様もそうだが、「龍馬伝」ではそれを平井加尾が補っていた。)
本著ではその魅力的なキャラクターである清河八郎と竜馬の掛け合いが見られるので面白い。
「世の中の人は何とも云はばいへ わがなすことはわがのみぞ知る。」
この巻を読むたびに感銘を受ける竜馬の句。
竜馬のように、フットワークや情報網は持ちつつも、周りに流されずに冷静に流れを読んで、そこから自身の行動を起こせるような人間になりたいものです。
【あらすじ】
浪人となった竜馬は、幕府の要職にある勝海舟と運命的な出会いをする。
勝との触れ合いによって、竜馬はどの勤王の志士ともちがう独自の道を歩き始める。
生麦事件など攘夷論の高まる中で、竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならないとひそかに考える。
そのために「幕府を倒さねばならないのだ」とも・・・
【引用】
0.世の中の人は何とも云はばいへ わがなすことはわがのみぞ知る。
この時期、竜馬の人生への基礎は確立した。
勝に会ったことが、竜馬の竜馬としての生涯の階段を、一段だけ踏み上がらせた。
(人の一生には、命題があるべきものだ。俺はどうやら俺の命題のなかへ、ひとあしだけ踏み入れたらしい)
このとし、竜馬28歳。まったぬの晩熟(おくて)である。
1.弥太郎ほど、おかしなやつはない。
弥太郎に主義があるとすれば、徹頭徹尾、自分主義である。信奉すべきは天皇でも将軍でもなく自分であった。
弥太郎自身、この広い世の中で、岩崎弥太郎ほど優れた人間はいないと思っている。
もってうまれた気力胆力が超人的で、かつ文字にも明るいくせに、この男だけは勤王でも佐幕でもないのである。
主義めかしいことは一切口にしなかった。興味がないのだろう。
2.寺田屋騒動
伏見における勤王有志の薩摩藩士たちが全滅した。薩摩藩士団が、薩摩藩士団を切った。
藩主久光からの、慰留とは名ばかりの命令で、薩摩人は思想よりも君命を重しとして行動した。
3.幕末の史劇は、清河八郎が幕を開け、坂本竜馬が幕を閉じたと言われている。
「例の寺田屋の一件。あれも私が書いたスジだったのさ」
とにかく清河は歩いている。人物とみれば必ず会っている。そして、ほとんどが清河に動かされた。
清河がどこかで吹き上げた笛の音が、まわりまわって土佐の田舎に聞こえたために、竜馬もおどらされて脱藩するわけになったのである。
4.「よしなよ清河さん。一生に一度くらい手品もいいだろうが、物事にゃ実がなくちゃ、人はついてこないですな。」
策士というのは所詮は策士である。ついに大事は成せないだろう。
(実が要るのさ)
竜馬にも、いまは身もふたもない。しかし作りあげたいと夢想している。
5.俺が出ねば天下はどうにもならん、と竜馬はふと誇大な夢想をもつのだが、かといってまだ出る幕がなさそうであった。
生涯、竜馬の出る幕はないのかもしれない。
(そのときは、そのまま死ぬまでよ。命は天にある)
竜馬は刀を帯におとしこんだ。この一刀が勝の血を吸うかどうか、竜馬自身にもわからない。
6.竜馬は、議論しない。
議論などは、よほど重大なときでない限り、してはならぬと自分に言い聞かせてある。
もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉を奪うだけのことである。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生き物だし、負けた後に持つのは負けた恨みだけである。
【メモ】
p10
「弥太郎ほど、おかしなやつはない。」
と、武市半平太がかつて門下生に人物論議をしたことがある。
もってうまれた気力胆力が超人的で、かつ文字にも明るいくせに、この男だけは勤王でも佐幕でもないのである。
主義めかしいことは一切口にしなかった。興味がないのだろう。
弥太郎に主義があるとすれば、徹頭徹尾、自分主義である。信奉すべきは天皇でも将軍でもなく自分であった。
弥太郎自身、この広い世の中で、岩崎弥太郎ほど優れた人間はいないと思っている。
p28
「弥太郎、抜いたか、けなげだな」
竜馬はシンから感心した。
「しかし、惜しい。お前は不浄の小役人になって上士のあごで使われているような男ではない。天下は動いちょる。おなじ死ぬなら、竜馬の刃にかかるよりも、日本のために死なんかい。お前には土佐はせますぎる」
もともと弥太郎には、国事に奔走するというような興味はかけらもない。かといって土佐藩でたかが知れた出世をしようとも思っていない。
自分の人一倍大きすぎるエネルギーを何に向かって吐きだすべきか、その場所を探すのに悩み切っているのが、弥太郎の心境だった。
「お前は商売をやれ。これからの商売は国事じゃ。町人には出来ん。武士の目をもって、天下のいく末を洞察した商売でないと、商売にはならん。そんな時代がくる」
p61
・寺田屋騒動
伏見における勤王有志の薩摩藩士たちが全滅した。
薩摩藩士団が、薩摩藩士団を切った。
藩主久光からの、慰留とは名ばかりの命令で、薩摩人は思想よりも君命を重しとして行動した。
双方、憎しみはなかった。
なにせ家中では勤王派の同志であり、友人である。
が、薩摩隼人の奇妙さは、いかなる場合でも、自分の男としての名誉を守るということにあった。殺気はカラリと乾燥している。
勤王有志・橋口壮助
「おいどんな、死にもしても、お手前(おはん)らが居もす。生きて生き抜いて、今後の天下のことは頼んもすぞ」
維新の陽は、やがてこういう連中の累々たる屍の向こうに昇るのであろう。
p86
・清河八郎
清河は、巨大すぎるほどの才能を持って、この東北の高原に生まれた。
学問、武芸、なにをやらせても、たちどころに熟達した。
文章もうまい。弁才もある。それに、人一倍の気力がある。
それだけではない。時勢、人物などものの本質を一目で見抜く眼力と、策謀たちどころに湧く天才的な謀才があった。
その点、百年に一人という逸材だろう。
ただ一つ、徳がないという重大な欠陥がある。
非常な尊王家であったが、同時に自分をも世間に押し出したかった。
功を独り占めにし、常にその策謀の中心に座りたかった。
p93
・幕末の史劇は、清河八郎が幕を開け、坂本竜馬が幕を閉じたと言われている。
「例の寺田屋の一件。あれも私が書いたスジだったのさ」
とにかく清河は歩いている。人物とみれば必ず会っている。
そして、ほとんどが清河に動かされた。
清河がどこかで吹き上げた笛の音が、まわりまわって土佐の田舎に聞こえたために、竜馬もおどらされて脱藩するわけになったのである。
p98
「よしなよ清河さん。一生に一度くらい手品もいいだろうが、物事にゃ実がなくちゃ、人はついてこないですな。」
策士というのは所詮は策士である。ついに大事は成せないだろう。
(実が要るのさ)
竜馬にも、いまは身もふたもない。しかし作りあげたいと夢想している。
p136
攘夷さわぎは、日本史にとって無意味ではなかった。
同時期に隣国のシナが英国の武力を背景とした植民地政策のために骨抜きに料理され、他方ではロシアも領土的野心を露骨に見せ始めていた。
もし攘夷的気概が天下に満ちていなかったかは、日本はどうなったかわからない。
列強が日本に対しシナとは違う扱いをし始めたのは、一つはサムライとの陸戦を恐れたからである。
p178
「重さん。勝なんぞを殺すよりも、人おのおのが志を遂げられる世の中にしたいものだなあ」
ぼんやりと竜馬は立っている。
「おれは故郷で河田小竜という物知りの絵描きから聞いたのじゃが、アメリカでは木こりの子でも大統領になれるし、大統領の子でも本人が願うなら仕立て屋になっても、誰も怪しまぬというぞ。
士農工商のない世の中にしたい、とふと思うた。」
「重さん、俺は天子様のもとに、万人が平等の世の中にしてみせるぞ。」
p189
幕府の権威は、桜田門外の変があったこの朝から薄れた、といっていい。ただの殺人ではなく、歴史を動かした稀有な殺人といえる。
しかし、その後に頻発した天誅などは子ども騙しだ。人さえ殺せば世の中が良くなると信じている狂人どもの所業である。
(せっかく世直しの思想としてあらわれた尊王攘夷も、人を殺すことだけで終わるようでは危ないもんじゃ)
俺が出ねば天下はどうにもならん、と竜馬はふと誇大な夢想をもつのだが、かといってまだ出る幕がなさそうであった。
生涯、竜馬の出る幕はないのかもしれない。
(そのときは、そのまま死ぬまでよ。命は天にある)
竜馬は刀を帯におとしこんだ。この一刀が勝の血を吸うかどうか、竜馬自身にもわからない。
p202
・勝の開国論
イギリスはあんなにも小さな国にも関わらず、地球全体の海を「家」として繁栄している。
「幕府はとても金がないという御沙汰を下した。だから、金は海から吸い上げるんだ。開国してどんどん貿易し、その金で艦隊を作ればいい」
(幕府を倒さにゃいかんな)
幕臣勝麟太郎が説けば説くほど、竜馬はそのことばかりを考えていた。
p220
・世の中の人は何とも云はばいへ わがなすことはわがのみぞ知る。
この時期、竜馬の人生への基礎は確立した。
勝に会ったことが、竜馬の竜馬としての生涯の階段を、一段だけ踏み上がらせた。
(人の一生には、命題があるべきものだ。俺はどうやら俺の命題のなかへ、ひとあしだけ踏み入れたらしい)
このとし、竜馬28歳。まったぬの晩熟(おくて)である。
p245
竜馬は、議論しない。
議論などは、よほど重大なときでない限り、してはならぬと自分に言い聞かせてある。
もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉を奪うだけのことである。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生き物だし、負けた後に持つのは負けた恨みだけである。
p320
(武市は、史上、名を残す男だ。しかしながら一流の名は残すまい)
その人物の格調の高さは薩摩の西郷に匹敵し、謀略の巧さは薩摩の大久保に肩を並べ、そして教養は両者よりも豊かで、人間的感化力は吉田松陰に及ばずとも似ている。
が、最も重要なところで武市は違っていた。
(仕事を焦るがままに、人殺しになったことだ。天誅といえば聞こえは良いが、暗い。暗ければ、民はついて来ぬ。)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
脱藩したと思ったら、こんなに早く許されてたんだっけ?
人徳があるって素晴らしいね。
竜馬が勝海舟に師事する章がぜんぶ好き。
だんだん余談が増えてきてるけど。
勝先生も魅力的ではあるんだけど、残念ながらついていく人は限られるかな。
特に組織内では、疎まれそう。
いまでいうホリエモン とかひろゆき みたいなイメージ。
よほど重大なとき以外は議論しない、という司馬竜馬の考え方のほうが わたしは好き。 -
▼第三巻で勝海舟と会う。もともと殺すために会いに行ったのに、弟子入りしてしまうというオモシロイ展開。
▼・・・・その後読み進めると、しみじみ思うんですが、竜馬さんって、
・勝海舟に気に入られ?から人間関係の財産をまるっと貰った。
・西郷に気に入られ?薩摩の財力と権力の保護下で海援隊の活動を全部スポンサーになってもらった。
という2点が無かったら、まあただたんに剣道が強かったホームレス、に過ぎないんですよね・・・・どれだけ高説をのたまわろうが。
▼ひっくり返すと、そのふたりにそこまで愛されちゃったってことがもう、決定的なんでしょうねえ。 -
いろんな女人が竜馬に惹かれている描写が多いけどおりょうはいつ出てくるんだろう、って思った。やっと出てきました!竜馬の未来のお嫁さん!ヽ(;▽;)ノ <わ〜|
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学生時代に途中で積んだ本。再挑戦して読了。
映画「首」や某ソーシャルゲームの五稜郭イベント
をきっかけに歴史物への熱が再燃。
軌道に乗るとやっぱり面白くて一気読み。
脱藩後の話から始まり、勝海舟、おりょうも登場。
過去に大河ドラマ「龍馬伝」を2周したからか、
ビジュアルはそっちをイメージしてしまうものの、
英雄譚(ある程度の脚色有)は掛け値なく面白い。 -
勝海舟との出会い。情報量が少ないあの時代に攘夷ではなく開国を主張できるって何なのだろうか。竜馬であれば柔軟な考え方を持てたことだし、勝海舟であれば圧倒的な勉強量なのだろうか。常に謙虚に学び続け、常に変化の可能性を探り続けられる人間でありたい。
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この一文だけ、忘れないように記しておこう。
「人の一生というのは、たかが50年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。」 -
時代小説とか全然興味ないんですけど!!と思いながら早3巻まで読了できました。そして、、本当に読書って楽しいし土佐に旅行へいきたくなるし竜馬が令和を生きていたらどんなだろうとついつい考えてしまいます。お竜が登場して乙女でうぶな竜馬がとても漢らしくて(矛盾しているが、、)キュンとなれます。
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「勝は、渡米によって、幕府より日本国を第一に考えるようになった。」p.169
何を自分の拠り所にするのか。国なのか、違う集団なのか、はたまた今の香港人のように民主主義のような思想なのかそれとも宗教なのか。しかし、単純に日本国、幕府、家などを並列で考えることはできない。このへんはユヴァル・ノア・ハラリの「21Lessons」でも語られている。
今の我々から見ると尊王攘夷か佐幕開国かという2パターンしかいないという状況は信じられないが、逆にそのことが今から150年後の人類が今の時代の書籍を読んだ時に同じ感想を抱く可能性、つまり現代に生きる我々の視野の狭さを示しているのかもしれない。
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いよいよ物語が坂本竜馬を主役に押し上げつつあるように思われる巻。