新装版 竜馬がゆく (8) (文春文庫) (文春文庫 し 1-74)
- 文藝春秋 (1998年10月9日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (441ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167105747
作品紹介・あらすじ
慶応三年十月十三日、京は二条城の大広間で、十五代将軍徳川慶喜は大政を奉還すると表明した。ここに幕府の三百年近い政権は幕を閉じた。-時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどりつく。しかし竜馬はそれを見とどけることもなく、歴史の扉を未来へ押しあけたまま、流星のように…。巻末に「あとがき集」を収む。
感想・レビュー・書評
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こんなに竜馬アゲの終わり方だったっけ?
慶喜や西郷らを引き立て役に落としすぎなきがして、ちょっと違和感。
竜馬が主役の小説なんだから、いいんだけど。
半藤一利の「幕末史」をすぐ読み返したい気分。
うーん、まさかこんなことを思うとは。
10代の頃と同じようには、心が動かないのは当たり前か。
とはいえ、生涯 一軍の本だと思う。
また気分が沈んだときに、戻ってきます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
坂本竜馬の生涯を描いた作品です。竜馬の大胆で義理人情に厚いキャラクターに惹かれた読者も多いのではないでしょうか?
この小説では竜馬とそれを取り巻く仲間たちの様子が生き生きと描かれていて、全8巻というボリュームながら一月程度で読んでしまいました。
歴史好きにもそうでない人にもオススメです! -
読み終えてしまった。
後半になるにつれ、ゆっくり読んだ。終わってほしくなくて。
私にとって特別な本になった。
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竜馬が奮闘した大政奉還が実現し、徳川幕府の時代が終わり、新しい時代の幕が開ける…
あぁ、ついに終わってしまった!
読み終わった私は完全に竜馬のファンになっている。
倒幕の後の地位や名誉を当然気にする人たちの中で、ここまでやっておきながら大政奉還の後は全てを他の人に任せて自分は世界の海に出ると言う。
かっこいい〜〜かっこよすぎる!!
権力に媚びず、人を見る目を持って仲間を増やし、大胆に行動する。竜馬の器が大きくて、時に些細なことでクヨクヨしたりイライラしたり悩んだりする自分がとてつもなくちっちゃな人間に思える。
「しかない、というものは世にない。人よりも一尺高くから物事をみれば、道はつねに幾通りもある」
「仕事というものは、全部をやってはいけない。八部まででいい。八部までが困難の道である。あとの二部はたれでも出来る。その二部は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはではない」
「人の跡を慕ったり人の真似をしたりするな。釈迦も孔子も、シナ歴朝の創業の帝王も、みな先例のない独創の道をあるいた」
司馬遼太郎の文章にも痺れる。
「この長い物語も、おわろうとしている。人は死ぬ。
竜馬も死ななければならない。その死の原因がなんであったかは、この小説の主題とはなんのかかわりもない。筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。
主題は、いま尽きた。
その死を詳しく語ることは、もはや主題のそとである。
竜馬は、暗殺された。」
この後に竜馬暗殺の場面も描かれているが、竜馬らしい潔い最期に泣けてくる。
竜馬を暗殺した人、なんてことしてくれるんだ!!と思わずにいられない。
竜馬がここで暗殺されていなかったら新しい時代にどんなことを成し遂げたのか。
今、この現代に竜馬が生まれていたら、竜馬は何を成すのか。
文句無しに面白かった。
本棚の永久保存版にしよう。 -
司馬遼太郎による坂本竜馬を主人公とした小説。
文庫版で八巻にもおよぶ超大作。
司馬遼太郎の小説は初めて手に取ったが、引き込まれる内容だった。彼の膨大な取材量に裏付けられた緻密な描写もさることながら、ここまで長い小説であるにも関わらずほとんど中弛みがなかった。
本作は竜馬が故郷の土佐(高知)から武者修行のために江戸に発った1853年から、大政奉還直後に近江屋で暗殺される1867年までの期間を描いている。
個人的には、大学受験で日本史を得意としていただけに本作における時代背景や大まかな出来事、流れは頭に入っていた。
しかし、たった十数年の間にこれほど濃密で熱い男たちの闘いがあったことは全く知らなかった。
私は今まで教科書では数ページで終わる内容をただ暗記していただけで、竜馬をはじめとする維新志士が回天に際して懸けた想いに巡らすことなど思いもしなかった。
維新志士たちだけではなくて、幕臣や佐幕の侍たちも、彼らなり葛藤を抱えながら日本の行く先を憂い、真剣に考え、そして倒れていった。
彼らの遺志が今の日本の一部を形成していることは紛れもない事実なのに、私はそんな彼らの想いを考えもしなかった。日本人としてこれは知っておくべきであり、これが本当の歴史と言ってもいいだろう。
本作を読んでそう思った。
作者は、本作の終盤において「事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただいっぺんの志のみをもっていた若者にもとめた」と記している。
これは確かに普遍的で奥深いテーマである。個人的にも本作を振り返って、坂本竜馬という人間がどのような人間なのかを一考したい。
坂本竜馬とは
伝統、作法、常識に囚われることを窮屈と切り捨て、
自身や藩の利益に固執せず、やり場のない大志の行き先を探し、
食えぬ傑物でありながら、少年のような大志を抱く男でもあり、
時代の常識であるパースペクティブから飛び出す自由な発想・思想を持ち、
土佐の差別的なまでの階層意識を乗り越えて、大事を成した男である。
竜馬は、決して生まれに恵まれた秀才だったわけではない。卓越した頭脳を持っているわけでも、弁が立つわけでもなかった。
しかし、彼はその人間的魅力をもって政府の有力者から気難しい志士、荒くれ者の侍、遊女までを惹きつけた。既成の価値観に囚われずに事物の良し悪しを見定め、生涯をかけて類稀な大局観と強烈な好奇心を養った。
故に坂本竜馬は、だれも夢想しなかった無血での維新を果たすことができたのだ。
この中でも最も重要で普遍的なことは、彼が人間として大きく、平易な目を持っていたことであろう。英雄としての必要最低限の条件はここにあると考える。
さらに、彼が剣道の達人として世に名を通したことも忘れてはならない。やはり、どんな跳ねっ返りであったとしても、人は何かを成すにあたっては既存の価値観の上で実力をつけて一定のプレゼンスを持つことが必須なのだと思う。
今、日本という国は幕末と同じぐらい危機的な状況に瀕していると考える。
幕末の危機が閉鎖的ゆえの世界全体の中で経済的・思想的・軍事的没落に起因したとすれば、現在の日本の憂国の危機はグローバルに「開かれすぎた」世界であるがゆえの競争力の低下だという違いはあるものの、どちらも同じくらい切迫した状況だと考える。
江戸時代における日本の長い太平は、結果的に相対的な経済・軍事の低下をもたらした。対して欧州は長く陰湿な混乱期によって力を手にした。払うべきときに、払うべき犠牲を払わなかったことが日本を弱体化せしめたのだ。
これも現在の日本の状況に当て嵌まる。
WW2の敗戦から高度経済成長、バブル、ただ経済における原理であるキャッチアップと人口ボーナスでしかなかった現象を、自らの実力だと勘違いし、然るべき準備をせず、払うべき犠牲を払ってこなかった。
結果が、今の日本の体たらくである。
最も確実な未来予測である人口構造の変化に手を打たなかった結果、世界一の超高齢社会と化し、何の役にも立たない老人を若者の犠牲によって生かし続けている国。
私欲と利権にまみれた無能な世襲政治家が跋扈し、本来であればそれを監視するべきマスメディアに大義がなく、癒着に沈んだ国。
最もたちが悪いのはそれに気づけず、黙殺している国民である。
本作中に「百姓・町民は欲望だけがあり、教養と知識がなく、ただ幕府に税金をとられるだけの非支配階級である」という記載がある。
日本国民もここからまったく進化していない。
無能を是とし、有能を堕としめて、無勉強で怠惰な国民が大多数を占めている。
今の日本にも維新が必要だ。
幸い、勝機はある。
インターネットの普及によって、少なくない若者はマスメディアからの洗脳を抜けつつある。
志と能力の高い若者は、上の世代が無能の塊であることに気づき始めている。
私も今の日本の志士の1人として、日本を再び世界の最前線に返り咲かせるべくリードしていきたいと思う。
坂本竜馬をはじめとする幕末の英雄たちに恥じない生き方をしていきたい。 -
龍馬の逞しく豪快な生き方に憧れます。
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◯「世に絶望ということはない」竜馬は、にがい顔でいった。死んだ高杉晋作もそういう意味のことを言い、いっさい絶望せぬ、それが信条であると平素言っていたのを、竜馬はふとおもいだした。(321p)
◯よくも断じ給へるものかな。(322p)
◯「世界の海援隊でもやりましょうかな」(342p)
★英国水兵殺害事件いる?大政奉還直前にじれったかった。 -
物事の8割を築き、
仕上げを託す。 -
遂に完結。分かっている最後だけど、生きて世界に乗り出して欲しかったものだ。名作!
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再読。武力倒幕一本の薩長に対し、複雑な立場の土佐藩側から竜馬の発案した「大政奉還」を実現するべく奔走する土佐の面々。薩摩、長州そして岩倉具視を説得した中岡慎太郎はさらに陸援隊を結成して浪士救済と同時に兵力増強を図る。
しかし長崎で英国船イカルス号の水兵殺害事件が起こり海援隊に容疑が掛かる事件が勃発、英国公使と幕府の船が土佐へ乗り込んでくる前に、竜馬も急ぎ土佐へ。このあたり、少し前に再読したアーネスト・サトウの日記にも詳しかったけれど、実は海援隊は全くの冤罪でとんだとばっちり。大政奉還の大仕事前に足を引っ張られた竜馬は大変気の毒。竜馬不在のあいだは後藤象二郎のターン。近藤勇とのエピソードなども。
それにしても司馬さんが上手いなあ、と思うのは、この終盤になってようやく、しかしラストシーンではなく何てことない場面(越前福井藩に三岡八郎=のちの由利公正に会いに出かけるくだり)で、さらりとタイトル「竜馬がゆく」を織り込んでくるところ。激情家のイメージの強い志士たちの中で、坂本竜馬という肩の力の抜けた風変りな人物でありながら、大仕事を成し遂げた男の凄味みたいなものを同時に表現していて素晴らしい。
改めて読み直すと、思っていた以上に娯楽小説で、史実より物語としての面白さ重視であることに気づかされた。あまりにも面白くて(あまりにも竜馬が魅力的すぎて)これが本当の歴史だと誤解してしまうほどに。しかしいわゆる司馬史観というのはそういう創作部分を指すのではなく、たとえば幕末と比較して昭和の戦争の愚かさに憤ったりする、そういう余談の部分だと個人的には思っているので、要は読むほうの読解力の問題。面白い歴史小説を読んで歴史に興味を持つ、小説の役割はそれでいいと思う。 -
大河ドラマで見てからずっと読もうとおもい、結局5年越しに読み始めた。
ちょうど自分が28歳、龍馬が大政奉還を世に謳うまでの年と比べてみたら、あと3年だと気づいた。あと3年で自分は何ができるのか、歴史を楽しむだけではなくて、龍馬という男と自分という男を比べて、自分を奮い立たせてくれる本でした。 -
☆は5つ!
最終巻だというのに、作者はどうにも土佐びいきのようで甚だ平等感に欠ける。竜馬本人以外のことはもうここまで来たらどうでもいいような気がするのに。司馬遼先生、一生懸命に取材旅行などするうちに土皿鉢料のファンにでもなってしまったのだろうか。気になるので今度『・・・街道を行く』シリーズに探りを入れてみよう。『土佐街道を行く』って有ったかなぁ。ま、いっか。
さて司馬遼『竜馬がゆく』。思えばなんとも宴会場面の多い小説であった。剣を交えて戦っているより、お酒を飲んで宴を張っている場面の方が圧倒的に多かった。
聞けば作家という生業は偉くなると出版社の編集長や担当編集者達と銀座界隈で宴会をするのがその習性になると言うが、司馬遼先生もそおであったのだろうな。いやこれは坂本竜馬とは直接関係はないがこの小説のキモであると思ってしまったのでつい書いた。すまぬ。
しかし、竜馬最後の場面を描く最終の何枚かは、心が打ち震えるものがある。やはり名作である。 -
遂に大政奉還が成った。薩摩や長州が倒幕戦をしようとしている中で、竜馬だけが無血革命の方針を打ち立て、成功させた。大政奉還が成された後、慶喜の心中を思い、「この公のためには一命を捨てん」と言ったその言葉が竜馬らしいと思った。対立していた相手のことを理解するなんてなかなかできることではない。
また、ここまで事を成し遂げ、維新後の構想を明確に持っていたのは竜馬ぐらいだったにもかかわらず、第一線からは退き、政治には参加せず、世界の海援隊をやると言った竜馬の生き方はやっぱりかっこいい。ただ、これから自分の好きなことがやれるというときに暗殺されたのが残念でならない。 -
読了。すごく面白かったけど、司馬遼太郎が書く坂本竜馬がスーパーマン過ぎてあまりのめり込めなかった。
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「世に生を得るは、事をなすにあり」
坂本龍馬の口にしたこの言葉通りに生きた生涯であったと、追体験ができた。
竜馬という自分の道をひたすら貫き生き続けた人生に感動した。 -
読み切った…達成と喪失!!!
大学後期から読み始めて終わる一日前に読了。
私の大学1回生後期の思い出となりました〜!!!
ていうか、わたしも大政奉還したい
大事なしとげたくねえ〜!!!? -
全8巻に及ぶ大長編小説を読み切ったのは、初めて。
維新史の奇跡こと、坂本権平弟竜馬の自由奔放さ、快活さ、思想的鋭さ、先進さなどあらゆる感覚が、書き出されていた。
あっぱれ!司馬遼太郎!! -
龍馬の底抜けに明るい性格と、生きとし生けるものへの限りない優しさに感動した。
龍馬の発想力の根底にあるものは、もちろん人々への愛もあるけれども、“その時代における正しさ”ではなく、“時代を超えた普遍的な正しさとは何か”を求めたところにあるのではないかと思う。
最後、龍馬が天に帰るシーンは、まさしくそうであったろうと思わせるほど真に迫っている。
当時も立派な方はたくさんいるけれども、彼ほどさわやかな人生と呼べる一生を生きた偉人も珍しいのではないだろうか。 -
最高に面白い!!!
あっちゃんのYoutube大学で坂本龍馬に興味を持ち、そこから引きずり込まれるように一気読み。
さらに、この物語の7巻あたりで、Go to travelを使って、京都旅行へ。本作を読みながら歴史観光をするという非常に贅沢な日々を過ごした。
20~30代の若者が日本の未来を変えた。このエネルギーを本作を通じて感じた。そして、自分もこのエネルギーを胸に秘めながら行動したい。と感じた。
本作を読んだ後に『維新ミュージアム』にいくことは非常におすすめ。
龍馬の面白さは藩に縛られず「日本」を考え、行動した。今日の日本も龍馬のおかげといっても過言ではないのでは。 -
今まで自分が抱いていた龍馬像を一変させられる着眼点、目線で読ませていただいた。以前から自身の龍馬像は暗殺のイメージ、人生最後の命の消え方に偏っていましたが、著書の中でも著者が読者に投げかけられていた事は、龍馬の「死」よりも生き生きと駆け抜けた「命」である事に大きな感動を覚えた。この著書(大作)の前に読んだのが同著者の「燃えよ剣」であったことも、同時代を違う目線で立場を変えて描かれている事が非常に新鮮で楽しく読ませていただいた。
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とうとう竜馬が死んでしまった…
最後の描写があまりに切なく、哀しい。 -
いよいよ最終巻。討幕運動は大団円を迎え、もちろん竜馬は最後、その生涯を閉ざすことになるわけです。竜馬の最期を知っていながら読んでいると、大政奉還がなるのか命が尽きるのか、運命と競争しているような生き様に魅せつけられました。すごい人物でした。
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ついに読了。
明治維新の中核をなす施策の大半が竜馬のアイデアから生まれており、その何割かはまさに彼の提案したそのまま実行されたということを本シリーズを読んで初めて知りました。
そこまで偉大な業績なのに教科書には殆ど書かれていないのは何故だろうと考えると、彼の活躍は一部の仲間内では伝説的に知られていたものの、歴史の表舞台に出ることは望まず、また担ぎ出される前に不幸な死を遂げてしまったことも一因ではないかと思います。
仮定の話をしても仕方がないのは分かっているものの、暗殺などされずに世界を舞台に活躍していたら、誇張ではなく今とは全く違う世の中になっていたかもしれないと思えば残念で仕方がない。 -
もしかしたら、この巻は無くても良いのかもしれない。
竜馬の集大成なのだけど、でもどちらかというと、もう竜馬のやるべきことは全部終わっていて、あとは事が成るのを見ているだけな気もする。
この世から去る前から、竜馬はすでに去っていた。 -
第1巻を買ったのが1997年。それから2、3冊読んでは挫折し、しばらく経ってからまた1巻から読み直し、また挫折する。そんなこんなで読破するのに20年以上もかかってしまった。でも、読破するだけの価値のある作品だった。
1回しか読まないのはもったいないし、またいつか読み返そう、読み返すべきとは思ってるけど、通読するのには相当の覚悟が必要だろうなぁ。他に読みたい本もいっぱいあるし。 -
色んな坂本龍馬の本を読んで来たけど、
やっぱこの小説のラストが一番好きです。