新装版 坂の上の雲 (5) (文春文庫) (文春文庫 し 1-80)

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105808

感想・レビュー・書評

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  • 漸く203高地を確保。もっと早く児玉氏が指揮していれば、、、。表にあまり取り上げられないが、バルチック艦隊に対する日英同盟の効果。その後のロシアの騎兵を主力とした大作戦。それを事前に察知しながら取り合わなかった司令部。日本騎兵部隊の活躍や、敵騎兵隊の失策。歴史は紙一重と感じました。

  • とても面白かった。
    ロシアという国がなんとなく分かった気がする。
    当時の日本の雰囲気もよく想像できた。

  • バルチック艦隊の大航海が物凄く滑稽なお芝居のよう。
    どれだけ道理にかなっていなくてもやるしかなかった当時の乗組員の人たちには本当頭が下がる。

  • 203高地の大激戦を描き、あのロシアのバルチック艦隊にいかに日本海軍等が勝利することが出来たのか、詳細に司馬史観がうったえる。

  • 人間臭いしがらみとこだわりとが錯綜しながら戦争は続く… 人の死がぞんざいに扱われるのが戦争。

    死の部分に目をつぶって読んでみれば、普段の会社生活でも同じ様な事があるって感じる。

    目的意識をクリアにもって、俯瞰して冷静に作戦を練って実行することがどこまで出来るか?

    中高年サラリーマンにとっては、切実な思いも錯綜するんでは無かろうか…

  • 旅順終わったー!!
    人が死にすぎた。戦いが終わることがわかって、敵同士だった日本軍と露軍が抱き合って喜ぶ。

    ヒトは本来種間争いには向かない生き物だ、と司馬さんは締める。私もそう思っていた。
    が、他のページでは戦争の中に、人間らしさがまざまざと表れている部分が多くて戸惑った。戦争って、人が人ではなくなる、非情な行為なんじゃないの?

    読んでわかったのは、戦争は人間らしい心を失った軍人によって行われるわけではないということ。司令官の性格や民族性が作戦に如実に表れ、別国の敵がいるにもかかわらず、出世欲、保身など内部闘争も絡んで侵略・防戦が展開する。実に人間くさい。

    楽観的思考、勢い。
    弱気、頑固さ。
    それらからもたらされる勘違い。
    戦争に関わる人間たちのそんな性格一つで、戦いは始まり、多くの人が死んだ。

    愚かしいことだが、決して異常な行為ではない。欲の尽きない人間らしさの一つとして種間の殺し合い、戦争もあり得るのだと感じて、背筋がうすら寒くなった。

  • 坂の上の雲〈5〉 読了。
    遂に旅順開城。一万人以上の戦死者を出した激戦のやりとりがよく分かる。児玉源太郎、乃木希典、伊地知幸介…様々な考えが交錯しながら作戦が進行していく。司馬遼太郎の考えと、実際は異なる部分もある(賛否両論あるようだ)のだろうが、明治の軍人たちの考えが伝わってくる。

    この巻で印象的だったのは、ステッセルの降伏から戦場に攻撃停止命令が出たとき、

    「狂うがごとく、この開城(厳密にはまだ開城ではない)をよろこんだ」

    というシーン。ロシア兵も日本兵も抱き合いながら喜び、酒を酌み交わしたという描写が描かれている。

    実際に戦場で戦っている人間にとって、戦争は利益などないのだろう。凄惨な戦争を早く終えたいと願いながら戦う。国家の感覚と戦場の感覚は大きく異なるのだと思う。

  • 日露戦争も佳境。
    これだけ詳しく日露戦争についての記述があるということに感激した。
    いよいよ終盤に入っていくのだろうか・・・?
    続きが楽しみだ。

  • 旅順の陥落、バルチック艦隊の東征など物語も佳境。

  • 全8巻の坂の上の雲もいよいよ後半戦。本巻は、203高地攻略、旅順占領、黒溝台会戦の途中までが描かれている。203高地攻略は読んでいて清々しさを感じるし、ロシア軍が降伏し旅順を占領した記述は一読者の身ながら達成感が満腹だった。しかし、日露戦争はまだ終わらず、黒溝台会戦に突入していき、また戦争モードに戻されてしまった。そして忘れてはならない、ロジェストウェンスキー司令長官率いるバルチック艦隊。いまだアフリカ大陸のマダガスカル島にいる。ダメキャラ全開で哀れ過ぎて同情したくなるほどだ。
    本巻では主人公の秋山兄弟の記述はほとんどなく(もう一人の主人公:正岡子規は3巻で死去のため影も形もない)、まるで日露戦争記といった感である。

    以下に、興味深いシーンを列挙したい。

    「諸君は昨日の専門家であるかもしれん。しかし明日の専門家ではない」
    →児玉源太郎が参謀本部で怒鳴った論である。児玉の言わんとすることは「専門家に任せきりにしてしまうと、出来ない理由を並べ立てられ実行に移せない。専門家の言うことばかり聞いて保守的になってはいけない」ということだ。専門家の諫言ばかり聞いて、中々203高地を攻めない乃木希典にそのままあてはまるため、児玉は乃木を説得しに旅順に向かったのだった。

    「豊島は物を知りすぎているから、そう思ったのだろう。わしは何も知らんから、敵に撃つ余裕を与えぬほどに、こっちが撃ち続ければよかろうと思ったのだ」
    →同じく児玉源太郎の言葉だが、上記と同じ論理である。知らない者であればこそ、怖いもの知らずで行動が出来るということだ。

    「いくさは何分の一秒で走り過ぎる機微を捉えてこっちへ引き寄せる仕事だ。それはどうも智恵ではなく気合いだ」
    →これも児玉源太郎の言葉。いくさでも仕事でもスポーツでも、勢いの重要さは否定できない。

    「冬季はロシア軍は動くまい」
    →満州軍総司令部参謀の松川敏胤が、黒溝台会戦前に放った固定概念である。「この厳寒時に、大兵力の運動はとても行えるものではない」というのが唯一の理由である。戦術家が、想像力を一個の固定概念で縛り付けてしまうことは最も残念なことだが、長期の疲労か、情報軽視からか、それを冒してしまった。ロシアがナポレオンの常勝軍を本国に引き入れて撃破したのは、冬将軍とも言われる冬季を利用したからに外ならない。こうした戦史上の習性を知らないため、黒溝台会戦では思わぬ苦戦を強いられてしまう(結局は勝利したのだが)。これを児玉が同意してしまった点が残念でならない。児玉は本書の中で好きなキャラの一人であるのに。しかし、長いくさで疲労し、麻痺した部分もあるのだろう。優秀な人間も失敗するというのも、人間らしくていいじゃないかと思えてきた。

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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