この国のかたち 五 (文春文庫 し 1-84)

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  • 文藝春秋
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  • / ISBN・EAN: 9784167105846

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  • 今回は、「神道」「鉄」「宋学(儒教)」について、連続して突っ込んだ内容が綴られる。なるほどとうなずけるとこと、そういうことなのかと気づかされる。中国・朝鮮が儒教の中の朱子学により形骸化された思想に陥り近代化に遅れ、朱子学には中途半端だった日本が近代化に成功するという対比は、このシリーズの中での通奏低音となっているようだ。

  • この巻では、神道について、もしくはそのほか日本における宗教について丁寧に描かれている。
    自分の身の周りにある、お寺と神社の違いなど、何となく日常で疑問に思っていたことや、生活習慣の中に溶けていた様々なことがらを、朧げながら時系列に沿って体系的に理解することができた。

  • この巻では、「神道」、「鉄」について多くが書かれている。

    古のこの国の人々は、自分たちが生きていく、また生活していく上で「自分たちを生かしてくれるもの」、即ち、大地や空、山や川、海などの自然こそが最も尊い存在である事実を感じ、奉って来たのだろう。
    神道は、その思想を興した者を崇めるわけでなく、また本尊といった物なども無い。
    自分たちを生かしてくれる自然、そして、その自然が実らせる豊かさこそ、唯一崇高なものだということなのだろうか。

    そして、「鉄」であるが、「鉄」が出現したこと、精錬技術の向上が、生活と文化、農や工などの労働に対しても、大きな進歩の一役を担ったことは言うまでもない。

  • 色々な…自然だったりタイミングだったり…それはもう一言では言い表せない事柄がつなぎ合わさって、歴史がある。
    教科書の歴史ってのは、ものすっごく薄切り状態なんだけれど、興味を持つきっかけになればいいと思う。あとは自分次第でどんどん本を読んでいったり、大学を目指してみたり。

    この年齢まで読んでいなかったこと、この年齢でようやく読んだこと、何かあるのだと思っている。

  • 著者の文藝春秋連載エッセーの第5巻。1994~1995。

  • 神道、鉄、宋学など、日本人の精神の土台形成に大きな影響を与えた事柄に対する司馬の解説。指摘の通り、神道には教義もなく、元々は社殿もない。山や岩、古木などが自然と畏敬の対象となり、清められてきた。だから、何々をしなければならないなどという教義はないという。これはすんなり理解できる。お天道様はいつも見ている、お天道様はありがたいという精神性は、いろいろなものに通ずると思う。

  • 神道や宋学についてまとめて書いてある。なので思想というものについて考えさせられた。
    宋学は宋の時代漢民族が自分は文明人(華)で、北方の異民族(蛮)に圧倒されて屈折した気分を何とか晴らしたいと考えだされた考えだったようだ。ものの考え方としては悪くはないだろう。どうせ考えるのなら気分が良くなるように考えたらいいと思うからだ。しかし、実態に合わない考え方をすると虚しい空論になる。頭の中だけが満足して生活は苦しくなる一方だから、当然滅びる。

    思想というものは気分から始まるのかもしれない。生きづらいと感じている気分をどうにかこうにか「いやこれでいいじゃないか!」にひっくり返すためになされる大変な営為なのではなかろうか。しかも、現実認識がなければその殻の中に閉じこもり窒息して滅びるであろう。時に暴発して大犯罪を犯すものも出るかもしれない。だから危険思想というものもある。

    気分を言葉にし、それを抽象化して概念を創造し、精緻に組み立てて体系化する。ご苦労なことである。こんなことができるとしたらその人は余程のエネルギーをその身のうちに蔵していなければなるまい。まず凡人には無理である。まぁ、万が一そんな心血を注いだ思想が完成したとして、その思想がその当人以外に当てはまるかどうか、役に立つのかどうかはわからない。たまたま多くの人が同じ苦しみを抱えていて、その思想によって気分が晴れる場合にのみ流行するのであろう。

    そして、流行した思想は往々にして権力者に利用される。多くの民の脳に刷り込まれ、しかも、都合のいいように若干の修正が施されて有効な支配の道具となる。いやいや権力者ばかりではない。革命にも利用されるのだから、気をつけないと誰のものかもわからない考えで凡人は操られる結果になることが多い。気をつけよう。

    鉄についてもまとめて書かれていた。もののけ姫を思い出して興味深かった。

    Mahalo

  • オケラもカエルもアメンボもそしてヒトも等しく生き物である。しかし歴史の中に生まれてくるのは人しかない。だから先生は歴史を書く。


     歴史というのは人間特有の文化なんだな。言語を持つ生き物だから、時間を超えた人間同士の交流ができる。司馬先生は未来の人と繋がるべく、歴史を書いている。そう悟った。

    ______
    p16  八幡神社
     八幡神社は大分の宇佐に総本社がある。祀る八幡神は自然と一体になった日本の神と一風変わっている。巫女に憑依し託宣し、人間の世に口出ししてくる。八幡神は朝鮮から渡来した秦氏の住む地で祀られた。
     八幡神は仏教が日本に流行ると「私は昔インドの神だった。今は日本の神をやってます。」とシャーマンを通じて託宣した。この神の発想から本地垂迹説ができた。この発想から、日本の神々が仏教を習合して、信仰を復活させた。

    p48  役小角(えんのおづぬ)
     修験者の祖。「続日本紀」にでてくる。修験道は仏教に属するが神道的要素がとても強い。役小角は孔雀明王の呪術を学んで、天狗のように山をかけたといわれる。

    p60  源氏meets八幡神
     頼朝の五代前、源頼義が鎌倉の地に八幡宮を奉じた。現在鎌倉の材木座にある元八幡がそれ。(鶴岡八幡の南、元八幡というバス停もある)
     頼義が八幡神を氏神にしたため、八幡神は武の神になる。頼義の子は奥州安部氏と闘った前九年の役・後三年の役を戦った八幡太郎源義家である。
     時代は下り、頼朝が鎌倉に幕府を開いたのも、この地に源氏の氏神が祀られていたからである。しかし、元八幡は社も小さかった。なので頼朝は鶴岡八幡宮を新規造営し、そこを中心に都市建設をした。

    p93  藩の制度疲労
     江戸時代の大名は土地や人民の所有者ではなかった。将軍から支配権を委託された徴税人である。
     明治維新で大名は東京に集められ、永世俸禄を賜る存在になった。廃藩置県という領地の召し上げが実現するのは驚異のことである。それが成功したのも、藩という仕組みの特徴と大名にとって藩の維持が困難であり、江戸末期に制度疲労を迎えていたからであると見れる。

    p102  鉄の専売
     古代製鉄は戦争のように人を要した。燃料の森を開くもの、鉄鉱石を採集する者、冶金するもの、労働者の生活物資を売るもの、製鉄は巨大な経営体を形作った。それが国家に反旗を翻すようなことがあったら、為政者はそれを恐れた。漢の武帝は製鉄業を官営にし、専売制をしいた。鉄というのはそういうものだった。

    p114  森と文明
     製鉄には莫大な燃料がいる。古代ギリシアは冶金と農業のため森を失い、土が乾き、文明が衰えたといわれる。
     日本の鉄文化の導入は弥生時代(BC3c~AD3c)と言われる。稲作の時代である。製鉄となると古墳時代の5~6cであろうと思われる。中国・山陰地方で製鉄が始まったが、これは朝鮮からの技師が移住してきたからだろうと考えられる。それらの人々も故郷の森が枯渇したため日本に来たのではと司馬先生は考える。
     日本のモンスーン気候では気は30年で再生産される。日本は恵まれた気候のおかげで製鉄技術を衰退させることなく発展していった。

    p125  加賀の鉄
     平安時代、関東八州に強力な武装集団ができた。それらは土地の灌漑工事を主導し、人々の先頭に立った。彼らが灌漑工事をできたのも10~11世紀に鉄の値段が安くなったからである。安くなった鉄を大量に買い、農器具を改良できたものが力をつけることができ、武士になった。
     加賀は武士ではなく庶民が力を持った土地である。13~14世紀に庶民でも買えるまでに鉄の生産が発達していたのである。彼らは浄土真宗に帰依し高い「同朋」意識のもと自治を形成した。1488年に守護の富樫氏を民が滅ぼして以降100年、加賀は「百姓ノ持つタル国」になった。鉄の生産量増加によって関東では武士政権ができ、加賀では百姓の国ができた。
     
    p182  光圀が湊川神社をたてた
     神戸の湊川神社は楠木正成が祀られている。神ではなく個人が神格化されるのは菅原道真など怨霊信仰に通ずるものでもみられる。光圀が楠木正成を崇めたのは、水戸学からである。光圀は亡明の朱舜水を自藩で保護した。彼は日本の南北朝動乱について、南朝が正統だという、それは北朝は武士である足利尊氏が作ったものだからである。天皇に忠誠をつくした楠木正成を崇めることで水戸学(宋学)の象徴を作ろうとした。

    p192  正成と統帥権
     正成は後醍醐天皇の側について足利尊氏と闘った。正成は天皇を比叡山に逃し、籠城戦に持ち込むことを上申した。しかし、天皇の側近坊門清忠は敵前逃亡は天皇の名に泥を塗ると大義名分論をかざし、正成に懲罰的な戦いに臨ませた。その結果、正成は湊川で敗死した。
     司馬先生はこの坊門清忠の行いに、昭和の統帥権と同じにおいを感じた。陸軍参謀が国会や内閣に申告せずに、直接天皇に上申できる「帷幄上奏」これを用いて戦争を起こした。現実よりも思想をもって戦争をさせていた清忠から学んでいなかったのだろうか。

    p208  道元と老僧
     13世紀に若い道元は禅の修行のため宋へ渡った。民州の河港で停泊中の船の中で、道元は「シイタケはないか」と謎の老人に尋ねられた。老人は近くの禅寺で典座(てんぞ:炊事係)を務めているらしく、道元は老齢でもまだそんな下っ端を務めていることに驚いた。老僧は「外国の好人よ、まだ何もわかっていない。これが禅なのだ。」そう笑っていった。
     このストーリー好き。他の司馬作品でも見たな。

    p210  蕃書調所
     蕃というのは中華思想で言うところの外国である。朱子学を国学に指定した江戸時代は外国を野蛮な蕃国として扱った。だから幕末の洋書翻訳機関は蕃書調所だった。のちに東大の前身、開成所に改名された。明治維新で朱子学思想から脱却していくところである。

    p211  藤原惺窩(ふじわらせいか:1561~1619)
     日本の儒学者の最初の人。戦国時代という野蛮人が世を支配する時代に生まれて、朝鮮にあこがれながら憤懣の人生を送った。

    p218  藤原五摂家
     武士の時代、平安の貴族だった藤原五摂家は、近衛、九条、一条、二条、鷹司という通称を用いていた。(そのなかであえて藤原惺窩は藤原性を名乗り続けた。それほど野蛮人にへりくだるのを良しとしない、誇りがあった。)

    p221  劉邦meets儒教
     漢帝国を興した劉邦は野人であり、頭でっかちな儒家は好かなかったようである。ある時試しに儒者の進言を採用して文部百官の儀典を取り仕切らせたところ、荒くれた将軍たちもおとなしく皇帝に拝礼するようになり、劉邦を驚かせたとか。「わしは今日初めて皇帝の貴さを知った。」とこぼしたとか。

    p248  革命の3Steps
     革命初動期:詩人的預言者(佐久間象山、吉田松陰)
     革命中期:精力的活動者(高杉晋作、久坂玄随)
     革命後期:事務処理担当(伊藤博文、山形有朋)
    ①思想があって②情熱をもって実行して③ドタバタを落ち着ける。ここまでできて初めて革命は成る。この手の役者がそろっていたのが長州の松下村塾である。
     今の世の革命(主に中東だけど)③がどうしてもうまくできないと思う。自分たちで事後処理をしたくても、口うるさい先進国グループが利権を絡めてきて③をさせてくれないのである。悪ければ代理戦争になる。明治維新は列強が入る前だったから、本当にギリギリの時代だったと思う。

    p249  中江兆民meets竜馬
     兆民は高知出身で幼名を篤介という。彼の幼いころ、帰京した坂本竜馬に出会っていた。子供たちは英雄である兄貴分が大好きである。竜馬もそのころ10余歳離れたガキどもの英雄であった。竜馬は群がるガキの中から「中江ノオニイサン、タバコヲコウテキテオオセ」と半敬語で篤介に頼んだ。この出来事を兆民は生涯覚えていたようだ。その後の町民の思想には、竜馬の魂の一部が含まれていたように司馬先生は考える。
     幕末の人のつながりの面白さよ。

    p257  彰義隊
     江戸に残った反新政府集団の彰義隊を殲滅させたのは大村益次郎である。江戸は戦後に新政府の拠点にするため無傷で手に入れることが至上命題であった。ゲリラ的に暴れる彰義隊が各地で蜂起し、江戸の町を壊さないよう上野の寛永寺に彰義隊を集め一気に叩いた。これを実現できた大村益次郎はとても偉大な人物である。みんなにしってほしい。


    _______

     全6巻だからもうすぐ終わり。ちなみに6巻途中で司馬先生が死んだから、あとがきが書いてあるのはこの巻が最後である。
     と思ったら、あとがきがこの本の核心をまとめていてビビった。
     人にだけ歴史があるという考え方はとても大事である。みんなも歴史の価値を知ろうぜ!!

     このエッセイの始めの方は各章が単発の話題だったけど、前巻くらいからタイトルがシリーズ化している。書きなれてきたから止まらないんだろうな。そういう感じが出ていて、読んでいておもろい。

  • 神道の話。教義も偶像もない。宗教というよりかは、文化なのか。だからこそ、神道は、こと挙げぬこそ相応しいのだろう。
    朱子学という型を大事にする空論は、やがて、太平洋戦争にも。
    朝鮮の日本への見方。夷としてみているのだろう。
    昭和は、やはり突然変異だったのだろう。なぜ、合理主義を失ったのか?
    日露戦争で勝利し、反省しなかったからか。

  • 巻末の「人間の魅力」が小気味いい。

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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