- Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167105846
作品紹介・あらすじ
「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(万葉集)-神ながらということばは"神の本性のままに"という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。神々は論じない。-神道や朱子学はわが国の精神史にいかなる影響を与えたか。日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く独自な史観にもとづく歴史評論集。
感想・レビュー・書評
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今回は、「神道」「鉄」「宋学(儒教)」について、連続して突っ込んだ内容が綴られる。なるほどとうなずけるとこと、そういうことなのかと気づかされる。中国・朝鮮が儒教の中の朱子学により形骸化された思想に陥り近代化に遅れ、朱子学には中途半端だった日本が近代化に成功するという対比は、このシリーズの中での通奏低音となっているようだ。
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▼2020年4月現在、新型コロナ禍に蹂躙されている世界および日本ですが、1年後、5年後、10年後、どう位置づけられるものでしょうか。
▼個人的に読んだ本の備忘録的なものを残すように習慣づけてからもう7~8年経ちます。昔の備忘録を読み返すとそれはそれでオモシロイ。将来、何年か先、この文章を読み返して「ああ、コロナ禍あったなあ。日々に追われて忘れてたあ」と、思えることを願って止みません。
▼現在の状況の未曾有さに途方にくれつつ、この本の司馬さんの言葉が改めて味わい深い。
▼(本文より)ヒトは、無人の曠野に生まれず、その民族やその国家、社会、さらにはその文化の中にうまれてくるのである。さらにいえば、その歴史のなかにうまれてくるのであって、どうやらカエルやサルやはハナムグリのような、”自由” をもたないものらしい。
▼どういう文脈かというと。司馬さんは戦時中に大学生でした。そして突如、「大学生の兵役免除」という制度が無くなって、兵隊として戦争に行かされることになります。そのときに、司馬さんは「なんでやねん・・・いやだ・・・」という気持ちがあった。言ってみれば、ある日突然重症に陥って、新型コロナでICU入りするようなものなのか・・・。いや、何かもっと、もっと重い黒い運命の鉄槌みたいなものだったのかと思いますが。若き司馬さんは、何とか自分を納得させたくて、色々考えて、その時点の日本国民である以上、余儀なきことだ、と、納得しようとした。その時の心情を平成の世に振り返り、隔世の感を抱きながらの発言。
▼「この国のかたち5」司馬遼太郎。文春文庫。初出1996年。歴史うんちくエッセイ、とでも言うべき傑作。の、第5巻。2020年4月に何度目かの再読。
▼この5巻では、7回に別れて語られる「神道」の章と、5回に分けて語られる「鉄」の章が白眉でした。「神道」は、他のどの書物よりも、「神社とか神道っていったいなんやねん」という素朴な好奇心や疑問を、まさに秘孔を突いたかのように平易に解体して白日に晒す印象。つまりは適当で曖昧な、世界的に言えばスーパーローカル原始宗教(宗教と呼ぶほどもないような、信仰)でしかないということなんですが、神道の数奇な運命と物語がオモシロイ。
▼「鉄」は、鉄と日本史の関わりを、世界全体の鳥瞰図とセットで、ブラックジャックが解剖するかのようにサクサクと見せてくれます。中国や韓国のとの比較。それも優劣などというくだらない物差しでは無くて、地理、土地の湿度などが左右した特性など。日本の中国地方の森林が、「湿度が高く再生率が高かった」という特性から、日本史が動いていったという説など、どきどきするくらいやっぱりオモシロイ。しばし新型コロナ禍の憂き世からの"気散じ"になります。
▼5年、10年後と言わず、100年後の人々は、2020年をどう位置づけるのでしょう。俵万智さんの歌を思い出します。「地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜 ひゃくねんたったらだあれもいない」。 -
・儒教の危険性
・明治人が持っていた職人的合理主義
・室町時代の特異性
・連歌の魅力
・大村益次郎、高田屋嘉兵衛の魅力
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この巻では、神道について、もしくはそのほか日本における宗教について丁寧に描かれている。
自分の身の周りにある、お寺と神社の違いなど、何となく日常で疑問に思っていたことや、生活習慣の中に溶けていた様々なことがらを、朧げながら時系列に沿って体系的に理解することができた。 -
この巻では、「神道」、「鉄」について多くが書かれている。
古のこの国の人々は、自分たちが生きていく、また生活していく上で「自分たちを生かしてくれるもの」、即ち、大地や空、山や川、海などの自然こそが最も尊い存在である事実を感じ、奉って来たのだろう。
神道は、その思想を興した者を崇めるわけでなく、また本尊といった物なども無い。
自分たちを生かしてくれる自然、そして、その自然が実らせる豊かさこそ、唯一崇高なものだということなのだろうか。
そして、「鉄」であるが、「鉄」が出現したこと、精錬技術の向上が、生活と文化、農や工などの労働に対しても、大きな進歩の一役を担ったことは言うまでもない。 -
この国のかたち [05]
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「この国のかたち」の第五巻になります。
司馬遼太郎さんの本は、美しい日本語で書かれており、時々読みたくなってしまうそんな魔力を持っています。
この本も御多分に洩れず、気持ちの安らぐ美しい日本語に溢れています。
この5巻では、主に「神道」「宗学」について触れられています。ただ、「この国のかたち」では、色々な時代に関連付けて説明されているので、日本の歴史を体系的に学ぶことが出来ます。司馬遼太郎さんの小説とは違った楽しみがあります。
著者は、「幕末維新の日本人」の中で、読者に対しての想いとして、
「せめて日本人が、基本的な日本人像をきっちり持ってくれていると、ありがたい」
と書いています。
読者として、この気持ちに応えられるように司馬遼太郎さんの本から学び、これからの世代にも「日本」という国をしっかり残していきたいです。
本当に素晴らしい本です。 -
松下村塾っていうのはフリースクールみたいなものだったのか。今ではこんな学校に天才、英雄が集結することはないのだろうな。そういうところも幕末の面白さの一つと思う。