若きサムライのために (文春文庫 み 4-2)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167124038

作品紹介・あらすじ

男の生活と肉体は、危機に向って絶えず振りしぼられた弓のように緊張していなければならない-。平和ボケと現状肯定に寝そべる世相を蔑し、ニセ文化人の「お茶漬ナショナリズム」を罵り、死を賭す覚悟なき学生運動に揺れる学園を「動物園」と皮肉る、挑発と警世の書。死の一年前に刊行された、次代への遺言。

感想・レビュー・書評

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  • 政治的な信条は異なるが、とにかくカッコいい漢と言えば三島を置いて誰もいない。
    東大と動物園にしろー昨今映画にもなった三島由紀夫と全共闘の対談に近い年代に書かれたものであるが、面白かったのが、青年に関する章。今以上に学生が学生運動に血気さかんだった当時において、解放区を作ろうとする東大生たちに対して、そんなに解放区が欲しいなら、動物もいれて動物園にでもしたらどうなんだと言い放つが、その後が面白い。以下引用。

    青年は人間性の恐ろしさを知らない。そもそも、市民の自覚というものは、人間性への恐怖からはじまるんだ。自分の中の人間性への恐怖、他人にもあるだろう人間性への恐怖、それが市民の自覚を形成していく。互いに互いの人間性の恐ろしさを悟り、法律やらゴチャゴチャした手続きで互いの手を縛り合うんだね。そうした法律やら手続きやらに、人間性の恐ろしさを知らない青年が反撥するのは当然と言えば当然なんで、要は彼らに人間性の本当の恐ろしさを気づかせてやりゃあいい。気づいた者と気づかない者、市民と青年―これは永遠の二律背反なんだね。

    福田恆存との対談において、以下引用

    本当の意味での現実主義というものは、現状肯定で済むはずがない、理想追求というものを人間の本能の一面として認めなければならないんだよ。本当の現実主義なら。理想主義というのは、決して現実を遊離したもんじゃなくて、人間性の現実なんだ。理想を持ち、それに殉じて死ぬことも本能なんだ。それをあたかも生命欲だけが本能であって、それに殉じて死ぬということが本能に反するものだと思ったら大間違いで、これも本能なんだ。少なくとも人間だけが持っている本能なんだ。
    (中略)現状肯定、現状維持の現実主義者というものは実は一種の観念論なんだよ。


  • 本作は三島由紀夫氏が自殺する前年に発刊された一冊。定規を当てたような綺麗な、精緻極まる文体を駆使する耽美派の彼が、べらんめぇ調で語るエセー、メッセージ、対談集。
    氏の言葉を引用すれば、「時務の文」とのこと。

    前半を読んでると、オヤジの小言にしかきこえず、これなら池波正太郎の方が耳あたりは良いなと思ったが、後半の対談集は中々に悪くなかった。

    自殺した作家は芥川や太宰と数々いるが、三島由紀夫はどうも印象が異なる。
    一人の作家やその作品について、個人個人の感想が異なるのは当然のことだが、どうも三島評に関しては、他と異なる。

    三島由紀夫が当時願った数十年後の日本の未来の若者が、ほぼその形になっていますよ。
    ハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしている、と。
    いや、グローバリズムは遥かに進み、ボーダレス社会だ。が、だからこそ、文化の回顧も必要なのでしょう。

  •  エッセイと対談集からなる作品。対談では猪木正道、福田赳夫、福田恆存の各々との対談を収録している。2012年11月現在、我々は領土問題、米軍基地問題など、昭和40年代に書かれたこの本と同様の問題を解決出来ずに持ち越したままである。そういった現在における政治の要素も、この本を読んでいる時に自然と思い浮かべてしまうのではないのだろうか。
     この中に書かれている左翼、右翼と現在の左翼、右翼では訴えていることが入れ替わっている部分があり、面白い。自己啓発本のような扱いを受けかねないところもあるが、当時の思想の一つを知ることが出来る史料として読んでも面白いかもしれない。

  • 三島の小説を読む前に自決直前のエッセイ集である本書を手に取った。後半の対談は知識不足が故にほとんど理解することができなかったが前半の精神講話は面白かった。論ずる以前に理解することもできないのは恥ずかしい、政治についても勉強していきたい。

    彼の基本的な考えがあとがきにまとまっているので引用する

    精神といふものは、あると思へばあり、ないと思へばないやうなもので、誰も現物を見た人はいない。その存在証明は、あくまで、みえるもの(たとへば肉体)を通して、成就されるものであるから、見えるものを軽視して、精神を発揚するといふ方法は妥当ではない。行為は見える。行為を担ふものは肉体である。従って、精神の存在証明のためには、行為が要り、行為のためには肉体が要る。かるがゆえに、肉体を鍛へなければならない、といふのが、私の基本的考へである。

    • てぃぬすさん
      肉体を精神の発現としてみてるのか。小説読みたいわ。
      肉体を精神の発現としてみてるのか。小説読みたいわ。
      2019/12/09
  • あくまで個人の中限定の話であるが道徳の教科書…いや、参考書かな。参考書にしたい本。
    「お茶漬けナショナリズム」を境にして、後半の対談などは不道徳教育講座よりずっと難しく、一度読んだ程度ではインプットしきれない情報量が沢山あるが、本書を一度読めば、三島先生の伝えたいところの根本的な部分、「精神と文化」~「文武両道」~「武力とは何の為のものであるか」そういう、「文化」と「武力」の二つの異なったものを精神に修めてゆくことの大切さを知ることができると思う。
    「若きサムライのための精神講話」では不道徳教育講座のようにひっくり返されるような驚きはそこまで無い物の、わかりやすく噛み砕いて、そこのへんの所を教えてくれます。

    「若きサムライ」である我々若い読者からすれば、三島先生は知った初めから「切腹した作家」です。
    本書を読んでいると、「何故切腹してしまったのか?」という部分がなんとなくわかってくるような気がしてきます。そういう、三島先生の精神に触れる本です。
    命より大切な、しかし肉体と肉体による行動無くしては証明されない(文字では表現にしかならず、証明にはならない)「精神」が、現在も「切腹した作家」という鮮烈な6文字で我々の頭に浮かび上がっています。

  • 面白かった。
    『若きサムライの精神講話』にも後半の対談集にも、三島由紀夫が当時懸念した問題に言及している。そのまま顧みなかったから今の日本があるんだろうか、と思う点が少なからずあった。にしても、何度か思ったことだけれど「失われた美徳は二度と取り戻せないのか」という命題は、悲しいが確かなことなのかもしれない。

    一番心に残ったものは、解説の「三島自害後に生まれた人間にとって、何よりもまず『切腹した作家』と知る」だ。読んだ人も読まないままの人も、『右の人』という認識は続く。ただ、たまにいる「思想から結果が先に出ており、思考過程と論理は後付けで支離滅裂」な人とは別である。あの時代、理知的な右である三島由紀夫という人から見て、そう考える十分な理由、雰囲気というものがあったのだろう。そして、いくつかは悲しい現実となった。親が子を殺し子が親を殺すという現状は異常であるが、腹立たしいことに現実だ。
    強い感情に見合う高い知恵が、そのバランスが、狂おしいほど羨ましい。そして、おそらく感情が勝っていただけに死なずにはいられなかった、人の熱に期待せずにいられなかった心が、ただただ悲しい。けれど、その生に勝手に眩しさを感じる凡人の心を、許してほしいと思う。

  •  三島由紀夫が見る日本人達を記したもの。
    対談までの部分は、著者自身の考えが書いてあるのだが、非常に気になった(=もっと読み込みたい)部分があったので記しておく。

     ・非常事態と平常の事態とを貫く行動倫理を見る事が現代のサムライが勇者か
      否かを見る区別手段。
     ・日本人の中には、日本的な肉体を侮蔑する精神主義とアメリカから輸入された
      浅はかな肉体主義が広がっている。
     ・女性の羞恥心が失われた以上に男性の羞恥心が失われた。

     ここには一部しか記せていないが、今でも普通に通用するであろう考察が非常に多く並ぶ。一読をお勧めする。

  • 小説からは想像できない三島由紀夫を見た。挑戦的で行動的でいて責任感を伴っており、ユーモアもカリスマ性もある。こういう方に時代を率いてほしいと思った。
    安保条約や学生運動などについて論じていて時代背景は違うが、三島由紀夫が説いている根本的な考え方は現代にも通ずる部分がある。

    精神というものは、あると思えばあり、ないと思えばないようなもので、誰も現物を見た人はいない。その存在証明は、あくまで、見えるもの(たとえば肉体)を通して、成就されるのであるから、見えるものを軽視して、精神を発揚するという方法は妥当ではない。(あとがきより)

    こういう精神論を鎮火せずに芯のところで持ち続けていたいなと思う。

  • 「自衛隊駐屯地で割腹」というイメージが強い三島由紀夫が、どのような社会背景において、どのような思想を持っていたかが分かる。常に命懸けの態度をとっていることが、確かに危うい感じ。

  • 半世紀近くも前に上梓されたにも関わらず、21世紀の現代社会の歪みを目にしながら筆を執っているかのように新鮮さがある。

    学生運動に関しては、先鋭化され、暴力が蔓延している分だけ見えやすいしわかり易い。ここを斬るのはそう難しくはないと思う。
    だが、特定国からの経済やスパイ行為による這いよる間接侵略に打つ手が無い日本のもどかしい現状を、この時代から正鵠を射て論じていたことにはただただ感服するばかり。

    漸く時代が三島に追いついてきたというべきか。

    とはいえ、過激思想であることは事実。当時、三島の言うとおりに日本の舵取りが進んでいたら、今頃は間違いなくテロとの戦いに巻き込まれていただろう。
    9条バリアなどはまやかしだが、事実としてそれがあるおかげで戦後70年、日本の軍隊は誰も殺めていない。そこはまた尊重するし誇りにも思うべき。

    まあ大事なのは今を生きる我々が責任を持って考えること。作中にもあった、現実肯定主義ならぬ現実理想主義というイデオロギーには全面的に賛成したい。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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