歴史上の男性有名人に対する、現代の偏見や先入観を覆すエッセイ集。
ドラマや伝説の影響か『格好良い』印象の強い人物の、実像や評価を冷静に掘り返すのは楽しい。
徳川吉宗とくれば「暴れん坊将軍」を連想するし、架空の物語とはいえ才も徳もある貴人が庶民の為に尽力するモチーフは痛快だが、政治家としての実績は必ずしも優秀な経営者ではなかったようだとか。
それでも尚、海辺を白馬で駆け抜けテーマソングをバックに悪人を薙ぎ倒し、親しく市井に交じる名君将軍様のイメージが早々拭えない気がするのは、映像作品の影響力か。
日本史上最大のアイドルとも言われる源義経の再検討も然り。
「二人の義経」(「噂の皇子」)にも書かれるように、史実を鑑みればおそらく然程美男ではなかったかもしれない。
その末路への同情が人相まで変えさせたことも、滅びゆくものの哀愁と追悼心も、人気は確かに凄い。
しかし局地戦の戦術家としては優れても、政略を含む戦略家としての認識が欠けていた彼が、未成熟の東国国家を纏めるのに苦心していた頼朝と袂を分かつのはやはり必然的な事態だったのだろう。
伝説の美しさを退けるつもりはないとの言葉に同調しつつも、歴史という舞台に繰り広げられる幻影の一つを見た思いがする。
また、松尾芭蕉に貼り付けられた『ベタ褒めの頭巾』を剥がす試みも興味深かった。
日本文学における伝統的な幻想性の流れに拠り立ち、紀行文でフィクションを創作した内実も面白い。
初めて耳にした時はピンとこなかった著名な句「さまざまの事おもひ出す桜かな」も、青年期に愛した主君を失い、俳人として成功して後にその遺子と会い、庭前の樹を眺めての一句と知れば、著者の言うように色っぽい深読みもしたくなる。
他方、悪人列伝の項目は更に余韻が深い。
悪徳政治家の一人と名高い田沼意次の数々の政策の功罪に対する細かい分析、周囲との確執も交えた状況を眺めた上で、彼の真の敵は『情報』ではなかったかと結論づけたのは新鮮。
情報操作の怖さはどの時代にも通じる。
一部の素行だけが取り沙汰され、歴史に悪名を残す悲劇。
その最も顕著な例が、「赤穂浪士」の悪役・吉良上野介。
歴史物においては、『敵討ち』や『忠義』の要素を前面に掲げた感動を呼ぶ路線は、制作し易くはある。
タイトルからして亡き主への忠誠心を称えるのがメインなのだから、それを美化し強調するために主人は無実の罪を着せられた可哀相な善人である必要があるし、吉良のオジサンにはより憎々しい悪役になってもらわなくてはならない。
かくして、日本史上最大の仇役とも言える人物像が仕立て上げられてしまう。
だが著者の提示するように、賄賂ならぬ慣習としての謝礼の時代的背景、儀礼の接待職務の見解の共有やノウハウの伝授ができていたのかとの指摘を併せれば、決して単純な勧善懲悪では片付けられない。
(明石散人「真説 謎解き日本史」にも同様の指摘あり。)
加えて法解釈や社会通念、世論の流れが絡んでの結末とくれば、違う意味での悲劇の物語。
地元では政策に尽力した名君であったらしい吉良氏が、世論に押されて悪人の烙印を遺される「忠臣蔵・異伝」なる話があっても良いのでは、との文にも頷ける。