「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

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著者 : 山本七平
  • 文藝春秋 (1983年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167306038

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))の感想・レビュー・書評

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  •  実はこの人の本を読むのは初めてだ。
     本書の「空気」とは、あああれか、とすぐ察しがつくほど日本文化に「空気」概念の重要性は行き渡っている。最近でも「空気が読めない」などと、若者たちも相変わらず「日本的」な概念体系の内側にいるなあ、と思わされるものがある。
     しかしこの「空気」という概念は非常に漠然としており、思うに、様々な概念の集合した、輪郭の無い概念であるのかもしれない。
     本書で扱われる「空気」とは、たとえば社内の全体の意向として、上司により明示されたわけもないのに「我が社内での空気としては・・・」という、ある種の規範を示唆した物言いがよく使われている。
     資金も燃料も不足していたのに戦争に突入した日本も「そういう空気に支配されていた」のであり、戦艦大和が無謀にも関わらず「出撃せねばならない空気」に支配されて特攻したのである。本書で繰り返し呈示されるのはこうした「空気」だ。
     この「空気」なるものの出現(発端)を探って著者は、人骨を一日中触り、これを運ぶ労役に従事した日本人は心に変調をきたし、外国人は何でもなかった、という例を指摘する。
     ここはちょっと「空気」論とは微妙に外れているのでは無いかと私は思うのだが、要するにこの人骨の場合は民俗的な「ケガレ」感覚が日本人には強く残っており、人骨なるものへの複合的イメージが、それに四六時中触れるうちに心理の奥底にストレスフルに作用したということになるだろう。
     これは個人レベルに根付いているイメージなのだが、「社内の・・・」とか、若者たちが「今の空気」を云々する10名以下の小集団から40名程度の中学高校の学級集団が想定されている場合、それは人と人とのあいだ(間主観性)、あるいは、人々の集合の全体としてイメージされている集団ゲシュタルトが問題になっている。
     また、本書では「空気」論の根底にあるものを、福澤諭吉のような合理主義改革が取り残してしまったアニミズム的な日本の伝統的心性に求めている。
     そこはなるほどな、と思うフシもあるのだが、「空気」なるものの更に深い追究ができないものかとやきもきしているうちに、本書は終わってしまった。
     したがって、さまざまな文献を引いてきて豊富な具体例を呈示してくれる本書ではあるが、私としては突っ込みがやや足りない・甘いようにも感じた。
     全体的にどちらかというとエッセイふうであり、学術的な書物とは言えない。私はもっと社会学的・哲学的にこの問題を究めてほしかったと思った。

  • (引用)空気とは、非常に強固でほぼ絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、それに抵抗するものを異端として「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力であることは明らかである。我々は常に、論理的判断の基準と空気的判断の基準という、一種のダブルスタンダードのもとに生きているのである。そして、我々が通常口にするのは、論理的判断の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。(引用終)

    お見事。著者の眼力の凄まじさがにじみ出る一文である。空気を読む、水を差すの表現にある通り、「空気(=支配するもの」」に対して、「水(=壊すもの)」との関連付けで議論を深めている。第2次世界大戦を経験した著者のいう「水を差す自由が大切」というのはもっともだと思う。空気による支配に対し、水を差すことが出来るものが英雄、というのも理解できる。
    敗戦等により空気がガラッと変わると、人々の行動様式、価値観はあっという間に変化する。これは日本人が軽薄なのではなく、空気的判断をしているからである。

  • 「空気の研究」の箇所を読了。

    日本人がディベートが苦手な理由にもつながっているように感じるが、空気の醸成の背景には対象の「絶対化」が存在していることにある。
    出来事や物体に対し感情移入を結果として起し、それ以外の相対する考えは排除される。
    そしてアニミズム的な世界として、その絶対化の対象が転々としていくこと。

    一方で一神教としては、神のみが絶対なのですべてのことは相対化して考えられなければいけない。こういったことから、空気への抵抗(=相対する考えの発現)が比較的容易である。

    一団となって攻める際には、非常に有効だが、揚げ足取りに利用されると大変効果的でない。
    ヨブ記と同様で、絶対的な考え在りきで現実を捉えるため、目の前の状況がその考えと一致していなければ、その理由を対象とされている者に求める(正義は報われるがそうなっていないのは、何か隠し事があるから)。

    多様性ということが叫ばれる中、うまく使い分けていくことが重要だと考える。
    基本的にはキリスト教的考えが世界を席巻しているわけで、そこでは相対化というところが取られている。

    一方で一神教も度が過ぎるとISのようになり、絶対化の対象を神のみならず現状の世界にまで拡げて解釈することになり、絶対と状況を統一させようという考えが成り立ってしまう。

  • 興味深い。

    確かに進化論と同時に、天皇が神だと教える/信じるのは変だ。
    (戦前も進化論教えてたんだ、とは思いましたが。)

    二重思考?

  • 「空気」の「研究」というより「哲学」といったほうが正しいであろう。歴史研究において、例えば「なぜ日本は対米戦に踏み込んだのか」に対する答えとして「当時はそういうことを発言できる空気ではなかった」などと言われる。このときの「空気」とは何か。筆者はそれを「臨在感的把握」と定義する。また「ある地点から当時を振り返っても空気は捉えられない」や「水を差す」など鋭い指摘も光る。

    全体的には言い回しが諄く且つ独善的で、内容もやや難解だ。読み手の問題だが、空気とは単に「和を以て貴し」を醸成させるためのムード」でいいのではないかしら、と思ってしまう。

  • お前空気読めよ・・・
    言ったことがある人も言われたことがある人もいるでしょう・・・
    ボクは両方あります・・・
    ええ・・・

    空気読め・・・
    この言葉を言われてしまうと同調しないわけにはいかなくなってしまう・・・
    魔法の言葉・・・
    空気って一体?
    空気とは・・・
    著者によれば・・・
    非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である・・・
    一つの宗教的絶対性をもち、我々がそれに抵抗できない『何か』である・・・
    となっている・・・
    そして、空気の恐ろしい威力を沖縄への戦艦大和の出撃や、公害問題など具体的な例を挙げて教えてくれる・・・
    空気の前には、統計も資料も分析も、科学的手段や論理的論証も、一切無駄になってしまう・・・
    強い・・・
    強すぎるぜ空気・・・

    著者はこの強すぎる怪物、空気が生成されていく過程を分析しておるんだけど・・・
    ここからがややこしい・・・
    まず、臨在感的把握ってのが絡んでいるんだそう・・・
    臨在感的把握?なんぞ?
    例えば、遺跡の発掘調査かなんかで髑髏が出てきたのでドコかへどけなきゃいけない・・・
    それ運んどいて、って言われたら、げー!って思うよね・・・
    事件性を感じられなくても何だか嫌ですよね・・・
    髑髏なんか気味悪い・・・
    なんか呪われそう・・・
    気味悪くなっちゃう、いや、それこそ触ったら実際気分が悪くなっちゃう・・・
    ただの物質なのに・・・
    なんてことない、ただの骨なのに・・・
    お札とかもそう・・・
    粗末にしたら罰が当たるんじゃないか・・・
    ただの紙切れなのに・・・
    例えただのモノでも、モノだけでなく、言葉やスローガンなんかでも・・・
    『何か』あるんじゃないか、そうだきっとある!という把握の仕方を臨在感的把握という(と思う)・・・
    そして、この臨在感的把握がなされる前提は感情移入の絶対化だそう・・・
    ヒヨコが寒そうだから、と親切心からお湯を飲ませたオジイさんがおったそうな・・・
    アホだなぁ、と思うけど、これが感情移入の最たる話・・・
    対象と自分との区別がつかなくなる・・・
    その絶対化とは、そういった感情移入ができない時は、そうさせないようにしている人(など)が悪いんだ!と排除しようとする心理状態のこと・・・
    感情移入しすぎて、臨在感的把握を絶対化しちゃうと、臨在感的把握しているもの(対象)に支配されちゃう・・・
    そう、空気による支配が起こってしまう・・・

    次に空気支配のもう一つの原則がある、という・・・
    それは『対立概念で対象を把握すること』を排除すること・・・
    対立概念で対象を把握すれば、絶対化しえないので、対象に支配されない・・・
    ある1人の人を、あの人、誰でも優しくて良いよね。でも、平気で道端にゴミを捨てるのよね。そこは悪いとこね。というように善悪などの対立概念で把握するのと・・・
    あの人は良い人。この人は悪い人。というように善悪それぞれに分けて把握するのではだいぶ違いますよね・・・
    前者のように相対的に把握することをさせずに・・・
    後者のように善と悪に分けてモノゴトを把握して、それを絶対化しちゃうと、自分自身身動きが取れなくなっちゃう・・・
    その把握に支配されちゃう・・・
    そう、これまた空気による支配が起こってしまう・・・

    臨在感的把握と様々な対象を対立概念で分けて把握して絶対化すること、この2点に気をつけないと空気による支配を受けてしまう・・・
    ここのところを認識しておかないといけませんね・・・

    あとは著者の日本人論に絡めて空気が語られている・・・

    日本人って、『やると言ったら必ずやる、やった以上はどこまでもやる』という感じでマジメ・・・
    しかし『やると言ったら必ずやる、やった以上はどこまでもやる』というマジメさが戦時日本を泥沼に引き摺り込んだわけで・・・
    でも困ったことに、日本人は、対象を臨在感的に把握して、これを絶対化して『やると言ったら必ずやる、やった以上はどこまでもやる』なものを、純粋な立派な人間、対象を相対化するものを不純な人間と見るのである・・・
    そして、純粋と規定された人間をまた臨在感的に把握してこれを絶対化して称揚し、不純と規定された人間をもまた同じように絶対化してこれを排撃するのである・・・
    うむ、恐怖・・・

    ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教世界との比較もある・・・
    彼らは絶対といえる対象は神のみだから、他の全ては徹底的に相対化され、そうしなければ罪なのである。この世界では、相対化されない対象の存在は、原則として許されない、となっている・・・
    一方、日本人は原則的に相対化はない。絶対化の対象が無数にあり、ある対象を臨在感的に把握しても、その対象が次から次へと移り変わり(うるから、絶対的対象が時間的経過によって相対化できる)、しかも、移った一時期はこれに呪縛されたようになり、次の別の対象に移れば前の対象はケロリと忘れるという形になる・・・
    日本人ってつまりは熱しやすく冷めやすい・・・
    この行き方だと、その場その場の行き当たりばったりになって、短期決戦連続型となるから長期持久・長期的維持はできない・・・
    長期的計画は立てられないのである・・・

    日本は絶対的命題をもつ社会である・・・
    昔なら忠君愛国、最近だったら護憲とか脱原発かな?
    この絶対性に誰も疑いもたず、そうならない社会は悪いと、戦前も戦後も信じ続けてきた、と・・・

    先進国模倣の時代は、先進国を臨在感的に把握し、その把握によって先進国に『空気』的に支配され、満場一致でその空気支配に従っていれば、それで大過なかった。いや、その方がむしろ安全であったとさえいえる。
    そのためか、空気の支配は、逆に、最も安全な決定方法であるかのように錯覚されるか、少なくともこの決定方式を大して問題と感じず、そのため平気で責任を空気へ転嫁することができた。
    結局はここが一番大事かな、と個人的には思います・・・
    これ、1983年の本ですが・・・
    日本が行き詰っている要因の一つですかね・・・
    空気による支配もちゃんとメリットもあるけれども・・・
    デメリットをきちんと認識していないと・・・
    この本にあるように、空気による支配というものを把握していないといけませんね・・・

    長くなりましたが、実はまだあって・・・
    この空気による支配に対して、日本人も無策だったわけではなく・・・
    水を差す、という知恵をもっていた・・・
    ある一言が水を差す、と一瞬にしてその場の空気が崩壊する・・・
    ある一言とは、すっげー現実的な目の前に立ちはだかる障害のこと・・・
    例えば・・・
    これスゲー良いアイディアだね!絶対上手く行くよ!良いね!やろうやろう!
    こうした方がもっと良くない?あー、そうだね!良いね良いね!よしやろうぜ!
    ってみんなで盛り上がっているところに・・・
    いや、でもさぁ、お金がねぇ・・・
    先立つものがないよね・・・
    と誰かが放つ一言・・・
    これで一気に空気が萎み、支配から解放され、現実に引き戻される・・・
    これです、これ・・・
    でもこの水を差す、やっぱりそもそも言える時もあれば、周りの圧力で、それこそ空気に支配されて言えない時もある・・・
    言っても、そんなことは分かってるんだよ!と一蹴されてしまうこともある・・・
    水を差すというのは空気の支配を解消する力を秘めてはいるが、万能ではないということに注意しないといけない・・・
    著者によれば、明治の初期までは少なくとも指導者には空気に支配されることを恥とする面もあったそうだけども・・・

    またまた話は変わって・・・
    日本的通常性というものもある・・・
    これまた著者の日本人論であるけれども・・・
    通常性ってまぁ、日本人なら当たり前(無意識)にそうしちゃうクセとか、国民性ってことですかね・・・
    まずは日本的状況倫理・・・
    例えば、当時は終戦直後でお金もモノも何も無い過酷な状況だったんだから、生き抜くためのちょっとの盗みぐらい仕方なかった。許されるべきだ・・・
    と、その時の状況に応じて、倫理の尺度を変えて(合わせて)しまうこと・・・
    これと対を為すのが固定倫理で、どんな状況だろうと盗みは悪い、というもの・・・
    状況倫理に絡むものとして、日本的平等主義がある・・・
    人間がそれぞれ持つ人間性ははみんな同じ、みんな一緒、という考え・・・
    それが別々のように見えるのは、対応する状況が違うからで、それだけだよ、と・・・
    これ、過酷な状況であの人は盗まなかったのに、この人は盗んだ、という人によっての差があることが考慮されなくなってしまうのだけどね・・・
    まぁ、それはいいとして、このみんな同じには含まれない、状況倫理を作り出す『一君』がいることも日本人の通常性である・・・
    まだあって、父ハ子ノ為ニ隠シ、子ハ父ノ為ニ隠スの関係・・・
    身内の罪は、自分の罪ということで、身内を守るためにその事実を隠蔽しちゃうというヤツ・・・
    上も下もお互いがお互いの為にお互いを守り隠し合う、アレ・・・
    もしも隠蔽していたことをバラしちゃったら、その人は村八分にされちゃう・・・
    よくありますよね?これ・・・
    で、こういう状況倫理・集団倫理が蔓延っている社会だと、科学上のデータは最終的には扱えなくなり、最後には科学否定の神がかりが発生するはず、と著者は危惧している・・・
    で、実際、原発への反応を見ていると、そういう人たちいらっしゃいますよね・・・
    震災前までは東電など電力ムラがそうだったし、震災後では、逆に反原発の方々がそうなっている・・・
    ああ、まさにという感じ・・・
    こういったものが日本的通常性である、と・・・

    とりあえずザッと書き出しただけでこれだけの量・・・
    ヤバい・・・
    山本七平さまスゲー・・・
    スゲーけど、やたら文章難しいし・・・
    難解・・・
    果たして書いたこと合っているだろうか?
    間違ってたら指摘してください・・・
    誰か・・・
    またいつか読まないとなぁ・・・
    いや、読みたくなる本です・・・
    未だに日本はこの空気と通常性の呪縛に縛られたまま・・・
    (通常性なんだから仕方ないのだけども・・・)
    この本は未だに有効・・・
    とても有益・・・
    名著です・・・
    日本人とは、を考える時に外せない一冊…
    もっとちゃんと勉強しよう・・・
    自分のまとめ用に、と思ったら長くなり過ぎてしまった…

  • この本は難しい。
    一つには、扱っているテーマの難しさがある。そして、もう一つには、テーマを説明するために用意されている事例が、昭和50年代の事件、社会問題であるため、当時を知らないものには非常にわかりにくくなってしまっているということがある。
    比喩のおかげでより難解なものになってしまっている。

    ただ、ものすごく重要な問題提起であり、現在なお進行している問題である。
    日本人の思考パターンの本質を指摘していることに間違いはない。

  • 日本人について知ろうと、ルース・ベネディクトの「菊と刀」とほぼ同時期に買いました。
    ただ、自分はおつむが少々弱いので、読んで理解するのに難儀。「菊と刀」よりも手こずりました。
    著者は日本を戦争に導いたものは「空気」だったと喝破します。
    たとえば戦艦大和の出撃について、当時の軍令部次長の小沢治三郎中将のこんな発言を引きます。
    「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」
    著者はこう述べます。
    「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である」
    では、戦後、この空気の威力は衰えたのでしょうか。著者は「相変わらず猛威を振っているように思われる」と指摘しています。同感です。
    空気の支配から脱するのに必要なのは、現実に根差して「水を差す」こと。再び同じ過ちを犯さないために。

  • 「その場の“空気”では言い出しにくかった」
    「“水”を差されて場の“空気”が白けた」
    「“空気”の読めねー奴」

    本書が研究の対象とするのは、上のような文脈で用いられる“空気”および“水”である。

    “空気”とは何か?
    それはどのようにして発生するのか?
    過去の過ちを“当時の空気”にして済ませてよいのか?
    戦時中の日本がとんでもない道を突き進んだのも“空気”のせいじゃなかったか?

    著者の分析によると、“空気”は臨在的把握――すなわち、実際にはないものを「ある」ように感じたり、単なる物質や単語を、きわめて特別な存在であるように認識したりする感覚――によって生じるという。
    そして、何でもかんでも絶対化してしまう精神は、多神教的・汎神論的伝統に生きてきた日本人特有のものである、と。

    臨在感的に把握され、絶対化された対象に特別な感情を抱くことによって我々は“空気”を作り出し“空気”に支配される。
    著者は具体例として、戦中の天皇や戦後の憲法、公害の元凶とされた“カドミウム”などを挙げている。

    抗いがたい“空気”は、現代でもいたるところで発生している。
    「言いたいけど言えない……」というのは誰もが経験したことがあると思う。

    そんな“空気”からは常に自由でいたいし、この本を読んだからには、よからぬ“空気”を打破する責務が俺にはある!……と勝手に感じている。

  • 恐らく私が最も知りたかったことに、最も的確に適切に応えてくれた本。
    この本は凄い。

    しかし…難 し い よ ! 
    大学入試の国語より一生懸命読んで、大学のレポートよりもがんばってノート8ページにわたって要約とまとめをしたけど、分かんなかった。
    この後にも数冊戦争関連の本を読みましたが、「あの時代の空気」やら「雰囲気」やらが何度も出てきて、(どこまで厳密に同じ意味で使われてるかは措いておくにしても)本当に重要なファクターなんだなあと。

    そういう意味で言うと、「KY」とか秀逸な言葉だよね。
    女子高生凄い。

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