- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167306038
感想・レビュー・書評
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20200411再読
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みなさんは日常的に「空気」を読んで生活していることと思います。しかし、この「空気」というのはいったい何なのでしょうか? 様々な最終的決定を下しているこの「空気」を知ることは、自分の意思を取り戻すために不可欠である。
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空気の支配と水の効果
これだけだと何を言ってるのかわからないと思いますが、「忖度」に始まるその場の「空気」の支配
また、その支配に一石を投じる「水」を差すという行為。これらは、日本人独特の世界観である。
令和の現代にも流れる日本人的感覚を解説している本。時代を超えて、楽しく読めた! -
2009.11.10開始〜2009.11.16読了断念
内容というより文章表現があまりにも難解すぎて、2度3度読み返してもほとんど意味が理解できなかったため、1章の最後の直前で読了を断念。
ここまで小難しい表現をしなくても、読者にもっと分かりやすい表現をすれば良かったのに、と思ってしまう。
アプローチは良かったのだが、読み返したりする気にすらならなかったので評価は☆2つ。 -
NDC: 304
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日本人論の古典と言われていた本書をいつか読みたいと思っていて、ようやく購読。
いわゆる「山本学」の典型と言われている作品だけに、客観的評価も高い作品である。
本書は「日本的空気」における考察に加えて、客観論や現実論を、空気との対比で「水(=通常性)」として持論を展開し、最後に日本人的根本主義について述べている。
本書に対する書評の中には、冒頭の日本人的空気における論考をさっと読んだだけの「そんなの当たり前すぎて論考するまでもない」というネガティブな意見も多いが、それは浅薄な書評と言わざるを得ない。
著者は日本人的空気の特徴は「臨在感的把握」に依るものであるという。
この言葉が直感的に分かり難く、かつ随所に現れるので読者としては少々混乱するところとなろうが、要は日本人はある事象に対してそこに実際にあること(臨在感的把握)として受け止めてしまう特性があるというのが著者の持論である。
西南戦争、大東亜戦争における戦艦大和の出撃、高度経済成長期の公害問題等における、現代からみれば多少首をかしげたくなるような様々な事象や意思決定の背景には、それらの事象が臨在感的把握に把握された挙げ句に絶対化された故に生じたものとしている。
また、昨今のKYという言葉に象徴されるような空気だけの論考に留まらず、「水を差す」という言葉に代表されるように、水を客観論や現実論として空気と不可分一体のものとして考察している点は深いといえよう。
しかも、この通常性が、実は日本人的空気を生み出す温床であり、それが結果として日本人の「個人の自由を許さない社会」を創りあげていると結論づけている点は特筆に値する。
ただ、他の多くの書評にも述べられているように、文体にクセがあり過ぎて読むのに骨が折れる。
また、“研究”と謳っている割には論理性や客観的データに立脚した論旨展開に欠けている感は否めない。
最終章の日本人的根本主義(ファンダメンタリズム)に関しての論考は、著者の専門である聖書をベースに展開されているものの、聖書の知識がない自分としては正直ほとんど腹に落ちなかった。
また、これからの不確定な時代を日本人はどのように生きていけば良いのかという指南がないことも少々残念であった。 -
山本七平氏が、「空気」=忖度や「水」について書いた本。
「(差別の道徳)人間には知人・非知人の別がある。人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりあいになるな、ということになる」p13
「「戦艦大和」「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」(小沢治三郎)大和の出撃を無謀とする人々にはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確な根拠がある。だが一方、当然とする主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら「空気」なのである。最終的決定を下し「そうせざるを得なくしている」力を持っているのは一に「空気」であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である」p15
「「せざるを得なかった」とは「強制された」であって自らの意思ではない。そして彼を強制したものが真実に「空気」であるなら、空気の責任はだれも追及できないし、空気がどのような論理的過程をへてその結論に達したかは、探求の方法がない。だから「空気」としか言えないわけだが、この「空気」と「論理・データ」の対決として「空気の勝ち」の過程が、非常に興味深く出ている一例に、前述の「戦艦大和」がある」p17
「(戦艦大和)そこに登場するのがみな、海も船も空も知り尽くした専門家だけであって素人の意見は介入していないこと。そして米軍という相手は、昭和16年以来戦い続けており、相手の実力も完全に知っていること。いわばベテランのエリート集団の判断であって、無知・不見識・情報不足による錯誤は考えられないことである
。(沖縄に無傷で到達できるという判断)その判断の基礎となりうる客観情勢の変化、それを裏付けるデータがない限り、大和出撃は論理的にはありえない」p17
「「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。なにしろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない」p19
「ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人々を現実に引き戻すことを意味している」p91
「「いつまでもサラリーマンじゃつまらない」「独立して事業をやるか」ぐんぐんエスカレートし具体化していく。すべてがバラ色に見えてくる。そしてついに「やろう」となったときにだれかが「先立つものがネエなあ」一瞬でその場の空気が崩壊する」p92
「(渡部昇一)自由主義とは資本主義のことだが、社会主義も国家社会主義も資本主義の矛盾が生み出したものである。資本主義も初期の資本主義とは違って、かなり自由ではなくなって社会主義化しているし、この趨勢は避けられない」p166
「ストーブが5分後の未来において、人の体に触れたときどういう状態になるかをいくら説明しても、日本人はそれを信じないということである。臨在感的把握は、それが臨在しない限り把握できないから、これは当然のことと言わなければならない」p217
「「ジュッと熱く感じない限り理解しない人たちだから、そんなことをすればどうなるかいかに論証したって耳は傾けない。だから一度やけどをすればよい」といった一種の諦めの発言であり、これは戦争中にもある。そしてそれが終わって空気が消失すれば、結局また同じことを言うわけである。「日米の生産力・軍事力の違い、石油・食料の予測、小学生でもわかる計算がなぜできなかったのか」人々は臨在感的把握に基づく直接的行動が自分に思わぬ結果を招来することを何となく知ったわけである」p218 -
「理に働けば角が立つ。情に差を指せば流される。とかくこの世は生きにくい」漱石(草枕) 理に働く、つまり「水を差す」蟷螂之斧、一寸の虫にも五分の魂 と、流れに抗することを尊ぶ文化があった。しかし、「情に流される」体制に従う。まさしく「空気を読む」長いものには巻かれろ 無「理」するな 結局は「忖度」意を体して、上意下達 の 現代文化。異を唱え、水を差すものは KY と足を引っ張る。
原子力発電の安全性。しかし、東北原発の事故で、突風が吹き、反原発の「空気」が吹き荒れた。官民挙げての「TPP反対の空気」 それらが鎮まると、いつの間にか、旧来の原発安全、再稼働、原発技術の輸出、TPPに反対した議員たちは、今は何食わぬ顔で変身、説明責任もない。いつの間にかTPPはできている。
「空気」にも2種類あるようだ。マスコミの時事ネタの流行を追う「空気製造機」が噴き出すブーム的な空気。そして滞留し、上っ面の「空気」が去った後、変わらず残っている「空気」 建前と本音 といっていいのだろうか。反原発の時は、じっと台風一過を待つように耐え、去ったあと再び原発を推進する。事故前と何も変わらない無責任体質。19.2.8