一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫 306-5)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167306052

作品紹介・あらすじ

「帝国陸軍」とは一体何だったのか。この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として酷烈な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す本である。

感想・レビュー・書評

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  • 著書が見た、フィリピンの戦場で、待っていたのは、孫子の兵法ではく、非条理であった。
    そして、日本は、ソ連や中国が仮想敵国であったが、米国は仮想敵国でもなく、戦うつもりは全くなかった。そして、フィリピンに対する深い知識をだれも持ち合わせていなかった。

    気になったのは、以下です。

    ・人は確かに、ある時代のある場所に、まず、生まれ出た、ということを、ある時代のある場所で、最後には死ぬことと同じように、選択の余地なき前提すなわち一種の、宿命、として受け取らざるを得ない
    ・宿命的にものごとを受け取ると、人は、死に対すると同様、それを見まい考えまいとする

    ・あわてる、は、本当の、急ぐ、にはならず、過去の方式をただ時間をちぢめただけ。
    ・すべてが急げや急げの詰め込み主義、しかも今までの方式のまま、あれもこれも、つめこもうというわけで、急ぐ、にふさわしい新しい方法を採用したわけではない
    ・そのくせ、みな急いでいた、あわてていた、だがリアリティが欠けていた。
    ・そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探究も模索もない。

    ・いきあたりばったり、とか、どろなわ、とかいった言葉がある
    ・考えてみれば、この予備士官学校の教育の基本そのものが、奇妙なものだった。
    ・というのは、学生をあれほど信用しなかった軍が、実は学歴偏重主義で、幹部候補生の選抜基準は1に学歴なのである。

    ・帝大出の若僧課長の隣に、定年まじかの課長代理や係長がおり、課長はどんどん昇進していくが、彼らは動かない。
    ・そこで本当に組織を握っているのは結局彼らである
    ・だめですな。結局、壊滅するまで同じ行き方を繰り返しながら、それ以外に方法がないという状態になっちまうんです。

    ・人間は、置かれた実情が余り苦しいと、未来への恐怖を感じなくなる。
    ・というのは、いまの状態に耐えているのが精一杯、どうでもいい、という形で、それ以外の思考が停止するからである

    ・比島の基本的な経済力とその特殊性さえつかんでいなかった。これは全く、正気の沙汰とは思えない
    ・比島派遣第14方面軍のほとんどすべては、餓死である
    ・日本軍のやり方は、結局、ひと言でいえば、どっちつかずの中途半端、であった。
    ・知らないなら、無能、なのがあたりまえであろう

    ・またか、私は内心で叫んだ。そして、イライラしてきた。
    ・何度も、何度も、私自身がこの種の煮え湯を飲まされてきた。
    ・比島が、まるで、兵器・弾薬・食糧・機材の膨大な集積地であるかのような顔をして、現地で支給する、現地で調達せよ、の空手形を乱発しておきながら、現地ではそのほとんど全部が不渡り、従って私はもう、何も信用していない

    ・われわれは、全員が、文字通り夜も寝ないで働いてきた。末端の一兵士に至るまで、重労働につぐ重労働、その過重な負担は今の人には空想もできまい。
    ・だが、その労働の成果は、決心変更、のたびに、次から次へと廃棄されていった。
    ・私は、最初、補給と住民折衝に専念せよと言われたので、はじめのころの状態はくわしく知らないのだが、四水後退は、指揮班長たちにとっては、実に四度目の変更だったのである

    ・人間は習慣の動物である。はじめ異常と感じたことも、やがて、それが普通になる

    ・友達だから、その個人には最後まで信義を守る。対日協力とはまた別の基準であった。

    ・自分が命を縮めるだけ家族の命がのびる、という発想、この考え方で自己を支えていく生き方は、いかなる、布告、にもその契機があったとは思えない
    ・しかし、当時の彼を、彼だけでなく多くの人を、最後の土壇場でなお支えていたものは、表現は違っても、実は、犠牲になって生きる、というこの考え方であった。
    ・国家・民族・天皇・軍、そういった虚構は、もう消え、残るのはそれだけであった。
    ・私は長い間、この考え方を、家族主義的伝統に基づく日本的な自然発生的な考え方とみていた。
    ・したがって、フランクルの、愛の死、を読んだとき、これとよく似た一面をもつ考え方が、同じような考え方が、アウシュヴィッツの彼を支えていたことを知り、非常に驚いた。

    ・帝国陸軍では、本当の意思決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
    ・というのは、その決定が、命令、という形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の、代読者、にすぎないのかは、わからないからである。

    目次
    “大に事える主義”
    すべて欠、欠、欠…。
    だれも知らぬ対米戦闘法
    地獄の輸送船生活
    石の雨と花の雨と
    現地を知らぬ帝国陸軍
    死の行進について
    みずからを片づけた日本軍
    一、軍人は員数を尊ぶべし
    私物命令・気魄という名の演技
    「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」
    参謀のシナリオと演技の跡
    最後の戦闘に残る悔い
    死のリフレイン
    組織と自殺
    still live,スティルリブ、スティルリブ…
    敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち
    言葉と秩序と暴力
    統帥権・戦費・実力者
    組織の名誉と信義
    あとがき

    ISBN:9784167306052
    。出版社:文藝春秋
    。判型:文庫
    。ページ数:352ページ
    。定価:660円(本体)
    。発行年月日:1987年08月

  • 一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫) 文庫 – 1987/8/8

    「帝国陸軍」とは一体何だったのか。
    この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として苛酷な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す一冊。
    目次より 〝大に事(つか)える主義〟/すべて欠、欠、欠……。/だれも知らぬ対米戦闘法/地獄の輸送船生活/石の雨と鼻の雨と/現地を知らぬ帝国陸軍/私物命令・気魄という名の演技/参謀のシナリオと演技の跡/組織と自殺/敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち/言葉と秩序と暴力/統帥権・戦費・実力者/組織の名誉と信義/あとがき


    以前読み、レビューも書いたのだが、失われた為、再度記入することにする。
    吉越浩一郎の著作の中で本書を紹介する部分があり、それで本書題名を知った。読んでみて感じたのは当時の理不尽さ、補給のなさ、旧日本軍の悲惨さだ。
    特に武器や弾薬の在庫数を帳簿上と合わせる為だけに奔走する無意味さ、横との連携が取れていないことなど多くの課題を感じる。
    フィリピンは常夏で食料は手に入るはずと十分な調査もないまま出撃させていた大本営。
    (実際、畑ではなくプランテーションが続き、食料が手に入らず餓死に追い込まれていく)
    アメリカ軍の充実さ、荒れ地を重機を使いならして、テニスコートにしたり、アイスクリームを食べることができたり、交代制勤務。一方の日本軍は24時間、米軍監視業務。
    他の方の戦争体験談でもそうだけれども、悲惨であるとしか言いようがない。
    もちろん独ソ戦の悲惨さに比べるとマシに見えるかもしれないが・・・。

    2022/10/08(土)記述

  • 1987年の日付アリ、34年前に読んだ本を、改めて読み返しつつ、帝国陸軍の混乱(欠、欠、欠)と、コロナ感染症の時代における組織(政府、医療体制の構築等)の混乱に同じような物語を感じます。昭和18年8月(1943年8月)、学徒動員された山本七平は、豊橋第一陸軍予備士官学校士官学校で対ロシア戦での砲兵の在り方を学びつつ、今、そこにある戦い(南太平洋での米軍との戦い)についての講義が無いことに驚く。(今、教えられていることがまったく役に立たない、という事実に)そして、陸軍は、対米戦争の準備は、殆ど行っていないというリアルに思いが至る。ではどうするか、と考えつつ原隊に戻ると、そこにあるのは、普通の忙しい軍隊の日常。そんな流れのままに、南方方面への地獄の船旅に送り出され、更にフィリッピン戦線での惨憺たる負け戦、生きながらえての俘虜としての日々。わずか30数年前の出来事を振り返る、山本七平の筆致には、臨場感があります。一下級将校が見た、帝国陸軍の敗北のリアルであります。それにしても、帝国陸軍とは酷い組織だったな、と思いつつ、今でも似た組織が身近にあること等に想いが至ります。いやはやどうしたものか、と溜息ですが、★五つであります。

  •  非常にショッキングな本だと思います。

     戦争のおそろしさ・生々しさは言うに及ばす、硬直的・融通無碍で変われない帝国陸軍の構造的な欠陥にショックをうけました。

     自分の祖父達が、こんなに下らない組織のためにシベリアや中国に連れていかれたのかと思うと、悲しくやるせない気持ちになります。

    ・・・

     改めて全体を概観しますと、本作は、筆者山本氏が青学卒業と共に徴兵され、訓練を受け、その後フィリピンへ送られ、死の淵を彷徨いながらもかろうじて生還した、という話です。回想の中で語られるのは、帝国陸軍の愚かさ・駄目さ加減です。

     まず、筆者は砲兵として訓練を受けます。のっけの訓練からずっこける。先ずその訓練は対ロシアを念頭に置いており、武器も旧式、そして戦術も1944年当時で既に20年前の技術だったという。しかも訓練指導者は大いに自信過剰。

    『そのくせみな急いでいた、あわてていた。だがリアリティが欠けていた。そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探求も模索もない。全員が静かなる方向へ、やみくもに速度を増して駆け出しているような感じだった(P.37)』

     その後、ロシアではなく対米国向け訓練を受けることになるも、教官が南方での対米戦の要諦を知らない。よって、今までの訓練を踏襲するという。つまり訓練そのものが無意味であり、それを誰もが分かっているものの変えられない固定的な低レベルの組織が浮かびあがります。
     本部からの命令には歯向かうことができず、若手の幹部候補はアイディアのかけらもない。他方下級古参兵は訓練内容などには無関心(自分では決められないし)であり、ただただ、二回り以上年下の幹部に歯向かわないように組織を維持する(筆者はこれを『自転する』と表現しています)。
     このような経験もあってか、筆者は、固定的な身分制度から能力本意への昇進を提案しています。このような話は官僚のキャリア制度や企業の学歴偏重にもつながる話でもあります。

     戦地での話もひどい。例えば砲台を運搬する話。当初は現地では馬でも牛でもあるといって、日本からフィリピンへ送られてきた砲兵と砲台。到着すると、馬も牛もいない。山道を伝い目的地まで運べ、とその命令だけが絶対。100キロを超える砲台をどうやって運ぶというのか。一切何の考慮もない命令に、砲兵部隊の上官は「思考停止」、ましては末端の兵士も「思考停止」。兎に角やるしかない、とあきらめた先には、機械のように只々現実を耐えるしかなくなってしまう。

     私は証券会社時代の営業を思い出しました。「おい、お願いだからよぉ、やってくれって言ってんだよ!困った顔してないでさっさと売って来いよぉ!」
     ノルマ商品が残っている夜8時。考える時間も与えられず、とにかく動くことを強要され、結局断られた顧客にまた電話して、あんまり電話するものだから嫌がられる。自分も自分で、もう売れるわけないと思いつつ、只々今その時間が過ぎて一日終わることだけを願いつつ電話を握る日々。どうすれば断られた顧客に売れるのかなんて上司が答えを持っていない。
     私のへぼい営業体験を比べるのも失礼だが、上が聞く耳を持たないと、組織の中下流にしわ寄せがきます。中間管理職もへぼい場合、あるいは問題が余りにも大きい場合、組織は「思考停止」してしまうのでしょう。

     もうひとつだけ。有名なバターン死の行進についても語られています。
     筆者はやや戸惑いながらも蛮行について概ね反論しています。曰く、日本兵自身はより過酷な状況におり、米軍捕虜に対しては温情をもって接していたと。ただ、米軍からすればそれは過酷過ぎたということでしょうか。豊かさの差が引き起こした悲劇かもしれません。

    『あれが、”死の行進”ならオレたちの行軍は何だったのだ』『きっと”地獄の行進”だろ』『あれが”米兵への罪”で死刑になるんなら、日本軍の司令官は”日本兵への罪”で全部死刑だな』

     被害関係者には申し訳ない気持ちも湧きますが、もし加害者が故意でないとすれば、その子孫である我々もまだ多少は救われるかもしれません。

    ・・・

     これ以外にも、軍部で見られた奇々怪々なる現象が多く語られます。ドラマティック大声野郎が何故かいつの間にか舞台を動かす。なぜか上官は戦後も責任を取らず、悠々と捕虜生活を送る。兵士はおろか国民すら守る気もなかった軍幹部。
     歴史を勉強していると、第二次世界大戦は欧米にハメられた、という論調も時に見られますが、日本軍部の精神構造も十分腐っていたのではと思わずにはいられない作品でした。そしてその精神構造の一部は、幾分かは未だに我々が引き継いで保持しているメンタリティである気がします(プライド・意地・組織を守る等々)。

     悲惨な戦争への教訓としてのみならず、腐った組織の完成形として反面教師としてパンチ力十分な教材です。学生、ビジネスマン、主婦・主夫、引退した方、組織と人を考える全ての方々に読んでいただきたい作品です。

  • 1987年(底本1974年)刊行。

     青山学院大学繰上げ卒業、直後入営後4か月で予備士官学校入校、2か月繰上げ卒業で見習士官のまま原隊復帰せずフィリピン戦地へ。かように士官候補生の速成が進みつつあった時期に遭った著者。
     彼の、戦中〜戦後収容所期までの、陸軍内での見聞事項を乾いた筆致で描写する。

     テーマは軍人教育・教練の無意味さ、私物命令を平気に出す、真の命令者たる現地参謀の頽廃、現地を知らなすぎる本土・大本営、員数主義(詳細は本書にて確認を。友軍からの窃盗が日常茶飯事という他書指摘の理由を見た思い)に彩られる軍人ら。

     これらのテーマにつき、確かに乾いた筆致で描写するが、所々挿入される怒りとも祈りとも見える文章の数々。
    ① 「比島が…兵器・弾薬・食糧…の集積所…のような顔をして『現地で支給』『現地で調達』の空手形を(本土での命令で)乱発しておきながら…現地では殆ど全部不渡り…。従って私は何も信用していない」。
    ② 武器に関する一点豪華主義。ミンクのコートに草鞋を履く如し。時間当たり砲弾発射回数は世界最多級だが、砲弾を手と足で倉庫から運ばなければならない。
    ③ 我々の中には「歴戦の臆病者はいるが、歴戦の勇士はいない…。
     だが『歴戦の臆病者』の世代は、いずれはこの世を去ってしまう。…この問題はその後の「戦争を”劇画的にしか知らない勇者”の暴走」にあり、その予兆は、平和の…背後に、すでに現れているよう」。
    等々がそれだ。
     著者を食わず嫌いすべきではなかった、といたく反省させられた一書である。

  • 衝撃的な本。ここ最近読んだ本の中では最高傑作であり、是非とも多くの方に読んでもらいたい。この本は帝国陸軍という異常組織が、実は日本人という国民性が生んだ日本人としの標準的な組織だったということを、戦後から現代(とは言っても昭和40年ごろと思うが)の日本人の思考・行動と照らし合わせて著者の洞察を展開している。これ(日本人の国民性)は昭和40年どころか、戦後70年を過ぎた現在でも全く変わっていないということに驚かされる。名著「失敗の本質」での問題提起が結局は日本人には避け得ないものだということが切実に分かる。自らの思考法、会社の論理、全てが戦前から変わっていない。これを読むと、また日本人は戦争をやるのではないかと心配になってしまう。「事大主義」「員数合わせ」「仲間ぼめ」「私的命令」「気魄」「気魄演技」「組織の名誉」「不可能命令」。少なくとも自分はそこから抜け出したい。

  • 陸軍の少尉としてフィリピンで終戦を迎えた筆者の見た陸軍と日本人の特性。意識しておくべきことがたくさんあると思った。
    事大主義、大につかえる主義が日本にはあり、だから立場で人が変わる。
    余裕なく人材研修が行われるが、幹部育成用のプログラムなので合わない。幹部になれない状況では意味がない。
    ずっとソ連を仮想敵国としており、それをアメリカに変えたが、それ用の対策の方法を陸軍は誰も知らなかった。
    本当の危機になると危機慣れが起き、大丈夫の声が強くなる。
    フィリピンは農業国という言葉から食料は豊富だと思いこむが、実際はプランテーションで多くの餓死者を出す。
    天その人を滅ぼさんとすればまずその人を狂わしむ。
    統帥権を独立させたのは明治政府が藩閥政府で政府の軍事力を封じ込める必要があったから。
    議会が予算を通さなければ戦争は止められた。
    参謀が実験を握っていた。

  • ・バターンの時米軍には花の雨が降った。サイゴンで日本軍には石の雨が降った。護送の米兵の威嚇射撃のおかげでリンチを免れた。日本では内地で重傷を負ったB29搭乗員を軍が住民のリンチに委ねた例がある。

    ・員数主義と私物命令、なかなか敗戦を信じずジャングルを出てこなかった例は「命令」への不信が大きかったのではないか。

    ・米の砲弾は一つずつコールタールで防湿したクラフト紙の円筒に入っているが、日本製は一つずつ薄い四角の罐に入ったものが四発ずつ分厚い木箱に釘付けで荒縄がかかっている。陸軍は世界最高の発射速度の砲(九六式十五榴)を造ったが、実戦ではやっかいものだった。集積所から砲側まで砲弾を運ぶのが間に合わない。

    ・過去の日本は自らの描いたシナリオによって自ら破滅した。興味深い事にこれと同じ表現が赤軍派の永田洋子への表現に使われていた。自己の持つ未知の未来への不安を社会に拡散して解消しようと言う一つの逃避は、確かに何かを演じつつ破滅する道であろう。人はいかにしてこの道を逃れてリアルでありうるか。

  • 衝撃を受けました。

    目前の仲間うちの摩擦を避けること
    奇妙な「気魄」でものごとを解決できると思うこと
    「言いまくり型私物命令」を出す人間が組織を牛耳ること

    これの克服ができなければ、
    「日本全体が第二の帝国陸軍となる」とされています。
    50年前に書かれた本ですが、現代日本の病巣を正確に表しています。
    第二次世界大戦での敗戦から何も学ばず、同じことを繰り返して衰退の一途を辿る日本。そろそろ考え直したほうが良いと思いますが、考え直すことが大の苦手な国民性からしてもう救いようは無く、ひたすら衰退をし続けることでしょう。

  • 当事者だからかける事を淡々と、だけど臨場感を持って、かつ納得感が感じられる内容で書かれている。今の日本の社会にも旧陸軍の悪弊がどこか残ってないか?

  • "大に事える主義"◆すべて欠、欠、欠……。◆だれも知らぬ対米戦闘法◆地獄の輸送船生活◆石の雨と花の雨と◆現地を知らぬ帝国陸軍◆死の行進について◆みずからを片づけた日本軍◆一、軍人は員数を尊ぶべし◆私物命令・気魄という名の演技◆「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」◆参謀のシナリオと演技の跡◆最後の戦闘に残る悔い◆死のリフレイン◆組織と自殺◆still live, スティルリブ、スティルリブ……◆敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち◆言葉と秩序と暴力◆統帥権・戦費・実力者◆組織の名誉と信義

    著者:山本七平(1921-1991、東京)[青山学院卒]作家

  • 員数主義、気魄といった文化は、今の日本にも持ちこされている気がする。だいぶ薄まってきた気はするけど…。フィリピンでの軍の生活は本当に悲惨。やっぱり戦争はいかん。

  • 「空気の研究」よりもこちら

  • <目次>
    “大に事える主義”
    すべて欠、欠、欠・・・・。
    だれも知らぬ対米戦闘法
    地獄の輸送船生活
    石の雨と花の雨と
    現地を知らぬ帝国陸軍
    死の行進について
    みずからを片づけた日本軍
    一、軍人は員数を尊ぶべし
    私物命令・気魄という名の演技
    「オンリ・ペッペル・ナット・マネー」
    参謀のシナリオと演技の跡
    最後の戦闘に残る悔い
    死のリフレイン
    組織と自殺
    still live, スティルリブ、スティルリブ・・・
    敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち
    言葉と秩序と暴力
    統帥権・戦費・実力者
    組織の名誉と信義
    あとがき

    2013.12.29 池田信夫blogで見つける。
    2014.02.12 借りる
    2014.03.03 読了
    2014.03.13 ブログ
    https://naokis.doorblog.jp/archives/imperial_army.html
    2022.12.21 品川読書会で話題にする。

  • 運命を達観した大学生が学徒出陣し、死線を乗り越え、捕虜生活までの「体験談」と「現代での分析や振り返り」を随所に織り込んだエッセイ以上で論文未満の名作。

    読み終えた2017年夏現在、
    著者が実経験から、後輩たる我々日本人や(企業)組織に対し、警鐘した「戦略欠陥の克服」や「問題提起する義務」に対して真摯に向き合っているか?と思うと、悩んでしまう作品。

  • 戦地を生きた山本七平の姿を思い浮かべる。

  • 終わりらへんの「旧占領軍の天皇の軍隊が去って、新占領軍のマッカーサーの軍隊が来たが、この方が天皇の軍隊より話がわかる」という言葉に衝撃を受けた。確かに軍事国家というのは自国の軍に占領されている状態とも言えるのかも知れない。それから最後あたりは人間像というか、人間とは?と考えさせられる。それに、この本には派生的に読みたくなる本の題名がよく出てくる。
     あと個人的なことを言えば、ここ数年のあいだ戦争に関連する本をよく読むようになった。それが好奇心からくるのか恐怖心からくるのか知らないが、すべてはアナログ的であってその極致が戦争なのかも知れないと思う。僕は日常の生活の中で、非戦闘的で戦争的な何かに嫌悪感を抱きつつ、こういう世界には必ずまた戦争が起きると恐怖を感じているのかも知れない。

  • 4-16-730605-0 345p 1987・8・10 1刷

  • 皆におすすめの本。問題は責任をとる人がいない日本のシステムが悪い事。会社でも下の行動した人が罪に問われて上の人は逃れる。軍隊がひどかった。

  • 一神教的バックボーンがないことの欠点がこれでもかっ、と出たのが大戦末期なのかも。

    一番現実主義じゃなければいけない軍隊が因数主義だった、というのがもう、笑うしかない状況。

    読んでいくと、その組織のダメさ加減の残滓が現代日本のシキタリや社会、会社、風俗、価値観、「空気」のあちこちに残っているのに気づかされる。

    自虐史観や隣国の都合に付き合う気は毛頭ないが、自分たちの振る舞いの中に、ナチスドイツは一般大衆が生んだという戒めを対岸の火事と思ってられない、という1種の自戒というか後ろめたさ的なブレーキは持っているべきなのかなー、と戦前の日本人と比べて進歩はしていないとしか思えない我が身を振り返ってみたり。

  • 2014年7月10日読了。

  • 著者が、自身の戦争体験を詳細に振り返りながら、現実に目を閉ざしつづけた帝国陸軍という組織の病弊を論じた本。

    物品の数を意味する「員数」について、著者はおもしろいエピソードを紹介しています。帳簿上の数と現物の数がつねに合わないにも関わらず、「員数を合わせる」形式主義が蔓延し、そのための不正が日常化されていったと著者は言います。陸軍ではすべてがこの調子であり、そのため、全帝国陸軍は上から下まで、虚構の中に存在し、虚構の中で動く組織になってしまったのです。

    また、著者自身を含めてアジアへ派遣された軍人たちの誰もが、はっきりとしたアジアについての認識を欠いており、アジアに解放をもたらすはずの皇軍が、じっさいには現地調達をくり返して現地の人びとの恨みを買っていたにもかかわらず、そのことさえ気づかれていなかったと著者は主張しています。

    現在の日本はこうした課題をいったいどれほど克服できているのかという問いかけが、本書の議論の背景にあるように思います。

  • (「BOOK」データベースより)amazon
    「帝国陸軍」とは一体何だったのか。この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として酷烈な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す本である。

  • 太平洋戦争で著者が経験した生々しい体験からいかに日本が愚かな過ちを犯したかが、改めて知らされます。アジア解放といいながらフィリピン人を馬鹿にし続け、タガログ語の存在さえ知らなかった!比島を占領しても統治という観念は全くなかった、無敵の皇軍といいながら蝗軍と揶揄されたように戦死者より餓死者が多かった比島の闘い。日本は戦闘の勝利は経験してきたが、戦争の勝利は知らなかった、また天皇の軍は存在したが、日本国政府軍は存在しなかった故の、軍が敵としてしまった相手は日本そのものという主張は説得力があります。

  • ◾事大主義
    ◾員数主義
    ◾誰も知らない対米戦闘法
    ◾学歴偏重主義
    ◾危機感を抱きながら、その日暮らし!

  • 太平洋戦争中、砲兵少尉としてフィリピン侵攻戦に従軍した著者が、「あの戦争は何だったのか」と問い直している本。初版の出版は昭和50年。当時の帝国陸軍の組織病が赤裸々に描写されている。著者みずからの従軍記であり、捕虜収容所時代の獄中記でもあるため、描写はとても詳細で迫力がある。帝国陸軍は、「事大主義」と「員数主義」で構成された虚構を演じ切ろうとして見事に崩壊したわけだけど、現代の巨大組織も、多かれ少なかれ、このような集団心理に陥っているように感じる。日本みたいな排他的なムラ社会では、「事大主義」と「員数主義」による集団暴走に対して、ブレーキが効きにくいのかもしれない。

  • 一(ひとつ)、軍人は員数を尊ぶべし。軍人勅諭には、礼儀・武勇・信義・質素を説いた「五条の教え」があったが、書かれざる第六条があり、これは、軍隊に対するもっとも痛烈な皮肉の一つであったろう。(p135)
    旧日本軍の実態を赤裸々に分析した内容で、日本人の本質を語った内容だが、戦後もなんら日本の体質が、旧帝国陸軍の有り様と変わっていないことがよくわかる。今の東電の有様をみると、帝国陸軍がやっていたのとまったく一緒。民主党政治もこの延長。結局日本は変れないのだろう。

  • 前回読んだ「空気の研究」よりも読みやすかった。

    もっとも現実的でなくてはならないはずの軍隊が、実は虚構にまみれていた。
    事大主義、”自転”する組織、員数主義、気魄演技、仲間ボメ……。
    現在、もっとも現実的でなくてはならないはずの組織であるところの”企業”にも、同様の虚構がはびこっている。やりきれない。

  • 歪んだ構造が行き着く極端や、死にそうな人間の精神の極限は体験できないからこそ本で読む価値のあるものだと思ってます。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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