ある異常体験者の偏見 (文春文庫 306-7)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167306076

感想・レビュー・書評

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  • 1973年から文藝春秋に掲載されたものを文庫化。掲載当時はホットだつたのであろう長沼訴訟やPCB論文が比喩として取り上げられたり、戦中の百人斬り競争など事前の知識がないと雰囲気だけを感じとる消化不良な読後感。

  • 大東亜戦争の体験者である筆者が語る日本軍組織の真相、武器の現実、敗戦後の現地の空気感…リアルで衝撃的な生々しい述懐の数々が読んでいるこちらをフラフラにさせる。
    戦争の恐ろしさ、愚かしさ、悲惨さなど色んな負の側面をこうもリアルに語られると二度と戦争なんてやっちゃいけないって強く思わされました。
    偶然情報を仕入れて、強く関心が湧いた筆者の作品はこれが初めてですが、すでにもう二冊入手済みです。もっともっと作家 山本七平 を掘ってみたいと思います。

  • 戦争体験者が語る戦争に対する考察と提言。
    言葉は難しい。戦争がどうして起こったか、起こった戦争をどう捉えれば良いのか、また戦争は起こるのか、どうすれば戦争は起きないのか。それは言葉で済む話なのか。

  • 毎日新聞編集委員であり、『お隣り中国』(仙石出版社)の著者である新井宝雄と、彼の著書を批判した森康生との間で交わされた論争に、著者が横から割って入る形で、新井を批判した論考がもとになっています。巻末には、著者の批判に対する新井の反論も収録されています。

    著者の批判は、新井に代表されるマスコミと、マスコミが信奉する戦後民主主義が見ようとしなかったものを明らかにするという手法を取っています。そして、そうした戦後民主主義の体質は、「皇軍の栄光」というタテマエを絶対化し、そのために虚構の中の存在と化してしまった戦前の軍国主義者たちの姿勢と、方向こそ反対であるとは言え、変わるところはないのではないかと論じています。

    著者は、あらゆる言説を「事実論」と「議論」に分けた上で、「議論」のイデオロギー性が「事実論」を捻じ曲げてしまうことを批判します。ただこうした議論の仕方に疑問も感じます。著者の議論は、戦後民主主義のイデオロギー性を暴露するという手法をとっていますが、いっさいのイデオロギーを剥ぎ取って裸の事実に立脚するという立場は、いったい一つの立場たりうるのでしょうか。私たちは、何らかの価値へのコミットがなければ、「事実論」であれ「議論」であれ、そもそも議論をおこなう動機づけを持たないはずではないかという気がします。

    相手のイデオロギー性を暴露するのではなく、お互いにどのような価値にコミットしているのかを明確にし、事実を通してその有効性を論証することこそが必要なのではないかと考えます。

  • 戦争という異常体験を陸軍で経験した著者が、いかに日本が愚かな戦争に突入・敗北し、国民・軍人が苦しめられたか、独特の調子で語っています。それは戦前だけでなく、戦後のマッカーサー、左翼文化人、マスコミなどがヒステリックに日本人を煽動しているという主張に繋がっていきます。日本人論を戦争から論じたとも言えます。アントニー詐術(ブルータス糾弾演説)などにも話が及び如何に情報操作また不正確情報が怖いかを教えられる山本節です。後書きにあったように、日本が他国を苦しめたということへの反省がなく、では勝てる戦争であれば、やってよかったのか?という疑問を感じる本ではありました。

  • (2012.08.31読了)(2005.06.18購入)
    【8月のテーマ・[太平洋戦争を読む]その④】
    山本七平さんの戦争体験と捕虜体験が語られていますが、この本は論争の本です。
    新井宝雄(毎日新聞編集委員)という方が『文芸春秋』に掲載した「森氏の批判に答える」という文章に山本七平さんが批判を加え、その批判に対して、再度新井さんが反論し、その反論に山本さんが……。
    両氏の文章がこの本に収められているので、両者の言い分が読めるようになっています。文章を書く人たちというのは、なかなかすごいもんだと感心しました。
    それぞれの文章を読むと、なるほどと思うのですが、反論を読むと、またなるほどと思ってしまって、どちらかの言い分だけが優位というふうには、とても判定できません。
    山本さんなどは、題名に「偏見」という事を堂々とつけていて、公平平等を標榜するマスコミの胡散臭さをからかっている感があるので、多少、痛快な面もあります。
    山本さんが、捕虜体験の中で、日本の敗因は、飢餓にあるのではないか、と述べているあたりは、先日読んだ、『敗北を抱きしめて』の中で述べられていた、戦争末期に食料確保のために仕事を休む人が40%もいたという事と思い合わせて、納得するところがありました。

    【目次】
    ある異常体験者の偏見
    軍隊語で語る平和論
    中国兵は強かった
    アントニーの詐術
    悪魔の論理
    聖トマスの不信
    アパリの地獄船
    鉄梯子と自動小銃
    マッカーサーの戦争観
    洗脳された日本原住民
    横井さんと戦後神話
    一億人の偏見
    付・一 森氏の批判に答える  新井宝雄
    付・二 決定的な要素は人間である  新井宝雄
    付・三 私の反論のあとさき  新井宝雄
    あとがき ―『私の反論のあとさき』を読んで  山本七平

    ●自分が受けた苦しみ(34頁)
    人は、自分が受けた本当の苦しみを、そのまま口にすることはできない。笑い話にするか、似た運命に陥った他の人に託して話す以外に方法はない。
    ●道具に人間を合わせる(52頁)
    兵器=神聖=完璧という前提に立つと、今度は、兵士が欠陥人間という事になってしまう。そこでその欠陥を叩き直し、人間を兵器に合わせるため血の出るような猛訓練をやることになるが、これは間違いだ。叩き直すのは砲の方であって、人間の方ではない。
    修正するのは「作戦」の方であって人間の方ではない。訂正するのは「計画」の方であって、人間の方ではない。
    ●欠陥兵器(57頁)
    兵器の欠陥については、材料技術者として本当の事を知っておりますだけに、全く同感です。材料が悪く、加工が悪く、こうしたものを頼りとして命をかけている兵隊さんに申し訳なく、それだけに、一生懸命努力したことを覚えております。
    ●尺度が違う(117頁)
    人間は全員が別の人間であり、各々は独立した人格であり、各人はそれぞれ自分の尺度を持ち、その尺度は、各人の顔が違う如く違っている。
    ●百人斬り競争(128頁)
    創作記事「殺人ゲーム=百人斬り競争」が、物理的にはじめから不可能なことではないかというベンダサン氏の問いに対して、本多勝一氏が生体実験という発想で次のように応酬している「当人たち(向井・野田両少尉)が死刑になったあとでは、何とでも憶測や詭弁を弄することもできますよ、いくら名刀でも、いくら剣道の大達人でも、百人もの人間が切れるかどうか。実験してみますか、ナチスや日本軍のような人間を使って?」
    ●思想・信条(133頁)
    『百人斬り競争』を「事実」とする人間は平和的・進歩的・友好的人種で、「虚報」だとする人間は、保守反動の軍国主義者だ、などということはもちろんありえない。要は事実か虚報かという問題だけである。
    ●飢えが原因(162頁)
    大日本帝国の崩壊の最大の要因は、新井宝雄氏のいわゆる毛沢東の「持久戦論」でも中国の「民衆のエネルギー」でもアメリカの物量でもなく、「飢えの力」ではなかったのか。と同時に、太平洋戦争という無謀な戦争の一因が、じりじりと一日一日と深刻になっていく「飢え」―日華事変の翌年、昭和13年の「白米禁止令」から、配給、外米混入、と時々刻々と逼迫していった食糧事情と、何とかそれから脱却してビルマ米・サイゴン米を確保することではなかったのか。
    ●飢餓(168頁)
    人間、極端に衰弱すると、排便をする力さえ失われる。ひとたびそうなると、石のようなカチカチなものが出口に栓のようにつかえてしまうので、もう、自力ではどうにもならない。
    ●陸海軍は役立たず(220頁)
    その時代における総力をあげ、そのため長い間最低生活に甘んじ、それを当然と考える状態にあって作り上げた陸海軍は、実に無用の長物で、何の役にも立たず、ただ一方的に叩き潰されたにすぎなかったという事実は、あまりに歴然としていた。
    ●フィリピン占領(223頁)
    私が比島に行ったときは、いわゆる「緒戦の大勝利」の後で、いわば「進駐軍」の一員として現地に行った。当時フィリピンは東亜解放の一環として解放軍=日本軍に解放され、ホセ・P・ラウレルを大統領とする「独立国」であり、われわれはそれを守るためにいるというのが「タテマエ」であった。私はそこで、「占領軍」と「原住民」との関係を、占領軍の側から見た。
    ●偏り見るもの(269頁)
    聖書には「ヤハウェは、偏り見ないもの」という面白い言葉がある。これを逆に読めば「人は、偏り見るもの」なのである。よく「一面的な見方」とか「一方的な言い方」とか言われるが、元来、人は「一面的に」しかものを見え得ないし、「一方的に」しか語ることができない。

    ☆関連図書(既読)
    「「南京大虐殺」のまぼろし」鈴木明著、ワック、2006.06.20
    「敗北を抱きしめて(上)」ジョン・ダワー著・三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店、2001.03.21
    「敗北を抱きしめて(下)」ジョン・ダワー著・三浦陽一・高杉忠明・田代泰子訳、岩波書店、2001.05.30
    「夕凪の街 桜の国」こうの史代著、双葉文庫、2008.04.20

    ☆山本七平さんの本(既読)
    「日本人とユダヤ人」イザヤ・ベンダサン著、角川文庫、1971.09.30
    「比較文化論の試み」山本七平著、講談社学術文庫、1976.06.30
    「勤勉の哲学」山本七平著、PHP研究所、1979.10.31
    「日本資本主義の精神」山本七平著、光文社、1979.11.05
    「聖書の常識」山本七平著、講談社、1980.10.01
    「一九九〇年の日本」山本七平著、福武書店、1983.06.30
    「人望の研究」山本七平著、祥伝社、1983.09.25
    「帝王学」山本七平著、日本経済新聞社、1983.11.25
    「「色即是空」の研究」山本七平・増原良彦著、日本経済新聞社、1984.10.25
    「派閥」山本七平著、南想社、1985.05.15
    「指導力」山本七平著、日本経済新聞社、1986.01.24
    「小林秀雄の流儀」山本七平著、新潮社、1986.05.20
    「参謀学」山本七平著、日本経済新聞社、1986.11.20
    「経営人間学」山本七平著、日本経済新聞社、1988.01.22
    (2012年9月12日・記)

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    「おかしい、おかしい、これはどう考えてもおかしい」「何か基本的な発想、または思考の図式に根本的な誤りがあるのではないか」「このまま行ったら墜落しないはずはないが……」8
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    私は、あなた方が、それを本気で信じていたことを知っているのだ。だから私自身は、「軍部が国民をだました」などという言葉にはだまされない。あなた方は、自らが信じていたが故に、そのバランスシートに基づいて戦争をはじめたはずだ。17
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    「兵器に人間を合わせろ」は結局「状況に人間を合わせろ」であり、それが最後に行きつくところは、人海戦術であって(…)「作戦目標の達成と人間乃至は人間の能力」は相対関係だと考えることも許さないのと同じ発想だからである。47

    「作戦目標達成に人間を合わせろ」になるから、そのためには「わが方の損害」を一切無視してもよいことになってしまう。47

    叩き直すのは砲の方であって、人間の方ではない。問題はいつもここに来る。修正するのは「作戦」の方であって人間の方ではない。訂正するのは「計画」の方であって、人間の方ではない。そういうものを絶対視して、その方に人間を合わせるということは、世界いずれの国家がそれを行っても誤りであると私は考えている。52
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    「命令」は日本軍にはなかったのではないかとさえ私は考えている。79

    形式的な命令や星の数だけでは、ましては単なる組織論では、日本軍という組織は絶対に動かなかった。80
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    その人たちは、他を律するのと全く同じ基準で自己をも律し、そのためには処刑されることも辞さなかった。これはなかなかできない。80

    戦争が終って、わが身が安全になれば、また、あたかも自分がそういう型であったかのように気取る人は、これまた実に多いけれども――。81
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    いれば良い。たとえ一人でもいればそれでいい。一人いたということと一人もいなかったということは、実は、数の差でなく絶対的な差だからである。93
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    南京戦の前に、多田参謀次長が、「いま『トラウトマン斡旋案』を受託して戦争をやめねば、日本は破滅する」といって、これを受託さすべくあらゆる方法で、極力各方面に働きかけたそうである。71

    なぜこれらの最も重要なことを知らせずに、「戦意高揚記事」を書きつづけて来たのか。71

    判断をまず規制するということから生ずるのだろうと思う。負けるという判断自体がよくない、そういう考え方は敗戦主義者の非国民のすることだ、という考え方だろうと思う。71

    「商業軍国主義者」もまた軍事の責任者の言葉を平然と無視するのである。116

    ここで指摘したいことは、日本を破滅させた最大の原因の一つは、この「商業軍国主義者」ではなかったかということである。123
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    確かに太平洋戦争は苦難の道だが、その道を選ぶにあたっては、常に、最も苦しい自己との戦いを回避して、その時その時の最も安易な方向へと進んだことは否定できない。205
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    補給が途絶せず、飢えさえなければ、いかなる大量砲爆撃にも平然と耐えられることは、金門島がよく物語っている。この小島に撃ち込まれた砲弾の総数は驚くなかれ約百万発に近い。

    しかし彼らは飢えないがゆえに平然としている。一方、シンガポールでは、一門約四百発でイギリス軍は降伏した。

    軍備とは何か、それは食糧だという事実を。218
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    そのすべては近代戦を行いえない体質にあり、そのことは太平洋戦争という高価な犠牲が百パーセント証明した――これが、当時のわれわれの実感だったはずである。221
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    それは常に、虚構の座標に意識的に線を交会させ、それによって自らを欺きかつ他を欺く「創作」をしているにすぎないのである。たとえ「一億一心」で一億本の線が交会しても――。

    複雑きわまる他国のことを標定して、「現実」が一点の座標で表せるはずはない。279
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    日本の新聞はすでに長い間実質的には「大日本帝国陸海軍・内地宣撫班」(と兵士たちは呼んだ)として(…)これさえマック宣撫班に改編しておけば、占領軍に対する抵抗運動など起こるはずはない、と彼は信じていた。

    「史上最も成功した占領政策」という言葉は、非常な皮肉であり、同時にそれは、その体制がマックが来る以前から日本にあり、彼はそれにうまくのっかったことを示している。228
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    過去において日本を誤らした最も大きな問題点は、ある事実を認めるか認めないかということを、その人の思想・信条の表白とみた点であろう。260
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    教授はさびしそうに「何をいっても『アイツ、カブレて来やがった』でおしまいになるなら語っても無意味だ」と。そしてそのことは、今では、横暴な軍部の言論統制のゆえだとされている。262
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    一個師団一万五千人の人海輸送力がトラック(二トンづみ)二十台の能力に及ばないのである。265
    ――――――――――――――――――――――――――――――

  •  一ページたりとも気の抜けない本である。
     しかし、だからこそ「精読」しがいがあった本であった。

  • 本書は、文藝春秋1973年3月号~1974年2月号まで12回にわたって連載されたものを纏めたものである。約20-25ページで纏められた独立した 12のコラムから構成されてはいるが、すべて1本の線で繋がっている。端的にいうと、虚実、真偽の分析・探求・考察である。著者の従軍体験、戦前・戦後の言論空間等を引き合いに出して、特に「情報」・「事実」という観点から鋭く分析されている。

    本書を読んでいて気づいたことだが、30年以上前の文章であるにもかかわらず、現代に通じる指摘が多々あることである。特にマスコミの欺瞞や、左翼リベラル的平和主義と軍国主義的右翼がコインの裏表みたいなもので、本質的には同じ(戦前と戦後は方向か反転しただけで、何も進歩していない!と即断できてしまう可能性すらある)であることを様々な事例や洞察から暗喩している。

    ちなみに、著者は「人間とは偏見をもつ存在であり、偏見を持たないことができるのは神のみである。偏見を持たない人間など存在しないのである」という立場を取っている為、「ある異常体験者の偏見」という名称で自己相対化している。

    コラムの中から、本質をついたものと思われる2点を簡単に紹介する。

    一つに「聖トマスの不信」というものがあるが、これは「事実」に関するコラムである。論旨の概略を述べると、一つの「事実」があったかなかったかという問題は、「証明」の問題であって、もし論争が起こるとすれば「証明方法」に於いてである。従って、論者の思想・イデオロギーは一切無関係である。となる。コラムの名称はイエスキリスト復活伝説の逸話を引き合いに出していることから付けられている。

    また、「アントニーの詐術」というコラムもある。これは「情報」に関するものである。アントニーの詐術とは①編集の詐術、②問いかけの詐術、③一体感の詐術の3本柱から成る。
    編集の詐術を特に説明すると、「事実」「事実」・・・と情報を並べて聴衆に事実のみを伝えてはいるが、そこに伝達者が恣意的に一部の事実のみを流すことによって意図した理解を聴衆がするように強制する詐術である。②や③に関しては、興味のある方は、独自に調べてもらいたい。著者はこのアントニーの詐術に対する処方箋として「アンチアントニー」で対抗することを述べている。アンチアントニーを簡単に説明すると、対立する言説を併記することである。

    この本は特に思想的、イデオロギー的に視野狭窄型になっている方に読んでもらいたい内容であるが、もし身近にそのような知人がおられれば、是非紹介してみてはいかがだろうか。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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