ドキュメント東京電力 福島原発誕生の内幕 (文春文庫) (文春文庫 た 6-15)
- 文藝春秋 (2011年7月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167356156
作品紹介・あらすじ
GHQに解体された電力事業は、官僚組織との激しい主導権争いの末、再国有化を免れ、巨大企業・東京電力が生まれる。その暗闘の駆け引き材料とされたのが、原子力発電。福島原発も議論、検討もなおざりのまま建設が進められた。誕生からの東電の姿を、当事者への取材を交えて丹念に追った名作ノンフィクション。待望の復刊。
感想・レビュー・書評
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なんのことはない。
日本の原子力は、電力会社と通産省の主導権争いから、
スピード重視でアメリカから買ってきただけ。
そこには技術的な思想など何もない。
愚かすぎると笑うが、笑えないのがこの国だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
9電力会社以外になんで「電源開発」なんて中途半端な会社があるんだろう?と前から思ってた疑問が解けました。
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電力業界というのが巨大な産業であり、十電力体制で、規制が厳しいことは認識していたけど、この本を読むまではその歴史はあまり知らなかった。
電力業界と経産省は昔から熾烈な縄張りを繰り返しきて、電源開発は経産省が電力業界に切込むために設けられたなんて全く知らなかった。
少々古い本なので最近の状況はカバーできていないけど、田原総一郎すげーな、と思わせてくれる内容。 -
かなり読むのに時間がかかってしまったが… 電力・エネルギーが利権や闘争が 絡んで こんなに複雑で嫌らしいとは…
何とも言えない… -
1980年に出版されたのが、時流にのって改題して復刊した本。もともとは「ドキュメント 東京電力企画室」というタイトルだった。復刊タイトルだけ見ると、誤解を受けそうだが、電力会社と通産省(現経産省)がエネルギーの主導権争いをする様が書かれており、原発のリスクなどが置き去りにされている様子がよくわかる。政治とは何か、官僚とは何か。今の原発に関連する動きの見方が変わる。
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電力会社と国家の闘争の歴史。
常に電力会社優位だったものの、今まさにその転換期にある。
電源の分散化、発送電分離ってようは電力会社の弱体化が目的の一つなんだな。
どっちが主導権を、とかじゃなくて、何が国のために最適なのかを純粋に考えて一手一手選択していける時代にしていかなければ。綺麗事なんだろうけど。
ただ賠償金の支払い窓口を電力会社にした以上、逆にいえばそれは責任最終地点を決めてるのといっしょで、電力会社の独立性を認めないと道理に合わない気も。
資本注入の仕組みによりけりなのかなそれも。 -
原発導入時の日本国内のアクターの対立が鮮明に描き出されている。当時の通産相と電力会社間のかなり熾烈な綱引きが導入の背景にあったことがわかる。ただ、あまりにも主導権争いに没頭しすぎて肝心な原発導入についての是非が無視されたのは、残念である。
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3.11以後でも、古さを感じさせないというのは、流石に言いすぎか。でも、面白かった。
電力会社と「ノートリアス・MITI(悪名高き通産省)」とも揶揄された通産官僚との主導権争いを軸に原発計画の誕生からNEDOができるまであたりの話。
原子炉に限らず、それ以前から東電はGE社の技術には信仰に近い信頼を寄せていた。というか寄せざるを得なかった? 西ドイツは米国ウェスティングハウス社の軽水炉を基に国産原子炉を完成させたが、日本にそのような動きは起きは起きず、「三越からラジオでも買ってくるみたいに、アメリカから輸入して、ただ、言われたまま動かして」いた。この背景には通産官僚と東電の電力事業主導権争いがあったという。電力事業の国有化を恐れる電力会社は、国家につけ込まれないために、無理にでも軽水炉を完成品と言い張り、国家資本の導入をあきらめざるを得なかったとか。なんとも不毛な。いやぁ、ことの大小は違えど同じ話は今でもあると思うけど。
あと、最近のスマートグリッドで話題に上る分散型電源や地産地消みたいな考えは、1970年代後半からソフトエネルギーパス、ローカルエネルギーシステムとして存在するものなのね。 -
九電力体制は自由主義の産物で、官対民、という対決構図の歴史であった、という物語はかなり意外でした。原子力発電の導入を期に、電力事業を政府管理下に置こうとする官僚と、それを逃れる為、“完成品”の原子炉をアメリカから買って設置する電力。現在の東電をめぐる一連の報道が、ちがった角度で理解できる一冊です。
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原子力発電を巡る電力会社VS官僚の闘いが描かれていて、これを読んだら、日本のエネルギー政策が確立していないのも、原発問題の対応の杜撰さもなんだか納得してしまう一冊。原発ができるまでの歴史について知るためには非常に良い本。