人口減少社会の成長戦略 二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか? (文春文庫 い 17-14)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167431143

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  • 江戸時代は人口停滞の時期があり、その時の改革に取り組んだ二宮金次郎の話の紹介。
    人口白書1974年には人口抑制が言われている。
    1991年に輸送人口は減少をはじめていた。
    二宮金次郎の書いている本は孔子の大学。
    移民は土地に執着がないので夜逃げする。
    一地域の改革に成功したが、藩の改革までいくには環境の違いがあって厳しかった。官僚の抵抗に合う理由を知ることが必要。

  • 二宮金次郎は、仕事の合間も、寸暇を惜しんで勉強しました。で、偉い人になりました。以上。

    …というのが、(オレも含めて)多くの人の二宮金次郎に関する知識のすべてではないだろうか?

    ところが、この本を読むと次々に目からウロコが落ちる。

    金次郎は、身の丈6尺(約180cm)を超える大男だった。
    薪は、苦労してかき集めてホソボソと売り歩く、という商品ではなかった。(燃料として高利益商品であり、金次郎自身、「山を自ら所有して」調達した)
    人口の流出で荒廃した地方の領地に赴き、その財政を独自に(実践から)培った金融理論をもって建て直した。

    さらに、物語は時代を超えて現代へと飛ぶ。

    金次郎の時代…江戸時代後期は、幕府・藩の財政は逼迫、経済が停滞し、とくに地方で人口も減少傾向にあった。つまり、現代の社会情勢に重なる。

    金次郎が行った(行おうとした)財務政策の基本的考えは、実は今こそ使えるのではないか。

    土木土建に偏重しているカネや人を農業に配置し直し、江戸時代にそうであったように「総合産業」として発展振興してはどうか。と、課題と解決を現代に引き写していく。

    好著。

  • 国家破産を避けるために、我々日本国民はいまこそ二宮金次郎に学ぶべきではないだろうか?

    東京都知事・猪瀬直樹氏の著書。氏の著書を読むのは2冊目となるが、この人なら東京都知事を任せてよいと説得力のある著書である。目から鱗の良書である。

    素朴に二宮金次郎に興味があったので読んでみたのだが、人口減少社会・成熟社会に対する政治への提言となっており、まさに現在の政治家に読んで欲しい本である。

    二宮金次郎。ほとんどの人は薪を背負って学問に励む少年として知っているのだが、その後の彼の功績はほとんど知られていないのではないだろうか?彼の功績は、人口が減り、年貢が1/3以下に減り、赤字に喘いでいた旗本宇津家下野国桜町領(現栃木県二宮町)の財政再建を果たしたことにある。天保の大飢饉をも凌ぎ、一躍名声を獲得し、時の人となった。

    彼の取った施策は、現状の把握(台帳ナシの状態から台帳を義務付け)、財政シーリングによるプライマリーバランスの確保(分度)、各種インセンティブ、商業知識(金利計算等)の教え、他国からの移民奨励などであった。彼の為政の約15年の間に、人口はわずか20%弱伸びたのに対し、年貢は約2倍になった。

    名声を勝ち得たことで、多くの者が尊徳に教えを乞いにきた。しかし、本家筋にあたる小田原藩では、守旧派の家老らが、尊徳に財政権を握られるのを嫌がったため、財政再建を果たせなかった。

    これを現在の政治に照し合せると、まずはプライマリーバランスの確保であろう。国債利払い・償還を除く正味財政支出を国債発行を除く正味財政収入を上限とすることである。小泉・安倍・福田政権下であと一歩のところまでプライマリーバランスにたどり着こうとしていた矢先に、リーマンショックが発生し、一気に遠のいてしまった。

    2009年からの民主党政権は財政の無駄を削減するといいながら果たせなかった。そして2012年12月、安倍政権は、財政出動を公約としている。

    安倍よ、二宮尊徳に学べ!と言いたい。

    <目次>
    序章 皇室は鏡のように
    第一章 人口減少社会に挑戦した男
    第二章 積小為大
    第三章 複利の魔力
    第四章 偉大なる発明「分度」
    第五章 見捨てられた領地の再生
    第六章 希望の未来を指し示す
    第七章 カギは農業にあり
    終章 二宮金次郎は現代に蘇る

    <メモ>
    下野(野州)桜町領
     元禄期(1688〜1704年)433軒、1915人
     文政4年(1821年)156軒、732人

    備前・備中・備後・安芸・周防・長門
     享保6年:180万人→弘化3年(1846年):230万人
    下野・上野・常陸:
     享保6年:180万人→弘化3年(1846年):130万人
     北関東は江戸へ人口が流出した。
    貧農史観の嘘
     ロシア革命に影響されたマルクス主義の影響
     薩長の藩閥政府による徳川幕府の否定・皇国史観

    宇津家桜町領
     表高:4000石、田2500石、畑1500石
     生地:田750石、畑900石
     年貢:田750x0.44=330石(約900俵)、畑3割金納

     元禄12年〜享保元年(1699〜1716年)の平均
      年貢:3116俵、金納202両
     文化9年〜文政4年(1812〜1821年)の平均
      年貢:962俵、金納130両

     米1005俵、金納127両を「分度」とした。

     1821年 1005俵 分度設定(財政シーリング) 156戸、732人
     1822年 1326俵
     1823年 1437俵
     1824年 1467俵
     1825年 1006俵 冷夏・凶作
     1826年 1732俵
     1827年 1825俵
     1828年  981俵 台風・洪水
     1829年 1856俵
     1830年 1874俵
     1831年 1894俵
     1832年 1894俵
     1833年 1326俵 天保の大飢饉
     1834年 1987俵
     1835年 1987俵
     1836年  803俵 天保の大飢饉ピーク
     1837年 1995俵 173戸、852人

     人口

    2005年1月13日、首相官邸での昼食会
     4名の農業者、金亀建設西山社長、ワタミファーム竹内社長、パソナ南部代表
     建設業、飲食業、人材派遣業の農業参入を睨む。

    金次郎は記録を重視していた。台帳、日記、書簡の写し。

    豊田佐吉の父伊吉は金次郎の教えを生活の信条としており、佐吉もまたそれに帰依した。トヨタの思想に受け継がれている。

    二宮尊徳の真骨頂は、薪を背負った勤勉な「少年」と、後半生の神道、儒教、仏教をこき混ぜた理論家とのあいだの、営々とした努力によって実利を生み出した実践家としての姿にある。(203)

    私たちに「分度」による国家経営を始める勇気と、それに耐えるだけの根気があるかどうか、に集約される、ということがはっきりする。

    2012.12.09 猪瀬氏の著書を調べていて見つける。氏の著書でいちばんおもしろそうだ。
    2013.01.10 読了

  • 序章 皇室は鏡のように
    第1章 人口減少社会に挑戦した男
    第2章 積小為大
    第3章 福利の魔力
    第4章 偉大なる発明「分度」
    第5章 見捨てられた領地の再生
    第6章 希望の未来を指し示す
    第7章 カギは農業にあり
    終章 二宮金次郎は現代に蘇る

  • 薪を背負って勉強する姿は努力の象徴ではなく効率の象徴だった…。二宮金次郎がどのような人物だったのか興味を持たずにこれまで来たことに反省。

  • ・金次郎の本質は、コスト削減によって生じた余剰をどう活用するかにある。

    ・分度という概念を、もう一度現代によみがえらせてみたい。
     支出を明確にするからこそ、余剰資金は投資と運用に充てられるのだ。

    ・大きな政府の時代は終わったのである。

    ・金次郎の改革では、士農工商の垣根を自在に乗り越えている。

    ・建設業の農業進出。 
     不況の建設業者に、遊休地と化した農地はフロンティア。

    ・「~予が日記を見よ。戦々兢々深淵に臨むが如く、薄氷をふむが如し」

  • 二宮金次郎ってなんか勉強熱心なお子様というイメージしかなかったのだが、なかなかにやり手だったんだねえ。地方創生に携わる人は読むべし、と思わされるほど内容が詰まっていると思う。

    ちなみになぜ薪を背負っているかというと、それを売って、売った金を誰かに貸すため。ま、そうやってどんどん金を増やしていったわけですな。

  • 2015年4月14日読了。

  • 適材適所と金融政策の重要性を二宮尊徳さんは現代を遡ること170年前に気が付き、数多くの地域で実行しています。
    それは農民であり、賃金労働者であり、田舎民であり、都会民であり、施政者であり、支配されるものであるキャリアを積み重ねてきたからでした。
    人と社会の機微が分かっていたからこそ、100年単位で改革プランを数字に落とし込むことが出来たのでした。
    彼が活躍したのは、人口が増えること、経済規模が拡大することを望めなくなっていた社会でした。
    しかし、そこで二宮尊徳は諦めず、自主独立した農民を育てることで、自らの家計を豊かにすることを通して、国が豊かになる仕組み作りに取り組みました。
    我々2010年代を生きる日本人がヒントにすべきことは沢山ありそうです。

  • 薪を背負った少年の像が小学校の校庭にありました。この人は何をした人なのでしょう。
    (提供者:マッっちゃんさん)

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著者プロフィール

猪瀬直樹
一九四六年長野県生まれ。作家。八七年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。九六年『日本国の研究』で文藝春秋読者賞受賞。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授を歴任。二〇〇二年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。〇七年、東京都副知事に任命される。一二年、東京都知事に就任。一三年、辞任。一五年、大阪府・市特別顧問就任。主な著書に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『黒船の世紀』『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』のほか、『日本の近代 猪瀬直樹著作集』(全一二巻、電子版全一六巻)がある。近著に『日本国・不安の研究』『昭和23年冬の暗号』など。二〇二二年から参議院議員。

「2023年 『太陽の男 石原慎太郎伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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