ただの人の人生 (文春文庫 せ 3-4)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167519049

感想・レビュー・書評

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  • 関川夏央は好きな作家の一人である。1949年11月生まれというから、現在72歳になる。私が関川夏央を読み始めたのは「海峡を越えたホームラン」くらいからなので、相当に前の話である。以来、かなりの数の著作を読んできた。発表する作品の数は減ってきた気がするが、人間晩年図巻の最新作は2021年12月の発行なので、まだまだ現役の作家だ。
    この"「ただの人」の人生”は、「文學界」という雑誌の1991年2月号から1992年12月号まで連載されていたものに加筆をし、再構成したものである。かなり以前の文学者、例えば、夏目漱石や石川啄木のことを書いてあるものがあったり、自分の家族や知人のことが題材となっていたりするエッセイが20編ほど集められている。
    それらも面白いのであるが、これらのエッセイが書かれた、おおよそ30年前と現在の違いが分かるエッセイも面白く読んだ。「中国の練り歯磨きで歯を磨く」と題されたエッセイは、それにあたる。中国の青島近辺に、中国資本の会社と、歯磨きの合弁会社をつくった日本人経営者、そこで働く日本人、あるいは、そもそもの中国で会社をつくったり、働いたり、暮らしたりすることについてを題材にしたエッセイである。上海や深圳ではなく青島の、それもその郊外での出来事であるということを考慮にいれても、その当時の中国の(少なくともエッセイの舞台になっているあたりの)産業の後進性が、そのエッセイには描かれている。30年間で国全体の経済規模は逆転した。ばかりではなく、例えば国全体のIT化の状態、大学教育のレベル、学術論文の質と数、等、国の競争力を左右する多くの分野で既に日本は中国の後塵を拝しており、実態としては、現在ではこのようなエッセイが成立する余地はなくなってしまっている。
    関川夏央の書く文章は独特の味わいがある。それは、やや自虐的な内容を含むときに、更に味わい深いものになるように、私には思える。一度、「30年後の青島」という題名でエッセイを書いてもらえないか、等と思ったりしながら読んだ。

  • 関川夏央『「ただの人」の人生』文春文庫。

    書物や現実の世界で出会った人びとの人生を描いたエッセイ集。明治時代に生きた文士、石川啄木や夏目漱石を描いたエッセイは、もう一つの『「坊っちゃん」の時代』と言っても良いだろう。

    関川夏央の斬新な視点で切り取られる人びとの人生の面白さ。深く、含蓄のある描写と有無を言わせず納得させられる斬れ味の良い筆致に驚かされる。

  • とても面白い本だった。でも、何が良かったのか、うまく書けない… クールな筆致だがエキサイティング。知的に同様。良い本なのだが、、うまく言えん。ま、いっか。

  • 小川徹の事が知りたくて。

  •  古書店のワゴンセールで購入。百円だった。

     「ただの・・・」っていうタイトルに惹かれたのですが、非凡な著者によるただものじゃない本でした。

     漱石とか啄木という文学史上の巨人、つまり「ただの人」じゃありえない人たちがまず出てくる。でもこの著者、明治村までいって今でも残ってる旧漱石邸で、猫のために漱石が空けさせた「穴」をまじまじ見入る。「吾輩」が通り抜けた穴なんだから凄いわけなんだけど、ただの猫好きとして描いちゃうとこが凄い。
     石川家の家計簿の中に、偏執的なまでに丹念に入り込んで書いてるのも凄い。

     著者の父親という、文字どおりのただの人も、文豪と同じに丹念に描かれているのがしみじみ嬉しい。

     州之内徹が出てきたのも嬉しかった。この人、私個人的には白洲正子に匹敵する審美眼を持つ天才的「目利き」だと思う。だが世に知られて居ない。作家にもなりきれず、画家でもなく、自身が創作者ではなかった「ただの人」に相違ない。その人の凄絶なまでに破天荒な生き様をこの本で初めて知った。著者の人を見抜く目利き振りがわかる。

     一番好きだったのは、「橋からの眺め」と題された章。
     この本は書き方の手本だ。と、コメントされた人がいたけれど、この章ってフィクションなのかそうでないのか、どちらであっても構わないようなこの文体。正直突き抜けてると感じる。
     四谷の大学だから多分上智なのだろうが、そこのただの学生であった著者とクラスメートの何十年か前の話だ。ただ、四谷と一駅違いの市ヶ谷で起きた、三島由紀夫の自決という、思想的にも政治的にも画期的(歴史をその前と後で分かつという意味で)事件に直面する。読むものは皆、70年代のただの学生になりきるが、読みすすめばたちまち、歴史の渦に巻き込まれ、ただの学生としての意識に留まっていては、居ても立ってもいられない時代の空気を体感する。
     関川という人の筆力はただものではない。

     ただものでない人の「ただの人」としての顔を見、「ただの人」たちのただならぬ人生の側面を見せてもらった。

     それを見た自分自身は、「ただの人」なのだとつくづく思う。

  • 『本の雑誌』年間ベストから。これは合わなかった。『ド嬢』とか『よちよち文芸部』とか、漫画だと、文芸の素養が無くてもそれなりに楽しめてしまうんだけど、活字となると、苦痛の方が大きくなってしまう。学問としての”文学史”というジャンルは比較的好きなんだけど、じゃあ各個の文学作品はというと、あまり面白いと思えない。翻って、それぞれの作者に興味はあるんだけど、その背景を掘り返すまでではない。そんな自分なので、本作も受け付けなかったんでしょう。

  • 「坊ちゃんの時代」と同じく、関川によって教科書的な薄幸の夭折詩人啄木の姿はかき消され、身近で愛おしいダメ男啄木が現れる。<br>
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    一番印象に残ったのは「高い竿」。これもまた「ただの人」の人生か。

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著者プロフィール

1949年、新潟県生まれ。上智大学外国語学部中退。
1985年『海峡を越えたホームラン』で講談社ノンフィクション賞、1998年『「坊ちゃん」の時代』(共著)で手塚治虫文化賞、2001年『二葉亭四迷の明治四十一年』など明治以来の日本人の思想と行動原理を掘り下げた業績により司馬遼太郎賞、2003年『昭和が明るかった頃』で講談社エッセイ賞受賞。『ソウルの練習問題』『「ただの人」の人生』『中年シングル生活』『白樺たちの大正』『おじさんはなぜ時代小説が好きか』『汽車旅放浪記』『家族の昭和』『「解説」する文学』など著書多数。

「2015年 『子規、最後の八年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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