性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫)

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著者 : 岸田秀
  • 文藝春秋 (2008年9月3日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167540111

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性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 「人間は本能が壊れた動物である」という出発点から、人間の性と愛にまつわる奇妙な事情を解き明かしている本です。

    人間は本能が壊れているので、倒錯的リビドーを組織して正常な性交を中心とする性的幻想を作り出さなければならなかったというのが、著者の議論の出発点です。そこから、そうした性的幻想を維持するため、処女崇拝や近代のロマンティック・ラヴ・イデオロギーが生まれたという議論が展開されます。そして、性革命以降、近代的な性的幻想が崩れ、ふたたび多形倒錯的な現象が見られるようになったことや、若い男性のいわゆる「草食男子」化などといった現象が論じられています。

    著者の思想は、第一作の『ものぐさ精神分析』(現在は中公文庫から刊行)でほとんど完成されていて、それ以降は同じことのくり返しか、新しい事象への応用にすぎないのではないかと思っているのですが、本書も『ものぐさ精神分析』以来の「性的唯幻論」の祖述で、とくに目新しい展開は見られないように思います。とはいえ、新書版から大幅に増訂がなされている本書では、より多くの具体的な事例が一貫した観点から解き明かされており、著者の立場の広範な応用の可能性を持っていることが分かるという意味では、興味深く感じました。

  •  ブクログ利用してから8年ほどになるが、世の中には物凄い本がまだまだあるんだと感心させられた。YouTubeで武田先生の動画を偶然みていて「人類の雄は不能である」と宣っていたのを思い出した。彼の意見は本書の著者、岸田秀という心理学者の発言を引用されたものだったのかもしれないと知る。

     秀逸だったのは資本主義が成せる買売春成立の意味について、興味がある方はぜひお読みください。この内容と表紙の軽めのイラストにギャップあり、騙されてはいけない。

  • こんなに面白くて
    知的好奇心をくすぐられて
    スリリングなセックスの本は
    なかった

    まったく飽きないし
    目からウロコの
    斬新な発想に驚嘆する

    P410
    人間が性交するのは
    本能的行為ではなく
    能力の発揮でもなく
    愛の表現でもなく
    趣味である

    と言い切る

    性交を他のいかなる目的の
    ためにもしないで
    性交を性交として
    行うことである
    そういう性交を
    言い表すには趣味という
    言葉がいちばん
    適切である

    趣味であるからこそ
    性交は何らかの根拠を持ちだして
    正当化する必要はないし
    いかなる根拠によっても
    正当化することはできない

    そして

    性交は愛の表現であるというのは
    愛と性を切り離し
    いやらしい性を清らかな愛によって
    正当化するという
    ごまかしである

    「愛」という概念に
    すべて包み込めるほど
    性交は狭いものではない

    幻想から目が覚める
    思いがした

    特に印象にのこったのは
    セックスレスのくだり

    セックスレスは男の性欲が減退したのではなく
    元々無かった性欲の化けの皮が剥がれただけ

    という指摘
    新鮮だった!

  • 人間の「本能」は壊れていて、人間のセックスは「観念」に基づいてなされるという基本的な考えを用いて、現代のセックスの在り方、資本主義社会の台頭と性文化の変遷、などなどについて論じられていました。

    一番面白かったのは、資本主義社会を維持していくために「性行為」をいわば商品とすることが必要であり、一般の女とするにせよ売春婦とするにせよお金がかかる仕組みが意図的かそうでないかは分からないができた、という部分でした。
    あと、「性行為は趣味であって、誰から強制されるものでもないし、趣味が合わない人間がいて当然」という考え方は大変しっくりきました。

    だいぶ性的なことは解放的になってきたとはいえ、まだ「性欲のある女は正しくない(少なくとも普通ではない)」という感覚は日本にもはびこっているように思います。
    それが著者の言うように「女性が求めてきた時にもし男性が不能に陥ってしまったらその存在価値が揺らぐから」という理由かどうかは分かりませんが、聖と性が同時に女性の中に存在するものだということを男性はもっと認識してくれればいいのになぁと思います。
    いわゆる普通の女子にだって性欲はあるし、だからと言って淫乱と呼ばれる筋合いもないわけです。
    そして強姦事件が起きた時に被害者を「そんな格好をしてスキを見せているから悪い」となじるのは本末転倒で、女だっていい男を誘惑したいと思っているがそれを「強姦されたい」と解されては迷惑だ、という理論はすごくしっくりきました。「強姦する男を獣のようだと言ったりするが、獣は強姦などしないのだから獣にとってはとんだ濡れ衣」というのも面白かったw

    「君を大事にしたいからセックスはまだしない」なんていうのは、女子の性欲をと性欲を持つ権利を無視してるとしか思えない(女子がセックスを嫌がっていれば別ですが、それを確認することなく、ということ)。じゃあそろそろセックスしていいっていう基準を何でお前が決めるんだ!っていうw

    江戸時代あたりの性に対するゆるさ、好色女というのが一種の褒め言葉であったのはすごくいいなぁと思います。
    観音様って呼ぶのとか、下世話だけどいいと思う。「色」という言葉で表わしたり、元々日本が持っていた性的なことに対する「粋」が復活すればいいのにな。

    やたらと読むのに時間がかかりましたが、面白い本でした。

  • 実に面白かった。女は従順、貞淑などというのは幻想に他ならない。

  • 人間の性本能は壊れている。という前提がまず解説される。
    性本能が正常なあらゆる動物は雌雄が同時期に発情し、性交の際に互いの性器が機能的に調和しあうのに対して、性本能が壊れた人間の男女にはそういうことはなく、男はいつでも発情するし女はそれにあわせなければいけない。
    一般にセックスを「やる」「やらせてもらう」のが男で「やられる」「やらせてあげる」のが女であるということからも男女の性の非対称性が明らかで、不可避的に対等でない。人間以外にレイプをする動物はいないし。
    この非対称性から起こる性差別を解消することは可能かどうか…ということが論じられている。
    後半の論点は歴史から見る性差の変化、西欧と日本の性文化の違い。
    明治以前の日本では性の観念が今よりおおらかであった。西欧と日本ではもともと罪の文化と恥の文化の違いがあり、日本は近代西欧化によって性の観念もそれに従う形になった。など。

    時代の変化と性差の変化のリンクを眺めるという読書体験。とてもおもしろかった。

  • 男性である私が読んでいて、なるほどと思うことが多々ある奥深い内容です。女性にこそ読んでいただきたい本です。ボリュームのわりに、価格も手ごろで、おすすめの一冊です。

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