「やられる」セックスはもういらない 性的唯幻論序説 改訂版 (文春文庫 き 14-10)
- 文藝春秋 (2008年9月3日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167540111
感想・レビュー・書評
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ブクログ利用してから8年ほどになるが、世の中には物凄い本がまだまだあるんだと感心させられた。YouTubeで武田先生の動画を偶然みていて「人類の雄は不能である」と宣っていたのを思い出した。彼の意見は本書の著者、岸田秀という心理学者の発言を引用されたものだったのかもしれないと知る。
秀逸だったのは資本主義が成せる買売春成立の意味について、興味がある方はぜひお読みください。この内容と表紙の軽めのイラストにギャップあり、騙されてはいけない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人間の「本能」は壊れていて、人間のセックスは「観念」に基づいてなされるという基本的な考えを用いて、現代のセックスの在り方、資本主義社会の台頭と性文化の変遷、などなどについて論じられていました。
一番面白かったのは、資本主義社会を維持していくために「性行為」をいわば商品とすることが必要であり、一般の女とするにせよ売春婦とするにせよお金がかかる仕組みが意図的かそうでないかは分からないができた、という部分でした。
あと、「性行為は趣味であって、誰から強制されるものでもないし、趣味が合わない人間がいて当然」という考え方は大変しっくりきました。
だいぶ性的なことは解放的になってきたとはいえ、まだ「性欲のある女は正しくない(少なくとも普通ではない)」という感覚は日本にもはびこっているように思います。
それが著者の言うように「女性が求めてきた時にもし男性が不能に陥ってしまったらその存在価値が揺らぐから」という理由かどうかは分かりませんが、聖と性が同時に女性の中に存在するものだということを男性はもっと認識してくれればいいのになぁと思います。
いわゆる普通の女子にだって性欲はあるし、だからと言って淫乱と呼ばれる筋合いもないわけです。
そして強姦事件が起きた時に被害者を「そんな格好をしてスキを見せているから悪い」となじるのは本末転倒で、女だっていい男を誘惑したいと思っているがそれを「強姦されたい」と解されては迷惑だ、という理論はすごくしっくりきました。「強姦する男を獣のようだと言ったりするが、獣は強姦などしないのだから獣にとってはとんだ濡れ衣」というのも面白かったw
「君を大事にしたいからセックスはまだしない」なんていうのは、女子の性欲をと性欲を持つ権利を無視してるとしか思えない(女子がセックスを嫌がっていれば別ですが、それを確認することなく、ということ)。じゃあそろそろセックスしていいっていう基準を何でお前が決めるんだ!っていうw
江戸時代あたりの性に対するゆるさ、好色女というのが一種の褒め言葉であったのはすごくいいなぁと思います。
観音様って呼ぶのとか、下世話だけどいいと思う。「色」という言葉で表わしたり、元々日本が持っていた性的なことに対する「粋」が復活すればいいのにな。
やたらと読むのに時間がかかりましたが、面白い本でした。 -
20110410 長い
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人間の性本能は壊れている。という前提がまず解説される。
性本能が正常なあらゆる動物は雌雄が同時期に発情し、性交の際に互いの性器が機能的に調和しあうのに対して、性本能が壊れた人間の男女にはそういうことはなく、男はいつでも発情するし女はそれにあわせなければいけない。
一般にセックスを「やる」「やらせてもらう」のが男で「やられる」「やらせてあげる」のが女であるということからも男女の性の非対称性が明らかで、不可避的に対等でない。人間以外にレイプをする動物はいないし。
この非対称性から起こる性差別を解消することは可能かどうか…ということが論じられている。
後半の論点は歴史から見る性差の変化、西欧と日本の性文化の違い。
明治以前の日本では性の観念が今よりおおらかであった。西欧と日本ではもともと罪の文化と恥の文化の違いがあり、日本は近代西欧化によって性の観念もそれに従う形になった。など。
時代の変化と性差の変化のリンクを眺めるという読書体験。とてもおもしろかった。