- Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167557010
作品紹介・あらすじ
出産を控えた姉に毒薬の染まったジャムを食べさせる妹…。妊娠をきっかけとした心理と生理のゆらぎを描く芥川賞受賞作「妊娠カレンダー」。謎に包まれた寂しい学生寮の物語「ジミトリイ」、小学校の給食室に魅せられた男の告白「夕暮れの給食室と雨のプール」。透きとおった悪夢のようにあざやかな三篇の小説。
感想・レビュー・書評
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先日、また一つ歳を重ねた。
もう祝われてもめでたくない年齢になってきたけれど、やはりお祝いされたのは嬉しかった。
妊娠も、本来祝福されるべきものだ。
なのになぜ、わたしは同僚の妊娠を、素直に喜べないのか。
比較、嫉妬、変化。
きっとそれらがわたしの心の中で轟轟と渦巻いているのだろう。
そんな中でこの作品を手に取る。わたしの中にある、この毒。
蜂蜜のように、経血のように、わたしの身体のどこかから、どろりと溢れ出てくる毒。
行き場をなくした可哀想なその毒は、もう溢れることでしか居場所を確保できなくなっている。
その、あふれ出した瞬間をつかみ取ってみる。
P40「二階の姉の部屋を見上げると、ぼんやり明かりが点いている。においにぐるぐる巻きにされ、ベッドでうずくまっている彼女のことを思いながら、わたしは大きな口を開けてシチューと一緒に夜の闇を飲み込む。」
P58「彼の指先が、口の粘膜を何度も撫でた。わたしは思い切り、彼の指とそのピンクの塊を噛み締めたかった。」
表題作「妊娠カレンダー」。あとがきでは、主人公である妹はとても素直で優しいとの描写があったけれど、わたしは彼女をそんな女と思えなかった。もともと神経症的気質の姉の顔色を窺いながら生活を送ってきたに違いない妹が、今度は妊娠を盾にして家中の空気を塗り替えてしまう姉をどう思うか。それは素直さでも優しさでもない。ついにやってきた反撃と復讐の瞬間、ではないだろうか。
そしてこんな風にこの物語を捉えるわたしも、ある種の毒に犯されている。
次の収録作「ドミトリィ」
音の描写で始まる。
具体的なその音について。
様々な音が、ドイトリィの中に溢れている。義足の音、電話の音、咳の音、蜜蜂の羽音、雨音。
それらはとても静かで、哀しみに満ちている。
美しい人と、その人が持つ身体の全部への愛おしさが最高潮に達した時、物語は、ある恐ろしさを植え付け、残し、終結する。
最後の作品「夕暮れの給食室と雨のプール」
P182「ただ単に嫌なにおいというのなら、他にいくらでも種類はあるでしょう。それらと決定的に違うのは、給食室のにおいがこれから自分が口にする食べ物と、結びついていることの不気味さです。大量のクリームシチューとポテトサラダが発するにおいは、給食室の中で合体、発酵、変性していたのです」
この部分を読んでいた時、休憩中に入っていた珈琲館で軽く飛び跳ねそうになった。直後、身体中に走る鳥肌。
小中学校の頃。わたしの学校は給食センターから給食室に給食が送られてくるところだった。授業中、給食が送られてくる際に教室に漂ってくる、食べ物の匂い。お腹が空いている子どもたちの様々な部分を刺激するその匂い。その匂いは、漂っている間にゆるやかに変化をし、時に、すでに人間の身体から出てきた、つまり吐瀉物のような匂いを放つ瞬間がある。それに気付いた時、授業中に味わった孤立感。あの時のクラスメイトは、どう思っていたのだろう。そもそもわたしが嗅いだことのある吐瀉物が、たまたま給食と同じ匂いを発していただけなのだろうか。誰にも言えずにいたあの時の複雑な心境を、言葉にしてくれた、ような気がした。
全ての収録作品に共通するもの。
静謐な世界観と、その中に潜んでいる毒。
答えを明示せず、読者に謎を残しながらもはっきりと残すしこり。
人間の身体というものの器官と細部への丁寧な描写。
パートナーとは別の男性に対する慕情。
これらが、独特の筆致で、とても丁寧に、静かに、きめ細やかに描かれている。
「妊娠カレンダー」で妹が義兄に歯を褒められる場面、「ドミトリィ」でのいとこと、ある寮生の描写、「夕暮れの給食室と雨のプール」で描かれる子持ちの男の語り口。
すべて、はっきりとした輪郭を持っているわけではないのに、浮かび上がってくる彼らはとても美しく、華奢で、どこか生と少し距離を置いたところにいる。
その儚さが、作品全体の空気感と絶妙なバランスで散りばめられている。
第104回芥川賞受賞作品。 -
あなたの兄弟姉妹が妊娠したそうです。さて、あなたはそんな兄弟姉妹のことをどのように思うでしょうか?
そうですね。もちろん、それは今までの関係次第といったところもあるとは思います。残念ながら何らかの事情でその関係にヒビが入っているような場合にはその報告にも複雑な感情が巻き起こる場合もあるかも知れません。しかし、『今夜の夕食なあに?』、『ブイヤベース。イカとあさりが安かったから』というような『ありふれた会話を交わ』すような仲の良い姉妹だとしたら、それはもう満面の笑みで”おめでとう!”とまずは声をかけるのではないでしょうか?まさか『おめでとう、というのさえ忘れていた』とか、『姉と義兄の間に子供が生まれるということが、おめでたいのだろうか』というような冷めた見方をするようなことは普通には考えられないと思います。
しかし、ここに、仲が悪いというわけではないにも関わらず、姉の『妊娠』報告を聞いて、『おめでたいのだろうか』と思うだけでなく、『わたしが今、自分の頭の中で赤ん坊を認識するのに使っているキーワードは「染色体」だ。「染色体」としてなら、赤ん坊の形を意識することができる』と思うような妹がいます。そんな彼女は『どんな赤ん坊が生まれてくるか、楽しみね』と姉に対して、一見、あたたかい言葉をかけます。しかし、彼女が主人公となる物語を読み終えた読者はそんな一見あたたかい言葉が、冷たく、暗く、そして恐ろしく感じる読後を体験することになります。そう、これは〈妊娠カレンダー〉という書名が違う色に変化するのを感じる物語です。
1991年の芥川賞を受賞したこの作品は、特に直接的な繋がりのない三つの短編から構成されています。今からもう30年近く前の作品にも関わらず、そこに時代感をあまり感じさせない、いつの時代にも通用しそうな普遍的な味わいが魅力の短編集だと思います。そんな中でも強く印象に残ったのが表題作でもある〈妊娠カレンダー〉でした。
『十二月二十九日(月)』、『二階堂先生の所以外、ほとんど病院に掛かったことがな』く、不安がる姉がようやく『年末最後の診察日に』M病院に行くことになりました。しかし朝になっても『基礎体温のグラフは、いったい何ヵ月分くらい見せたらいいのかしらねえ』と愚図々々訊く姉に、『あるだけ全部見せたらいいんじゃないの』と答える『わたし』。『全部といったら丸二年分、二十四枚もあるのよ』、『だって、もったいないじゃないの。せっかく二年も計ったんだから』というやりとりの結果、結局二年分を持っていくことを決めた姉。そんな姉が選んだのが『わたしたちの祖父の代からそこにある、産婦人科の個人病院』であるM病院でした。そんな病院の『中庭に忍び込んで遊んだ』ことを思い出す『わたし』は、『何よりもわたしたちを一番夢中にさせた遊びは、病院の中をのぞくことだった』と過去を振り返ります。『見つかったらきっと、怒られるよ』と言う臆病な『わたし』に『大丈夫。わたしたちまだ子供なんだから、そうひどく怒られたりしないわよ』と平然と返す姉。『午後の診療が始まる前の診察室はひっそりと人影がなく、隅から隅までゆっくり眺めることができた』という光景を思い出す『わたし』。そんな姉が診察を終えて帰ってきました。『どうだった?』と訊くと『二ヵ月の半ば。ちょうど六週め』と答える姉。『まあ、そんなに厳密に分るの?』と訊くと『こつこつためたグラフ用紙のおかげ』と淡々と返す姉。『今夜の夕食なあに?』、『ブイヤベース』と普段の会話のようになり『おめでとう、というのさえ忘れていた』という『わたし』は『姉と義兄の間に子供が生まれるということが、おめでたいのだろうか』と考えます。『辞書で「おめでとう」という言葉を引いてみ』ると『ー 御目出度う(感) 祝いのあいさつの言葉 ー とあ』るのを見て『それ自体には、何の意味もないのね』とつぶやきながら『全然おめでたくない雰囲気の漢字が並んだその一行を、指でなぞ』った『わたし』。『産婦人科に行ったことで、姉は正式に妊婦になったのだが、特別変わった様子は見せな』いことに『喜ぶにしても戸惑うにしても、もっと興奮すると思っていたので意外だった』と感じる『わたし』。『ついに、つわりが始まった』、『今日姉が初めてマタニティドレスを着た』、そして『とうとう臨月に入った』と姉の出産のXデーに向けて、姉と義兄と三人で暮らす『わたし』が姉の変化を”観察する”様が描かれていきます…というこの短編。姉の妊娠という本来『おめでたい』ことが描かれる内容にも関わらず、最初から最後まで冷たい硬質な雰囲気感が漂うこの作品。その中に隠された不気味な毒っ気がなんとも言えない雰囲気を醸し出し、背筋がぞくっとするような怖さに魅了される不思議感漂う作品でした。
…と、ご紹介した表題作の他に、『学生寮は果てしもなく絶対的な地点に向かって変性しているのです』と、『先生』が管理する謎に満ちた学生寮の姿が描かれていく〈ドミトリイ〉。『ただここから、給食室を眺めていたいのです』、『やはり、午前中の給食室の方がずっと見応えがあります』と給食室を偏愛する男に魅せられていく『わたし』が描かれる〈夕暮れの給食室と雨のプール〉と、三つの短編は、物語的な関連こそないとはいえ、そこに醸し出される独特な空気感、雰囲気感は小川さんらしさに満ち溢れています。
そんな中で私が注目したのは嗅覚と聴覚を表す表現の数々でした。まずは嗅覚を刺激するのが一編目の〈妊娠カレンダー〉です。妊娠の影響もあって『ひどいにおいね。何とかしてよ』と嗅覚が過敏になった姉は、『どうにかしてほしいの』と『わたし』に訴えます。そんな姉が感じる感覚は『口も肺も胃もひっかき回されて、内臓がぐるぐる渦を巻いてた』というすざまじい表現で表されるものです。『どうしてうちには、こんなににおいがあふれてるの』と嘆く姉、『ベーコンエッグだけじゃないわ。焦げたフライパンも、陶器の皿も…』とありとあらゆるものを例示し『容赦なくどんどんわたしを犯しにくるの』と悲痛な叫びを上げる姉。そんな姉の感覚は狂気にも似た印象を受けます。次に、聴覚を刺激するのが二編目の〈ドミトリイ〉です。『ある時ふと気が付いたら、わたしはもうそれを聞いていた』と『音』を意識する『わたし』。それを『透明なシャーレの培養基の中に、突然微生物が精巧な斑点模様を描き出すように、音はどこからともなくやってきた』と、さらっと説明されるその表現。そんな独特な表現を理解できる読者が果たしてどれだけいるのでしょうか?そして、三編目〈夕暮れ〉では、もっと無機質な形で印象的に聴覚が刺激されます。おじいちゃんに連れられやってきた廃工場。その『床には赤茶けた錆と埃が混じり合い、三センチくらい積もってい』るという状況の中、『足を少しでも動かすと、じゃりじゃり音が』する、という表現がその空間の荒んだ雰囲気を見事に表していきます。また、おじいさんが飲み終えたビールの空き缶を放り投げた時の音をこんな風に描写します。『ガラン、と淋しそうな音がして、それはもう何年も前からそこにあったかのように、がらくたの中に紛れ』たというこの表現。決して突飛な表現を用いているわけでもないのに、たった一言でこんなにも音の存在感を感じさせる、その表現の上手さをとても感じました。
そんな小川さんらしさに満ちたこの作品で注目すべきはやはり表題作の〈妊娠カレンダー〉だと思います。〈妊娠カレンダー〉というタイトルだけだと、マタニティ小説なのか?という印象も抱くこの短編。マタニティ小説ということでは、私は、角田光代さんの「予定日はジミーペイジ」という作品を以前読みました。同作では、妊娠した主人公が出産のXデーを迎えるまでのさまざまな思いを日記として綴る形式をとっています。我が国の出生率は下がる一方ではありますが、時代が変わっても『妊娠』、『出産』というライフイベントは、人間が生物であることを実感する一つの機会であることに変わりはありません。角田さんの作品はこの一般的な『妊娠』の感情をそのまま物語に落とし込んだ素晴らしい作品でした。一方で、小川さんのこの作品は、主人公の姉が『妊娠』、『出産』のXデーへと向かう日々を送るのを主人公が”観察する”中で物語は進んでいきます。そもそも姉から妊娠の報告を聞いても『姉と義兄の間に子供が生まれるということが、おめでたいのだろうか』というところから出発する時点で、何か不穏な空気が流れるこの作品。それを象徴するのが『わたしが今、自分の頭の中で赤ん坊を認識するのに使っているキーワードは「染色体」だ』という主人公の感じ方でした。『「染色体」としてなら、赤ん坊の形を意識することができる』というその表現は、読者の目を点にさせるには十分な破壊力を持つ表現です。『科学雑誌か何かで染色体の写真を見たことがある』という主人公は、それを『双子の蝶の幼虫が、何組も何組も縦に並んでいるように見えた』と語ります。『その双子の幼虫を思い浮かべる。赤ん坊の染色体の形を、頭の中でなぞってみるのだ』という主人公は、その後も、姉の身体の変化を見る度に『胎児の染色体は順調に増殖しているのだろうか』と、まさかの考え方で姉の身体の変化を見続けます。それが、この作品の核心でもある『強力な発癌性を有する防かび剤PWH』に関する情報を『PWHは、胎児の染色体も破壊するのかしら』と『わたし』の思考を繋げていくキーになっていきます。『妊娠』、そして『出産』を『おめでたい』と思う普通の感覚からは全く遠くに離れてしまった薄ら寒ささえ感じさせる『わたし』の冷え切った感情には嫌悪感さえ感じます。そこで、そんな嫌悪感の正体を考えてみました。この作品の核心である『防かび剤PWH』を意識しだした『わたし』は、姉の『妊娠』、『出産』に『おめでたい』と感じずとも、悪意を抱いていたわけではありません。『「染色体」としてなら、赤ん坊の形を意識することができる』と、まるで何か微生物を”観察する”かのような感覚で人間の『赤ん坊』を捉える『わたし』。そんな『わたし』は、姉にこんな言葉を投げ掛けます。『どんな赤ん坊が生まれてくるか、楽しみね』。普通に考えれば、仲睦まじい姉妹の姿が思い浮かぶこの会話の光景が、この作品を読んだ読者には、凍りつくような光景に変化してしまう、その読後にはもう驚愕しかありません。では、そんな風に”命”を捉える感覚はどこからくるのでしょうか?昨今、無差別殺傷事件が報道されることが時々あります。単に”人を殺してみたかった”という理由で殺人が起こる現実。まるで生物の実験の延長線上にあるような考え方で人間の命を捉えてしまう、そんな感覚が注目を浴びています。この〈妊娠カレンダー〉という作品で描かれた主人公『わたし』の感覚、そこから発現する行動には、確固とした目的もなく”無感情”に人間を殺める感覚が発現する瞬間を垣間見たような気がしました。1990年という時代に、このような感覚を小説として描いてしまう小川洋子さん。ただただ凄いと思いました。
『わたしと姉と義兄の三人の間に、赤ん坊がプラスされる状態について想像してみようと思うことがある。でもいつもうまくいかない』という主人公の『わたし』。生命の誕生を前にした時、それが初めての体験であるなら、その誕生により起こる変化を具体的にイメージすることは難しいと思います。しかし、この表題作の主人公には『浮かんでくるのはただ、科学雑誌で見た染色体の写真だけだ』と、ある意味で具体的な生命のイメージが浮かんでいます。しかし、それは単に生物の誕生のことであり、人間の誕生に結びつけることのできないその感覚には薄ら寒さを感じざるをえません。
『妊娠』、『出産』という言葉から思い浮かぶあたたかくやわらかい感覚。そんな感覚と対極にある冷たい硬質な感覚の中に『妊娠』、『出産』というライフイベントを重ね合わせていくこの作品。強烈な違和感と不気味さを感じさせる表現の中に、全編に漂う不穏な空気感が逆に癖になってもしまいそうな、そんな不思議な魅力をたたえた絶品でした。-
さてさてさん
こんにちは!
この作品、すごいですね。読み終えた直後よりも、しばらくしてからさらにゾクゾクとした気分にさせられます。
古い...さてさてさん
こんにちは!
この作品、すごいですね。読み終えた直後よりも、しばらくしてからさらにゾクゾクとした気分にさせられます。
古い作品だからかもしれませんが、姉の喋り方が鼻についたのか、わたしはそもそも姉が嫌いです。
だからでしょうか。
この作品は、解説やさてさてさんもおっしゃっている通り「素直さ」や「無感情」が妹を殺人へと駆り立てた恐怖を淡々と描いていると思うのですが、わたしには「悪意」が潜んでいるように感じられました。
こうして様々な解釈ができる点、さすが芥川賞、色あせないですね。
視覚と聴覚、すごくわかります。作品自体がすごく静かな世界観を持っているので、静かなところで読みたい作品だな、と思い、静かなところで読んでいたら、見事爆睡でした(笑)
わたしは「博士の愛した数式」以来の小川さん作品で、かなり久々だったのですが、こんなに毒や独特の美を静かに描く作家さんだとは知りませんでした!おすすめありましたら教えてください。2021/05/17
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第104回芥川賞受賞作の表題作を含む3篇の短編集。
小川洋子さんは天才なんだな、と改めて実感。
妊娠カレンダー 評価5
姉の胎児を傷つけようとする密かな悪意。
純粋にしれ〜っとした文体で静かに描いていく。
怖い。しかし、日常はこういう恐怖が渦巻いている。
スポーツクラブのトレッドミルを速歩きしながら読了。
ドミトリィ 評価5
村上春樹さんからの影響を強く感じさせた。特に比喩の使い方とか。センスがキレキレで明確で力強くて、読み返してはため息が出てしまうような表現ばかりだ。
反面、ストーリーはモヤモヤしたまま。
先生や、美しい左指の彼や、完璧な肩甲骨のいとこがどうなってしまうのか。不思議な空白感が余韻で残る。これが良いんです、なんて(笑)
散歩の際立ち寄ったタリーズでソイラテを飲みながら読了。
夕暮れの給食室と雨のプール 評価4
私が出会った宗教の勧誘員にとって、学校の給食とプールは鬼門だった。追い詰められていた勧誘員を救ってくれたのは、家族から厄介者扱いされた酒浸りのおじいさんだった…
何事も定義しようとするとたちどころに、本当の姿を隠してしまう。
ビールを飲みながら読了。-
たけさん
こんにちは!
スポーツクラブからカフェとビール!いいですね!(笑)
「ドミトリィ」のもやもや感。もやもやしているのになぜか素敵...たけさん
こんにちは!
スポーツクラブからカフェとビール!いいですね!(笑)
「ドミトリィ」のもやもや感。もやもやしているのになぜか素敵な余韻として残る作品でした。
先生や、美しい左指の彼や、完璧な肩甲骨のいとこ
男性を表現する際の言葉の使い方がいいですよね、すごく。完璧な肩甲骨のいとこ、確かに村上春樹さんのような比喩。
「妊娠カレンダー」、この作品、いろいろな方の感想を観ると非常に面白いです。そこに感情はあったのか、なかったのか。悪意なのか、善意なのか。いずれにしても、淡々としれっとした描き方はさすがでした。2021/05/17 -
naonaonao16gさん
こんばんは!
コメントありがとうございます。
この本読んだ日は土〜日曜日にかけてでした。読了した...naonaonao16gさん
こんばんは!
コメントありがとうございます。
この本読んだ日は土〜日曜日にかけてでした。読了した日付見るとバレンタインデーですね。
どうでもいいですが(笑)
「妊娠カレンダー」は善意も悪意も感情もないですよね(笑)
そこが怖い。
「ドミトリィ」には特に意味は付与されていなくて、比喩とかイメージだけがある。
美しい左指の彼も、完璧な肩甲骨のいとこも寮を去ったわけでないのに、現に寮にいない。
っていう。なんていうか、やっぱり怖い。
どのようにも解釈できるので、すっきりしないけど僕は結構好きですね。2021/05/17 -
たけさん
まさかのバレンタイン!(笑)
そんな日にすごい作品を読みましたね!
小川洋子さん、ここまでゾクゾクさせてくる作家さんだとは知り...たけさん
まさかのバレンタイン!(笑)
そんな日にすごい作品を読みましたね!
小川洋子さん、ここまでゾクゾクさせてくる作家さんだとは知りませんでした…
ホラー作品より怖いものがありますね。
わたしもすっきりしないのに読後がなぜかすっきりしているのが不思議です。2021/05/17
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2021/08/24
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2021/08/24
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コメントありがとう!<子供ができない女にとって、思いは複雑です>やっぱりそれなのかな?って思います。妬み、嫌がらせだったのかな?自分は男性な...コメントありがとう!<子供ができない女にとって、思いは複雑です>やっぱりそれなのかな?って思います。妬み、嫌がらせだったのかな?自分は男性なので感度が低くて、ゾワッっとしましたよ。2021/08/24
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「妊娠カレンダー」 小川洋子(著)
1994年 2/10 文庫第1刷 (株)文藝春秋
2020年 12/20 第25刷
小川洋子月間中。
1991年第104回芥川賞受賞作妊娠カレンダーを含む ドミトリイ 夕暮れの給食室と雨のプール の3編。
柔らかで淡く美しい日本語で描かれているのは
どこか不気味でドロリとした世界。
とても魅力的だ。
ハマる順番として
村田沙耶香 ⇨ 小川洋子は正しかったと思う。
逆じゃ村田沙耶香にはハマれなかったと思う。
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芥川賞受賞作を含む、三つの中篇集。
小川さんの、何気ない描写の中に感じる、ささやかで上品な美しさは、相変わらず素晴らしいものを感じたし、神秘的でノスタルジックで本能的な恐怖を思わせる素材が多いが、その裏にはそれぞれの主人公の、やり切れない孤独さも潜まれており、単純に不思議で怖い物語だけで終わらせていないところに、やはり小川さんの底知れぬ凄さを感じた。 -
文章が醸し出す異世界のような雰囲気。
不思議と惹きつけられる。
何か普通ではない家族構成。
日記を綴る妹は、妊娠した姉の為に日常の世話をこなしている。
姉のつわり、食の偏り、体重の増加と姉の体調に振り回される妹と義兄。
姉のお腹が大きくなるにつれ、読み手の不安も大きくなる。
何かが起こりそうで怖い。
妹は毎日、姉の好きなグレープフルーツジャムを作り続けるが…。
最後の一文に、声をあげてしまった。
そして、どうなったのか答えはわからない。
他2篇も不気味で残酷。
登場する人物の描写が、とにかく容赦なく江戸川乱歩のよう。とにかくゾワゾワする怖さ。
改めて小川洋子さんの良さを味わった。
とても好みだ。もっともっと読みたいし、知りたい。
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空から落ちてくる雪のように静かな言葉。そう、小川洋子さんの文章はどこかひんやり心地いい。「妊娠カレンダー」は、妊娠した姉を観察する妹の目線で描かれている。姉に対して、奇っ怪な生物でも飼育しているかのように接するところがおもしろい。喜ばしくも嬉しくもない、少し迷惑なハプニングとしての妊娠は、誕生や成長の背景にあるのは美しきことばかりではないことを象徴する。
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姉の妊娠に振り回される妹の小さな悪意を描く「妊娠カレンダー」、夫の単身赴任中に甥の下宿先の管理人を見舞う妻を描いた「ドミトリー」、給食室前で交わされるとある親子と女性と飼い犬の交流の物語「夕暮れと給食室と雨のプール」。表題作で芥川賞を受賞した作者が描く、どこか不安の漂う美しい短編小説賞。
初めてこの本を手に取ったとき、その薄さから、すぐに読み終わって物足りなく感じるのではないかと思いました。しかし、実際に読み始めると全くそんなことはなく、どの話も行間を読み込みたくなる、深い物語でした。
例えば、「妊娠カレンダー」は、妊娠したことによって気分が不安定になった姉から、八つ当たりのような態度を取られる妹が主人公なのですが、姉の暴言に悲しみを覚えるくらいで、苛立ちや不満はハッキリと描かれていません。その代わり、「染色体を破壊する防カビ剤が使われている」と噂されるグレープフルーツを使ったジャムを姉に食べさせるのです。その行動に明確な殺意はないのでしょうが、「『妊娠』なんて壊れればいいのに」というぼんやりとした悪意を感じて、背筋がゾッとしました。
また、姉の夫や姉の主治医には冷たい評価をくだす一方、姉に対しては酷い扱いを受けても、悪感情を抱いている描写がない事に違和感を感じました。初めは、両親が死んでから、面倒を見てくれていた姉を悪く思えないのかと思っていました。しかし、姉が妊娠前から小さな事で動揺しては精神科に駆け込んでいたという描写を見て、今まで散々振り回されて、姉のことを諦めてしまっているのかもと思いました。
長くなるので他の作品には触れませんが、どの作品も読んでいて不安になりながらも、描写の美しさに惹かれて、どんどん読み進めたくなる作品でした。ただ、勢いで読むより、細かい表現に注意しながら読むと、暗喩や描かれていない感情に気がつくと思います。
仄暗い美しさが好きな方にはオススメの作品です。 -
あとがきより。
「だから『妊娠カレンダー』は自分の経験を書いた作品か? と質問されるたび、がっくりする。わたしの妊娠体験なんて、スーパーで買ってきた新鮮な玉ねぎそのもので、何の書かれるべき要素も含んでいない。その玉ねぎが床下収納庫で人知れず猫の死骸になってゆくところに、初めて小説の真実が存在してくると、わたしは思う」
あとがきに、こんなにヒェッと思わされるのだから、さすがは小川洋子である。
妊娠した姉に振り回される義兄と妹。
悪阻と言って何も食べなくなり、妹が匂いを漂わせることさえ拒絶する。
そしてある時スイッチが入ったように過食が始まる姉に、黙々とグレープフルーツジャムを作り続ける妹。毒を含んでいるかもしれないという、産地を確認しながら……。
そして、これは妹の日記という形態で語られる。
義兄のように、触れられないモノとして扱うわけでもなく、いつかは自分の身にも起こるかもしれない、けれど今は「分からない」モノをじっと観察しているような。
小学生の時、自分の身体にやがて訪れるという「変容」の話を先生から教わった時、なんだか不思議な気持ちがしたことを思い出した。
それが来ると、何が変わるんだろう。
知りたいような、知りたくないような。
誰も自分から触れない、そんな密やかな「変容」の空気はなるほど、少し似ているように思う。
小川洋子の言う、扉一枚を隔てただけで自分が思いもしなかった世界が広がっているということを、想像する。
「ドミトリー」で描かれるような、「なぜかすれ違って会えない人」も、ある物語から見ると「消えた」ことにもなる。
世界の角度を変えて見ると、こんな風にひどく恐ろしいものさえ見えてしまう。
私たちが読んでいる言葉のコードにも、同じ力があるのだと思う。 -
20年近く前に、始めて読んだ小川洋子さんの本。
彼女の描く世界は、始めて出会うタイプのもので新鮮だった。
穏やかな明るい夕暮れの向こうにどんよりとした雲が薄っすらと見えるような、気のせい?くらいの不穏が漂う感じ。 -
やはり不思議な独特の世界だった
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短編集。これからどうなるのだろうかと思うまま全ての話が終わってしまう。本当なら納得いかないのかも知れないけれども読んでいる間の時間はその世界にやみつきになってしまう。明るい世界でもキラキラした世界でもないのに読み終えるとほっとため息をついてしまう感じ。
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短編でぞくっとしたのは初めてかもしれない。
姉の妊娠イコールhappyだけではすまない、妹の微妙な気持ち、ちょっとした嫉妬?憎悪でもない、子供の好奇心みたいな、なんかわかる微妙な、ちょっとした意地悪?
グレープフルーツジャムは甘いが少しほろ苦い。その部分みたいな。 -
三篇から成る短編集。
どの話も不思議で薄暗い感じがして、少し不気味。うーむ…こういう不思議な世界観は自分はあんまり得意ではないな。
芥川賞はいつも難しくて分からない… -
表題作もさることながら、「ドミトリィ」への驚嘆が大きかったです。表題作を引き摺ったまま訪れた二作目だったので、こちらもサスペンスのような不穏な空気を纏っていました。しかし、思いの外メルヘンな結末に現代の童話を読み当てられた想いがしました。
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芥川賞受賞作品をいくらか読んできたが、妊娠カレンダーの曖昧さは、確かに芥川賞向きだなと思った。
グレープフルーツはどのくらい身体に悪いのかを想像しながら、アメリカ産のグレープフルーツ?と店員に確認しつつ、毎日グレープフルーツのジャムを作り、妊婦の姉がそれを平らげる。
グラタンのやりとりは、主人公はそれを聞きながら構わず食べているけれど、食欲が失せる笑
「グラタンのホワイトソースって、内臓の消化液みたいだって思わない?〜マカロニの形がまた奇妙なのよ。口の中であの空洞がぷつ、ぷつ、って切れる時、わたしは今、消化管を食べてるんだなあという気持ちになるの。胆汁とか膵液とかが流れる、ぬるぬるした管よ」
「そうね。一人で暮らすというのは、何かをなくす時の気持ちに似ているかもしれないわね」 -
解説を読み、少し分かった気がしました。
ただ、私には十分に理解出来ませんでした。
何故か、小説からはとても綺麗だけど鋭利なピアノ線をイメージしました。
「犬の気持ちにお構いなく、雨が降るみたいに」 -
ごめんなさい。私個人が純文学系が苦手な事を把握しないまま読んでしまいました。
感覚や感情の表現は素晴らしいと思いましたが、どれも終わり方に納得できず、星2つです。
読み手の想像力を働かせるような終わり方でした。
ハッキリとした結末がない。
世の中の、純文学に詳しい人からすると、星5つかもしれません。 -
小川洋子さんの初期の小説にして、芥川賞受賞作。
表題作プラス二つの物語の短編集。
妊娠した実の姉の十月十日の日々を、妹が淡々と綴るというシンプルな内容なのだけど、独特なぞっとする感じは、女性にしか描けない種類かもしれない。
ゆるやかな破壊。目に見えない“毒”の恐ろしさ。
私は妊娠を経験してはいないけれど、実の姉がすぐ傍で妊婦の日々を過ごしていた経験があるから、この小説に出てくるお姉さんの突拍子のない要求(夜中に枇杷ゼリーがどうしても食べたいと言いだすところとか)に振り回されるところなんかは、身に覚えがあると思った。
経験していないから完全には分からないものの、抑えきれないものがどうしようもなく溢れる瞬間があるのかも、と想像したり。
自分のなかに、自分ではない“イキモノ”がいるということ。もちろん母性から愛おしいと思うのだろうけど、最後まで違和感があるまま出産を迎える人だって中にはいるんじゃないかと思う。
そういう、普段口に出すのはタブーとされている側面を、小川さん特有の少し童話っぽい雰囲気で描いている。
残りの二作(「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」)も、静謐さの中にぞっとするような雰囲気が。
身体のことを描写しているところが静かで恐ろしいのかも。
「ドミトリイ」に出てくる“先生”には両手と片足がなくて、それなのに難なくお茶を淹れたり生活したりしている、そういうところに美しさと怖さが共存しているように思った。 -
表題作を含む3つの短編集。
妊娠は周囲にとっては手放しで喜ばしい出来事であったとしても、当の本人は嬉しいの一言では片付けられない部分があります。我が子を宿した喜び以上に襲ってくる体の変化に対する不安。ちょっとしたことでイライラしたり、今まで普通に口にしていた食べ物から異臭を感じたり、つわりから一切の外出が苦痛になったり…そんな変化に周囲も振り回されていきます。
姉の妊娠をきっかけに生じる姉の変化や自身の冷静(冷徹?)な思いを妹目線で綴った表題作『妊娠カレンダー』。姉の妊娠を知ったものの喜びという感情はピンと来ないし、体を労わる言葉を掛けつつも特に中身はない…そんな毒づいた感情は私が思っている以上に現実的なのかもしれません。
「求めているのはわたし自身じゃないのよ。わたしの中の『妊娠』が求めているの」
「ここで一人勝手にどんどん膨らんでいる生物が、自分の赤ん坊だってことが、どうしてもうまく理解できないの。抽象的で漠然としてて、だけど絶対的で逃れられない」
姉の鋭いセリフも印象的です。小川洋子さんのあとがきも秀逸。
内容を全く知らずにほっこりな作品かと思っていましたが、これほどドロドロした感情が渦巻いていたとは。日常の静かな恐怖。 -
人の意識と身体の繋がりを考えさせられる文の多い一冊だった。人は、自分の身体は自分が一番よく分かっているとしばしば言うが、果たして実際のところ理解しているのだろうか。
妊娠カレンダーの姉が披露したシチューへの考察は、自分の身体の中身を見たことがないわたしにとって、生々しく、しかし艶やかで美しいような気もして、ぞくぞくした。染色体だって、目には見えやしない。それでもその染色体を思ってアメリカ産グレープフルーツのジャムを作る"わたし"は、赤ん坊を破壊したいように見えて、その実、一番赤ん坊のことを理解しようとしていたのではないか。姉の妊娠や出産日実感が湧かないからこそ、染色体から理解しようとしていた。
人体にはわたしたちの知らないことが沢山詰まっている。かいこのように閉じこもってみたり、床下をはぐように覗いて、破壊された新しい生命に会いに行くように新しい自分を見つけにいかないと、目の前に現れてくれない秘密が、沢山詰まっている。 -
表題作を含めた3作品の短編集。
姉の妊娠を妹の立場から描いた表題作は、1991年第104回芥川賞受賞作。妊婦となった姉の体調の変化を妹の冷めた感情が読んでていてざわつかせる。
『ドミトリイ』は主人公が学生時代に住んでいた学生寮の話。主人公の従兄弟が大学入学で住まいを探して欲しいとのこと願いで自分の板寮を紹介する。従兄弟が入居後は、管理人である先生と主人公の不思議な交流がはじまる。これも恐怖感を感じる。
『夕暮れ給食室と雨のプール』は結婚を機に新しい町に越して来た主人公と、幼い男の子を連れた男性の宗教勧誘員の話。タイトルからして全く関連が見いだせない上に、普通ならあり得ない人との交流。
全体的に静かなモノクロームな世界を感じる。何かが欠けた気にさせながら、なぜか脈略のないモノに細かすぎる描写があったりと不思議な小説。
自分の読書人生では手にしたことのないジャンルだが、先日読んだ『一度は読んでおきたい現代の名短篇』にて『夕暮れ給食室と雨のプール』が紹介されていたのをキッカケに手にした本作。 -
タイトルが有名すぎて読んだと思い込んでいた。
短編3つとも、いつも大切な誰かがいない。手紙が来たりとか、思い出を思い出したりとか、気配はあるのだけど、現実の生活だけが静かに続いて、そんな人いないんじゃないかという気持ちになる。いないのかもしれない。目の前にいない人は、いないのかもしれない。 -
芥川賞受賞作品。「妊娠カレンダー」「ドミトリィ」「夕暮れの給食室と雨のプール」の三作。静かで少し気味の悪い話だった。じわじわ何かが始まりそうで何もない。最後どうなったと分かりやすく落ちをつけてしまう話もいいが、読者に「どうなったのだろう」とそわそわさせる話も好きだ。女性作家らしい綺麗な雰囲気と心理描写がとてもよかった。
妊娠カレンダー、ドミトリィは単なる日常の一部を切り離した話ではなく怖い話だった。
ドミトリィに出てくる登場人物はみんな印象的だが特に印象に残ったのは、数学科の学生。数学が得意というのはなんだか素敵だなーと。数を数えるのがセクシーみたいなことを書いた本があったが、数学なんて必要ないと思って捨てた自分がバカだったなと思えるほど使える科目だと思う。絶対損はしないものだし。
三作の中だとドミトリィが一番好きかな。どの話にしても出てくる食べ物が美味しそうだ。 -
「妊娠カレンダー」では神経症か何かであることが仄めかされる姉に対して、ひどく平坦で淡泊にも思える妹のもつ毒が恐ろしい。
寂しい学生寮、四肢が欠損した先生、中々会えないいとこ、蜜蜂、美しい左指と消えた学生、肋骨…要素と要素が絡まった静謐な雰囲気と、終盤のミステリのような展開がとてもよかった。
「ドミトリイ」、小川洋子作品の中ではかなり好きかもしれない。
初めまして!
コメントありがとうございます!
お祝いもとっても嬉しいです^^
同僚の方の妊娠に振り回され...
初めまして!
コメントありがとうございます!
お祝いもとっても嬉しいです^^
同僚の方の妊娠に振り回されているのですか?
仕方ないとはいえ、もやもやしてしまうのが独身の性なんでしょうかね…
小川洋子さんの同系統のオススメ作品等、もしあれば教えてください(^^♪
これからよろしくお願いします。
小川洋子作品、見返してみまーす♪♪♪
これからよろしくお願いします。
小川洋子作品、見返してみまーす♪♪♪
うんうん、ありますよね。
わたしも恥ずかしいですが、やはりもやるもんはもやる(笑)
また是非遊...
うんうん、ありますよね。
わたしも恥ずかしいですが、やはりもやるもんはもやる(笑)
また是非遊びにいらしてくださいね^^