やさしい訴え (文春文庫 お 17-2)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167557027

作品紹介・あらすじ

夫から逃れ、山あいの別荘に隠れ住む「わたし」が出会った二人。チェンバロ作りの男とその女弟子。深い森に『やさしい訴え』のひそやかな音色が流れる。挫折したピアニスト、酷いかたちで恋人を奪われた女、不実な夫に苦しむ人妻、三者の不思議な関係が織りなす、かぎりなくやさしく、ときに残酷な愛の物語。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、”三角”にどんなイメージを持つでしょうか?

    全ての形の中で最も鋭角に囲まれる”三角”。その形からは、一見鋭くて攻撃的な印象も受けます。しかし一方でピラミッドや山のイメージが思い浮かぶようにバランス感のある安定した印象も受けます。しかし、そんな一見安定した印象のある”三角”も、それを180度回転させると極めて不安定な状態に陥ります。日本では道路標識の”止まれ”や”徐行”など、特に注意喚起を要する標識にこの”逆三角”が使われ、その不安定さを煽る感覚から、運転手の心情により訴えかける効果を出しています。

    では、そんなイメージの”三角”を人と人との関係に例えるとどうなるでしょうか?そう、文字通りの”三角関係”です。一人の異性を取り合う二人の同性。歌でも、ドラマでも、そして小説でも取り上げられることの多いドロドロとした人間関係の代表格です。もしかすると、今このレビューを読んでくださっているあなたの心にもグサっと響くかもしれない”三角関係”という構図。しかし、上記した通り”三角”という形は角度を変えれば安定感の象徴とも言える形です。それが、角度を変えることで”止まれ”の標識のように不安定さを煽る形にも見えて来るように、人と人との”三角関係”も不思議な安定感が維持される場合もあれば、一気に不安定さが増す場合もあります。”三角関係”が色々な媒体で頻繁に取り上げられる理由がそこに見えてきます。

    さて、ここにそんな”三角関係”を描いた小説があります。それは、『三人の間には、以前にはなかった張りつめた空気が漂っていたが、みんなそれに気づかないふりをした』という安定を求める関係の中に、『その空気を無理に払いのけようとすれば、もっと大きな崩壊がおこると知っていた』と”三角”であるが故の不安定さを恐れる主人公たちの心の機微を見る物語。それは、チェンバロの奏でる繊細で儚い音色の中に『美しく調和した世界』を垣間見る物語です。

    あたりはもう暗くなっていたという時間に山の別荘に着き、『戸口まで送りましょうか。荷物も多そうだし』と、タクシーの運転手に言われ、『いいえ、大丈夫です。慣れた道ですから』と答えたのは主人公の日野瑠璃子。『慣れていると言ったけれど、本当はここへ来るのは八年ぶり』という瑠璃子は、『鍵を回し、扉を押し開』いて別荘へと入りました。そんな瑠璃子は別荘へと来ることを決意した時のことを思い出します。『日曜の朝遅い時間』、隣の部屋の子供が練習するバイオリンの音が聞こえてくる場でオムレツが食べたいという夫のために調理する瑠璃子。そんな中で、バイオリンの曲名のことで雰囲気が悪くなり、夫は一人『車で出てい』きました。『女のところへいったのだ』と思う瑠璃子は、『フライパンの隅で』焦げた卵を流しへと捨てます。そして、『夫が外出したあと、わたしは家出の支度をはじめた』という瑠璃子は、『今日わたし一人で別荘に行くことになった』と、管理人の奥さんに電話をかけます。『夫に好きな人がいると気づいたのは三年前』という瑠璃子は『もめ事のなかった期間はほんの少ししか』ないと、十二年の結婚生活を思い返します。『独立して都心のビルに眼科医院を開業』した夫、そして『カリグラファーとして仕事』をする瑠璃子は、そんな夫の『女がどういう素性なのか、詳しくは分らない』と思います。『大学病院に勤めていた頃知り合った視能訓練士』らしいというその女。そして、『二つの家を行ったり来たりしている』夫。そんな瑠璃子は『一行の手紙も書かず、汚れたフライパンも洗わず、半分に切ったトマトもまな板の上に残したまま』別荘へと向かいました。そして別荘に着いた瑠璃子は、管理人の奥さんに親切に対応してもらいながら『何事もなく、数日が過ぎた』という一人の日々を送ります。そんな中で嵐の夜に停電が発生し、助けてもらったことが縁で、『五、六年前に東京から来た』という新田の家を訪ねた瑠璃子。出迎えてくれた薫という助手の女性に案内された室内は『楽器と、それにまつわるものたちで埋められて』いました。『チェンバロです』と説明するのは楽器職人の新田。『こんなきれいな楽器だったんですね。外から脚だけが見えた時、骨董家具かと思いました』と感動する瑠璃子に『ピアノはハンマーで弦を叩きますが、チェンバロは爪で弾きます』と、チェンバロのことを説明してくれる新田。そして、この訪問がきっかけとなって、薫と新田、そして瑠璃子の”三角”を形づくる関係が静かに描かれていきます。

    中央に大きく描かれたチェンバロと、それを弾く女性とその傍に横たわる裸の女性、そしてそんな女性へチェンバロから片腕が伸びているというなんともシュールな表紙が印象的なこの作品。そんなこの作品は全編に渡ってチェンバロという楽器が大きな存在感をもって描かれていきます。あなたは、チェンバロという楽器を知っているでしょうか?また、そんな楽器が奏でる音色を聴いたことがあるでしょうか?私はクラシック音楽をこよなく愛しています。しかし、そんな私でもJ.Sバッハやクープランといった”バロック音楽”の時代の作品を聴くことは稀であり、その中でもチェンバロの音色を聴くことはほぼありません。しかし、かつて実演で聴く機会があり、その一見ピアノの仲間に見えて、仕組みの全く異なるこの楽器の繊細さの極みとも言える音色に魅せられたことは強く印象に残っています。『ピアノはハンマーで弦を叩きますが、チェンバロは爪で弾きます』という通り、実は”打楽器”に分類されるピアノに比べて『音量は小さいですし、音の強弱をつけることもできない』と、”撥弦楽器”に分類されるチェンバロ。そんなチェンバロを作る職人の新田と、助手として新田を支える薫との出会いが、女の元へ通う夫との三角関係に苦しむ瑠璃子の人生の中に一つの転機を作っていきます。

    そんな”三角”な人間関係は、この作品では一つだけではありません。薫はかつての婚約者との間の関係を軸に時間を超えて一つの”三角”を、新田は元妻との間にある何かしらの関係で”三角”を、そして主人公の瑠璃子は、リアルな今に夫とその愛人の間の”三角”な関係が存在します。薫、新田、そして瑠璃子が形作る”三角関係”のそれぞれの頂点の主が、それぞれを起点にした”三角”をその外側にそれぞれ形作っていくという構図がそこに存在します。この作品はそんな複雑な”三角関係”に揺れる三人の今の心の有り様を描いた作品とも言えます。そして、そんな”三角”を象徴するもの、それがチェンバロです。表紙のイラストを見てもわかる通りチェンバロをという楽器は上から見ると見事な”三角”の形をしています。”三角関係”の中で繊細な心の機微が描かれるこの作品、それを象徴するのが、繊細な音色を奏でる”三角形”の楽器チェンバロ。それを重ね合わせて一つの作品を紡ぎあげる小川洋子さん。あまりにも巧みな作品構成にすっかり魅せられてしまいました。

    しかし一方で、読後に私がこの作品から抱いた感想は、ドロドロとした”三角関係”の物語ではなく、全編に渡ってどこか”嫌な女”感が漂い続ける主人公・瑠璃子が前に進むためのきっかけを得る物語だったのではないか、ということです。『夫に好きな人がいると気づいたのは三年前』という瑠璃子の今の苦しい胸の内が描かれる作品前半を読んで、瑠璃子に同情の念を寄せる読者は多いと思います。浮気がバレていないという状況ではなく、『夫は二つの家を行ったり来たりしている』と、夫の浮気が日常になってしまっている瑠璃子。そんな『ずるずると中途半端な状態が続』いている瑠璃子の今は”停滞”という言葉で言い表すのが相応しい状況でした。それが、新田との運命の出会い、そして薫との間で出来上がっていく”三角関係”の構図は、今度は夫の愛人と同じ行動を瑠璃子が演じていくといっていいものです。しかし一方で『薫さんは新田氏が作った箱の鍵を開くことができる。中からいくらでも音をすくい上げることができる』という現実に気付いていきます。『彼女の身体も楽器の一部になって溶け込んでいる』と表現される薫と新田との関係。そんな二人の関係の中になんとか入り込みたいと願う瑠璃子。しかし、考えれば、考えるほどに、そこに見えて来るのは『四本の腕、二十本の指、二足のスニーカー、一台のチェンバロ。それらはある一つの、完全な形をなしていた。どこにも欠けたところがなかった』とすでに形をなし、瑠璃子に入り込む余地などない二人だけの世界でした。『彼だけが安全地帯』と思うものの、『彼女がいるかぎり、わたしは新田氏と二人だけの秘密を持つことができない』と焦る感情は、彼女を立ち止まらせて動けなくさせてもいきます。しかし、そんな彼女を追い立てるかのように変化する彼女を取り巻く境遇が、結果として、瑠璃子を前に進めていく力となっていきます。人は前に進むという言葉に力強さとある種の清々しさを感じます。しかし、必ずしもそのような言葉で彩られずとも前に進んでいく人生というものもあるのだと思います。この作品で描かれる瑠璃子の人生がまさにこの後者に該当するものだと思います。決して力強さも清々しさも感じない一方で、それでも前に進んでいく瑠璃子の姿を見る結末に、チェンバロの音色で彩られた”三角関係”が美しく昇華されていく様を見たように思いました。

    『いつでもチェンバロの音は、手の届かない遠いところから聞こえてくる。さして大きくもない目の前の箱が鳴っているとは、とても信じられない』という繊細な音色を奏でる楽器が、登場人物三人の関係性を象徴的に浮かび上がらせていくこの作品。チェンバロから伸びる手の先に横たわる裸の女性、そして、そんなチェンバロを弾く女性という表紙のイラストのあまりの絶妙さに見入ってしまったこの作品。

    小川さんならではの静かに美しく描かれる作品世界に、繊細なチェンバロの音色が柔らかく溶け込んでいくのを感じた、素晴らしい作品でした。

    • りまのさん
      さてさてさん
      もう一度探したら、いらっしゃいました!分かりやすいように、フォローの一番上に、さてさてさんの名前を置きました。
      お騒がせして、...
      さてさてさん
      もう一度探したら、いらっしゃいました!分かりやすいように、フォローの一番上に、さてさてさんの名前を置きました。
      お騒がせして、ごめんなさい!
      りまの
      2021/09/02
    • さてさてさん
      りまのさん、こんにちは。
      フォローありがとうございます。
      引き続きましてどうぞよろしくお願いいたします!
      りまのさん、こんにちは。
      フォローありがとうございます。
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      2021/09/02
    • りまのさん
      さてさてさんお返事ありがとうございます。
      こちらこそ これからもどうぞよろしくお願いいたします!
      さてさてさんお返事ありがとうございます。
      こちらこそ これからもどうぞよろしくお願いいたします!
      2021/09/03
  • 『やさしい訴え』
    ラモー作曲のチェンバロの曲だ。

    『やさしい訴え』は新田氏と薫さんを静かに結びつける。瑠璃子さんがいくら新田氏と物理的に近づいたとしても。
    三人とも傷を負っていた。演奏恐怖に陥ってしまったピアニスト。婚約者を結婚直前に亡くした女性。夫の不倫で居場所をなくした女性。
    瑠璃子さんの発する嫉妬にまみれた言葉が、宙を舞う。その訴えは当たり前の感情だと思うけど、発すれば発するほど新田氏との距離が遠ざかっていくように思える。
    やはりきっぱりと瑠璃子さんは失恋した。
    瑠璃子さんに居場所は見つかるのだろうか。
    薫さんの純粋な真っ直ぐさがドロドロを消していく。
    かなわないんだな。
    瑠璃子さんが切ない。

    小川洋子さんの世界に浸って
    もの悲しい幸福感と
    透明感を味わった。

    これから
    ラモーのチェンバロ曲を聴こう。
    『やさしい訴え』

  • 空気感が素晴らしいです。
    はっきりと書かれていないけれど、みんな、ほんとうに全員が置かれている状況を理解しています。
    わかったうえで、どうすべきか、行動しています。
    でも、人も動物です。
    したい、触れたい、という気持ちは抑えられない。
    それが限りあるものであり、失う危険もあるものだから、だからなおのこと感情が高まっていきます。

    札幌行きをやめさせるための咄嗟の行動(言動)には少なからず驚きました。
    でも、それは、行けばそうなる、ということがわかるから。もしも自分ならそうするだろう、そうなるだろう、ということの裏返しですね。

    結論としては敢えて言わない大人の対応で新しい道を踏み出すのですが、少し寂しいです。まあ、そうなるよな、という違和感のないストーリー展開。

    +++

    とてもこだわりを持って作品を作られているのに、鍵盤の色が近代タイプ。別の意味があるのかしらん。。。

  • 主人公の女性はあまり男運?はない人なのかも。
    旦那さんも、出会った男性とも上手くはいかず。時にはとても冷静で急に大胆な自分勝手な行動に出たりと生々しい。彼女は自立に向けて新しい場所で自身の人生をこれから始めるところで終わる。
    そんな人生を小川洋子さんが書かれている事で繊細な世界観になっている。生きるって綺麗事ではないけれどもそれでも希望を持ってその先にすすむ。
    人は失敗したり、駄目だったりしても終わりではないと思える本。

  • 『やさしい訴え』小川洋子氏
     
    30、40代の夫婦、恋 ★★★★
    年齢重ね深まる孤独  ★★★★★
    居場所        ★★★★★
     
    【購読動機】
    読者レビューで「読みたい」に登録してから数年が経過していました。小川洋子さんの書籍の数は、豊富ではありません。よって、先入観を持たないで読み進めることができました。
    ――――――――
    【読み終えて】
    タイトルは「音楽」の名前です。読了後、本をイメージしながら「やさしい訴え」を聴きました。
    その結果、小説で描かれた風景(都心を離れた別荘群の林)や主人公(女性30代フリーランス既婚)の気持ちを自然と思い浮かべることができました。
    ――――――――
    【物語】
    登場人物は3人です。
    1.女性既婚30代フリーランス
    2.男性離婚あり40代元ピアニスト、楽器製造者
    3.女性未婚20代元会社員。2.のもとで働くスタッフ

    1.が夫の浮気に嫌気がさして母親所有の別荘に退避します。
    夫からの連絡はなし、相手との同居を始めてしまう始末です。
    1.はそのようななか、近くの2.3.の楽器製造者と出会います。
    三人で食事したり、湖畔に出かけたりの交流が始まります。
    ------------
    物語は、1.の女性の視点で描かれます。
    彼女からみた2.の存在は、自然に異性としての意識へと変化します。
    同時に3.の存在を羨ましく思う気持ちも芽生えます。なぜならば、いつでも2.の側で同じ楽器を作る世界にいるのですから。

    1.の主人公の異性への想い、居場所をみつけ、またそれをなくした心境、これらを物語は一定のリズムで刻みます。
    大きな抑揚も大きな失望もありません。

    ------------
    【曲 やさしい訴え】
    始まりは、季節でいえば冬でしょうか?
    同じリズムの曲調は、どこか闇のような静けさと暗さを彷彿させます。

    そして曲調、テンポが少しだけ華やかに。
    そう、春の訪れのような、、、。
    でも、その季節は思いのほか短く。

    夏そして秋の存在を感じることがないまま、また、冬の静けさの中に戻るのでした。

  • 今まで私が読んだ小川洋子さんの小説の登場人物たちは、何か足りないものを優しく抱きながら静謐に、そして祈るように生きている人たちでした。
    でも、今回の語り手であるカリグラファーの瑠璃子は、ある時一気に内側から、マグマのような熱いものが噴き上がります。それはとても我が儘で独りよがりなものだったかもしれません。でも、瑠璃子にとっては初めて女性として自分は生きていると実感した瞬間でもあるのじゃないのかな、なんて感じたのです。

    彼女が愛したのは、人前ではピアノが弾けなくなってしまった、元ピアニスト新田。彼は今では、山あいの林の中で女弟子の薫とチェンバロを製作しています。
    彼は瑠璃子の願い通り身体を優しく抱いてくれました。それはまるで彼女がチェンバロであるかのように、そっとなぞってくれたのです。
    それでも瑠璃子は、彼の弟子である薫に対しての嫉妬心が消えることなく、ずっと淋しそうでした。
    だって、彼の美しい指で、自分のためにチェンバロを弾いてほしい……
    その願いは叶えられることが決してなかったからです。
    そして、瑠璃子は気づいてしまいます。彼には唯一、チェンバロを奏でることが出来る彼女がいることを。
    自分がチェンバロになること。
    自分の前でだけチェンバロを弾いてくれること。
    この2つには、とてつもない隔たりがあることに瑠璃子は打ちのめされます。

    自分をかくまってくれていた林から出ることを選び取った彼女。
    今も林の中で2人だけの穏やかな時間を過ごしている彼ら。

    音楽とは魂に語りかけてくれるようなもの。そっと、聴くものの心を震わせ流れていきます。
    傷を持つもの同士がお互いの魂の部分で繋がっていて、その傍にはいつも音楽が寄り添っている……その事実の前では、身体というものはただの器でしかないのでしょう。

  • この物語は果たしてハッピーエンドなのだろうか。自分にはとてもそうは思えなかった。

    瑠璃子は夫の不倫と暴力から逃げるようにして、林の中のペンションにやってきた。そこで新田というチェンバロ製作者と出会う。

    瑠璃子はまもなく新田に恋に落ちる。新田と初めて肉体を重ねるシーンは非常に印象的。

    時間が恐ろしくゆっくりと流れるシーンだった。その瞬間の音、色、光は細やかに描写され、感覚が精緻化されてしまう。スローモーションになった場面は1枚の絵になって強烈に記憶に残った。

    そして新田もまた傷を負った人間だった。子ども時代からピアノの英才教育を受け、抑圧されながら育った。そしてある日、人前で一切楽器が弾けなくなる。

    だけど、薫という女性の前では不思議とチェンバロを弾けてしまう。

    それを遠巻きに見ていた瑠璃子。演奏していたのは「やさしい訴え」。新田と薫の強固な精神的な結びつきを見せつけられ、打ちひしがれる。とても表層的な、肉体的な関係で満足していた自分が惨めになる。

    そのあたりから夢中になって読んだ。ただ美しいだけの小説ではなさそうだと分かってくる。

    (長くなってしまうので、続きは書評ブログでどうぞ)
    https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E6%9C%AA%E7%86%9F%E3%81%A7%E6%AE%8B%E9%85%B7%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%80%85_%E3%82%84%E3%81%95%E3%81%97%E3%81%84%E8%A8%B4%E3%81%88_%E5%B0%8F%E5%B7%9D%E6%B4%8B%E5%AD%90

  • ニ短調。「やさしい訴え」は18世紀フランスの宮廷作曲家ジャン=フィイリップ・ラモーの作品。僕には判りませんがラモーにしてはしっとりとした小品だそうだ。洋子さんの創作する物語は既にここにある。誰もが平穏の中にいる。洋子さんの長編4作目はピアノを弾けない指、殺された婚約者、暴力を奮う夫。それに私が今回の登場人物。快い旋律は気分を高揚させる。それはまるで愛の営みの様に。

    洋子さん節を勝手に哀妖艶愛小説って命名してますが、今回は妖と艶の部分は感じません。純愛と独占欲。結婚と愛情について問題を投げ掛けられました。今まで気付きませんでしたが発問性に惹かれているのかも。

    結婚したい人と愛する人の違い。結婚したい人には相手が嫌がる自分を隠してしまう。愛する人は相手が嫌がる事まで理解し合い、逆にそれが好きだったりする。自分の全てを曝け出し、リラックスできる空間を共存し合う。一般的に互いに愛しているから結婚するんでしょうが実は互いに全ての自分を見せていないケースもあるんではないでしょうか?どこかで見えてしまうとこんな人ではなかったなんてことに。今回の主人公はちょっと自分の愛に貪欲でちょっと残酷。こんなキャラ、新鮮でした。でも根本は優しいのかな。いいわ。Myヨコフェス第19弾

  • この静かで残酷な世界に浸りました。
    新田さんと薫さんの完璧に閉じられた世界に入り込んだ瑠璃子さんの、感情をふたりにぶつける様は痛々しいものがありましたが、彼女を嫌いになれるはずがありませんでした。
    皆、心に抱いた傷をこの森で癒していて、瑠璃子さんがただ少し早く癒されただけだと思いました。
    新田さんと薫さんの日々が、これからもずっと永遠に続いていきそうだなとわたしも感じました。
    お話の筋とは離れていると思いますが、カリグラフィーの先生の言葉が心に響きました。「それ、謙遜のつもり?自分の能力を低く見積もっておいた方が、あとで楽ですもんね。」「できないと思ったらできないの。できると思ったら何とかなるの。そう考えると世の中なんて単純よ。」
    「やさしい訴え」を聴いてみましたが、綺麗な曲でした。チェンバロの音色は密やかで好きでした。

  • 夫から逃げるため、山の別荘に家出した瑠璃子。
    別荘の近くにはチェンバロを作る新田と、助手の薫が住んでいた。
    別荘での穏やかな生活を送るうち、瑠璃子は次第に新田に惹かれていくのだが、新田の傍らには常に薫の姿があるのだった……

    簡単に表現するなら、静かな逃避と再生の物語。
    しかしそれだけではない空気感を醸し出す文章に圧倒され、話のテーマもあらすじも何の役にも立たなくなるのが小川洋子の作品。
    新田と薫のあいだに漂う濃密な雰囲気はあまりにも美しく、閉ざされた様子はいっそ切なく、とても立ち入ることなどできそうにない。
    胸いっぱいに林の、湖の静けさを吸い込んだような読後感が、いつまでも残り続ける。

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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