猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫 お 17-3)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167557034

作品紹介・あらすじ

「大きくなること、それは悲劇である」。この箴言を胸に十一歳の身体のまま成長を止めた少年は、からくり人形を操りチェスを指すリトル・アリョーヒンとなる。盤面の海に無限の可能性を見出す彼は、いつしか「盤下の詩人」として奇跡のような棋譜を生み出す。静謐にして美しい、小川ワールドの到達点を示す傑作。

感想・レビュー・書評

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  • あなたが好きな”ボードゲーム”は何ですか?

    テーブルの上で遊ぶゲームのことを指す”ボードゲーム”という言葉。仲間が集まれば昼夜問わず、場所問わずできることもあって、古の時代から人々を魅了してきた”ボードゲーム”。この国であれば、囲碁、将棋、そして双六などがパッと思い浮かびます。一方で海外に目を向ければ、日本でもお馴染みのオセロ(リバーシ)の他、名前だけは超がつくほど有名な『チェス』が思い浮かぶのではないでしょうか?

    『木製の王様を倒すゲーム』、極端に省略して言えばそんな風に言い切ることもできるそのゲームは二人のプレーヤーが、”白・黒それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめ”ていく、そんな駆け引きを楽しむゲームです。全世界で8億人以上というプレーヤーの数が紀元前に生まれたとされるそんなゲームの隆盛を支え続けています。

    とは言え、それは世界でのお話。この国における競技人口はわずか2万人程度、名前こそ知られていても極めてマイナーなゲームにすぎない現実があります。かくいう私も『チェス』に関する知識は一切持ち合わせていません。では、このレビューを読んでくださっているあなたはどうでしょうか?『敵味方をくの字に飛び越えてゆく』『ナイト』、『斜め移動の孤独な賢者』『ビショップ』、そして『全方向に1マスずつ、思慮深く』動く『キング』。そんな六つの”駒”がゲームごとに世界を作っていく、そんなゲームの内容を知っているでしょうか?

    さて、ここにそんな『チェス』の世界に生きた一人の男性を描いた作品があります。『親の名付けたごく平凡な名前』としか本名が明かされない男性が主人公を務めるこの作品。かつてデパートの屋上で一生を終えたという『象』の『インディラ』の空想に囚われる一方で、『猫』の『ポーン』を抱きながら『チェス』に対峙していく男性の人生が描かれるこの作品。そしてそれは、そんな男性が『チェス盤の前では誰だって、自分を誤魔化せ』ないという舞台において、『リトル・アリョーヒン』と呼ばれるようになっていく様を見る物語です。
    
    『リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う』という物語冒頭。『祖母と弟の三人でデパートへ出掛けるのをささやかな喜びとしていた』のは主人公の『彼』。そんな『彼』は、『遊具になど見向きも』せず『一人、屋上で過ご』すことを楽しみにしていました。『観覧車の裏側、ボイラー室の壁とフェンスに囲まれた一角』という場所には『小さな立て札が立ってい』ます。『本デパート開業記念として印度からやって来た象のインディラ、臨終の地』と書かれたその『立て札』には『三十七年間この屋上にて子供たちに愛嬌を振りまきながら、一生を終えた』一頭の象のことが記されていました。『長い時間そこに立ち、吹き抜ける風に頬を冷たくしながらインディラについて思いを巡らせた』『彼』。『両親は弟が生まれて間もなく離婚』し、『実家へ戻った』母親もほどなくして亡くなり、『彼』と弟は『祖父母と暮らしてい』ました。『極端に口数の少ない子供だった』という『彼』は、『上唇と下唇がくっついてい』て生まれました。『メスで一筋、切れ目が入れられた』『彼』の唇には、『脛の皮膚』が『移植』されました。そのため『唇には産毛が生えて』いたという状況。やがて学校へと通うようになった『彼』は唇から生えた毛によって同級生に絡まれる日々を送ります。そんなある日、絡まれていたプールに『人がうつ伏せに浮かんでいるのを』発見した『彼』。それは『バス会社の独身寮に住む若い運転手』の溺死体でした。溺死体を目にしたことで、運転手のことが気になりだした『彼』は、そんな運転手が暮らしていた『独身寮』へと寄り道します。そんなところに『何か用かい?』と声をかけられ驚いた『彼』。そんな『彼』に『慌てるな、坊や』と続けるのは寮の管理人でした。『もしよかったら、おやつでも一緒にどうかね』と誘われた『彼』が部屋へと上がると、そこに一匹の『猫が丸まっているのを見つけ』ます。『名前はポーンだ』という『猫』の背中を撫でる『彼』。そんな『彼』の前にはテーブルがありました。『そのテーブルがチェス盤だ』と説明する管理人は『チェスだ。木製の王様を倒すゲーム』と続けます。『これが、少年とチェスとの出会いだった』という『彼』と『チェス』との運命の出会い。『チェス』と共に生きる『彼』の人生が描かれていきます。

    “11歳の身体のまま成長を止めた少年は、からくり人形を操りチェスを指す。その名もリトル・アリョーヒン…いつしか“盤下の詩人”と呼ばれ奇跡のように美しい棋譜を生み出す…少年の数奇な運命を切なく描く。小川洋子の到達点を示す傑作”と内容紹介に高らかにうたわれるこの作品。数多い小川洋子さんの作品の中でも人気の長編小説です。そんな作品の書名には、「猫を抱いて象と泳ぐ」という摩訶不思議な書名がつけられています。上記した本編冒頭の抜粋にも登場する『猫』とは、『彼』が『チェス』と出会い、『マスター』の元で『チェス』の道を極めていく中でいつも『彼』と『チェス』の場を共にする『ポーン』を指します。また、『象』とは、『彼』が幼い日々にデパートの屋上で、かつてその場所に三十七年間も飼育されていたという『インディラ』のことを表します。『ポーン』は、その後の『彼』と共に生きていきますが、『インディラ』は、『彼』が実際に出会ったわけではなく、あくまで、かつてその場で飼われていた事実を示す『立て札』を見ただけです。ただ、これはあなたにもあると思いますが、幼き日々にはそれぞれに心囚われるものがあります。この作品の『彼』にとって、デパートの屋上という今の『彼』がいる場所に一生を終えた『インディラ』のことが強く響いたのだと思います。特にこの『インディラ』は、その後の本編中に現れるわけではありませんが、『象』というインパクトのある存在の印象は、最後まで読者の心に在り続けていくと思います。なんとも絶妙な書名、小川さんらしい上手い書名だと改めて思います。

    そんな物語の中心に描かれるのは、

    『これが、少年とチェスとの出会いだった』。

    そんな風に運命のようにうたわれ、『チェス』の道へと突き進んでいく『彼』の姿です。作品冒頭に『リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う』という記述の通り、この作品では、『チェス』に出会った『彼』が『リトル・アリョーヒン』と呼ばれ大活躍を見せるようになっていく物語が描かれていきます。そんな物語には当然に『チェス』の話題が大きく取り上げられます。さて、あなたは『チェス』についてどのくらいの知識を持っているでしょうか?机上で行われるゲームというと日本では囲碁、将棋、そしてオセロが定番だと思います。その一方で世界に目を向ければ『チェス』は全世界で8億人以上の競技人口を誇る”ボードゲーム”の王様のような存在です。そんな『チェス』の知識のない人でも雰囲気が掴めるように小川さんはさまざまに工夫をされています。まず、冒頭には『キング(K)…決して追い詰められてはならない長老。全方向に1マスずつ、思慮深く。クィーン(Q)…縦、横、斜め、どこへでも。最強の自由の象徴…』というようにチェスで使う”駒”について説明が入れられています。また、『縦に八つ、横に八つ、升目は全部で六十四個』という”ボード”についても『彼』がゼロから学んでいく過程を読者に擬似体験させていく工夫もなされています。私は『チェス』に関する知識を一切持ち合わせていませんが、それでも戸惑いを感じることなく読み進めることができましたので、これから読まれる方で『チェス』なんて知らない…という方でも不安は杞憂だと思います。

    それ以上に『チェス』の奥深さが小川さんの見事な筆致によって興味深く描かれていくのがこの作品の何よりもの魅力です。もう全編にわたってさまざまな表現に満ち溢れていますが、『チェス』とはどんなゲームかというそもそも論が語られる場面を抜き出してみましょう。”駒”をこんな風に村の構成員に例えるものです。

    『キングは村の長老、他の誰も知らない法則や伝承や教訓を知っていて、世の中を救う力を持っている』が、『あまり大きく動き回れない。自分の升目の隣に一歩、どうにかよろよろ移動できるだけなんだ』。

    これによって『キング』という”駒”の位置付けを説明します。そのうえで、他の”駒”のことをこんな風に説明します。

    『村の若者たちは協力し合って長老の知恵を守る。若者たちはそれぞれ異なる役割を背負っている。八方好きな方向へ行ける者もいれば、天空を飛べる者もいる』。

    『斜め移動』しかできない『ビショップ』や、『敵味方をくの字に飛び越えてゆく』『ナイト』など、他の”駒”の存在をこんな風に説明します。そして、

    『皆、互いを補い合いながら、自分に与えられた使命を果す。偶然が勝たせてくれるんじゃない、与えられた力をありのままに発揮した時に、勝てるんだ』。

    これこそが『チェス』という”ボードゲーム”のあり方。なるほど上手く説明するものだと、全く知識のなかった『チェス』が少し身近な存在にも感じました。また、そんな『チェス』の試合運びを記録する『棋譜』についても印象的に語られていきます。

    『これが書き記されていれば、どんなゲームだったか再現できる。結果だけじゃなく、駒たちの動きの優雅さ、俊敏さ、華麗さ、狡猾さ、大らかさ、荘厳さ、何でもありのままに味わうことができる』。

    そんな『棋譜』は、『たとえ本人が死んだあとでも』生前のゲームが再現できることが語られます。『チェス指しは、駒に託して自分の生きた証を残せる』という『棋譜』。そんな『棋譜』という存在にも意識を向けながら読み進めていくと、『チェス』の奥深さがどんどん見えてきます。

    そんな物語で主人公となるのが、『リトル・アリョーヒン』と呼ばれることになる『彼』です。冒頭に『彼が親の名付けた平凡な名前しか持っていなかった頃の話である』と記されてはいますが、結局最後まで『彼』の名前が明かされることはありません。そんな『彼』は、『上唇と下唇がくっついて』生まれ『脛の皮膚を唇に移植』したことで、唇から毛が生えるという結果論と終身付き合っていく様が描かれていきます。一方で、『マスター』との偶然の出会いから『チェス』の世界に魅せられていく『彼』は、『難しい局面を迎えると、テーブルチェス盤の下に潜り込むようになった。ポーンを撫でながら、盤を下から眺めるためだった』というきっかけの先に独自のプレイスタイルを見出していきます。その先に『リトル・アリョーヒン』と呼ばれるようになる『彼』の『チェス』人生が描かれていく物語。『ロシアのグランドマスター、アレクサンドル・アリョーヒン』、『盤上の詩人』とも呼ばれるそんな伝説のプレーヤーの存在を知ってその虜になる『彼』。そんな『彼』が、『リトル・アリョーヒン』と呼ばれるようになっていく人生が会話の中にこんな風に表現されます。

    ミイラ: 『チェスをするっていうのは、あの星を一個一個旅して歩くようなものなのね、きっと』。

    彼: 『そうだよ。地球の上だけでは収まりきらないから、宇宙まで旅をしているんだ』。

    ミイラ: 『”リトル・アリョーヒン”という名の宇宙船に乗ってね』。

    『彼』が『リトル・アリョーヒン』になっていく、予想外なことの繰り返しの中に生きていく、そんな『彼』の『チェス』人生が描かれていく物語には、上記で少し触れた『棋譜』についても印象深く語られます。

    『アリョーヒンの棋譜から立ち上る朝霧のような静けさ、風に震える花弁の可憐さ、一瞬を貫く稲光、大地を吠えさせる風のうねり、暗闇に浮かぶ月の孤独』

    そんな『アリョーヒンの名に相応しい素晴らしいチェスを指しながら、人形の奥に潜み、自分などはじめからこの世界にいないかのように振る舞い続けた棋士』の人生が描かれる物語。そんな『棋士』に待つなんとも言えないその結末に訪れる切ない感情の中に静かに本を閉じました。

    『チェスは頭脳の良し悪しだけで勝敗が決まるものではない』という”ボードゲーム”に光があてられるこの作品。そんな作品では小川さんのさまざまな工夫によって『チェス』についての知識が全くない読者も夢中になれる物語が描かれていました。『チェス盤の前では誰だって、自分を誤魔化せません』という言葉の意味を物語の中に感じ入るこの作品。『チェスは、人間とは何かを暗示する鏡なんだ』という言葉に、『チェス』という”ボードゲーム”の奥深さを感じるこの作品。

    哀しくもあたたかい思いが残るその結末に、『チェス』という”ボードゲーム”を深く愛した『彼』の存在がふっと浮かび上がる、そんな作品でした。

  •  小川洋子さんの物語は、読み手の心にしんしんと静かに降り積もる雪のよう‥。静謐で哀切を帯びた見事な筆致は、崇高さも同居し読み手を惹きつけ離しません。心に染みる上質の作品で、本書もまさしく傑作だと思いました。

     本書は、チェスに魅せられた一人の内向的な少年の人生を描いた物語です。閉じた世界は幻想的で、言葉一語一語が美しく滋味溢れ、ゆっくりと時間をかけて読み味わいたいと感じさせます。

     少年の才能を見出し、チェスの世界に導いたマスター。その教えが、少年にとって生涯を通して警句となり灯台となり支柱となるのでした。
     大切な人との出会いと別れ、才能が開花しても決して表舞台には現れない運命、けれども純粋に勝負や名声を超越した、チェスの宇宙を自由に旅する喜びを知った少年‥。時に残酷で切なく、慎ましく優しい少年の物語は、まるで詩か芸術のようです。
     チェスの盤上で紡がれる世界の広大さや奥深さは、そのまま言葉の世界を探索する小川洋子さんと重なり、その著者の世界観に圧倒されました。

     チェスが解らなくても十分楽しめますし、三人称で描く物語は、説明過多にならず静かに語りかけてくる感触です。
     小川洋子さん作品は、『博士の愛した数式』以来2冊目の読了でしたが、いずれも素晴らしかったです。個人的には「タイトルの秀逸さも含めて本書を〝推し〟たい」と思える、充実した読書の時間がもてました。また新たな素晴らしい本との出会いに感謝したいと思います。


  • 相変わらず小川洋子さんの文章が美しい。
    ちょっとした仕草や情景も、言葉のチョイスでキラキラした美しさを現してくれる。

    少年とチェスについてのお話。
    彼の人生は複雑で、一生懸命もがいている。
    夢中になれる世界を知れてどっぷり潜り込んで、居場所を変えてもなお駒を指し続ける彼の貪欲さ。
    最初から最後まで静かに厳かに悲劇も交え成長していく彼に寄り添いながら読み進められた。

    チェスのプレイの仕方でもこんなに個性のある物語になるんだなって、小川洋子さんの唯一無二な文章力に感服。


  • チェスと出会った少年が、盤下の詩人として奇跡のような棋譜を生み出していく。寡黙な彼が見つけた言葉のいらない世界。そこでは、駒の動きがすべてを語る。果てしないチェスの海を泳ぐときだけは、彼は自由に輝きを放っていた。
    なんて静かで美しい物語なんだろう。どこまでも美しいチェスの世界。哀しみをふわりと優しく包んでくれる言葉。文学も芸術なんだなぁと思った。

  •  詩的で不思議な本のタイトルと、美しい装丁。読了後、見事に物語と調和していることに気づき、小川洋子氏の緻密に構成された世界観に感動しました。たくさん書きたいことはありますが、これから読む方に初見の感動を味わってもらいたいので、短めのレビューにします。

     私はリトル・アリョーヒンが入る「からくり人形」を、舟越桂氏の作品をイメージしながら読みました。彼の作品の憂いを帯びた切ない雰囲気が、主人公と重なります。

     主人公の祖母の言葉ひとつひとつが、主人公への愛情を感じられました。あっ、、おばあちゃんっ子の方!泣いてしまう本なので、家で1人で読むのをオススメします。

    • hiromida2さん
      Reyさん、おはようございます♪
      小川洋子さんの世界観、私もとても好きです♡
      かな〜り前に、喫茶店で手にした雑誌の中でこの本のことが取り上げ...
      Reyさん、おはようございます♪
      小川洋子さんの世界観、私もとても好きです♡
      かな〜り前に、喫茶店で手にした雑誌の中でこの本のことが取り上げられていて…
      『猫を抱いて象と泳ぐ』だなんて、不思議なタイトル
      あまりに前のことでどなたが書いた記事か
      忘れてしまいましたが…(多分、作家さん)
      “この本を読んで人生が、人生感が変わった”
      って書かれていて、題名共々興味が湧き…
      読んだことを思い出しました。
      とてもいい作品でしたよね。
      あまりに胸に痛くて、とても泣きました(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

      2022/09/17
    • Reyさん
      hiromida2さん
      こんにちは♪「かな〜り前」ってこと、発行日を見てみたら、10年ちょっと前の本だということをさっき知りました!
      本書は...
      hiromida2さん
      こんにちは♪「かな〜り前」ってこと、発行日を見てみたら、10年ちょっと前の本だということをさっき知りました!
      本書は泣きますよね。私の涙腺が緩み過ぎかと思っていましたが、hiromida2さんも泣いてしまったのこと、共感ができて嬉しいです♪

      タイトルも本文も緻密な構成で、小川洋子さんと梨木香歩さんが好きな作家さんになりました♡
      2022/09/18
  • にじいろガーデンを読んだのはいつだっただろう。
    もう1年近く前にうるうるしてしまったのだけれど、それは、はたから見るとコンプレックスに感じるかもしれない登場人物が、世間の目を気にせず、自分のしっかりとした信念をもとに幸せを掴んだ、というところだった。

    +++

    このお話はどうだろう。
    生まれつきのコンプレックスは、そう、恐らく相当なものだっと思われる。
    でも、ふとしたきっかけ、ほかの人であればきっかけにしなかったであろう出来事から才能を見出し、そして生きる道を探る。
    幸せは他人(ひと)がきめるものではない。
    本人だ。本当に。
    彼が生きがいを見つけ、人に大事にされ、尊敬されているさまは読んでいて熱いものがこみあげてくる。だからこそ、文通の先にあるものを期待した。
    読者はそう感じるだろう。
    しかし、結末はいかに。

    彼の周りに登場するキーパーソンに共通するもの、タイトルについて、最初はわからなかった。

    象であり、マスターであり、総婦長。
    何の関係もないようだ、とおもった。
    でも、強烈につながるものがあった。

  • それは切なくも心温まる美しい物語。小さくてあまりにも控えめで自らの世界に生きてきた少年は、チェス人形の「リトル・アリョーヒン」と一体となることで、「盤下の詩人」の名にふさわしい最高の輝きを棋譜に残し続ける。
    小川洋子の描く登場者はどこか風変わりで控えめだが、穏やかで人を包み込むような温かい眼差しが印象的だ。チェスを教わったバスの中の大きな大きなマスター、マスターに寄り添う猫のポーン、大きくなることでデパートの屋上から出られなくなった象のインディラ、壁に挟まれて出られなくなった少女ミイラ、リトル・アリョーヒンを育てた祖父母、そして、鳩をのせて「リトル・アリョーヒン」の棋譜を記録し続けるもう一人のミイラ。彼らにやってくる不幸は悲哀感を漂わせるが、リトル・アリョーヒンや彼らはその厳しい現実を精一杯に真正面で受け止め、全ては「リトル・アリョーヒン」の繰り出す美しい棋譜に還元されていく。リアル感のある悲哀に対し、小川の魅せるファンタジックな部分はどこか可笑みを伴うが、逆にそれが対として、心のふれあいや追い求める輝きに、はかなくも美しい生命を与えているのだ。哀愁あふれる小さな小さな世界の中で、1滴の「輝き」を描き切った小川ワールドはとても感動的で、涙なくしては読み切れません。
    何だか久しぶりに無性にチェスがしたくなりました・・・。本来、無機質なポーンやルーク、そしてビショップですが、いまや駒の動きが非常にいとおしい。
    いつまでも余韻にひたっていたい珠玉の物語です。

  • あぁ。
    チェスの海を深く深く潜っていけば、星々の煌めく宇宙に辿り着けます。
    なんて美しい世界なのでしょう。
    その世界に響くのは、駒の音が奏でるシンフォニーだけなのです。
    人間の発する言葉なんて決していらないのです。

    なんて美しい物語なのでしょう。
    彼は畏れや悲しみをその小さな身体に抱えながら、リトル・アリューヒンとなってチェスを指します。
    彼の生きる世界は、自由に羽ばたけるほど広いものではありません。
    けれど、それは決して不幸なことでも可哀想なことでもないのです。

    彼はリトル・アリューヒンとなってチェスを指すのです。
    盤下の詩人となってチェスの海を泳ぐのです。
    奇跡のような棋譜を生み出す彼自身が、奇跡のような美しい存在なのです。

  • 今まで読んだ小川洋子さんの本の中で、登場人物たちの映像がもっとも頭に浮かんだ作品。本のどこかに挿し絵がないか何度も探してしまう。

    冒頭では、大きくなりすぎてデパートの屋上から一生降りることの出来なくなった象が登場する。そして、それとは対照的に主人公リトル・アリョーヒンは、小さな身体のままチェス盤の下でチェスをさし続ける。彼の恋人は、壁の隙間に閉じ込められていた薄っぺらな少女。その少女の肩には真っ白で小さな鳩がじっととまっている。

    登場人物や動物のすべてが繊細にリアルに表現されていて、それぞれが背負った運命も丁寧に描かれている。チェスの駒が盤上を動く小さな音も聞き逃さないような、細やかな描写でイメージが浮かび上がる。

    他の作品と同じく、主人公の静かな人生の中に哀しさと愛情が漂う素晴らしい作品。

    • hiromida2さん
      小川洋子さんの描写が素晴らしすぎる作品ですね 私も好きな とても悲しくなった作品でした。
      小川洋子さんの描写が素晴らしすぎる作品ですね 私も好きな とても悲しくなった作品でした。
      2018/09/11
    • naonaosampoさん
      小川洋子さんの作品はいつも、悲しさと愛情が同居しますよね。悲しいけど愛おしいみたいな。コメントありがとうございます
      小川洋子さんの作品はいつも、悲しさと愛情が同居しますよね。悲しいけど愛おしいみたいな。コメントありがとうございます
      2018/09/11
  • この本は、前からタイトルが気になっていたのですが、やっと読むことが出来ました!
    めちゃくちゃ良かったです。
    チェスの名人リトル・アリョーヒンの生涯を描いたものです。
    チェスを知らない私が読んでも、盤上の美しさが想像出来るような詩的な表現で駒の動きを描いており、とても良かったです!
    読んで良かった一冊でした!

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著者プロフィール

1962年、岡山市生まれ。88年、「揚羽蝶が壊れる時」により海燕新人文学賞、91年、「妊娠カレンダー」により芥川賞を受賞。『博士の愛した数式』で読売文学賞及び本屋大賞、『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。その他の小説作品に『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』『約束された移動』などがある。

「2023年 『川端康成の話をしようじゃないか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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