- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167577018
作品紹介・あらすじ
1950年代の半ばに大学を卒業し、イタリアへ留学した著者は、詩人のトゥロルド司祭を中心にしたミラノのコルシア書店に仲間として迎え入れられる。理想の共同体を夢みる三十代の友人たち、かいま見た貴族の世界、ユダヤ系一家の物語、友達の恋の落ちつき先など書店の人々をめぐる情景を流麗に描いたエッセイ。
感想・レビュー・書評
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読めば読むほどに味わいが深くなり、ミラノの街の風景とその世界にどんどん引き込まれていく。
でも何だかもの悲しく感じる。
30年の時を経て紡ぎ出される、遠い昔になじんだ人たち。
年老いてもなお、心に寄り添うさまざまな想い。人生は儚い。
やがて孤独と向き合い、それでも想い出は人の心に生き続ける。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
淡々とつづられている文章を読み進むと、何となく泣けてくるような気がする。
文章そのものに鎮静効果があるように感じるのは、少し昔の出来事をあとから整理して書いているからなのかな、と思ったりもする。
コルシア書店、というのは日本によくある町の本屋とは異なり、哲学者や思想家のような人々が集まって議論をするような場でもあったようだ。
日本にもそういうサロンのような雰囲気の書店があるのかもしれないが、自分の周辺には無い。少し羨ましい気がする。 -
「訳あり」じゃない人なんて、この世に一人もいない。
そんな単純だけれど大切な事実を、本書を読んであらためて知りました。
本書は、かつてイタリアに住んだ随筆家がイタリア時代を回想したエッセー集。
書名になっている「コルシア書店」は、ミラノに実際にあった書店です。
単なる書店ではなく、新しい神学の流れを受け継いだひとつの共同体だったようで、著者も参画していました。
そこに集う人たちが実に個性豊かで魅力的。
お金持ちで未婚のテレーサおばさま、大柄な司祭で詩人のダヴィデ、思索のかたまりのようなカミッロ、出版社の編集者でボランティアとして書店を手伝うガッティ、ブルジョア出身でボーイッシュな美人のルチア、東アフリカ出身で文盲のミケーレ……。
みんな人生を一生懸命に生きていて、それゆえに、もがいたり、挫折したりしています。
彼ら彼女らを描写する著者の筆は優しく、彼ら彼女らが本当に愛おしくなります。
個人的に特に印象深いのは、人なつっこい笑顔の青年、ガブリエーレ。
彼の恋はいつも一方通行で、著者を含め周囲をドキドキさせました。
ガブリエーレはある著名な作家の愛人の女性に恋をしては破れ、夫のある女と親しくなっては別れます。
そんなガブリエーレの母は未婚の母で、「男たちにわるさをされては捨てられる」ような女だったのではないかと、ガブリエーレの話から著者は推察します。
ガブリエーレは、今度は、絵描きの女に恋をします。
目が大きくて、髪がきれいで、ずんぐりした体型の女です。
彼女の運転する車でジェノワの郊外まで来ると、女は「これが私の生まれた町」と紹介します。
戦争で地面がまっ平になるまで連合軍の艦砲射撃を受け、彼女の家も跡形もなくなったそう。
駅に送ってくれたガブリエーレとその恋人を、遠ざかって行く車窓に頬を付けて目で追う著者の最後の言葉がいい。
「もしかしたら、ガブリエーレ、こんどは大丈夫かもしれない、と思った。」
コルシア書店の重要人物でありながら、ほとんど掘り下げられていない人物がいることに、読了してから気付きました。
著者の伴侶で、結婚後わずか7年で急逝するペッピーノです。
「書かれなかった」ということで、かえって著者の喪失感の大きさを想像したことです。
コルシア書店に理想を求めて関わって来た人たちは、やがて著者も含めて一人ずつ離れて行き、書店自体も人手に渡ってしまいます。
ダヴィデの死を悼むあとがきを読み終え、コルシア書店に関わった人たちと著者が過ごしたひとつの時代が、突然風が止むように終わったことに気付き、切なくなりました。
この切なさは、恐らく一定の年齢に達した人なら、初めて感じる切なさではないでしょう。
とても素晴らしいエッセー集に巡り合いました。
ちなみに本書は、私が参加している読書会の次回の課題図書。
ね? 読書会っていいでしょう? -
1930年代から1960年代にミラノにあった コルシア・デイ・セルヴィ書店に集まった共同体を作者は1992年に描いている。
土地を離れる者、死別する者……記憶と共に生きる友情 -
いただいた本。
須賀敦子さんはじめて。ミラノのことを親しく懐かしく描いていて、とてもよかった。感動物語ではないのに、じんわりと感動する。その時から時間が経っているからこその微妙な距離感、当時の空気も感じられるのもおもしろい。文章がすき。 -
「トリエステの坂」を読んだのはどれくらい前か。
内容が強烈に記憶に残っているわけではない。
なのに、読んで以来、なぜかこの人の文章を他に読みたい、と思うようになっていた。
控えめで静かな文体に惹かれたのかもしれない。
1960年代ごろ。
著者がミラノのコルシア書店に関わった日々についてのエッセイ集である。
コルシア・ディ・セルヴィ書店。
前身は大戦末期の地下組織で、戦後サン・カルロ教会の一角を借りて、キリスト教左派の聖職者や知識人たちが集まって作った書店とのこと。
この書店の運営に関わっていたペッピーノと、留学生だった筆者は結婚する。
運営に関わる人々の人生の変転。
(筆者自身も、やがて夫を失い、東京に帰ることになる。本書は、東京に帰ってから、そのころを回顧して書かれたものだ。)
客たち、教会のボランティア、ボランティアに支えられていた人々の生活。
パトロンとして関わった上流階級の人々。
ミラノの社会、歴史の厚みが見えてくる。
この本を読んでいて、自分はイタリアという国を全く知らないなあ、と感じた。
本書の描く時代は、だいたい60年代。
まだ戦争の記憶も生々しかったころだろう。
イタリア人がドイツ人に対して抱く複雑な感情も描かれ、ちょっとドキッとする。
ヨーロッパ系ユダヤ人だけでなく、中東にルーツを持つユダヤの人々も交錯する。
当たり前かもしれないが、それが南ヨーロッパだということだと気づく。
ミラノの街を知っている人が読むと、もっと実感を伴って読める作品かもしれない。 -
著者がイタリアに留学し、ミラノの小さな書店に集う人々と交流した若き日々をたどるエッセイ。
当時はまだ日本人女性が珍しかったせいか、さまざまな人に紹介されたり、招待を受けたり。
何かをスルドク分析するとか考察するとかではなく、とても素直な目で、書店の仲間たちの姿が、丁寧に淡々とつづられているのが心地良い。
その昔、学生時代に冷やかしによく立ち寄った、見たことのない雑誌や単行本、自費出版本ばかりの書店を思い出した。
最近、店内でくつろいでお茶を飲めるとか、読書会を開くとか、店主の個性を反映したユニークな書店がちらほら。
いつかそんな書店で時を過ごした誰かが、こんなエッセイを書くかもしれない。
ネット書店は便利だし、電子書籍もいいけれど、やっぱり街でへ出て、本を買おう! -
激動の1960年代、イタリア・ミラノにあるコルシア書店で筆者が共に過ごした仲間たちを偲び、回想するエッセイ。
とてもシンプルで静謐な文章には、深い人間観察力と仲間達への深い愛情、そして彼らを喪った哀しみが込められていて、読んでいてとても切なくなる。
すごいなぁ。私はここまで仲間たち一人一人を見つめたことがあるだろうか。
久々に文学を読んだという気分になった。 -
ミラノに実在した書店に出入りする、様々な境遇の人たちにまつわるエッセー。
それぞれがそれぞれに不幸を背負い、もがきながら不器用に生きている。
みんながハッピーではないけど、そんなものなのかも知れない。
他人が見たらそう見えてしまうけど、本人はそれなりに時々幸せを感じたり。
結局自分もそうかもと思ってしまう。 -
①文体★★★★★
②読後余韻★★★★★