- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167618018
感想・レビュー・書評
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1995年下半期芥川賞受賞作。豚がスナック「月の浜」に闖入したことによって、そこで働く女たち3人は、主人公の正吉と真謝島に向うことになる。いわば厄落としのためである。池上永一なら、ここからファンタジックに物語が展開して行くのだが、又吉はあくまでもシリアスである。沖縄に独特の御嶽は、ここでも重要な役割を果たしているし、全編が沖縄の濃密な風土の中にある。ただし、その「語り」はあくまでも共通語だ。「何か馬鹿馬鹿しいけど必死に生きている」3人の女たちが哀れでもあり、そこに強烈なリアリティが浮き上がってくる。
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沖縄に行ったので、沖縄文学を読もうということで。沖縄の本屋さんには当然のように置いてある又吉栄喜。
1995年芥川賞受賞作の表題作は、息が詰まるほどのぬめぬめとした女性性があらゆるものを絡め取っていく様子が描かれていて、読んでいてほんとうにきもちわるくなった。母性原理、前近代性へのオブセッションは部分的に共感できるけれども、結局のところわたしはそこには馴染みきれない。かといって近代的な、男性倫理にももちろん馴染めない。わたしの好む作家の多くは中性的な感性を持っているのかもしれない、そういう風に自分が本を読んでいるという自覚はあまりなかったのだけど、あまりにも気持ち悪くなってしまって、考えさせられた。この、生理的に受け付けないかんじ、なんなんだろう、どうしてだろう、ってことばかり考えながら読んでいた。
ちなみに、小説に出てくる真謝島の舞台である久高島は二回行きましたが、こういうぬめぬめよりも岡本太郎の「沖縄文化論」で言及されていたような何もなさ、のほうが感じられる場所であった。寄って立つべき原理とはなにか。だれしも模索してはいるけれど。すくなくとも少し前の日本文学が見つけたぬめぬめした前近代性では、ない、わたしにとっては。 -
95年に芥川賞を受賞した表題作ともう一遍『背中の夾竹桃』を収録。傑作だった。沖縄・久高島をモデルにした舞台で繰り広げられるコミカルな人間模様。終盤は一転して風葬をモチーフに物悲しく深遠な結末。沖縄の空気感がよく伝わってきた。
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沖縄の日常性を描く。
本当にありそうな情景が描かれている。
沖縄という文学の題材は、
「自然」と「戦争」という矛盾した歴史が
深く横たわっていることがある。
その中を貫く沖縄の文化が、
沖縄のアイデンティティを証明することになる。
主として、「戦争」の重荷を主体として描くところに
沖縄文学の特徴があるように思う。
それをのりこえているかもしれない。
沖縄の日常性は、「みどり街」の女性たちで
作られているのかもしれない。
ウタキ、ユタ、先祖崇拝、父親とのつながり -
芥川賞ということで期待して読んだけど、… 良さが全くわからなかった…。
沖縄のディープな空気感や風景は、移住十年の私には伝わったけど、登場人物の誰にも興味や共感が持てず、話に入り込むのを拒否したくなる自分がいた。生粋のウチナーンチュの旦那も、評価はよろしくなかった。うーんごめんなさい。 -
なんだかじとーっしたお話。数年前まで風葬が行われていた真謝島へ父の遺骨を拾いに行く正吉に、豚がもたらした厄を落とすため同行するスナックの女たち。
豚が厄をもたらすということがまずよく分からないし、ユタっぽいことをしつつも実態はただの大学生の正吉を信じてついていく女たちも謎。 -
沖縄行きたい。
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沖縄出身又吉栄喜の芥川賞受賞作。
厄払いのため小旅行に向かう4人の男女の姿を
ユーモラスに描いています。
正吉と同行する3人の女性達のキャラが強烈で面白い。
舞台が私の生まれ育った地域であったので、
物語の情景がすっと浮かんできたのも印象的でした。
「第114回芥川賞」(1995) -
沖縄の女たち
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