- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167631017
作品紹介・あらすじ
藪で、蛇を踏んだ。「踏まれたので仕方ありません」と声がして、蛇は女になった。「あなたのお母さんよ」と、部屋で料理を作って待っていた…。若い女性の自立と孤独を描いた芥川賞受賞作「蛇を踏む」。"消える家族"と"縮む家族"の縁組を通して、現代の家庭を寓意的に描く「消える」。ほか「惜夜記」を収録。
感想・レビュー・書評
-
捉えどころが分からない世界観なのですが、読んでて自分でどう解釈するのか、考えさせられた作品でした。著者のあとがきに描いてあった「うそばなし」。自分の書く小説のことひそかにそう呼んでいることも少しユニークで、とても、著者の
明るさが伝わってきました。「蛇を踏む」は、主人公が公園で蛇を踏んでしまい、家に謎の女が現れてしまい、その謎の女は、主人公の死んだ母だとう言うのだが、主人公の母は生きている。
蛇が化けて現れてしまったのか、そう考えるなか
二人の奇妙な生活が始まった。
芥川賞を受賞した著者の代表作です。
どこか民俗文学を思わせる、不思議なお話がとても、心地よかったです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
H29.6.28 読了。
独特な世界観で好き嫌いが分かれる作品だった。 -
数珠屋に勤める女性の、店主たちとの何気ない日々が描かれている。だが、私たちの世界とはちょっとだけ違う。この物語の世界では、蛇が人になるのだ。そして、そのことを誰も不思議がらない。読んでいて、とても不思議な気持ちになった。
-
変な短編小説3編を所収。(笑)個人的には「消える」が面白かった。3編とも寓意に富んだ作品でその意は少し難解だが、状況変化がぽんぽんあるのと面白い文体なので、読むだけなら読みやすい。(笑)まあ、不条理小説ですね。
「惜夜記」は心の冒険譚で少し理解は難しいが、状況に比して優しい言葉に包まれており、ほのぼの感がある。「蛇を踏む」と「消える」は家庭内心情を面白おかしく童話化していて、不条理さにもかかわらず、なんとなく余韻が残る作品である。 -
芥川賞受賞である表題作を含め、短編が三本収録されてたけれど、全部気持ち悪かった。これは誉め言葉。
とくに二本目の「消える」は、地方の少し怖い民話を読んでいるような感覚だった。独特すぎる“和”の世界観。
見方によってはファンタジーなのかな。
人間とそれ以外の有機的な生き物と無機物の境目がなくて、それらの間を行ったり来たり、どろどろに溶け合っているような。
唐突な一行目があって、その後ろに世界が広がっている。
なんか、こういう曖昧な説明しかできない。笑
でもひとつ前に読んだ「センセイの鞄」とはまったく印象が違った。
個人的には安部公房を少し思い出した。 -
独特の世界観。
-
失業保険で食い繋いだあとカタカナ堂に雇われた、元女学校理科教師の主人公ヒワ子。藪で踏んでしまった蛇に取り憑かれてしまう。
現実と夢を境界なく行き来するように進む物語、終盤はハラハラさせられる。 -
川上さん自身が「うその国に入り込んでしまって書いたうそばなしなので、うその好きな方、私の作ったうその中で遊んで行ってくださいな」と言っています(笑)
このメッセージ、最初に読んでいたら、割り切ってもっと楽しめたかな~とも思いました。 大好きになった『センセイの鞄』の著者の別の作品にも触れてみたいと思い、今作が芥川賞受賞ということで、期待大でしたから、読めば読むほどにこの不思議な世界観は???でした。一言で言うなら、境のない世界。人間と蛇の境がないし、生物と無生物の境もあいまい、形あるものは個体から液状になり、さらに気体へと…そして気持ちだって何が何だか、だあれも分かっていない。うその世界はうそだってわかっていたらそれなりに楽しい。でも境目を区切りをつけたがる人間はある意味、つらいかな、こんな世界に居続けるには。蛇母さんがしきりに「ひわ子ちゃん、ひわ子ちゃん…」と呼ぶ声だけが生々しく現実的に思えました。著者もこの作品に関しては意図などきっとなかったのではないでしょうか?そこが魅力なのかもしれません。自分で書いててレビュー自体もちょっと?になってしまい、すみません(苦笑) -
なんのメタファーなんだろうとわざわざ考えるのは野暮なんだろうな。
-
惜夜記で挫折。難解というか、情景が頭に浮かばない。あとがきで作者さんが述べているように、これらはすべて「うそばなし」。何かの暗喩なんだろうなあと思いながら読むと、多分わけわからないと思うので、推奨通り「うその世界に遊びに来た」という気持ちで読むのが良いのかも。「蛇を踏む」は、シュールレアリズムな雰囲気で、ありえないんだけどありえそうな感じがして面白かった。登場人物に蛇が絡まなければ、普通の人たちだからかな?蛇を介することで、道に迷ってもう一つの現実っぽいけど現実じゃない世界に来たみたい。千と千尋みたいな?
-
なるほどです。夢の中にいるかのような。最後が『惜夜記』で、夜の話というか、夢の中にいるような感じが漂っていたのでよりそのイメージが強いのかもしれません。
ちっちゃいときに思ってた小説ってこんなんだったな、と思い出します。なんか脈絡がなくて、ストーリーがなくて、とつぜん意味不明なふわふわした世界が始まっていつの間にやら終わっている。あとたまに読めない漢字とか知らない単語とか、名詞が出でくる。本を読んでいて調べるという経験そのものが、なんか懐かしかった。
意味のわからない話って子どもの頃は好きじゃなくて、今でもエンタメとか、輪郭がはっきりした小説の方が読みやすいなあと思うけど、たまにこの世界に戻ってくるのもいいなあと思う。
特に、川上弘美はユーモアというか、なんかわからないけどこうなっちゃうのよね、なんかわからないけど。みたいなのが、とらえどころのないところが面白くて、読んでてつい笑っちゃう。
こういう、小説の世界に閉じこめられて出てこれない人もいるんだろうなあと思う。うその世界、と川上さんは言ってるけど、うそじゃない世界を書く必要はないものね、真実味があるかどうかは置いておいて、みんな心地よいうそをもとめて本を開くから。
『蛇を踏む』は、世界観が蛇のようにひんやりとして、気持ちよかったなあ。あやかしの方が、主人公のなかで存在感が強く感じられるのがいい。川上さんの物語ってそういうところがあるのかもしれない。うその方が、リアリティーがある。本人も書いてるように、うその方にリアルを感じてしまう人なんだと思う。
『消える』家族の話。なんとも日本人らしいテーマで、陰湿で、闇をきれいにとられているなあと思う。でも嫌味がない。素直に書いているのが読みやすい。教訓もない。ただ物語がある。簡単なようでいて、ただ物語であることの、その、難しさよ、と思う。
『惜夜記』書いたように、夜の話。眠いんだけど、夢にとらわれるのも惜しい、というような。夢に惑わされて、思うように足が進まない、またあの世界に来てしまったと思いながらその理不尽さ不条理さ不自由さに、蹂躙されるような快さ。
いちばん好きだったのは『もぐら』。たまらない。たまらないなあ。笑った。 -
不思議な話で設定もあり得ないのに、なんだか受け入れてしまった。途中わけがわからなくなって何度も読み返すことあり。
好き嫌いが分かれる作品かも。 -
文章によってしか起こされない脳内の解放があって、それを体験する。
意識が空間に溶け出して、失くなってしまうみたいだ。 -
この世界にうまく馴染めない人間の、世界に対する違和感。自分と他人が違う人間で、違う考え方を持っていて、そうであることが当たり前だ、ということとは違った次元での、もっと本質的な、違和感。極端なことを言えば、あれ、私はみんなと同じ種類の「人間」だっただろうか、という疑いにもたどり着くような。そんな圧倒的な差異に押しつぶされそうにもなる。そこで、『蛇を踏む』、なのだ。ああ、ここに私と同じ感覚を持った人がいる。そう思うと泣けてくる。何だろうこの違和感、の「違和感」を確かな言葉にするということ。言葉にするということは一つの救いになり得るのだ。
-
これ芥川賞受賞作なんですね?…不思議な話でした。『蛇を踏む』も次の『消える』も話の形がつかめなず、『惜夜記』に至ってはかたちなどないのでは?と思うほどのドロドロ感でした。川上先生の作品は初読ですが既に何冊か積んでいるので、またチャレンジしよ。
-
異常な事態をありのままに受け入れている登場人物たちが、異常。
-
これはさすがに無理、、、あまりにも現実離れしすぎていて、作中で次から次へと起こる諸々の現象に今のわたしのキャパシティではひとつもついていけなかった。芥川賞受賞作だからついていきたかったなあ、、、悔しいけど他にも読みたい本がたくさんあるし、半分で頓挫。
-
最後の借夜記は読み進めるのに苦労した。
不思議な世界観。これが書けるのはすごい。 -
「ミトリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。…このごろずいぶんよく消える。…背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。」
3つの短編からなる本作は、どれも魅力的な一文から始まる。著者曰く、うそばなし、のためファンタジー作品の1つなのだろうが、一般に想像するそれとは異なるように思う。詳しい分類の仕方はわからないが、とにかく著者の世界環に追いついていくのに必死で、掴んだと思ったら唐突に終わる。
踏まれた蛇が女となって一緒にビール飲んだり、消える家族がいれば縮む家族もいて、そのあるがままに息している。理解しようとするのではなく、空を掴むように翻弄されるのが、この作品の醍醐味なのかもしれない、 -
川上弘美さんから生まれた文字。
文字とは一般的に相手に理解させるためにある道具のような気がします。
しかし、川上弘美さんから生まれた文字は蛇のように生きて動いています。
時には泥鰌のように。
抽象絵画ではなく抽象物語。
私のリアルな今が写る鏡の前で立ち尽くしているようでした。 -
もう訳がわからないけど、それでいいのかなって納得してしまう「うそばなし」。
文体のせいかな。
なんとなく、そんなもんか、って思ってしまった。
なんか、エロい感じ笑
別にそういうことが書いてある訳じゃないけど、なんとなく性的な感じがしました…_(:3 」∠)_ -
本人曰く「うそばなし」。実質はファンタジーであり童話的なもの。最後に納められている「惜夜記」については、夢の描写か。
芥川賞受賞の表題作は、比喩の話かと思いきや、文字通り蛇を踏んで取り憑かれてしまう。「消える」は、突然消えがちな家族の話。何を書いているかわからないだろうが、本当にそういう話だ。
読んだことがない人に、何に近いかを説明する場合、宮沢賢治なのではないかと思う。正直なところ、個人的にはあまり好きではないのだが。
全体に良い意味で、純文学を描く女性作家らしい、独自の世界を構築しながら突拍子もない事、例えば蛇が夕飯を作ってくれたり、嫁いできた兄の嫁がどんどん小さくなって芥子粒のようになってしまったり、影しかない獅子に頭を食われたりということが起きる。
そういう表現の時に、往々にして、独りよがりの表現に終止する作家が多いのだが、小川洋子や川上弘美の場合は、何故か受け入れられるのだ。
1960~70年代位なら、こういった抽象的な表現で高評価を得ると、その裏にある社会だとかをほころびから力づくで引きずり出してくるような読み方をするものが多かったのだろうが、本作の場合は、すべすべの大理石の彫刻を撫でるように楽しむのが正しいのであろう。
ただ、個人的には、「センセイの鞄」のように、1本に"不思議"は1つ2つだけにして、収束点まで引っ張ってほしかった。 -
電車のなかで、ゆらゆらと読書。
まったく「ほんとう」ではない物語なのだけれど、淡々と軽やかに「これがほんとう」と言われれば頷いてしまいそう。
すこし暗くておそろしく、ふと顔をあげて映るじぶんの顔にはっとするような。 -
第115回芥川賞受賞作。
他に「消える」「惜夜記(あたらよき)」収録。
感想を一言で言えば、驚いた、だ。
初めての読書体験だった。
踏んでも踏んでもきりがない感じの蛇。「踏まれたらおしまいですね」といって消えてしまってから、様子のいい中年女性に化けて語り手の部屋に居座り、語り手を蛇の世界へしきりと勧誘する。
わけがわからない。
でも、面白い。
筋が、あるようなないような。
おとぎ話にありがちな説教臭いお話かと途中まで思ったがとんでもない、作者のいう「うそばなし」そのもので、シュールで不条理、教訓なんてこれっぽっちも含まれてなどいないように思える。
3作品とも、どこにもない、似たような話すら一度も読んだことのない話だった。
それでいて、どこか生々しくリアル。
「蛇を踏む」も面白かったが、自分の好みは、「惜夜記(あたらよき)」だ。
さまざまな小さなエピソードを積み重ねて大きなイメージが構築されている。
単純で分かり易い文章は、意味の不明瞭な単語など一語もないにも関わらず、
全体としてみたら予測不可能で不条理な不思議な世界を形作っている。
その世界は独自なルールや法則に従って成り立っていて、妙に違和感がなく説得力がある。和田淳のアニメの世界のように摩訶不思議な視覚的イメージが鮮やかに次々と浮かんでくる。
それは、これまで触れた物語の中でも群を抜いて美しく、艶かしくて、楽しかった。
2013.10.18読了 -
踏まれた蛇は女に変わって、私との共同生活を営むようになった。現実からずれていくさまが気持ち悪くも心地よくもある。妙なところで、すこし古めな生活感を感じるのもいい。つくねが食べたくなる。「惜夜記」の奇妙さは内田百けん(けんは、門構えに月)のよう。夜を感じて、いつまでも読んでいたい作品。
-
ぬらぬらしている
-
「蛇を踏む」「消える」「惜夜記」の3編を収録。どれも昔話、御伽噺のような不思議な作品。脈絡なく話が進み場面が変わる。気を抜くと置いていかれる感じだった。どこを目指して終わるんだろうって着地点を探しながら読んだ。「消える」が面白かったかな。
-
なんとも感想の述べづらい奇妙な小説である。
女に変異する蛇が登場する変形譚なのだが、主人公の女は奇妙な事象を日常として流し見ている。
この不可思議なメタファーをどう捉えるかによって読者はこの作品のを意味を変化させていることができるだろう。
つまり軟性の高い作品であるなという感想を持った。
どのようにでも受け取れるのだ。ただの摩訶不思議な話であると言う視点やいや、蛇は女の無意識かの感覚を描いているのだ、などなんとでも考察のしようがある。考察せずになんだこれと思いながら読むことも一興だろう。
なんにせよ風変わりな小説であった。