溺レる (文春文庫 か 21-2)

著者 :
  • 文藝春秋
3.30
  • (142)
  • (267)
  • (801)
  • (102)
  • (24)
本棚登録 : 3485
感想 : 329
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167631024

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あなたは、いきなり『死んでからもうずいぶんになる』という書き出しの小説に接したとしたら、その先にどんな世界を感じるでしょうか?

    どんな小説に於いても冒頭の一文というものはとても大切です。その作品世界に入っていくことができるかどうかを試す試金石とも言えるのがこの冒頭の一文です。私は今までに500冊以上の小説ばかりを読んできましたが、そんな中でも未だに一番強く印象に残っているのが、綿矢りささん「蹴りたい背中」の冒頭の一文です。『さびしさは鳴る』と始まるその一文。そんな一文をもって私の心はすっかり綿矢さんの作品世界に囚われてしまいました。芥川賞を受賞された作家さんの表現の魅力というものをこんなところからも感じます。

    そして、同じく芥川賞を受賞された作家さんでもある川上弘美さんもさまざまな文章表現で魅せてくださる作家さんの一人です。そんな川上さんの作品は、冒頭の一文以前に、書名で何かしら引っ掛かりを感じさせるものも多いと思います。私が読んだ作品では「これでよろしくて?」といきなり書名に”?”がつくという、なんとも妙な引っ掛かりを感じさせる作品もありました。そして、本日ご紹介するこの作品もいきなり引っ掛かりを感じさせる書名がつけられています。「溺レる」というその書名。三文字の中に漢字とカタカナとひらがなを使ってしまうというなんとも贅沢なその書名。そんな作品は、書名に感じる不思議感をダイレクトにまとってもいます。

    『少し前から、逃げている』、『大きな、七面鳥が、胸の上に乗っかってきた…』、そして『死んでからもうずいぶんになる』と不穏な空気を感じさせるその各短編の冒頭。そんな八つの短編から構成されたこの作品は、短編それぞれに関係性はありませんが、一つの独特な世界観を見事に作り上げているという点で短編集として絶妙なまとまり感を見せてくれます。ただ、あまりにかっ飛んだ物語のオンパレードに、私の読解力が追いついていかないと感じる部分もあり、楽しめる作品とそうでない作品に分かれた印象はあります。そんな中からいつもの さてさて流 でその一編の冒頭をご紹介しましょう。

    『死んでからもうずいぶんになる』と思うのは『サカキさんと情死するつもりだった』という主人公の『私』。しかし、『情死』するはずが『サカキさんは死なずに残』り、『私だけ、死んだ』という結果論。『死んでからは、迷ったり、念がこうじて幽霊のかたちであらわれたり』していた『私』ですが、今では『サカキさんのことを、強く思うばかり』となっています。そして、そんなサカキも『せんだって八十七歳で往生し』ました。そんな『サカキさんを知ったのは私が四十歳になってしばらくのころだった』と振り返る『私』は、『逢瀬をかさねた』日々を思い出します。『そのうちにお互いの体が粘るようにな』り、やがて『体だけでなく心根も粘ってきた』と感じた『私』は、『情死しなければいけない』と思い詰めます。そして、『一緒に死のうとサカキさんに言われた』『私』。『サカキさんは会社に退職届けを出し』、『蒸発人となった』サカキは、『私の手を引いて小さな不動産屋に入』りました。そして、『商業学校の前の、日当たりのいい六畳の部屋を借りた』二人。『私が使っていた布団を持ってこようかと言ったら』、『いいよ。新しく買おう』と言うサカキに、『でも、もったいない』と返す『私』。そんな『私』に『すぐにどうせ死ぬからか?』と笑うサカキは、『このまま、ずっとこうしていたいや』と『畳に寝そべって天井を見上げ』ます。『死ぬのは、いやだった』という『私』。『しかし、死なないで生きていくことにも、さほど執着はなかった』という『私』は、『死んでもいいわよ一緒に、と答え』ました。『もう疲れた』としばしば言うサカキは、『もう疲れた。早く死のう』とも言いますが、『疲れた、と言いながら、結局サカキさんは生き残ってしまった』という結果論。そして、『八十七歳の生涯を立派にまっとうした』というサカキに対して『私だけが死んでしまった』という結果論。そんなファンタジー視点で描かれる不思議感極まる〈百年〉というこの短編。冒頭の『私だけ、死んだ』という衝撃的な一文で読者を一瞬にして不思議な世界へ誘ってくれる不思議世界の魅力を堪能できる好編でした。

    八つの短編は雰囲気感を共通としていますが、それぞれの個性は非常に強いものがあります。そんな特徴を言葉の表現と、印象的なシーンからそれぞれ二つずつ見ていきたいと思います。まずは言葉の表現の一つ目です。それは、この作品の「溺レる」という書名からも予想される”カタカナ”の多用です。日本語は言うまでもなく漢字、ひらがな、そして”カタカナ”によって表記される言語です。これら三つの中でも”カタカナ”というものは、意図して用いられる場合が多く、どこか軽やかでリズム感を感じるような軽快さも特徴だと思いますが、この作品では、八つの短編に登場する男性の名前が『メザキ』、『コマキ』、そして『トウタ』というように全員、カタカナで表記されています。私たちは普段の日常生活において氏名は漢字で表記するのが一般的です。”カタカナ”で表記されるのは、その人物の漢字が不詳の場合など意味ある場合のみです。それがこの作品のように全編にわたって”カタカナ”で表記されるとどこか不穏な空気が漂います。また、その名前に不思議と注意がいったりもする一方で決して感情移入の対象となっていかないのも不思議です。また、人の名前だけでなく、漢字で表記されることを期待する熟語が”カタカナ”で表記されてもいます。例えば『リフジンなものから逃げてるということでしょうか』という一文は、普通に『理不尽なものから逃げてるということでしょうか』と表記する以上に、何か皮肉のようなものも感じます。また、『シニタイとかなんとか言いながら』という一文は、『死にたいとかなんとか言いながら』と表記するよりも”カタカナ”の特性が勝ってなんだか深刻さが感じられません。そして、書名にも繋がる『アイヨクにオボレる』という一文も『愛欲に溺れる』と表記するのとは全く別物の感情の表現のようにも感じてしまいます。どちらかと言うと後者のドロドロとした印象が薄まって軽やかさを感じさせるのも不思議です。といったように”カタカナ”使いの絶妙さがこの作品の表現の一番の特徴だと思います。

    言葉の表現の二つ目は古語や俗語がいきなりぽんと使われるところです。『「ハシバさん、どっかにしけこもう」いらいらしながら、わたしは言った』と、使われる『しけこむ』という言葉。”遊郭や料理屋などの遊び場にひっそりと入り込むこと”を指す言葉のようですが、続く本文で『しけこむって、トキコさん、古い言葉使うね』と突っ込みが入るように今の世には普通には違和感を感じる言葉だと思います。また、『せんないようなにくたらしいような心もちになって』というひらがながやたらと続くこの文章の『せんない』です。こちらは”何かをしても報いられない”というような意味合いのようですが、読みづらいひらがなの連続と相まってなんとも引っ掛かりを感じる表現です。

    次は印象的なシーンを見てみたいと思います。まず一つ目です。それは、『メザキさん、おしっこしたいの』と唐突に登場する主人公・サクラの一言から始まる場面です。『道ばたの草むらに踏みいった』、『スカートを腰までめくりあげ、したばきを下ろした』、そして『目を閉じて、放尿した』と続く一連の場面。私たちの日常における、起きて、食事をして、何か活動をして、性の営みがあって、そして眠るという一連の行動のそれぞれの場面は、数多の小説でさまざまな書きようがなされています。特に多いのは食の場面と性行為の場面だと思います。しかし、私たちの日常で誰もが欠くことがないはずなのに小説に登場することがほぼないのが”用を足す”場面です。そもそもそんな行為を記述してもそこからドラマが生まれることはない、だから記さないのだと一見思われがちです。しかし、そんな場面を意図的に入れている作品も存在します。私が今までに読んできた作品の中では、小川糸さん「さようなら、私」において主人公がモンゴルの大平原で繰り返し”用を足す”場面が描写されます。そこには、傷ついた主人公の心が解きほぐされていく様が同じ”用を足す”という行為の反復の中での微妙な感情の変化によって表されてもいました。また、川上弘美さん「せんせいの鞄」では『わたしは手洗いに行き、勢いよく用を足した』と繰り返し”用を足す”場面が記される中で小川さんの作品と同じような主人公の感情の変化をそこに感じました。一方で、この作品で”用を足す”場面は一度きりです。その効果としては、”用を足す”というある意味での孤独な行為を『さみしいね、おしっこしてても、さみしいよ』という主人公の心持ちを読者にも感覚的に伝える目的で描かれているように感じました。いずれにしても”用を足す”場面の登場はインパクトが非常に大きいものであり、そんな場面を登場させる川上さんの強い意図を感じます。

    最後に、印象的なシーンの二つ目です。それが、『ユキヲは黙ったまま私を畳におろし、ていねいに服を脱がせ、乳房の間に鼻をうずめ、ゆっくりと行為におよんだ』と描かれていく性行為の描写です。この作品のレビューで”川上弘美版官能小説”という風に書かれていらっしゃる方もいる通り、八つの短編に性行為を描写するシーンは複数登場します。特に上記の表現の登場する〈亀が鳴く〉や、『執拗に、乳房にくちびるを当てるので、どうしても声が出る』と続く〈可哀想〉、そして『俺が、ほしいか』『いい声だな、おまえの声は』と展開する〈無明〉などそれぞれの短編の雰囲気に絶妙にマッチした性行為の場面がそれぞれの短編に登場します。しかし、それらは決して読者にいやらしい感じを与えないのが不思議です。そういったシーンを文章を通して読者が見るというよりは、どこまでいっても文学作品を読んでいるような印象、もしくは高い位置から俯瞰しているかのような印象も受けます。一方でだからこそ、これぞ”ジ・エロティシズム”と感じる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。この辺りは、人それぞれだと思いますので、私の見方はこれまでとしたいと思います。

    そんな表現の魅力に満ち溢れたこの作品は、全てが男と女の物語という一貫性をもった短編集でもあります。『あんたら、どういうの』と、関係を聞かれて『駆け落ちしてるんですよ』と真面目に男が答える表題作の〈溺レる〉。『ナカザワさんは肌をあわせるときにはたいがいわたしを痛くするのだ』というナカザワとの性行為のあり方を注視する〈可哀相〉。そして、『死んでからもうずいぶんになる』という冒頭の一文から読者を戸惑いの中に突き放す〈百年〉など、男と女の物語といっても、普通ではない状況下の関係性を描いていくこの作品。あまりにつかみ所のない内容が次から次へと読者を襲うその物語世界は読者の想像力を試しているかのようにさえ感じさせるものばかりです。そんなこともあって、好き嫌いがはっきり分かれそうな作品だとも思います。しかし、これこそが万人におもねらない川上弘美さんの作品の何よりもの魅力であり、その作品世界に読者も一緒に「溺レる」ことこそ、この作品を読む醍醐味なのかもしれません。

    言葉の表現の魅力と、印象的なシーンの魅力、そしてつかみ所のない場面設定の中にいきなり放り込まれ、作品に「溺レる」ことが一番の魅力のこの作品。その独特な作品世界に一度はどっぷりとハマってみたい、そう感じさせてくれた不思議感漂う作品でした。

  • 東京駅“手土産スイーツ”12選! スイーツライターがお土産を選ぶコツも解説 / 2021年12月23日 - スイーツ - クランクイン!トレンド
    https://www.crank-in.net/trend/sweets/98087/1

    第18回 今のあなたにピッタリなのは? 2021.01.13
    スイーツライター・chicoさんのために選んだ一冊とは/木村綾子の『あなたに効く本、処方します。』 | 木村綾子の『あなたに効く本、処方します。』 | Hanako.tokyo
    https://hanako.tokyo/column/kimura-ayako/202814/

    文春文庫『溺レる』川上弘美 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167631024

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      木村綾子&前田エマ「直接的な性描写よりずっとノックアウトされた」 文学の“焦がれ” | ananニュース – マガジンハウス
      https:/...
      木村綾子&前田エマ「直接的な性描写よりずっとノックアウトされた」 文学の“焦がれ” | ananニュース – マガジンハウス
      https://ananweb.jp/news/402603/
      2022/03/06
  • 暗くてさびしい。でも後味悪くないのが不思議。
    どうしようもない人たちが登場する。男も女も。
    此処はいったい何処なのだろう?
    同じような場所に、同じような男女が生息しているような。
    百年とか、五百年後とか、お伽話みたいでおもしろい。

    「亀が鳴く」が印象的だった。

  • とても官能的。
    男女間の張りつめた緊張感、距離感に読んでいてゾクゾクする短編集。
    大人の男女の、時にしっとりと、時にねっとりとした色気に私まで溺レそうだ。
    特に『さやさや』『溺レる』『百年』が良く、読了後も余韻がずっと残る。

    男と女が静かに淡々と情を交わす。
    アイシテルのに、二人でいるのに、何故だかさびしい。
    思いきってアイヨクにオボレてみると、いいのかもしれない。
    こういう川上さんも好き。

  • 静かな展開で進む短編集。
    愛欲に溺れていく男女のお話です。
    でも綺麗な流れなので何か心に響きます。


    「アイシテルンデス」、肝心なときに言えないのはなぜだろう……。
    二人で何本も徳利を空にして、ゆらゆらと並んで歩く暗い夜の情景―「さやさや」。
    ちょっとだめな男とアイヨクにオボレ、どこまでも逃げる旅―「溺レる」。
    もっと深い仲になりたいのに、ぬらくらとすり抜ける男―「七面鳥が」。
    重ねあった盃。並んで歩いた道。そして、二人で身を投げた海……。恋愛の過ぎて行く一瞬を惜しみ、時間さえをも超えていく恋を描く傑作掌篇集。
    他に「亀が鳴く」「可哀相」「百年」「神虫」「無明」など、全八篇。
    2000年、本書で女流文学賞、伊藤整文学賞をW受賞。解説「つまらない女が飼う」 種村季弘

  • ちょうどいい、は難しい。ちょうどいい具合に、ちょうどいい加減で、ちょうどいい頃合に。でも、いつも、少し多かったり、少し少なかったり、気を抜いていると、多過ぎたり少な過ぎたりして、行き着くところまで行ってしまう。あるいは、いつまでもたどり着けなくなってしまう。
    愛しているからおよんでみたけれど、およべばもっと繋がれるはずだったけれど、むしろもっと寂しくなる。およべばおよぶほど、一人になる気がする。それなのに、ちょうどいい、は難しい。
    そんな物語が螺旋のように繰り返されていた。

  • 男女が愛欲に溺レる短編集。でも、好きだからとか、快楽のためとか、そういう感じではなく、「何だか分からないけどそうしなきゃいけなくなっちゃったから」みたいな。あとは、やたらと食べ物がおいしそうだった。性や食事を貪っているのに、なぜか不快感な感じはしなかった。個人的には、全員コナンの犯人のような影で想像した。よく分からなかったけど、たしかに溺レる感じはあった。

  • う~ん、退廃と現実逃避の世界だなぁ~。
    でも面白い...。この世界観はなかなか味わえないので、定期的に触れてみたくなるだろうな...。好き嫌いが分かれる作品だと思う。私はOKにしたい。

  • これは官能小説。
    性描写もいやらしくなくて、どこか芸術的なモノに感じる。

    川上氏は、擬態語大好きだね。
    擬態語を芸術的に表現していると思う。

    でもこの官能小説・・・
    卑猥ととるか、芸術的とるかは、
    読者次第かな。
    私は「作品」として、とっても完成度高いと思いますが。

  • 「この小説の空気に、たゆたう」という経験は、唯一無二のもの。
    主人公たちは、いわゆる、「社会のなかで生きてく!」って感じじゃなくて、
    よくわかんないとこに、あっけらかんと、住んでいる。暗いとこに住む湿った動物みたいに。
    そこは、ユーモラスで、エロティックで、童話みたいに怖くて、キラキラしてて、ダサくて、哀しくて、いろんなものが未分化で、生とか死とかも、境界もなくて、暗くて明るくて、ドライでウェットで、ぐちゃぐちゃで、混沌としてて、真実なんだとおもう。
    そして、静かなので、すき。からだの深いところが、ぞっとしたり、よろこんだりするのを体験できる、いい小説だと思います。

全329件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

川上弘美の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
吉本ばなな
川上 弘美
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×