真鶴 (文春文庫 か 21-6)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167631062

感想・レビュー・書評

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  • 未完読。
    なぜだろう。

  • 揺れるような不思議な小説。小舟で揺られているような。
    自分にとっては、仕事でしばらく忙しく、別のところに連れていかれるような感覚があり、心地よかった。心地よい・・ちょっと違うかな。。心の中に深く潜る・・というか。。自分はこのような状況に陥ったことはないし、異性だし、確かに理解しているとは感じられない。でも、どこかの自らの心象風景に近づくことがある。

    最初の文に>>
    歩いていると、ついてくるものがあった。
    まだ、遠いので、女なのか、男なのか分からない。どちらでもいい。かまわず歩き続けた。
    ・・・
    布団はすぐに敷きます。風呂は地下です。そっけなく説明する息子が出て行ってから薄いカーテンを引くと、すぐ際に海が見えた。波音がする。月は出ていない。波を見ようと目をこらしたが、灯の数が足りなかった。部屋はずいぶん前から準備されていたようにむっと暖かだった。窓も開け、冷えた空気を入れた
    >>
    最初は主人公がどこにいるのか、男性なのか女性なのかもわからなかった。
    文章に好き、嫌いがあるが、すぐに好きになった。途中、ひらがなが多かったり、普通は使わない「たゆたう」などの言葉が出てきて、読みにくいと感じることもあった。でも、独特のリズムがあり、行ったり来たりする、人の気持ちの揺らぎを、自分事として感じることができたように思う。

    ついてくるものは、最初、はっきりしない。途中からリアリティをもって感じられるようになってくる。主人公のメンタルも崩れる一歩手前までくる。それが離れていくことになるが、メンタルの危機は離れ、明るい前向きな気持ちに変わっていく。

    まるで人生そのものではないか。単に恋愛だけでなく、いろいろなことを考えてしまった。
    また、読み返したい。

  • 最後の解説を読んで、なるほどと思った。正直、内容は難しかった。かったけど、なぜか読みたい、続きが知りたく読み進めた。主人公の京が自由なのに不自由で…苦しくて、でもそんな彼女が羨ましい。そんな感じを受けた。
    女性は、憧れてしまうのだろうか。どうだろうか。文章の一つ一つが一連の真珠のような哀しい、美しい本。

  • 夢と現実と過去と妄想を頻回に行き来しているのと、主人公の話し方が独特なので、やや読みにくいかもしれません。が、途中からは主人公と青磁の関係や、礼のゆくえ、「女」の正体に惹かれて何だかんだ最後まで読めました。好みの分かれる作品だと思いますし、中だるみするところが何ヶ所かあります。
    タイトルにもあるけどなぜ「真鶴」なのか?今夏にこの作品とともに真鶴へ訪れたのですが、何となく理解できました。例えば熱海だったら賑やかで適さないだろうなーって

  • 自分の中で深い喪失経験が来た時にまたじっくり読みたくなる本

    主人公 京の頭の中は、ずっと夢遊していて何が現実なのかもよくわからないようなふわふわフワフワしているのだけれども、すごく読み応えがある文章である。

    まさに純文学という感じだ。

    朝っぱらに読破してしまったので、夜とか1人で寂しい時とかそういう時に読んだ方が、良さそうだ

    見えないものが見えちゃう被害妄想的なところとも違う でも絶対に現実的ではない場面をフワフワとしつつ鮮明に頭の中に浮かび上がらせる それはすごい

  • 人との距離や時間軸がにじむ感覚が新鮮だったが、同時に微睡んでしまって退屈だった。朝の光が悲しみを霧散させる、という文が気に入った。寝る前の睡眠導入として、水の上に浮く想像をするところも。

  • 心の中の葛藤が正直過ぎて切なくなる
    がんばったね
    辛かったね
    時間が
    大切なものの存在が
    現実に導いてくれたね

    執着しない事が「トレンド」な昨今
    それに反した執着ありきの
    とてもシンプルで普遍的な「愛」のお話しでした

    こんなふうに
    さらけ出した文学はとても好物です
    幽霊の解説もとても良かった

  • 川上弘美さん3冊目。
    短編集は普通に楽しめた。
    2冊目の《某》そして3冊目の《真鶴》4冊目?
    私には無理!
    挫折。

  • 真鶴という場所にはたびたび行ったことがあり、縁がある。その流れで読んだ一冊。
    文体が綺麗で儚げで、特に句読点の多さや漢字で書くところを平仮名としたりなどの書き様がそのあたりを演出しているように思った。
    あとがきでようやく気がついたが、主人公は少し精神を冒されているという状態だったようだ。最後まで感情移入が難しかったが、夢現の描写はとても美しく感じた。

  • あなたにとって、思い入れのある場所はどこでしょうか?

    世界には数多の観光地があります。例え仕事をやめて一生そんな観光地巡りをしたとしてもその全てに行き尽くすことなどできません。もちろん、観光地といっても幅があります。例えば、それを世界遺産だけと限れば行き尽くすこともできるかもしれません。しかし、それでは単に巡ること自体が意味となってしまいます。もちろん、それも考え方ではありますが、せっかく訪れるのであれば、自身が行ってみたいと感じる場所に行きたいものです。

    そう、私たちはそれぞれに嗜好が異なり、世界各地のどの場所に心囚われるかは当然に異なります。”リピーター”という言葉がある通り、新しい場所を次から次へと訪れることよりも自分が好きと思える場所に何度も訪れる、それがその人にとって心地よい時間と考えるのであれば、もしくはその場所を訪れること自体に何らかの意味があるのであれば、その行為は単に新しい場所へ行くことを目的とした旅よりも遥かに意味のあるものなのだと思います。

    さて、ここに「真鶴」という場所へ何度も赴く一人の女性が主人公となる作品があります。

    『また、真鶴へ?…真鶴に、いったい、なにがあるの』

    そんな風に実母に訊かれ、

    『なにも、ないけれど、いく』

    そう答える主人公が登場するこの作品。そんな「真鶴」の地を訪れて『こうしてまた真鶴へとひきよせられて来たのか』と、自らの心の内に目を向ける女性の姿を見るこの作品。そしてそれは、そんな女性が『真鶴に置いてきたもの』を知り、その先に歩き出す瞬間を見る物語です。
    
    『歩いていると、ついてくるものがあった。まだ遠いので、女なのか、男なのか、わからない。どちらでもいい、かまわず歩きつづけた』というのは『入り江の宿を出て、岬の突端に向かう』主人公の柳下京(やなぎもと けい)。『東京駅で人と会う用件があ』り、その後『中央線に乗ろうとしていたのに、どうしてか東海道線に足が向かい、乗った』という京は、『心ぼそくな』るのを『我慢した』挙句、『真鶴』で降りてしまいました。『母親年配と息子年配の男女の二人でやっている小さな宿に、泊まった』京は、『「朝食は」と聞く息子の声に、おぼえがあ』りますが、『それが誰なのか思いだせ』ません。その後、『地下にある』暗い『風呂』に入りながら、『青茲(せいじ)のことを思いうかべ』る京は『カーテンの隙からみえる外の色が黒から青に変わるころ』眠りにつきました。そして、九時過ぎに起きた京は、『岬までの道を聞』くと、宿を後にします。『ゆるやかなのぼりの一本道だった』という道を歩いている時、『息子の声が、誰に似ているのかを思い出し』た京。それは、『失踪した夫、十二年前に突然姿を消した夫の、寝入りばなの声に似てい』たのでした。『何のしるしも残さず、居なくなった。消息は、今もいっさい聞かない』という夫の礼(れい)。そんな時、『ついてくるものが、す、と離れていった』のを感じた京は、『夫が失踪して二年間』のことを思い出します。『母に頼んで一緒に住まわせてもらい、来る仕事をすべて引き受け』という日々。そんな日々の中で出会い、すぐに関係も持ったのが青茲でした。再び歩き始め『岬の突端が近づいて』くると、『またついてくるものがあ』ります。『こんどは女だ』と思う京は、『ついてくるもののことを、誰に話したことも』ありません。そんな京は、『夫は死にたいと思ったのだろうか。それとも、生きたいと思ったから失踪したのだろうか』と考えます。そして、駅へと引き返した京は、『各駅停車』に乗りました。場面は変わり、『ただいま』とよびかける京に『あいまいな声をたて』るだけなのは、娘の百(もも)。一方、『母は買い物に』出かけていることを知った京は、百に『今日のお弁当、なんだった』と訊きます。それに『鶏だった、少し甘いの』と答える百は『来週の水曜、保護者会があるよ』と言います。それに『出席に丸して、出しといて』と伝えた京。そんな中、『母が帰ってき』ました。『真鶴、どうだった』と訊かれ、『つよい場所だった』と返す京。そんな京、母、そして百という女性三人の日常と、京の元にあらわれる不思議感あふれる『ついてくるもの』が描かれていきます。

    “12年前に夫の礼は失踪した、「真鶴」という言葉を日記に残して。京は、母親、一人娘の百と三人で暮らしを営む。不在の夫に思いをはせつつ、新しい恋人と逢瀬を重ねている京は何かに惹かれるように、東京と真鶴の間を往還する”。そんな風に淡々と舞台背景が紹介されるこの作品。2007年に”芸術選奨文部科学大臣賞”という賞も受賞しています。

    それにしてもこの作品は兎にも角にも「真鶴」という地名、漢字ふた文字の書名と、表紙目一杯にこの二文字だけを配するという大胆極まりない表紙がインパクト絶大です。そんな「真鶴」という土地を、あなたは訪れたことがあるでしょうか?残念ながら私にはあまり縁のない土地で朧げながらおおよその場所を知るのみです。そんな地には半島があり、その形が”鶴”に似ているからという理由で「真鶴」と名付けられたとされています。思わずGoogleMapを開いてみましたが、三浦半島と伊豆半島の間にこんな不思議な形をした場所があるとは今の今まで知りませんでした。中学校の教科では地理が一番好きだったんですけどね(笑)。さて、そんな「真鶴」は”東京”からJR東海道線で18駅・1時間34分という距離感の場所でもあります。この作品には、小田原、国府津、そして熱海といった同じくJR東海道線の駅名も登場します。何せ書名が「真鶴」ですから、そういった位置関係をおおよそ理解してから読書に入るのが吉だと思います。

    では、この作品を見ていきたいと思いますが、やはり「真鶴」なんだと思います(笑)。上記の予習ではなく、本編に記される彼の地の不思議な魅力を見ていきたいと思います。まずは、「真鶴」の海を描写した箇所をどうぞ。

    『海はつまらない。波が寄せるばかりだ。中くらいの岩に座って沖を見た。風が強い。飛沫がときおりとどいて濡れる。立春はとうに過ぎたというのに、寒い日だ。船虫が岩の下に入ったり出たりする』。

    もう一箇所どうぞ。

    『風が強い。さきほどよりも、さらに強くなっている。港の中はいくぶんか波が低いが、堤防をけずりとる勢いでどんどん外から波がおしよせてくる』。

    どうでしょうか?もちろん季節ということもあるとは思いますが、それでも「真鶴」という土地、そしてその海は太平洋に面しています。まるで日本海を思わせるようなこの海の描写に驚きます。ほんの50分、東へ車を走らせれば、湘南の海と考えてもこの表現の厳しさには驚くしかありません。そして、そんな『半島の突端』でバスを降りた主人公・京が辿る景色を見てみましょう。

    『いったん崩れて、またあらわれた白いレストハウスが、今は元のかたちを残さぬほどに朽ち果てている』と、『いつか来た場所』へと降り立った京は、『岬から海へ降りる階段を』進みます。『階段がとぎれると、コンクリートでかためた斜面があらわれ、しばらくするとまた階段になる』という先に、『凪だ。潮が引いて、沖にある大岩までつづく岩礁があらわれている』という光景を目にした京。『岩から岩へ、飛ぶようにしてゆく。大岩はきりたっていて、のぼることはできなかった。引き返して、海岸から水平線をみる』という京は、『夕日がしずんでゆくまで、みつづけ』ます。

    こちらも上記した日本海を思わせるような荒れた海の表現の延長線上にあるような雰囲気が漂います。これが次に挙げる事がらと雰囲気感を見事に共通とし、物語世界を作っていきます。上記した通り、私は「真鶴」という地を訪れたことがないのでなんとも言えませんが、ある意味とても絵になる土地とも言え、是非訪れてみたいと思いました。

    そして、この物語世界の雰囲気感を終始支配するもの、それこそが、物語冒頭に『歩いていると、ついてくるものがあった』と、物語を読み始めた読者をいきなり不穏な空気が包む『ついてくるもの』の存在です。川上弘美さんの作品には人のようでいて、人ではない存在が登場するものがあります。例えば「龍宮」では、”おれはその昔蛸であった”と話す存在など、”不思議世界のイリュージョン”を八つの短編それぞれに魅せてくださいます。一方でこの作品に登場する『ついてくるもの』とは、さらに抽象的です。

    ・『ついてくるのは、海のものかとも思った』。

    ・『うじゃうじゃついてくることが、ときたまある… 二十人も、三十人も、いっぺんにくる』。

    ・『密度の高いものだった。人間ではない、毛のはえた動物のようなもの。安定期に入り、つわりがおさまったころのわたしに、似たもの』。

    なんだかわかるようでわからない不思議な存在、それが『ついてくるもの』です。物語では、そんな『ついてくるもの』の中でも、

    ・『女はまだついてくる。言いたいことがあるのだろうか』。

    ・『その女が二日つづけてついてきたので、ふたたび真鶴に行こうと思った』。

    という『ついてくる』『女』に集約されていきます。明確に複数回ついてくることから、『言いたいことがあるのだろうか』と思う京は、「真鶴」へと向かいます。それこそが、『礼となにか関係のある女だという気がした』という感情に基づくものです。

    この作品で主人公を務める京は、『頼まれていた小説の、最初の稿ができた』という表現から小説家であることがわかります。作品中、特に後半になって、そんな小説家・京が執筆を行う場面も登場しますが、一方で、内容紹介にもある通り、そんな京は『十二年前に突然姿を消した夫』に今も心を囚われています。それを「真鶴」の海の表現の延長線上にこんな表現で描く川上さん。

    『礼は、引き潮のようだった。踏みしめていても、からだをもってゆかれる』。

    そんな礼が書き記した日記の中に『失踪のひと月ほど前の日付』で書かれた「真鶴」のふた文字にこだわる京。そんな京は一方で青茲という『家庭というものに属している』男とも逢瀬を重ねていきます。物語は、そんな中途半端な状態の中で心が揺れ続けている京の心の内を『ついてくるもの』の存在を絶妙に重ね合わせながら描いていきます。この表現が絶妙です。『風呂をで、青茲とちがって』、『息子が紙に鉛筆で説明した』、そして『するとき、青茲は声をたてる。笑うときには、たてないのに』と、文字を追っていくとどこか引っかかり感じる表現の数々が読書のスピードを落とさせます。そして、上記したように太平洋を描いているのに何故か薄暗い、鬱屈とした風景の描写が心をどんよりさせます。さらには、これまた上記した通り『ついてくるもの』という、どこかこの世のものでないものの存在が読む者を鬱屈とした空気の中に閉じ込めていきます。これは不思議な読書です。読むのをやめたくなるのにやめたくない、早く読み終えてしまいたいのに、読み終えたくない、なんとも摩訶不思議な感情に包まれます。そんな中に、一つの結末を見る物語、「真鶴」という地名に、心囚われる物語だと思いました。

    『夫は死にたいと思ったのだろうか。それとも、生きたいと思ったから失踪したのだろうか』。

    そんな思いに囚われたまま十二年の歳月を送ってきた主人公の京。この物語では、そんな京が「真鶴」という地を幾度も訪れる先の物語が描かれていました。どこか読みづらい文章の連続に、結果として一文一文にじっくりと向き合うことになるこの作品。『ついてくるもの』という謎の存在に心囚われるこの作品。

    本文中に70回も登場する「真鶴」という地名に、読者まで心を持っていかれそうにもなる終始不思議な雰囲気感に包まれた味のある作品でした。

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著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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