戦争の法 (文春文庫 さ 32-5)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (439ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167647056

感想・レビュー・書評

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  • 1975年、日本海側のN****県は、突如日本からの分離独立を宣言、ソ連がそれを支援し、事実上N****県はソ連の占領地のようになってしまう。日本政府はアメリカの協力を得て対策に乗り出し、N****県内では、ソ連軍に協力する義勇軍と、彼らに対抗するゲリラとの抗争が勃発。当時まだ少年だった語り手・酒々井(しすい)たかしは、幼馴染で親友の千秋と共に、ゲリラ軍に身を投じるが…。

    物語はすでにすべてが収束したずっと後に、語り手の回想録という形で綴られていくが、冒頭で、どこまで事実かは保証しないよ的なことを語り手自身が言っていてトリッキーかつ重層的な構造。そういう解釈の仕方云々を別にしても、とりあえず読み物としてとても面白かった。

    N****県は、まあ普通に考えて新潟県。その地方の歴史として奥羽越列藩同盟まで遡り(その家老は河井継之助ですね!)地元有力者の権力争いの構図、父と子、兄弟間の骨肉の争いや葛藤などは、なぜか中上健次の路地ものを彷彿とさせられた。

    なにより、登場人物がとても魅力的。伍長かっこよかったなあ。私も伍長にならついていきたい。射撃の名手で中性的な美少年、千秋の存在も、作品にちょっとお耽美スパイスを加えていて良き。伍長の参謀格の日和見、爆薬専門の勝沼少尉(終盤で18歳とわかっておどろいた)なども皆個性的で好きだった。

    幕末ものの小説などを読んでいると、乱世でしか生きられないタイプの人物、乱世でのみ本領を発揮するタイプの人物が多々登場(実在)するけれど、この小説にもそういうタイプの男たちが沢山登場する。そういう人物の多くは、平和な時代を生きるには適さなくて、そうなる前に自ら望んだかのように戦死してしまう。生き残った語り手の悲哀が切ない。

  • どこにもスッキリ感がない戦争回想小説。佐藤亜紀がすっきり爽快戦争物を書くわけないと思ってはいたのだけれど、見事に話の腰を折っていく、そして戦争なのに人が私怨で動きまくる。ゲリラや義勇軍のような組織はそういうものかもしれない。

    自分は戦闘の描写よりも、土地の実力者の在り方を描いた箇所のほうが怖かった。小さな共同体では自分が何者であるかを常に他のメンバーが監視している。自分の立場を表明し続けなくてはならず、途中で面倒になってリセットするわけにもいかない。誰かの側についたら運命を共にしないといけない。とても嫌である。

    そして語り手はいったんは出ていったその場所に帰っていって、宙ぶらりんになって生きていく。戦い方の法は身に着けたけれど平時の社会で立ち回る方法は覚えきれずに。『ディア・ハンター』みたいだ。

  • 直感的、口語的表現に傾倒する現代文学に逆行するような独特の重さ、その語り口。
    こういう「文学」に飢えている 私もそのひとり。

    舞台が欧州ではなく日本(のN県)なので人物名や地名、その位置関係がすっと頭に入ってよかったです。
    なんてことはどうでもいいか。

    佐藤亜紀の小説に於いては『千秋』が主人公になりそうなタイプなのですが、そうではないところもよかったです。
    なんてこともどうでもいいか。

    平和を願うとは利己的な事 というようなくんだりが私には応えました。
    他力本願ななもんだ、と私も思う。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「こういう「文学」に飢えている」
      心地良い重さです。
      新しい本を読む時間を作ろうと、四苦八苦しているのに読み返してしまう。。。。
      「こういう「文学」に飢えている」
      心地良い重さです。
      新しい本を読む時間を作ろうと、四苦八苦しているのに読み返してしまう。。。。
      2012/11/09
    • marikoさん
      nyancomaruさん
      読み返すのもいいですよね。
      私の場合は内容やオチを忘れてしまうもんですから…。
      nyancomaruさん
      読み返すのもいいですよね。
      私の場合は内容やオチを忘れてしまうもんですから…。
      2012/11/12
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「忘れてしまうもんですから…。 」
      実は私も、、、
      「忘れてしまうもんですから…。 」
      実は私も、、、
      2012/11/19
  • 好きだなあ、この作品。
    佐藤亜紀という作家は、「賢いのに(賢いから?)転落していく人物」を描くのが、抜群に上手いと思う。冷淡にも思える文章なのに、重いが自在な感じがして、諦観のようなものが漂っていて、にもかかわらず、日本的ではないロマンの香りがする。

    N県という日本の一地方が舞台でも、田舎特有の淀んだ空気と人間関係の中だからこそ起こったことであっても、それでも日本離れしたロマンチシズム。これっていったいなんだろう。

    序盤は、ちっともページが進まない。だけど、回想に入るとサクサク進む。特に、伍長という人物がすこぶる魅力的。キレ者だがどこか甘くて愛嬌のある悪党ってどうしてこんなに魅力的なんだろう。

    戦争って、なんなんだろうな。大義名分とか、そんなのとはほど遠いところの、その辺の人たちがありふれた事情と欲望にまみれてドンパチやらかす、戦争ってなんだろう。そんな非日常が日常だった時代をリアルで過ごした「私」にとっては、戦争が終わってしまった後の時代は「余生」みたいなものなんだろうな。

    序章で「これはフィクションだから」と書かれてしまっていることで、なんとなく煙に巻かれたように、書いてあることの何を信じればよいのかわからなくなる。もしかすると、N県独立運動自体がまったくの作り物なのかもしれないし。それでも、「私」のシニカルで冷静で俯瞰的な視野だけは本物で、だからこそ、文章の内容や登場人物の実在非実在はともかく、この「事件」の形をもって書かれた「人間(の欲望やら本質やら)」は確かに本物なんだろうと感じてしまう。その時点で、すでにこの「回想録」の術中にはめられてしまっているのだろう。

  • オペラと文学を愛好する少年ゲリラですぞ。設定だけでもうクラクラして危険。硬質な文体でドラマを抑えようとすればするほど切先からロマンが溢れ出てくるという矢鱈かっこいい小説。任侠もある。痺れた。超傑作。

  • すぐそこで戦争が始まって、よく知っている人たちがその中で生活して、私は自分の日常の中からそれを見ていて、特別それを不自然な状況だと感じない。
    戦争の中でもみんな生きて、あるいは死んで、いつしか戦争が終わり、家に帰る。

    みんないつかは家に帰る。
    それは幸せなことでも不幸せなことでもなんでもないことでもなくて、ただそういうものなのだろう。

  • 1975年、日本海側のN***県は、突如日本からの独立を宣言する。街はソ連軍が大挙し、「私」は少年ゲリラの一員となるが・・・。

    読み始めて、「こんな小難しいの、とても私には読めん」と本を投げ出しそうになったのだが、なんとか四苦八苦して読みまくっていたら、第一部の終わりぐらいから俄然面白くなった。よかったよかった。
    はっきり言って、第一部はこの物語を語る上で、主人公の「私」(あるいは作者)がどうしても済ませておきたい儀式のようなものだったのだろう。または、この途方もない物語を語る上での、長い断り書きと言ってもいいと思う。
    つまりは作者のプライドの問題ですね。少なくとも私はそう思いました。

    さて、本編である。
    これは戦争の話なのだが、私は戦争が一体何なのかよくわからないので(これからもきちんとわかることはないと思うけど/だからこの本の第一部もつまらなかったのだろう)、戦争における社会だとか集団だとかのなんたらかんたらはパスする。
    では何が面白いかというと、自分の利用価値を、どうすればもっとも上げられるか、そこのところを突き詰めると、「戦争」というのはとても面白いな、というのをこの本を読んでいて思ったのだ。
    これは、よく言われるように、天下に名だたる戦国武将たちが現代に来たら、素晴らしい仕事をするかというとそうではない、というのと同じことだ。つまり、戦争でこそ発揮される才能があって、それは日常生活では全く役に立たない、むしろ不適応なのだが、それゆえに戦争という一種の狂乱状態では、莫大な成果を得る(こともある)、ということ。
    とんでもない才能がとんでもなく面白くなる場所、それが戦争。それがエンターテイメント。少年誌からバトル漫画がなくならないのも、戦国時代がとても面白いのも、みんなこのせいであると思う。

    そういう意味では、私はこの小説をマンガみたいだなと感じたのだが、作者はそれを聞いたら嫌がるだろうなぁ

  • 面白くて一気に読み終わった。淡々とした語り口がツボ。

  • 最初はめんどくさい書き方をする主人公(著者)だなぁ、と思ったけど読み進めていくうちにいつの間にか引き込まれていました。
    それにずっとドキドキしっぱなし。
    といっても別に先の見えない展開で~ということはなく、むしろわかりやすいくらいだったと思う。
    テンポがいい、というわけでもなかったし・・・なんでだろう(笑)
    登場人物が魅力的だからかな・・・
    必ずしもいい人たちではなかったけど、自分にとってかなり魅力的でした(笑)

  • 僕が彼女の大ファンだということを贔屓目から差し引いても、傑作と言わざるを得ない。
    突如日本から分離独立したN県を舞台にテロリストとして活動した男の回想録。と、書けば単なる架空戦記に捉えられかねないが、仮にそうだとしても、これ程の小説はやはり彼女しか書けないだろう。

    冒頭、「これは作者自身も含めてフィクションである。私の言葉は信用に値しない。」と述べることによって、この作品は十重二十重のプロットを得る。つまり何でもアリにしてしまうのだ。しかし、決して逸脱はない。あくまでも「小説内事実」に即して描かれている。そうしてから、あらゆる事象を揶揄し、皮肉り、糾弾するのだ。

    メタフィクショナルに語られる場合、期待される効果はアイロニーだが、彼女の場合には全く逆説的に行使されている。「私」は徹底的にモダニストで、まさに言葉の限りを尽くして虚構を張る。ハリウッドにでも転がっていそうな紋切り型ストーリーを「私」は臆面もなく展開する。しかしそれは「私」自身がメタだという言質を盾にすることで虚構性を保証するから為せる技なのだ。だからこそ「私」のことさえ俯瞰的に描かれるのである。
    「私たちは時間を殺す為に読書するのだ」、「フランス人は説明しようがない程人道主義が好き」、「世の中に批判的読み方というものがあることを、どうやって高校の教師に納得させようというのか。そんな読み方が出来る人間はそもそも教師にならない」等々言いたい放題語り部である「私」は言ってくれるが、恐らく著者の言葉だと推察できる。ややぺダンチックなのも佐藤の趣味だろう。

    佐藤の文体の特徴は簡潔にして精緻。文学的レトリックなど必要性を感じさせない程、恐ろしく的確な言葉の数々。言葉の表象と戯れる、まさに日本版ナボコフといえる。
    芸術性とエンターテイメントを両立させる傑作。

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著者プロフィール

1962年、新潟に生まれる。1991年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。2002年『天使』で芸術選奨新人賞を、2007年刊行『ミノタウロス』は吉川英治文学新人賞を受賞した。著書に『鏡の影』『モンティニーの狼男爵』『雲雀』『激しく、速やかな死』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』などがある。

「2022年 『吸血鬼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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