金輪際 (文春文庫 く 19-12)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167654023

感想・レビュー・書評

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  • 表題作含む毒気に満ちた私小説数作の他、主人公に自己を投影したセンチメンタルで退廃的な男女作品群が特に目を引いた。あとがきの三浦氏による、作者への『幻想小説作家』という形容がとても腑に落ちた。
    粒揃いの短編集で非常に満足度が高い。

  • 頑なな精神と、小暗い感性。
    全ての物事を、彼(車谷長吉さん)のように物の陰からじっとりと覗き見ていたら、確かに精神に異常(『変』に書かれたような、心的外傷による心臓疾患)を来すだろうと思えた。
    沁み入るように、ドブのようなヌルい暗さが心に滲んで、いつしか鬱屈とした快感が生まれてくる文章。
    けれど、世を嫌い疎み、人を憎み妬み、全てを忌み嫌う作者の文章に、どこか幻想的で美しいものを感じる。一筋、希望のような、何かにしがみつきたいような、純粋なものを感じる。
    やはり、彼の文章は(赤目~のレビューでも書いたが)『上辺だけでしか物事を判断出来ない、薄っぺらい意識では、読後何も得る物は無いかも知れない。』

  • 「静かな家」 高所恐怖症の説が面白い。「金輪際」 子どもの頃の話。「変」 長吉さん入院す。「漂流物」にて、何故芥川賞が獲れなかったかが書いてある。確かにそれは「おのれッ」であるよ。その時の世相に左右される程度の賞ならば、芥川賞なぞとものしく呼ばず、「売って儲けま賞」とでも付けておけ。9人の選者の釘打ち許す。私からも天誅。ちなみに、保坂和志の「この人の閾」にまけたそうだ。忌んで良し!他。

  • ある平凡
    児玉まで
    が、長吉らしいのに、
    長吉らしくないという感覚があり、
    こういう言葉の選び方で、
    こういう情景を描くことができるのかと新鮮に感じたが、
    昭和57年と58年の発表作品ということを知り、
    妙な納得があった。

    業に満ち、限りなく生々しく主観的であり、
    あの世とこの世の際のような怖さと、
    同時に、それが故に幻想的でさえある物語の元型は、
    既に完成されているが、
    後に生み出される数々の傑作に続く、
    萌芽なのだ。

    いずれも良作なのだが、
    ここから限りない自己批判と、
    自己愛の終わりなき渦に巻き込まれ、
    抜けだしていくからこそ、
    車谷長吉が完成したのだろうと感じられた。

    本当に心から、
    この先老いを重ねることで行き着く、
    彼の文学の骨頂を確かめられなかったことが、
    惜しまれてならない。

  • 自分はどうしようもない俗物で、しかも根性なしである
    それがわかっているからこそ、文学をやって君子を演じようとしたのだ
    しかし、もちろん、どこまでいってもそれは欺瞞にすぎなかった
    「漂流物」が芥川賞に届かず
    そのうらみで人形に釘を打ったという有名なエピソードは
    この本の「変」という作品にあります

  • 単行本の方で読了済みだったんですけれども、再読したくなり、今回文庫版を手にすることに…最近、小説とかは読み返しが多くて新規に手をつけていないんですよね…そういう年齢になったのかどうなのか…まあ、どうでもいいんですけれども…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    車谷さんの小説は面白いんですけれども、文章に見慣れない漢字が多くて文盲の自分は疲れてしまう… ←え??

    ↑…のですけれども、やっぱし面白かったですよ!! これは短編集のためか、気軽に読める感じもありますし…題材とかもアレですね、身辺のこととかが中心でそれほど肩肘張らずに読める感じに仕上がってます…

    ヽ(・ω・)/ズコー

    こういう個人的な恨み・辛み話を書かせたらマジでうまいですね! 車谷さんは…そんなわけで車谷さんの著作は全部読んでいきたいところではあります…さようなら。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  • 「変」の審査員たちを呪う場面、笑ってしまった。

  • 収録作「変」は小説というよりもエッセイのような作品。吹き出してしまったところあり。
     作品もいいが文庫版の三浦雅士による解説に感心した。個人的に非常に久しぶりに名前を見た。車谷は、私小説作家というよりも、幻想小説作家であると彼は唱える。その論証をしていくのだが、非常に納得がいった。「私小説」とはなにかという定義を明確にあげていてすごく腑に落ちた。三浦雅士の評論を再読しようという気になった。

    本文の引用ではないのでここに書く。
     ”私小説は身辺に取材するなどという呑気な定義に立っているのではない。そんな定義は無意味だ。私小説の根本は倫理にある。倫理の根本は自己批評にある。執着、怯え、慄き、嫉み、羨み、恨み、憎しみは、強烈な自己批評から生じるのであって、自信の欲望を凝視し的確に批評する力がなければ、これらの強い感情は浮かび上がりはしない。自体に怯え慄き、しかも魅了され執着し、そのことを恥じ、恥じなくていい者たちの資質を、境遇を、階級を、嫉み、羨み、怨み、憎む。それが生きているということの感情なのだ。この感情を抉り出し、拡大して観察するためには、生体解剖の如き苦痛を伴う自己分析がなされなければならぬ。私小説が暗いといわれるのは、読むものに同じ苦痛をしいるからである”

  • 暗い。ここに暗さを感じるのは誰しもなのだろうか。人が皆、聖人君子でないことは分かるが、残忍さとか狡猾さみたいに嗜好性や利益の伴わない汚さや弱さを思い起こさせられる。しっかり隠したはずの劣等感やそれに伴う卑屈な諦念みたいなもんをほじくり返されるような嫌な気分にさせられる。

  • 怖いよこの語り口は。

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著者プロフィール

車谷長吉

一九四五(昭和二〇)年、兵庫県飾磨市(現・姫路市飾磨区)生まれ。作家。慶應義塾大学文学部卒業。七二年、「なんまんだあ絵」でデビュー。以後、私小説を書き継ぐ。九三年、初の単行本『鹽壺の匙』を上梓し、芸術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞を受賞。九八年、『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞、二〇〇〇年、「武蔵丸」で川端康成文学賞を受賞。主な作品に『漂流物』(平林たい子文学賞)、『贋世捨人』『女塚』『妖談』などのほか、『車谷長吉全集』(全三巻)がある。二〇一五(平成二七)年、死去。

「2021年 『漂流物・武蔵丸』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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