デッドエンドの思い出 (文春文庫 よ 20-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167667023

感想・レビュー・書評

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  • 表紙絵からも分かるように読むならば秋。5つの短編集。つらい出来事、落ち込むことがある各話の主人公たち。でもなぜこんなにも多幸感があるのだろう。よしもとばななさんが当時「これが書けたから小説家になってよかった」的なインタビューがあったように、魅力あふれる読むたびに引き込まれるような作品だった。表題作がとにかく好き。何度も読み返すが、毎度良いという奇跡。
    心に残り続けている。

  • ずっと美しい装丁が気になっていたんです。
    どのお話もその印象の通りでした。
    それにしても、自分でも意識できていない、重い暗い気分や感情を言葉にするのが本当に上手な方ですよね。でも最後には前向きでキラキラしていて、自分のことが好きなにれそうな、そんなお話たちでした。『あったかくなんかない』だけは少し違いましたが。
    表題作に登場する西山君の、「相手が君の人生からはじき出されたと思えばいい」というセリフはなんだか元気が出ました。

  • よしもとばななは、ずーっと昔に『キッチン』を読んで以来でした。もうそのキッチンも、記憶が薄くなってしまって、よしもとばななってどんなだったっけ?という動機の読書でした。

    『デッドエンドの思い出』は5つの短編が綴られています。

    どれもかなりその人にとっては過酷な、でもあり触れたともいえる過去の心の傷から、ふとした出会いで吹っ切れていく時の心情の変化が描かれてます。最後の『デッドエンドの思い出』がいちばん良かったかな。

    辛い事から抜け出られる瞬間って、何か劇的な事や直接的な強い言葉とかで助けられるのではなくて、こんな風だなと思う。どの話も、読後がふわっとあったかく、ちょっと疲れている時や、何かサラッとしたサプリが欲しいような時に読むといいかなという本でした。

  • 心に傷を負った時、無理に治そうとするのではなく、見ないふりをするのではなく、ただ一緒に回復を待ってくれる人がいれば、どれだけ支えになるだろう。
    この本は、そういう本。

    とても透明で、すこぶる柔軟で、暖かい心を持った人がいる。
    育ちがいい、というか、育てられ方がいい、というか、極めて自然に人のために動くことができる人がいる。
    直接問題が解決するわけではなくても、その人がそばにいてくれたら、イケそうな気がしてくる自分がいる。

    この本が人気なのは、そういうことなのではないかと思う。

    作者は、出産を一か月後に控えて書いた表題作を「これが書けたので、小説家になってよかったと思いました。」とあとがきに書いているが、私は『「おかあさーん!」』を読んで、彼女が小説家になってくれてよかったと思った。
    朝、仕事を始める直前まで読んでいたら、目が真っ赤になってしまって大変困ったけれども。

    “おかげで私は、中途半端に体の具合が悪くなるということはどれほどたちの悪いことか、身をもって思い知った。ずっと微熱の続く風邪のようなもので、起きていられないわけでも、働けないわけでも、笑ったり泣いたりできないわけでもなかった。ただいつでも、だるくて、頭の中がしびれているような感じだった。だから、何をどうしたらいいなんて何にも考えられなかった。ただ、頭がはっきりするまでをしのいでいただけだったのだということもわかった。”(「おかあさーん!」)

    そう。ただだるいだけ。気力がわかないだけ。
    自分の心がどれほど小さく固く凝りかたまっているのか気がつかなかったころ、私もそう思っていた。
    すぐ治るはず。大したことない。
    でも、実は自分がものすごく我慢をしていたことに気づいたとき、少し息をすることが楽になった。
    そんなことを思い出した。

    “それは神と呼ぶにはあまりにもちっぽけな力しか持たないまなざしが、いつでもともちゃんを見ていた。熱い情も涙も応援もなかったが、ただ透明に、ともちゃんを見て、ともちゃんが何か大切なものをこつこつと貯金していくのをじっと見ていた。”(ともちゃんの幸せ)

    見ていてくれるなら、それだけでいいと思う。
    見ていてくれるなら。

    作者の考える幸せの情景って、部屋でマンガを読むのび太とドラえもんなんですって。
    なのでこの本は、藤子・F・不二雄先生に捧げられています。

  • 短編集。この本のタイトルにもある「デッドエンドの思い出」が特に良かった。
    悲しい出来事なはずなのに優しく包まれていくような感じ。

    キッチンで初めて吉本ばななさんの小説を読み「好きだなあ、こういうの」と感じていたものが、デッドエンドの思い出を読み、やっぱりこの人の作品が好きだっ!!になった。

  •  すごく大変なことが起きて、毎日寝る暇も惜しんで仕事をして。本なんて読む時間がないよ、でも短編なら合間に読めるかな、と思って。ずっとアマゾンの欲しい物リストに入れておいたこの本を買った。結局、たまたま時間ができて、すぐに最後まで読んでしまった。
     どの短編の登場人物も、つらい思いをして、普通ならとても耐えきれないと思うほどなのに、逃げながら、流されながら、受け止めていく。「俺や君の、不幸なんて、比べ物にならないものがこの世にはたくさんあるし、そんなの味わったら俺たちなんてぺしゃんこになって、すぐに死んでしまう。けっこう甘くて幸せなところにいるんだから。それは恥ずかしいことじゃないから(デッドエンドの思い出)」
     私はよしもとばななさんの作品は数える程しか読んでいないし、代表作もまったく手つかずなので、こういう言い方はおこがましいのかもしれないけれど、このかたの作品は、悲しみの深層をえぐりながら、それをいつも柔らかく救ってくれる。淡々を悲しい事実を綴る小説はある、いくらでもある。私が読んだよしもとさんの作品は、悲しみ、つらさを心の奥底からすべて引っ張り出しているのに、それを入れた器は透明であたたかく愛に満ちている。そういう文章にいつも、私は穏やかな息を吐いて最後の頁を閉じる。こういう小説が世の中にあるというのは、ありがたいことだ、と思うのである。

  • 本を読んだあと心に残るもの、とか言えば何とも小学生の感想文のようだけど、それこそが甘い甘い読書の「蜜」だと僕は思う。それは小説によって色も触感も匂いも温度も違うし、僕なんかはこうして何とか文章に残したいと思うけど、言葉で表現することが何よりもむずかしい抽象的なものであって、でもそのあいまいさこそが、読書の普遍的なよさでもある、というのは僕の勝手な思想であります。
    でもだからこそ(いつも)不思議に思うのは、ある小説を読むと言うこと、それはその小説の舞台、主人公の性格、状況はいつも決まっていて、読みはじめたら(というか作品が読まれる状態で存在する時点で)揺らぐことがない、どこまでも具体性に満ちた世界に飛びこんでいくことであるのに、その世界を突きぬけた僕の心には、あいまいで抽象的、かつ普遍的な「蜜」の味が残っているということだ(一つの小説を読み終わって、別のを読むとき、何となくそれを億劫に感じる理由の一つかもしれない)。
    そんなことを、この本を読んでまた強く感じた。
    ……短編集だからなおさらかなあ。
    それぞれ違う話で、それぞれ違う「蜜」なんだけど、ぜんぶが最後の「デッドエンドの思い出」のいちょう並木につながっていくような。不思議な感覚なんだけど、それがまたばななマジックっていうか。女性的というか、母性的?みたいな(もはや自分でも何言ってるかわからん)。とにもかくにも、最終的に短編集としてのこの作品の「蜜」に、物語の展開や、描写や、言葉選びに、読む人の心をまるごと包み込むような優しさを感じるのです。それで僕は、昼休みの社員食堂にも関わらず、目を赤くしちゃったんだろうなあと思います。

    「みんな、とりあえず形のとおりにふるまっているだけで、本当はそこの奥にあるすてきなものをお互いに交換しあっているのかもしれないと私は思った。……私はその日、……何ともならないおかしな道に沈んで行きそうだった自分が、不条理でいつ死んでもおかしくない、この不確かな世の中の仕組みの中でかろうじて働く、人間というもののよさに、大きく救い出されたような気がしたのだ。」(p.101)

    家族とか、恋とか、別れとか、幸せとか、絶望しても生きていくうえでとても大事な要素のこと(とくに人と人のつながりについて)をたくさん書いてくれていて、たぶんこれを書いたのがばなな氏にとってもそういうことを一生懸命考えた時期なんだろうなあと言うのはあとがきを読まなくてもわかる。こういう本に救われる人はけして少なくないはずだ。もちろん僕も、その一人なのですがね。

  • おそらく6,7年ほど前に読書好きの方がお薦めする本を探している時に知った本で、当時よしもとばななの著作も何冊か読んで好んでいたので手に取った。
    久しぶりに読み返してみようと思い再読。

    女性視点の少し切なさのある短編集で、いわゆる恋愛の成就をゴールにしているわけではないのが自分好みと思った。
    最初に読んだときはもっと好みだった気がするが、今回はそんなに心に刺さらなかったので評価は普通くらい。

    最初の「幽霊の家」が淡々としつつ、ほんのりしあわせと切なさがあって今回も好きだった。

  • どれも切ないお話。全体的に"悲しい〜どん底だけど、小さな幸せを見つけました〜"みたいなお話。
    どん底でも前向きになれる、前向きにさせてくれる人たちのあったかいお話なんだろうけど…
    あまり共感は出来ず、読み進めるのに苦労した。

  • 切なさが苦しくて、でも痛いようにわかる
    「おかあさーん!」「あったかくなんかない」「デッドエンドの思い出」がとてもよかった
    とにかく泣いた、、、涙で世界が歪んで読めなくなって思わず本を閉じた。

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著者プロフィール

1964年07月24日東京都生まれ。A型。日本大学芸術学部文藝学科卒業。1987年11月小説「キッチン」で第6回海燕新人文学賞受賞。1988年01月『キッチン』で第16回泉鏡花文学賞受賞。1988年08月『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1989年03月『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞受賞。1993年06月イタリアのスカンノ賞受賞。1995年11月『アムリタ』で第5回紫式部賞受賞。1996年03月イタリアのフェンディッシメ文学賞「Under 35」受賞。1999年11月イタリアのマスケラダルジェント賞文学部門受賞。2000年09月『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞受賞。『キッチン』をはじめ、諸作品は海外30数カ国で翻訳、出版されている。

「2013年 『女子の遺伝子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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