- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167667054
感想・レビュー・書評
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「TSUGUMI」+「海のふた」に更にスピリチュアルエッセンスをふんだんに練り込んだ感じ
チエちゃんにもカオリにも感情移入出来ないまま読み終わり、消化不良感がある。すぐに再読すると疲れそうなので、しばらくは寝かせておく。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世界はいつでもそこにそうやってあって、わたしたちは出会ったり別れたりを繰り返して、少しずつ変わっていく毎日の中で変わらないと思いながら日々を過ごしている。でも、同じように見える毎日は実はちゃんと違っているのだ。そして、そんな毎日をわたしたちは内にものすごく熱いものを抱えながら生きていているのだ。
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とにかく温かい気持ちになった。
なんだか涙がでてきた。 -
チエちゃんと私の不思議な同居生活の話。
身の回りに、ほんのささいなことにも輝きはある。自分だけの輝き・宝石のようなきらめきが。それを忘れちゃいけない。 -
依存。
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大した変化ではないと思っても、ふと振り返るともう二度と前の風景の中には戻れない。だから世界は無限に広くなりうるし、兆しも読むことができるのだろう。
生きていると、思わぬときに思わぬ答えが見つかるものだ。それが面白いから生きているともいえる。こんな瞬間でなかったら、私の中でよくというものはひとつの考え事としていろいろな思考の渦の中に消えていただろう。
私はある時点からまじめに何がしたいかを考え、何ができないかを考えた。いたずらに成り行きにまかせてだらだら生きるほどには、非現実的ではなかった。
我慢強く、でこぼこに、だらしなく。
深い水の底から見上げた多少ゆがんだ空でも、空は空なのだ。そういうふうに思う。
生きると毎日は真剣白刀取りのようで、スリル満点だ。
世の中に出るとはどういうことかというと、自分のことをどうでもいいと思っている人たちにも会うということだ。
何かを期待しているとき、人って少しだけ卑屈になるじゃない。その卑屈さを見るのがいやなんだ。 -
チエちゃんとカオリ、私はどちらに似てるかと考えて、最初こそチエちゃんかと思ったけれど、それは少し違う気がした。そして結果的にまだわかれない。
私はチエちゃんほどすべてを割り切れないし、カオリほどさっぱりもしていない。どちらかといえばウェットな性格をしているから、たとえば私がカオリの立場にいたとしたら、チエちゃんに執着し、チエちゃんの“保護者”ぶって彼女を愛してしまうだろうと思った。チエちゃんは私の好きになるタイプのコだった。
時折カオリが覗かせる“人間臭さ”に少しホッとしつつ、でも私は彼女のようにはなれないし、なりたくないな、と直感できた。 -
昔の、これぞよしもとばななという作品で、うれしくなりました。
一時、スピリチュアルな話に傾いてたので離れていたのですが、これはおもしろかった。「THUGUMI」と同じ雰囲気を持つ、女性二人のお話です。
デビュー当時のよしもとばななが好きなら、間違いなく気に入ると思います。おすすめです。 -
ゆるり柔らかで温かい気持ちになりました。
他者との空間があること。
流れるがままの空気。
わたしの生活にもあることを探してみました。
そしてちょっとしたことに感謝したりしました。 -
口語の流れるような、ばなな文体が続くと、うっかり頷いてしまいそう。
でも、それは違うと思う、と反論している自分が本当はいる。
そりゃ、そうだ。
私はカオリでもチエちゃんでも、吉本ばななでもない。
作者よりほんの少し長い時間を、私は私で過ごしてきたのだから。
ただ、「イタリアに対する熱い思いをところどころに込めたこの作品」に私もイタリアに対する熱い思いで、涙が出そうになる。
知っている、知っている、私もその感覚を知っている。
私には表現できない大事な瞬間を言葉にしてくれて、ありがとう。
そんな風に思った。
カオリとチエちゃんの静かな生活以上に、私はそこに惹かれている。
この本のイタリア語版を偶然にモデナの書店で買ったこと、絶対に忘れない。
私にとって、かけがえのない瞬間であることも。