ガセネッタ&シモネッタ (文春文庫 よ 21-1)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167671013

作品紹介・あらすじ

国際会議に欠かせない同時通訳。誤訳は致命的な結果を引き起こすこともあり、通訳のストレスたるや想像を絶する…ゆえに、ダジャレや下ネタが大好きな人種なのである、というのが本書の大前提。「シツラクエン」や「フンドシ」にまつわるジョークはいかに訳すべきかをはじめ、抱腹絶倒な通訳稼業の舞台裏を暴いたエッセイ集。

感想・レビュー・書評

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  • 米原万里のエッセイ集。その中でも、特に彼女の職業であった、「同時通訳」に関するもの(とても真面目なものから、ユーモアたっぷりのものまで)をテーマにしている。
    本書は、書下ろしではなく、米原万里が色々な雑誌に書いたものを集め、再編集したもの。本書の単行本の発行は2000年12月であるが、雑誌に書かれたものの初出は、97年から00年まで、特に00年のものが多い。
    米原万里は1950年生まれであるが、作家としてのデビューは遅く、1995年。亡くなられたのが2006年なので、作家としての活動期間は10年強と非常に短い。しかし、多作の人であり、Wikiによれば、この期間中の単独での著作を20冊以上、その他の共著や対談集等、作家として非常に多くの仕事を残されている。彼女の著作の愛読者であれば分かるが、著作は1冊1冊にボリュームがある、けっこう分厚さのあるものが多い。多作で饒舌。単行本以外にも週刊誌に連載を持たれていたり、テレビ出演をされていたり、とても活動的な方であったようだ。文庫本のあとがきにも記されているが、おそらく、エネルギーの固まりのような方だったのであろう。
    私は彼女の著作を10冊以上読んでいるが、同時通訳をテーマとしたものは、実は苦手。同時通訳の苦労や、その難しさは著作を通じて伝わってくるのであるが、やはり自分の日常とほとんど関係のないテーマであり、あまり実感を感じることが出来ない。本書を読んで、米原万里さんを、更に尊敬するようにはなったが、面白い読書だったかと言われると、少し答えるのが難しい。

  • 高校2年生まで本を読んでいなかった、というのが私のオハコの台詞です。
    新潮社から当時新装版で出ていたスティーヴンスンの『ジキルとハイド』が火付け役となって読書に没頭するようになったんです。それはそれで事実なのだが、高校2年まで読んでいなかったというのは厳密にいえば誇張である。図書館に通う熱心さはないまでも、本は家のそこここにあったのでぱらぱらめくっていた。たまにはナケナシの貯金を書籍代に向けたこともある。ではなぜわざわざ隠蔽しているかというと、本との向き合い方に難があったように思えてならず、少しでも文学少年のふりをするにはあまりに後ろめたいんだ。米原さんの本書を読んで告解する気を起こした。

    米原さんが通った在プラハ・ソビエト学校では、児童間で文学全集を回し読みするという信じがたい遊びが営々と繰り広げられていた。全集本といえばいまのわたしでも怯む厚さである。その学校では分厚い一巻を落ち着いて読むこともままならないほど級友がせっついてくるので迅速に読まなくてはいけない。それで読む、読む。一回読んでヤレヤレと辟易するのかと思いきや再読、再再読、と粘り強く挑みかかったというのだから、アア彼らと我はどうやら生来違う生き物のようでと降参したくもなる。がしかし、全地球からプラハに集った児童たちを熱烈な輪読へと奔らせた根源は、じつは黎明を迎えたばかりの性衝動だったのである。世界の名だたる全集にみんなで踊りかかって未知なる性描写を汲み出しては歓喜に打ち震えていたのだという。それならわが身にも覚えがある! あまりに縁遠いエリート交友関係が展開されはじめた紙面から遠ざけかけた目が、ぎゅうっと引き戻された。

    高校2年になんなんとするより先に、わたしは本を読んでいました。
    ただその読みかたがいかんせん衝動の命じるままだったのでこれまで固く口を鎖ざして秘匿していたのです。上橋菜穂子の傑作『獣の奏者』は単行本で全巻読みました。王獣や闘蛇とエリンが意思疎通できた喜びや、ときにまったくのディスコミュニケーションゆえに起こる苦しみなど、読みどころが豊富にある本です。ご飯もおいしそうです。が、わたしが丁寧に丹念に、それこそ再再読するほど重きを置いて読み込んだページといえば殺戮と性愛の描写でありました。酸鼻をきわめる殺戮シーンは児童むけの文庫版が扱わなかった単行本後半におびただしくあり、鼻血を垂らすほどの性愛は件のシリーズの『外伝』がばっちり収録していた。大学の小説サークルで同級生が『外伝』について「昼ドラみたいだった」と論じていたのをわたしは聞き逃しませんでした。プラハ学校の児童たちが公然と衝動を共有したのに比して、胸のなかで禿同を表明するにとどめた点にわたしの小心者たる所以が宿っています。幼いあの日、ひとに決して明かさないまでもわたしは確かに猛烈に本を読んでいた。東野圭吾作品はその方面の衝動を(彼の名誉のため、も、と付しておこう)満足させる描写に富んでいたのであらかた読んだ。手塚治虫『ブラックジャック』についていま思い出せるのは第一に豊満な裸体というありさまである。学校をずる休みして全巻引っ張り出すほど愛読したのは『ケシカスくん』。読んでいたら妄想が膨らんでほんとうに熱が出た。また、早すぎるきらいはあるが筒井康隆に触れていた記憶もある。母が好きだったという原田宗典の文庫本も夜な夜なめくった。絶対明かさない衝動を秘めて読書に取り組んでいたわたしがはじめて公然と愛するようになった本が、二重人格を扱う『ジキルとハイド』だったというのはなんという因果だろうか。うまいこと時宜を得て、そして明かすための語彙を獲得して急遽文学青年の土俵に浮上できたといえそうである。

    わたしが現在繰り広げる、節操を欠いた読書小史を振り返ったとき、断崖があるかに思われたそこに、じつは地続きの広大な大地があったことを思い出すいいきっかけになった。認めましょう、ずっとそこに本がありました。

  • 通訳者の仕事ぶりは聞いたことないなと思って手に取った本。
    これがすごく面白かった。

    堅苦しく職業にまつわる話を綴るでなく、ユーモアが随所に散りばめられ、かつ米原さんがもつ独自の視点(それぞれどれもなるほど、と共感できる)が面白く、これまでの知見を広げてくれる一冊となった。

    ソ連や東ヨーロッパ事情にこれまで触れてこなかった分興味を持つことができ、もう少し彼女の本を読んでみたいと思った。

  • 著者の様に通訳を生業としている者では無いが、職務上外国語を使用する事多く、著者と同じ思いや経験を共有しながら読んだ。

    ロストロポービッチの弁として、「音楽においては美しい音も汚い音もない。大切なのは伝えたいメッセージを最も的確に伝えられる音だそのメッセージにふさわしい音、それがいい音だ」とある。まさにその通り。今問われているのは、“メッセージ”。伝えたい“メッセージ”が無いと、ノイズにしかならない。

  • 何回も寝落ちしながら聞いてた本。米原さんの本、好きな割に寝落ち頻度高め。多分内容が固いからだと思うんだけど、聞いてるとなんとなく眠くなるんだよね‥面白かったんだけど、笑えるような話かと思って期待してた割にあまり笑えるところはなかった笑。

  • ロシア語同時通訳者である作者が、通訳の苦労話や醍醐味をユーモアを交えて綴ったエッセイ集。

    小学校3年生から親の赴任先である、チェコのソビエト学校に編入させられ、
    毎日4〜6時間まったく言葉がわからない、
    チンプンカンプンな授業に出席し続ける耐え難さを経験。

    「人間は他者との意思疎通を求めて止まない動物なのだ。
     少女期のこんな体験ゆえに、今の職業を選んだのかもしれない」
    の言葉に、コミュニケーションを取り持つ職業への自負とプライドを感じた。

  • 再読。
    ロシア語通訳者である米原万里さんの、通訳稼業や言葉を主なテーマとしたエッセイ集。

    同時通訳という脳と舌をフル回転させる職業、海外の重要な会見を中継で聞く事も増えた昨今、本当に大変な職業だと気付かされる…。国特有の言い回し、ことわざ、ジョーク。意味する所は同じでも例えが万国共通ではない。
    訳を間違えば国際問題に関わる点も、某有名報道局の誤訳とそれに気付かず報道してしまった一件を思い出し痛感。

    通訳稼業の舞台裏を描く…とあるが、実際にはそれだけではページ数が足りなかったのか様々なエピソードが混じっている。大体は「言葉の壁」「文化の違い」等でまとめようと思えばまとめられるが…。通訳者のジョークに関しては、個人的には笑えるよりも「成程うまいな」という感じ。
    抱腹絶倒、というより新しい知見の広がる楽しい一冊

  • ロシア語通訳にしてエッセイスト、米原万里の、ユーモアたっぷりのエッセー集。同時通訳にまつわるエピソードから分化論まで、どれもとても面白い。
    癌でなくなった著者は、最後まで手術等の西洋医学を拒んだというが、「楽天家になろう」で「悲観的で絶望しがちな人より、必ず治ると無邪気に信じて何でも良い方に解釈するタイプの方が完治する確率が高いものらしい」と書いているのが哀しい。

  • 師匠から賜った「シモネッタ」の栄えある屋号を、イタリア語通訳・田丸公美子さんに譲るやいなやシリーズ化の虫が騒ぎだし、スペイン語通訳・横田佐知子さんを「ガセネッタ」と命名。通訳界きってのダジャレの名手であるお二人の傑作なやりとりをネタにして「ガセネッタとシモネッタ」なる漫才コンビでも発足させ、一儲けできないものかと画策するはロシア語通訳・米原万里さん。

    名通訳には下ネタとダジャレの達人が多いそう。万人に通ずる下ネタはともかく、本来、ダジャレやは通訳の天敵のはず。これほど言語の壁を乗り越えられない排他的な笑いはないはずですが、やはり通訳の現場で苦労させられることが多いからこそ「手を焼く子ほど可愛い」の心理で入れこんでしまうのでしょうか。異なる言語間でキャッチボールを成立させる面白さと難しさを満載したエッセイ集です。

    異文化コミュニケーションではハプニングは日常茶飯事、いわんや神様との意思疎通においてをや。三つの願いを叶えてあげようと神様に言われても、うっかり「美人にしてください」とは頼めない。浮世絵の美人画風では嫌だしモナリザ風もミロのビーナス風も嫌。そもそも神様がピカソやダリみたいな美意識と創造力の持ち主でないという保証はない。具体的に顔を小さくと言っても米粒みたいに小さいのは困るし、眼を大きくと言っても西瓜みたいに大きくては化け物だし、鼻だって東京タワーみたいに高くなってしまったら... と著者が悶々と考え込む記事には笑いました。

    通訳仲間でおしゃべりしていると、どうもお互い話を大げさにする傾向があるらしく、特に誇張癖に慣れている友人が相手だと、三十分の一にして受け取られるのを見越して三百倍にして話す、それを知っている友人はさらに... という口を極めた絶賛と罵倒のインフレが続くようで、これも一種の職業病なのでしょうか。著者は別の本でも「あなたに言わせると絶世の美男美女か正視に耐えない醜男醜女しかいないようだ」と呆れられていました。

    初耳だったのが、市場原理が働かなかったおかげで、ソ連が様々な言語の出版物の宝庫であったという件です。アメリカが英語を押し通す一方、ロシアは世界を征服するために、それこそ国家計画に従って毎年一定の学生に世界中の言語を学習させていました。例えば「外国文学」という雑誌では、名前も知らないようなアフリカやアジアの小国の文学作品が読めます。そういう極端に需要の少ない言語の辞書が存在し、ロシア語に翻訳する人がちゃんといたのです。日本にもタイにもアフリカ諸国にも、その国の言語ができる外交官と特派員を送る。なんという迂遠で壮大な計画!

    これを読んだとき、私が神様にお願いするのは、世界中のあらゆる言語を流暢に読み、聞き、話したい、の三つにしようと秘かに心に決めたのでした。

  • 通訳業とは因果な職業。食べる糧でもあるうえに、常に人の話を意味でつなげる壮大な意義と難しさに突き当たる。米原さんの本は「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」に引き続き2作目。言葉に対する愛着を少女時代に培って来た氏の筆致は常に洒脱で新鮮だ。英語だけが世界の言語ではないということ、生活する言葉を愛してきた筆者には心からの実感なんだろうな…
    私はいくつかの○○語を横好きな感じでやってきて、その言葉で口喧嘩して勝てれば一人前と思っている。口説くも下ネタも相通じるところがあるようなないような。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。作家。在プラハ・ソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学卒、東京大学大学院露語露文学専攻修士課程修了。ロシア語会議通訳、ロシア語通訳協会会長として活躍。『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)ほか著書多数。2006年5月、逝去。

「2016年 『米原万里ベストエッセイII』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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