- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167691028
作品紹介・あらすじ
男は殺人未遂に問われ、中国に密航した。文化大革命、下放をへて帰還した「彼」は30年ぶりの日本に何を見たのか。携帯電話に戸惑い、不思議な女子高生に付きまとわれ、変貌した街並をひたすら彷徨する。1968年の『今』から未来世紀の東京へ-。30年の時を超え50歳の少年は二本の足で飛翔する。覚醒の時が訪れるのを信じて。
感想・レビュー・書評
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1969年から30年、そこから20年。「勝ったわけではない、と彼は志垣に言った。たまたま相手が負けただけだ。これは勝利ではない」日本はどうなったんでしょうね。そこから見ると、なかなか、なんじゃないでしょうか。
ぼくは矢作俊彦さんの最高傑作だと思いますが、どうでしょう。
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傑作。共産中国から30年ぶりに日本に密入国した
男の目を通してみた東京の街の姿が面白い。
個人的には広尾の図書館や麻布十番の公園、
白金のマンションなどが舞台になっているのがうれしい。 -
阿童木、って言うんだ、中国語で。
中国の田舎の村の土にしがみついて生きる暮らし。片目で見ながら何度か通ってきたし、一方で駒場東大前〜渋谷のあたりも良くわかる。
物語の舞台が知っている風景で、しかも、その風景の中にいる時はあえて考えないようにしていた両者の格差みたいなものが、ひとつずつ語られるのがしんどくて、何度か読むのを辞めた。
それ以上に青臭いことを学生時代に考えた人にとっては読み辛い小説だと思う。別に学生闘争をやってた世代じゃなくても。
青臭い考えってのは、メグマレタセイカツとか、ケンリョクとかに対する反抗心とかで、70年前後から文革の終わりまでは、中国の共産主義がひとつの解だと思ってる人がかなりいたらしい。私の習った中国関係の研究者には、若い頃に中国に夢を抱いていたと言う人が多い。
でも、本当に70年代の中国に渡って下放されて、土の上に生きたなら、とまで考える勇気なんてなかっただろう。
今の中国の田舎にだって、私は暮らせない。
だから真面目に青臭かった人ほど、最後まで姿を現さない、「主人公の昔の友人」と一緒になって悶絶する。
そしてきっと、悶絶する人しか、最後まで読む気にはならないと思う。 -
タイムトラベルもの、浦島太郎ものとして読める。
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中国の場面が読みにくかった。
2本のシーンに早くいくようにがんばってみたけど、そこにいくまでに挫折した。 -
すごすぎる。
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「男は殺人未遂に問われ、中国に密航した。文化大革命、下放をへて帰還した「彼」は30年ぶりの日本に何を見たのか。携帯電話に戸惑い、不思議な女子高生に付きまとわれ、変貌した街並をひたすら彷徨する。1968年の『今』から未来世紀の東京へ―。30年の時を超え50歳の少年は二本の足で飛翔する。覚醒の時が訪れるのを信じて。」(楽天ブックスより)
30年前の日本しか知らないひとが、ひょこんと思い出の東京に現れたらという設定。主人公がほとんど同世代なので(私が9年上)、読んでいてこれって私もだよなーと思った。こんなに変遷してしまった世の中によくついていってるよと自身で感心しているもの。ずーっと日本にいたって簡単には慣れませんよ。だからおもしろくてせつなく読み終わった。
三島由紀夫賞受賞。この本の前に三島由紀夫の『青の時代』(新潮文庫)を読了しているのでよくわかるが、三島由紀夫の文章とはおおちがい、マンガっぽい(ワープロっぽい?)文章、場面、しかしこれはこれで現代の文学なのだ。映画化されるらしいが映像にぴったりだと思う。レトロなところがどんな風になるか、、、。
読みたかった、カート・ヴォネガット・ジュニアの『猫のゆりかご』も出てきたよ、やっぱり! -
オッサンの自分探しの旅である。いったい誰に向けた本なのかは分からんけど、何故か女子高生に好かれたり、他にもみんないい人ばかりでフルサポートで、お金は好きなだけ使ってよいやら、ヤクザが車で迎えに来るやら、刺されても後処理全部やってくれるやら、無双じゃねーかと文句も言いたくなる。
30年も中国の農村で暮らしてたって言っても、本人も言ってる通り、好きで行ってたわけで、今風に言うなら自己責任。
なもんだから共感もクソもあったものではないけど、でもオッサン故に、オッサンにしか分からない謎のシンパシーを感じる不思議。 -
読み始めて6日間、この本に掛かりきりになった。さして感動的でもないし、ワクワクする物語でもないのに……学生運動が盛んな1968年に、文化大革命を実見するために密出国した中国で、辺境に下放され30年の歳月が流れた。30年後の帰国は、蛇頭の手を借りた密入国だった。彼が頼った友人は、いわゆる反社だろう。そのおかげでお金に困ることなく都内に潜伏できた彼は、浦島太郎のように過ぎ去った30年に、日本が遂げた進歩と、その裏に潜む退廃を苦しく追体験していく。妹に電話する場面は、こちらも救われる思いがした。