誕生日の子どもたち (文春文庫 カ 13-1)

  • 文藝春秋
3.86
  • (64)
  • (72)
  • (60)
  • (14)
  • (2)
本棚登録 : 1153
感想 : 78
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167705718

作品紹介・あらすじ

「私が泣くのは大人になりすぎたからだよ」。かつて悪意の存在を知らず、傷つけ傷つくことから遠く隔たっていた世界へカポーティは幾度となく立ち返ろうとした。たとえその扉はすでに閉ざされていようとも。イノセント・ストーリーズ-そんな彼のこぼした宝石のような逸品六篇を、村上春樹が選り、心をこめて訳出しました。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この本は寂しい。寂しくて息ができないほど。私が味わったこれまでのいくつかの別れを、もう一度再生するようです。
    だれかとの別れが心に空洞をつくるのは、共に包まれていた忘れられない景色があるから。そんな景色が次々と甦りました。

    6つからなる短編集。親友であるスック(年寄りの従姉妹)との思い出を綴った「感謝祭の客」や「クリスマスの思い出」がとりわけよかった。親に捨てられたも同然であったカポーティ。それでもあたたかいひとときをもてた子どもの頃。無垢な眼差しが保たれたまま描かれた景色は素晴らしく、反芻したい。

    村上春樹の訳文は滑らかですが、かれも絶賛しているカポーティの美文を味わうには、原書で読んだ方がいいのでしょうね。村上氏が訳したのがちょうど今の私の歳あたり。若い頃から「無頭の鷹」などに魅せられたらしいのですが、あらためてこれを翻訳した際にはどのような思いが駆け巡ったのでしょう。

  • 子供時代の純粋で綺麗で無邪気な残酷さが美しく描かれていた。子供の目から見た世界はこうだったなと思い出すような綺麗でもあり苦しくもある世界。特に「クリスマスの思い出」はキラキラとワクワクとした中にもそれが一時のものである予感のような空気が感じられて余計に美しく儚く感じて良かった。

  • 「夜の樹」で読んでいたものもいくつか収録されていたけれど、村上春樹翻訳ということもありまっさらな気持ちで読めた。
    誕生日、感謝祭、クリスマス。わくわくするような日の、少年少女のイノセント・ストーリーズ。
    特に少年バディーと、共に住む年老いたいとこ(親友!)のミス・スックとの話はどれもあたたかで美しく涙がこぼれた。
    村上春樹によるあとがきから。

    〈人は幼児から少年や少女になり、十代のアドレッセンスの時期をくぐり抜け、やがて大人の世界=世間に入っていく。年を重ねるにつれて社会人としての責任をより多く引き受け、その役割や分担を果たすようになる。そのたびに我々の価値観はシフトし、視野は更新されていく。新しい体系を習得するために、古い体系が一部また一部と手放されていく。もちろんそこには一連の通過儀礼があり、哀しみがあり、痛みがある。しかし人々は導きと学習によってそのプロセスを受け入れていく。そして「無垢なる世界」は過去の、もう戻ることのない楽園としてぼんやりと記憶されるだけのものになっていく。そのプロセスが──好むと好まざるとにかかわらず──一般的には「成長」と呼ばれる。〉

    私はもうすっかり大人で、そのことに不満は一つも感じないけれど、ラッキーなことに時折 "戻ることのない楽園" に戻れる機会がある。紛れもない歓びとカタルシスがそこにはあって、それを知るために大人になったんだと思っても過言ではないような気さえしている。

    〈カポーティが死の床について最後に口にした言葉は、少年時代の自分の呼び名である「バディー」であったという。彼はおそらくその内なる世界にもう一度戻っていったのだろう。誰に傷つけられることもなく、誰を傷つけることもない、すべての日がクリスマスや感謝祭や誕生日であるその輝かしい無垢の世界に。〉

  • カポーティが無垢な世界や描いた短編を集めた作品集。村上春樹の訳はなかなか読みやすい。カポーティの長編も訳してほしい。
    パディを主人公にしたカポーティの自伝的な内容の短編が特に良かった。純粋なる世界。人間の持つ根源的な喜びや痛みなどが描かれていて純粋な世界観がとても心に浸透しました。

  • 本当にこの年頃の賢い男の子が作者なのではないかと思うほど、無垢で綺麗だった。
    悲しみが綺麗に描かれている。

  • 6〜13歳くらいの間の子どもたちが主題になった短編集。一方で子どもたちの良き親友であり話し相手でもあるおじいさん、おばあさんも子どもたちと同じくらい純粋無垢。
    26年間生きてきたから、もう10年20年前の話なのに、保育園時代・小学生時代に起こった出来事のいくつかは思い出すと心臓が痛んだり縮んんだりする種類のものがある。
    当時は死んでしまうんじゃないかってくらい怖かったり辛かったり理解できなかったことでも、今同じことが起きたらきっと全然平気になってしまうし、それは正しく成長してきた証拠だと思う。
    でも痛みを痛める感性のままでいれなくなったとも言えるし、この短編集の子どもたちはしっかり怒って泣いて恋して遊んで許せるのが眩しかった。

    トルーマンが短編集のバディとして描いたキャラクターは、たぶんサリンジャーがライ麦畑で捕まえてで描いたホールデンと同じで、作家自身のイマジナリーフレンドみたいな存在。
    大人になっても忘れたくない幼少期の宝石みたいなイノセントを守れる心の居場所を物語の中に作って、当時トルーマンが育った愛情十分とは言えない環境とか生活を処世してきたのかなって思うと切ない気持ちになった。

    1編目の「誕生日の子どもたち」最高だった。暑い日に玄関のポーチでトゥッティ・フルッティとデヴィルズケーキ食べたい。
    ミス・ボビットのエキセントリックさはティファニーのホリーの原型みたいだった。

  •  およそ10年ぶりのカポーティ。秒速5センチメートルで一瞬映った『草の竪琴』が気になって読んで以来だが、もう内容は覚えていない。非常に脆く美しいものが描かれていて、それは現実世界に容易に壊されてしまう、みたいな感じだった、ような。

    <誕生日の子どもたち>
     完結した子どもたちの世界の純粋さと、純粋ゆえの毒素を含んだ表題作。成長の過程で失われてゆくものであり、また失われるべきものなのかもしれないけれど、そうした時代の物語を読むことで、自分にどんな働きかけがあるのだろうか。また、とても悲しい結末を迎える物語なんだけど、こうした喪失の物語が読み継がれていくのは、なぜなのだろうか。
    <感謝祭の客>
     貧乏な家庭に生まれた意地悪な同級生のオッドと「僕」、そして同じ家に住む風変わりなおばあさんのスックの物語。僕のスックに対する無制限の信頼と、それが裏切られたと思う気持ち、そしてその奥にある本当の優しさ。子どもの頃、類似した体験があったようななかったような。こういった物語に揺さぶられる心が残っていて、嬉しかった。

    <あるクリスマス>
     突如現れる、父に対する明確な怒り・悪意。でも、気が付けば「僕」も、いずれは父のような人間になってゆくのだし、「僕」が置き去りに「させられた」世界は、結局は住人のいなくなった民家のように朽ちてゆく。この物語は、通過儀礼的な、避けては通れないものなのだろうか。

    <おじいさんの思い出>
     ちょっと変わっている祖父母、それから父母と少年の5人暮らしだったが、田舎に祖父母を残し、親子3人で引っ越すことになる。そんな話。
     私自身、両親が共働きで祖父母に随分面倒を見てもらっていたので、こういった話はひと際胸に響くものがある。愛情たっぷりに育てられるのが良いことだと身をもって証明できないのが歯痒い。
     この物語では祖父母がちょっと変わった人として描かれており物語から教育的な匂いはしてこないのだが、それが却って孫に対する愛情を際立たせているような気がする。

     別にたまには帰ればいいじゃんと思ってしまうのは、私が実家からアクセスの良い場所に住んでおり、また祖父母も長寿だからだろうか。
     「僕」はおじいさんがくれたものを胸に、生きていく。残った者と残されたもの。もし残される側に回ったとき、自分はこの物語をどのように受け入れるのだろう。

  • 少年や少女の無垢と脆さをテーマにした、カポーティの自伝的小説6編。
    どの作品にも多少なりとも癖ある少女や女性たちが登場する。
    印象的だったのは以下の2作品。

    『誕生日の子どもたち』
    少女がある事故に巻き込まれるというショッキングな冒頭から始まる本作。そこから回想するようにストーリーは展開する。
    心が大人に差し掛かっている「僕」が住む町に、言動も振舞いも大人びた少女ボビットがやってくる。華やかさに秀でた彼女に、周りの少年たちはとまどいつつも虜になる。一歩引いた「僕」の視点ながらも、くるくると表情を変えるボビットに目が離せない様子が伝わってくる。
    あまり目にしたことのない物語構成が印象的。

    『クリスマスの思い出』
    7歳のバディーと60歳を越えるおばあさんの関係がすごくいい。大量のフルーツケーキを焼くクリスマス間近。読んでいる先から部屋に大量のケーキが積まれた光景が頭に浮かび、不思議と甘い匂いまで伝わってくる。
    フルーツケーキの思い出と香りを残して空へふっと飛んでいくように去ったおばあさん。悲しいはずなのに爽やかで、不思議と温かい余韻を残した。

    多くの方が引用していますが、ぐっときた一文は「私が泣くのは大人になりすぎたからだよ」(『クリスマスの思い出』より)。純真無垢な子どものままではいられないという痛みを伴ったフレーズが心に刺さる。

  • 「夜の樹」に引き続き、カポーティ短編集2つ目。「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭の客」は「夜の樹」にも収録されていましたが、訳者が違うと物語の風景もちょっと変わります。まばたきで目を閉じる瞬間に見える世界の色というかなんというか、まあ少しだけ。村上春樹訳も川本三郎訳も、よくできているから大差は出ません。

    自身の幼少期を題材にした「バディ3連作」(勝手に命名)が冒頭から一気に読めます。おばあさんのスックと僕の真摯で温かい交流を微笑ましく、そして有り難く感じます。私もこういう人に出会いたかったなー。

    「おじいさんの思い出」はカポーティが本当に書いたかどうかわからない作品だそうですが、私はカポーティの作品だと思います。だって、素朴さの中に光るおじいさんのセリフや振る舞い、そしていかなる理由であれ、流れ行く世界の中で取り残されていく存在のするどい悲しみの描写がカポーティらしいもの。

  • この作品にあるイノセンスとはなにか。
    そう考えながらこの本を読みました。

    繊細で壊れやすく、そのために誰かを貶めようとしてしまうこともある・・・これはひとつのイノセンスだと思います。たとえば、本書に収録されている「感謝祭の客」は、そんなイノセンスが折り重なった切ない物語ではないでしょうか。

    人は大人になるにつれてイノセンスを失い、求めてゆくようになる。この本には、その過程が色々な形で描かれているのではないでしょうか。

    カポーティという人は名前を聞いたことがあるだけだったのですが、この人はイノセンスを求め続けていたのではないか・・・そう思える一冊でした。

全78件中 1 - 10件を表示

トルーマン・カポーティの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レイモンド・チャ...
トルーマン・カポ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×