- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167717087
感想・レビュー・書評
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どんな文芸書よりも各作家を客観的な目で眺めて分析する。特に好きな俵万智から吉本ばなな、林真理子の三人に関しては興味深く読ませてもらった。
80年代、90年代というのは、大人の論理と子どもの論理、文学のことばと非文学のことば、女の発想と男の発想などが、激しくスパークしていたと・・・。そういう対立する中で今となっては生き残ってきた三人。そこには時代を読む力、先取りする知恵があったのでしょうか。
「アイドル」と「文壇」、この言葉だけでも、ワクワクさされますな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「「文学バブルの寵児」ともいえる村上春樹、俵万智、吉本ばなな。「オンナの時代の象徴」となった林真理子、上野千鶴子。「コンビニ化した知と教養の旗手」立花隆、村上龍、田中康夫―。膨大な資料を渉猟して分析した、80~90年代「文壇アイドル」の作家論にして、すぐれた時代論。斎藤美奈子の真骨頂。」
目次
1 文学バルブの風景
・村上春樹―ゲーム批評にあけくれて
・俵万智―歌って踊れるJポエム
・吉本ばなな―少女カルチャーの水脈
2 オンナの時代の選択
・林真理子―シンデレラガールの憂鬱
・上野千鶴子―バイリンギャルの敵討ち
3 知と教養のコンビニ化
・立花隆―神話に化けたノンフィクション
・村上龍―五分後のニュースショー
・田中康夫―ブランドという名の思想
著者等紹介
斎藤美奈子[サイトウミナコ]
文芸評論家。1956年新潟市生まれ。成城大学経済学部卒業。児童書等の編集者を経て、94年『妊娠小説』(ちくま文庫)でデビュー。2002年『文章読本さん江』(筑摩書房)で第1回小林秀雄賞受賞 -
p.2023/2/27
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本は読んでおもしろく、興味を持って内容をたどっていければそれでいい、というのが一般の読者であり私はそれ以上を望んでいない。けれども、けれもである。
一度、文芸批評に接してしまうと、しかも個性的な批評家に会ってしまったら、影響されたり、感心したりうろうろしてしまう。
80年代バブル期の作家たちへの斎藤美奈子の慧眼、なかなかのものであった。80年代のこの作家たちは時代のアイドルだったのではないかというのが趣旨。
村上春樹…ゲーム批評にあけくれて
俵万智…歌って踊れるJポエム
吉本ばなな…少女カルチャー
林真理子…シンデレラガールの憂鬱
上野千鶴子…バイリンギャルの敵仇ち
立花隆…神話に化けたノンフィクション
村上龍…五分後のニュースショー
田中康夫…ブランドという名の思想
(目次より)
の作家評論。目次をあげても何がなにやらだが、読むとわかってくる(当たり前)
こんな見方があるのかという驚き、専門家ってすごいなー。こんな風には意識せず、ただなんとなく読んでいたのだと強く思う。思ったからとてどうなるものではないけどね。 -
全力でおススメ
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面白かった( ´ ▽ ` )ノ。
有名すぎるほど有名だけど、意外に作品を読んでる人は余りいない?8人の作家をメッタギリ( ´ ▽ ` )ノ。
特に村上春樹とか、これだけ「社会現象」になっちゃうと、むしろ読みづらいからね...... -
村上春樹、俵万智、よしもとばなな、林真理子、上野千鶴子、立花隆、村上龍、田中康夫の8人の「文壇アイドル」たちが、どのように受け入れられ、論じられてきたのかを考察した本です。
俵万智の『サラダ記念日』大ヒットに関しては、糸井重里らの広告コピーや銀色夏生らのポエムといった短文表現の文化と、松任谷由美に代表される80年代のポップ・ミュージックの隆盛との関連が指摘されています。その上で、そこに歌われた女性観の意外な古臭さを、批判的に論じています。
林真理子と上野千鶴子については、フェミニズムをバックボーンにする著者がどのように論じているのか気になりました。上野に対しては予想通り、やや批判的な立場から語られているようですが、上野が「フェミニズムの旗手」ではなく「最後のウーマンリブ闘士」だったという鋭い指摘がなされています。一方林の方ですが、著者のスタンスが明確に理解できませんでした。いちおう、アグネス論争で上野らの批判を受け傷ついた林が、それ以後ミソジニーを示すようになったという小倉千加子の所説を参照していますが、「ああ、こうやってルンルンのマリコさんもソノアヤコ化していくんだなあ」という感慨からは、ある時期までの林に対する著者の共感が込められているような気もします。ただ、たとえばその後「新しい歴史教科書を作る会」にも名前を連ねることになる林の振舞いの遠因に、男社会からのバックラッシュやアカデミズムのフェミニストたちの批判を指摘することによって免責することはできないでしょうが、この辺りについての言及もありません。
立花隆批判は、少し攻めあぐねているような印象があります。立花の文章の中にしばしば見られる女性差別的な言葉に、もともと著者は批判的だったのでしょう。それ自体は正当な意見だと思いますが、折から立花のサイエンスに関する作品への疑義が提出されたことに乗じた批判のように見えてしまいます。理科系と文科系の分断が「知の巨人・立花隆」という虚像を作ったのではないかという見立てが示されていますが、これもきちんと論じようとすると、社会的構成主義/構築主義をめぐる厄介な問題圏に入り込まざるを得ないのに、そこには踏み込まず、遠巻きに悪罵を投げつけているという印象です。
他方で田中康夫論は、さすがに著者らしい冴え渡った考察と小気味の良い啖呵が展開されていて、おもしろく読みました。「ですます」調のエッセイで人の神経を逆なでする「たおやめぶり」を発揮する一方、「だである」調で都市の女の子から見た風景をトレースした「リアリズム小説」を書き続けてきた田中を、「フィールドワーカー」と規定しているところは、おもしろく読みました。 -
論文は難しくてすきになれないが、これは、歩み寄りを感じられるから楽しく読めた。