知に働けば蔵が建つ (文春文庫)

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著者 : 内田樹
  • 文藝春秋 (2008年11月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167753139

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知に働けば蔵が建つ (文春文庫)の感想・レビュー・書評

  • 大衆社会論、惜しかったが詰め甘し。憲法9条に関しては、やはり情けない論、「見事な政治的妥協の実現」という物言いが果たして、将来世代に通用し続ける言説か否か、この著者ならもう少し静かに、そして真剣に考えてもよかろうに。

  • 教養とは全く断絶した知識を繋ぐ架け橋!

  • 久しぶりの内田樹。
    時事ネタが多いのに古びないのはさすが。

    自身でも認めているように、首尾一貫してない所もあるし、何を言いたいのか分からない時もあるが、それが魅力なのでしょう。私も、よくそういう時がある。

    内田さんは、素直にそれを認め、逆手にとって物事を見ていくので、色々な見方、考え方方が展開できるのでしょう。ブレていけない所はブレてはダメだが、フレキシブルに物事に対応するのは大事な事だと思う。だって、入力される情報は日々変わるのだし、世の中動いているのだから。それに対応して、言うことが変化するのは、至極当然だと思う。

    最近、内田さんの本がやたら出版され、ついていけないが、半年に1冊くらいは読みたい。

  • 中国論、アメリカ論などのテーマに関するエッセイ集です。

    ニーチェとオルテガ・イ・ガセーの違いを明らかにしながら、現代の大衆社会の問題点を衝いたエッセイは、軽い文章に似合わずかなり重厚な印象です。ニーチェにとって「貴族」とは、外界を必要としない者、自己肯定しうる者であり、「畜群」とは「隣の人間と同じようであること」を唯一の基準として判断し行動するような群れのことでした。しかしオルテガは、いまや「大衆」こそが自分のことを「知的に完全である」と思い込み、「自分の外にあるものの必要性を感じない」ようになっていると言います。その結果、自己満足した大衆はバラバラに原子化し、社会が統合を失ってしまうと論じます。一方オルテガの考える「貴族」は、「基本的に奉仕の生活を生きるもの」であり、「高貴さは、権利によってではなく、自己への要求と義務によって定義されるものである」と述べます。

    このようなオルテガの議論を紹介した後、著者は現在の日本に視点を移します。オルテガが喝破したのは、「誰だって努力すれば成功のチャンスはある」というメリトクラシーのはるか手前にあるはずの問題、つまり、「努力する生」がどれほど希少なものなのか、それを守り育てることがどれほど困難なことなのか、ということだったというのです。

    その上で著者は、このオルテガの洞察を自身の他者論に接続して、「貴族」とは「自分のうちに〈他者〉を抱え込んでいる人間」だという主張を展開していきます。「私が私である」というときにすでに〈他者〉の存在を抱え込んでしまっており、〈他者〉との共生を構造的に生きてしまっているような者にして初めて、「見知らぬ人間との共同生活」が可能なのだ、と主張されます。「私」のうちにおける複数の声との「共生」こそが、「公」の成立する条件なのだ、という著者の信念は、「私」の蔓延に対する怨嗟と「公」の尊重への呼びかけが喧しい現在の社会に対する、根源的な批判になりえているように思います。

  • 10年も前のブログが元ネタなので、
    当時の時事ネタを扱ったものが多いのに、
    今でもリーダブルってのは凄いです。

    内容はいつもの話ですけど。
    まだ先生も若いので、言葉のアクが抜けてなくて新鮮です。

  • 内田さんの、小気味のよい語り口というか、書きぶりが好きだ。市民の条件は、自分と異質な他者と共同体を構成できる能力、対話する力をもつこと…という文章にめっちゃ共感した。条件を満たせるよう、毎日がんばらにゃいといけないわ。

  • 内田さんの考え方 好きです。

  • 雑学に詳しいと言われるたびに、教養があると言ってくれとよく冗談で言っているのだけれど、本社はまさに雑学と教養の違いから始まる。雑学は一問一答/既に知っていることの知識。教養はまだ知らない事へフライングする能力…。すいません。私には教養など無いのだと実感。他にも中国関係や格差社会等々、ハッと気づかされるような内容多数。

  •  中国系カナダ人が提唱している、儒教圏という考え方に興味を覚えました。パッと見は、中華思想のようでなんか違う感じで、いまいちよく分かりませんでしたが、おもしろ概念だと思いました。
     アメリカは、東アジアで儒教圏が成立することを恐れるあまり、日、中、南北朝鮮を分断する外交政策をとっている、とも言っておりました。

  • 真っ当なことを真っ当な言葉で語る、ウチダさんの話は読んでいてとても心地いいです。こんな風に考えることができる人がもう少し増えたら、世の中もう少し生き易くなる気がします。

    それにしても、この文章が書かれたのはもう10年近く前になるのに、全然古く感じないのはすごい。

  • H25.5.6
    考えに広がりを持たせてくれた。
    メディアで取り上げられた出来事など、私が興味もなく深くも考えずいたこと(特に政治的出来事)も、内田さんの文章を読んで「そうなのか、大人(?)はこういう風にみるのか。おもしろいな。」と思った。本当にところどころ笑えるくらいおもしろかった。
    と同時にスカッとした。
    私の中にあったうやむやな疑問や課題に触れる文章があったからである。
    初めて内田さんの本を読んだが、また別の本も読んで出来事.事象を捉える感覚を磨きたいと思う。

  • ひとを確実に納得させながら論を展開する。すごく尊いことだと思った。
    自分の視座が変わっていくのがわかった。
    何回でも読み直したい。

  • (以下引用)
    個人情報というのは個人が「所有する」ものではなく、むしろその人を取り囲む共同体メンバーがその人に「贈与する」ものである。私はそのように理解している。例えば、私の名前は自分自身にとっては用のないものである。私の名前に用があるのは、私の名前を呼ぶ他人である。(中略)電話番号だってそうだ。私は自分には電話をかけない(いつかけても必ず通話中だからである)。だから自分の番号には用はない。用があるのは私に用がある人たちだけである。それらの情報は私が専一的に所有しているものではなく、厳密に言えば、私に用がある人たちと私が「分かち合っている」ものである。その自明なる事実を忘れて「私の情報は私のものだ」と言い募っている人間は、いずれ共有されない情報には情報としての価値がないということに気づくことになるだろう。(P.48)

    コンビニの店員は商品知識を持たない。必要でない、というより、持ってはならないのである。だから「お客さん、そっちのコシアンよりこっちのツブアンのほうが、ぜったいオスステすよ」というような購買誘導はなされない。その「被放置感」がおそらく当今の消費者には快適なのである。(P.123)

    「あなたの望みはなんですか?」と訊かれて、「ほかの人と見分けのつかない人間になることです」と回答するオプションはある種の「トラウマ」を抱えた人間にはあることかもしれない。そのような病者については、その選択を責めようとは思わない。しかし一国の為政者や「選良」を自負している人間が「アイデンティティの喪失」を政治目的に掲げて、それを白昼堂々と論じている図は私の常識を超えた風景である。私は日本が「唯一無二」の国になってほしいと望んでいる。(P.144)

    誰が考えてもわかるけど、「予防」的なシステムの整備と運用に要するコストは、「対症的」なシステムの整備と運用にかかるコストよりもははるかにわずかで済む。例えば、暗い道を歩いて強盗にホールドアップされたという場合、迅速かつ効率的に犯人を逮捕し、拘禁しm裁判の行い、刑を執行し、社会復帰させるまでのに要する社会的コストと、「こんな暗い道を歩くと、ホールドアップに遭う可能性があるから、遠回りだけど安全な道を通って帰ろう」と判断できるようなリスク化回避の方法を市民に学習していただくために要する教育コストを比較すると、誰が考えても圧倒的に「予防」対策の方が安上がりである。(P.170)

    アマゾン川下りの最中に船底の穴から水が入ってボートが沈没して、ピラニアにばりばり齧られているときに「貸しボート屋の管理責任を断固追及するぞ!弁護士を呼べ!」と言っても、あまり事態は好転しない。それよりは事前にボートの船底に穴がないかどうかていねいにチェックする習慣を身に着けている人の方が生き延びるチャンスは高い。他責的なトラブル・シューティング方法に熟達するよりは、トラブルを事前に回避する心身の能力の開発に優先的に教育投資を行うほうが合理的であると私は考えており、繰り返しアナウンスしているが、同意してくれる方は依然として多くないのである。(P.270)

  • うん、おもしろいけど、けっこうむずかしい話が多いので、内田さんの本領は発揮されてない気がする(完全に私見)。
    なかなか聞いたことのある話も多いけど、斬新な発想はそのままです。内田さんの本はどんどん読んでいきたい。

  • 読了。
    内田樹の文章は、「ささくれ」が多い気がする。
    その文章そのものの価値が高いというよりは、文章をきっかけにして考えさせられることが多い。
    読んでいく中で引っかかる部分が多いのだ。
    だからこそ、扱っているトピックは賞味期限の短い時評であってもこうして数年後に文庫化されるのではないだろうか。
    なーんて。


    以下は適宜、(適当に)抜粋。


     個人は共同体の結節点として構成されるものである
     日本は学歴社会ではない。「学歴によって序列化されている社会」ではなく、「学歴以前のカテゴリカルな条件付けによってあらかじめ序列化されている社会」である
     アナトールフランスの「愚か者は邪悪な人間よりも始末が悪い」という金言に続けて、オルテガはこう続ける。「邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者は死ぬまで治らないからだ」
     大衆とは自分を含む社会全体の「地図」のうえの自分の立ち位置を「私はここに居ます」と指差すことができない人間たちのことだ
     個人でいるときにすでに共生態であるような人間こそが共同体の成員としてもっとも正統的な存在なのである
     記号的な想像力は「既に知られているもの」を繰り返し複製することはできるけれど、新しいものを創造することはできない。「未知のもの」につながるのは「強い想像力」だけである
    「被引用回数」の高い論文の特徴は、「誰にもアクセスできる論件」(だからこそ、多くの人が論駁、追試できる)を「他の誰もしなかった切り口で論じた」(だからこそ、他ならぬその論文が引用される)ことにある。開放性と独自性、ユーザーフレンドリーとユニークさという両立の難しいものを両立させること、それが「反対給付の欲望」に点火するメッセージの特質なのである。
     私たちが「特殊」だと思っている事態が案外「ふつう」であり、私たちが「ふつう」と思っている事態がとんでもなく「異常」であるということは、外国のメディアを通してみないとなかなかわからない。

  • 私が諸君に伝えようとしているのは雑学ではなく、教養である。
    だが、どうも諸君は「雑学」と「教養」の違いをご存じないようである―。
    弱者が負け続けるリスク社会をなぜ日本は選択してしまったのか。
    「武術的思考」や「問いの立て方を変える」など具体的な視座から、未来への希望をともなう真の教養を問う。

    タイトルが気になって読んでみました。
    この内田樹先生の著作を読んだことがありませんでしたが、とても勉強になりました。なるほど!と声が出ました。
    フランス現代思想などの教鞭をとった名誉教授様でした。

    労働についての考察や人生における様々な事について書かれているもので、ブログから引用された本らしくその時々の時事ネタから入り結論としてその様な人生訓の様な物へと収束していくタイプの本でした。

    労働についての考察で「労働もまたそのような「個人が自発的に演じうるものではない」ところの社会的行動の一つである。」と言う一文が書かれている。なぜ働かねばならないのかに対する内容の文章中の抜粋だが、これまた頷ける。
    なぜ言語を語るのか、なぜ人を愛するのかと同じようになぜ人は働くのかを合理的な理由で説明することも私たちにはできない種類の営みなのである。というようなことも書かれているが、本当にそうであると思う。

    個人的にはその意味とやらを解釈した所で、働く事に対して、人を愛する事に対してなんら変化は起きないと思う。むしろこれが意味ですと突きつけられてそれを自分が咀嚼した暁には、その定義でのみ愛するや働くが実感できないとなると嫌で仕方ない。

    物事に真意を突く事が全てでは無いと考える私にとって内田教授の書かれている事は素晴らしく。感銘を受けました。

    内田教授がそう思っているのかは別ですが、とても面白くすらすらと読めました。ただブログの引用による編成だったので星は4つ。
    内田教授の別の著書も読んでみたいと思います。

  • 難しいけど面白い!納得!

  • 筆者のことは知らなかったのだが、以前よりずっと本書を読みたいと思っていた。
    なるほどと感心させられることがたくさんあった。
    思想、哲学と聞くととても難しそうだが、分かりやすい文体で楽しく読めた。
    他の著書も読んでみたいと思う。

  • 書店の内田樹フェアのコーナーから、なんとなく選んだ本。
    企業も人も、ブランド云々と喧伝されてる世の中だが、そう「決め打ち」しなくてもいいんじゃないか。普段と逆のことを考えさせられる面白い本。
    厚みと深みのある、強い想像力が欲しいもんだ。

  • もっと重くて堅苦しい文章なのかと思っていたら、思っていたよりは軽い文章でした。しかも、読めば少し賢くなれそうな文章でした。が、こいつは何かを得ようとして読んだらダメな気がしました。結局、何かをすでに得られている人が読んだらいいというような本。自分でも何を言っているかよくわからなくなってきましたが、というのも、何かを教え諭そうといういうのが本旨ではない文章のように感じました。なぜなら、本書の最初のほうに、こうあります。“どうも諸君は「雑学」と「教養」の違いをご存じないようである。(中略)教養とはかたちのある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力ある。雑学は「すでに知っていること」を取り出すことしかできない。教養とは「まだ知らないこと」へフライングする能力のことである。”ゆえに、本書は明瞭な情報を読者に明確に伝えようとしているものではないらしく、本当に理解するためには、初めから、文字面を追う以上の負荷を読者に求めているようなのです。
    ……と、むやみに深読みさせられた一冊。

  • 既に相当古い時事ネタのハズですが、時事話題に係わりなく読めてしまうところが、やはりファンなのでしょう。

  • 飛行機の中で一気に読んだせいか、何冊もウチダ本を読んだせいか、私がバカなせいか、あまり内容を覚えていない…。他の何冊かと同じように、ブログでの内容を編集した本で、他の本と話が重なっているものもあります。読み返すとなるほど!ということばかりなのだけれど、きっと読み方が無防備なんだろうね。もう一回読み直してみよう。

  • 文章に繋がりがなく、読みにくいと思ったらブログ本だった。
    項目によってはおもしろくためになったが、多くはイマイチ。

  • すごく柔軟な人だ。論破の文脈じゃなくて常に利益を見据えてフレキシブルな論調で書かれているので私事をさしはさむ余地があるのが読んでて心地よい。

    「オーバーアチーブの原理」は目から鱗。そうかだから私は人間らしくないのかと一人納得。

    弱者が負け続ける「リスク社会」の章と問いの立て方を変えるの章に書かれていることは深く同意できる。

    他の著書も読もうと思う。

  • 元はブログだと思って読むと意外に難しい内容もある。読み飛ばしてしまった項目も多いので気が向いたら再読の予定。靖国問題については共感し過ぎるほど共感した。

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知に働けば蔵が建つ (文春文庫)の作品紹介

私が諸君に伝えようとしているのは雑学ではなく、教養である。だが、どうも諸君は「雑学」と「教養」の違いをご存じないようである-。弱者が負け続けるリスク社会をなぜ日本は選択してしまったのか。「武術的思考」や「問いの立て方を変える」など具体的な視座から、未来への希望をともなう真の教養を問う。

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