私の男 (文春文庫)

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著者 : 桜庭一樹
  • 文藝春秋 (2010年4月9日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167784010

私の男 (文春文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ……川端康成の小説に『眠れる美女』という作品がある。薬で眠らされた全裸の少女と添い寝するという、退廃的な遊戯に耽る老人の話だ。老人は複数の少女を相手にするが、ある少女と寝た時に、ふと、あることを思い出す。……

    『私の男』という扇情的なタイトル。〈私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた〉と冒頭から退廃的な空気を匂わせる。10頁もいかないうちに、語り手・花が「私の男」と呼ぶ男が、婚約者ではなく養父のことであると判明し、物語は加速度的に背徳の色を濃くしてゆく。追いうちをかけるように明かされる、過去の殺人と近親相姦の事実。そして物語は、この父娘の罪と転落の歴史を、語り手を変えながら少しずつ遡って行く。

    ここまででも十分に暗澹たる内容であるが、章を追うごとに次々と衝撃の事実が明らかになり、物語はほとんど絶望的になっていく。そして終盤のどんでん返し。ここにいたって、この父娘の悲劇性は、真のテーマは、近親相姦という特殊な問題ではなく、人間存在の根幹に関わる普遍的な問題らしいと気づかされる。

    ……『眠れる美女』の老人は、少女の体臭に「これは、母の匂いだ」と思い至る。十代の少女の裸体を前に、還暦を過ぎた老人は、在りし日の母の姿を思い起こす。……

    花の養父・淳悟の内面は、最初はほとんど描かれない。物語の終盤になって、初めて彼の魂の叫びが洩らされる。求めても得られないものを求めずにはいられない幼児の叫び。それは、鏡と鏡を合わせたように、花に反射して増幅し、共鳴する。親子の役割が逆転する。

    ほんとうの問題は、性的倒錯というより、母性剥奪にあるのではないだろうか。物語の中でしばしば、海が象徴的に描写される。生命を生んで育む海。一方で、荒れた時には、あらゆるものを呑みこんで奪いつくす海。海は羊水、即ち子宮であり、「母」の隠喩なのかもしれない。抜け殻のように座りながら一心に海を見つめる花も、死ぬときは必ず海に還るのだと言う淳悟も、求めても得られなかった母性に対する憧憬を、無意識に海に求めているのかもしれない。

    孤独な魂には、善意の人々の言葉も届かない。養父の「生きろ!」という叫びも、自分だけ置いていかれたという恨みしか呼び起こさない。老人の命がけの説得も、空ろな心には響かない。事の深刻さも理解できないまま、善悪の彼岸をやすやすと超えてしまう。そうして、母に見放された孤児たちは、偽りの幸福に溺れながら、閉じたループを描いて、いつまでもさまよい続ける。

    淳悟が去って、残された花はつぶやく。
    〈わたしは、これから、いったい誰からなにを奪って生きていけばいいのか〉。
    遺憾ながら、心理学のセオリーに従うかぎり、答えはひとつしかない。自分の子供から奪うのである。淳悟の母が淳悟から、淳悟が花から、順に奪ってきたように。

    健康な母性を花に期待できるだろうか。明るく輝く南国の海を「バカみたい」としか評せない花に? 淳悟の攻撃性が花に受け継がれてしまったことは、第一章の最後、花が小町に暴力をふるうシーンとして描写されている。花の子供もまた、求めても得られないものを求めてあがく空洞になるのだろうか。負の連鎖をとめることは不可能なのだろうか…。

    とにかく最初から最後まで呑まれっぱなしだった。私の中ではベスト100に入る傑作だ。

  • 花の結婚式前夜から物語は遡っていく。
    花と淳悟にしかわからない、わかりあえない精神的に閉ざされた世界の中がそこにはある。
    唯一無二の存在。
    言葉にしてしまえばたったこれだけに集約されてしまうけれど、二人が寄り添って壊れていくようすは怖いような哀しいような、胸にくる物語である。
    もともと壊れかけていた二人が出会い、共にゆっくりと溶けあっていく。
    約束した時間を過ぎても結婚式に現れない淳悟。
    時間も迫り父親が不在のまま結婚式を始めようとする周囲。
    花はうろたえながら叫ぶ。
    「だって、おとうさんがいないもん!どこにも、どこにも、行けないわ…」
    生きるために、幸せになるために、淳悟から逃げようとする花。
    縛りつけるわけでもなく、縋りつくわけでもなく、淳悟は淡々とそれらを受け入れる。
    誰と結婚しても、どこへ逃げても、結局は逃げ切れるはずなどないと知っていたのだろう。
    引き寄せられるように禁忌を超えた二人は、ひとつの魂が歪に割れたもの同士だったのかもしれない。
    他の誰とも合うことはない。
    ピッタリと自然にひとつになれる相手は、互いしかいなかったのだろう。
    描かれている場面だけを切り取れば、重く背徳の匂いが立ち込める物語になってしまう。
    けれどそれらを押し退け、圧倒し、上回る孤独と切なさが全編に漂っている。
    刹那的な二人の生き方が胸に迫る物語だった。

  • レビューの多くにある気持ち悪さは感じなかった。ただ、この愛の形は情愛だとか近親相姦なんて簡単な言葉で片づけられる物ではないし、「私の男」というタイトルの意味や淳悟が働かなくなった本当の理由も含め、読後もやもやするものが残った。

    淳悟にとって花は「血の人形」だと言う。
    姿は違っても母であり、娘であり、自分の分身であり、身体の中を脈略と流れる血はひとつ。花は血そのものなのだ。もしかしたら花の身体の奥で繋がった時にこそ、心から血を感じる事が出来るのかもしれない。

    一方で花にとって淳悟は父であり恋人。
    庇護してくれる父であり、たった一人の真の家族であり、甘えさせ、優しさで包んで、守り守られるべき恋人でもある。二人がひとつになることは自然の成り行きで、淳悟の求めに応えることで花は愛を確認できたに違いない。淳悟は花が愛するたったひとりの男なのだから。

    しかし子はいつか親離れし、恋には終わりがある。
    いびつな形とはいえ、花は肉親からのじゅうぶんな愛に育まれて大人になったのだ。もう親の庇護は必要がなくなってしまった。恋の熱はいつの間にか冷めていき、新たな出会いさえ生まれる。
    親離れしても父と娘という関係は変わらないが、恋の終わりは身体の関係の終わりをもたらし、花にとって淳悟は過去の男になった。

    花の恋の終わりは淳悟の心に孤独の影を差す。心が離れてしまった花の帰りを淳悟は待つ。父や母を死によって奪われた淳悟にとって、花を失うことは再びの孤独を意味し、彼女がどこへ行っていようともただただ待ち続けることしか出来ないのだ。

    新しい恋人、結婚、花は過去と決別するチャンスを得る。同時に淳悟も全ての過去、自分の存在すらも清算する。たった一つ、2人の歪んだ愛を捉えた古いカメラを残して。

    淳悟はその後生きているのだろうか。
    花を失った淳悟は孤独に潰されて死を選んでしまうに違いないと思った。
    そして同時に思う。
    もしかしたら今も淳悟は花のすぐ近くで、新たな血の人形の誕生をひっそりと待ち続けているのかもしれない。それだけを心の拠り所として。

  • 執着と呼べる様な歪んだ家族愛なのかと思いきや、話が過去に遡って進んで行くにつれ、お互いの欠けている部分を補うように求め合う二人の姿に悲しさを感じた。
    ただ、第4章は花の淳悟に対する気持ちが強すぎて、でもその気持ちを持つには幼くて、読んでいて怖かった。
    最後まで淳悟の気持ちが語られることが無いところも惹きつけられる要素かもしれない。

  • 複雑に絡み合った鎖のように重く、暗いものだけれど、こんなにもお互いを必要とし合える、愛し合える関係は、いっそ羨ましいと思えるほど。

  • この、読後の悪さを何と表現したら良いものか…。
    まず、日本語の扱いのうまさに脱帽した。「美しい日本語」とはまた少し違うのだが、語感が良く、表現も豊かなのである。こんなに文章がうまくなかったら、ここまで読後が悪くもなならなかっただろう。

    離れなければいけないと分かっているのにどうしても離れられない。世の中にはそんな恋もある。そんな恋ほど、とてつもなくいやらしい。ここまでいやらしく描けるのは、女流作家ならではだと思う。男性にはこんなグロテスクな性描写はできまい。

  • ≪あらすじ≫

    優雅だが、どこかうらぶれた男、一見、おとなしそうな若い女、アパートの押入れから漂う、罪の異臭。
    家族の愛とはなにか、超えてはならない、人と獣の境はどこにあるのか?この世の裂け目に堕ちた父娘の過去に遡る―。
    黒い冬の海と親子の禁忌を圧倒的な筆力で描ききった著者の真骨頂。


    ≪感想≫

    これはひさびさにきました。
    でました★5つ。

    後々ゆっくりと感想を書きたい。
    とりあえずずっと読み返して、ずっと浸っていたいような作品。

    まさにわたしが読みたかったのはこれ。

  • まさしくタイトル通り「私の男」の話。
    一章から息苦しくて沼の底に引きずり込まれて底に住んでいる人なのか妖怪なのか分かんない生き物に「私の一生を聞いてくれ」って言われてる気分だった。
    表現やストーリーの進め方は凄く巧みなので余計に、花の大人らしさと子供らしさが入り混じった語り草がいつまでもしんどい。
    平仮名使いが多かったり、冷めた感情をぶつけたり、嫌悪感を覚えるほど拒絶しているのに恋しがったり。
    ただひたすらに求め合う姿は真っ当からは外れているけど、手探りで重ねていく二人を逆行して見れたことで徐々に重石が外れて行くような気がして読み進められました。
    過去に逆行することで「こういう理由があるから歪んでるんですよ」って納得するんじゃなくて、過去にさかのぼることで二人の雪解けの様子を見たような。
    重苦しい二人を取り巻く空気はこうやって濃くなったんだなぁと感じられた気がしました。

    淳悟の愛が歪んでいようと肉欲だろうと愛情をただ欲しかったであろうと花の生活面の面倒を(食事面とか身の回りとか)きちんと見ようとしていた光景が見れたのが唯一の救いでした。

    こんなに感想が纏まらない本は初めてだ……。

    登場人物全てに感情移入できなくて、淡々と雪国の風景を見てるようでした。

  • 久しぶりにガツンとくる本に出会いました。ミステリーで直木賞作品という事ですが、むしろ純文学ですね。倫理的に嫌悪感を抱く人もいるかと思いますが、ある種の人間の業みたいなものを迫力ある筆致で描いています。この作家の作品を読んだのは初めてなのですが、他の作品も読みたいと思いました。

  • 父と娘を繋ぐ、禁断の愛。

    こんな設定のものを読む日がくるなんて思っていませんでしたが、映画化に合わせてインパクトのある装丁に惹かれて、なんとなく読んでみました。

    現在から過去へ、視点を変え、場所を変え、緩やかに巻き戻っていく歴史はなんだかどこか冷たくて、それでいて一定の熱を持っていて、不思議な世界観に引き込まれました。

    存在感がなさそうなのに、淳吾の存在感が常に浮き彫りになっていて、花のことよりも気持ちがそちらに向いてしまう。
    どこか壊れている淳吾。
    でも、憎めない存在。
    彼の心情にあまり触れられていないからこそ、気になってしまうのかもしれない。

    読み終わった後はなんだか切ない。

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私の男 (文春文庫)の作品紹介

落ちぶれた貴族のように、惨めでどこか優雅な男・淳悟は、腐野花の養父。孤児となった十歳の花を、若い淳悟が引き取り、親子となった。そして、物語は、アルバムを逆から捲るように、花の結婚から二人の過去へと遡る。内なる空虚を抱え、愛に飢えた親子が超えた禁忌を圧倒的な筆力で描く第138回直木賞受賞作。

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