ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫 う 19-9)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167801151

感想・レビュー・書評

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  • 前半の「非婚•少子化時代に」、「働くということ」の章は、うまくポイントを引き出せないのだが
    なるほどな、そういう時代の流れがあってこう思うのか、と思うことが多かった。
    特に「自分の利益だけ追求する」ことが、日本が平和だから出来るっていう論調。たしかに、極限状態では協力して生き抜こうと思うもの。
    就活の時とか、とにかく自分が勝ち抜くことをみんな考えているようで恐くて嫌だったんだけど、
    ひとりじゃ生きられないって語ってくれる大人は安心する。
    この前の選挙で「自民党投票した奴と無投票の奴が増税分払えよ!」とツイートしてる人を何人か見かけて、内田さんはアレに対して同じことを感じたろうと思った。

    以下、他のところで残った文章。

    p75私たちの労働意欲を担保するのは必ずしも「未来が保障されている」ことではない。「未来が未知だから」こそ働く意欲がわくという若者はいつの時代にもいる。

    p229「負けるのは恥ずかしい、だから負けない」というのは「適切な負け方」を全く考えないということである。

    p267自分の弱さや邪悪さや愚かさと「共生する」ということは、自分の弱さや邪悪さや愚かさに「屈服する」こととは違う

    p273「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが「成熟」の指標なのである。
    …自分のまわりにその健康と幸福を願わずにはいられない多くの人々を有している人は、そうでない人よりも健康と幸福に恵まれる可能性が高い。それは、(キャッチボールの例から知れるように)祝福とは本質的に相互的なものだからである。

  • ●要旨
    神戸女学院大文学部名誉教授である著者のブログからの抜粋・編集。様々な日本社会の変化、問題(として著者が尋ねられること)に対し、そもそも「人間はひとりでは生きられないことを忘れてはいないか?」というメッセージを込めながら答えていく。

    ●感想
    学術的な本ではない。
    根拠はあいまいで、データも参照されない。
    でも、不思議な説得力がある。

    他者との関係性の中でしか生きられないはずなのに、個人の重要性ばかりを言い立てる風潮のなんと根強いことか。
    個人の成功に固執する考え方が非常に自分を苦しめる例が五万とある。自分が他者にどんな影響があるのか(ないのか)、及ぼせるのか(ないのか)、を基準に自分の行動を評価する冷静さを持ちたい。

    ●メモ
    p54
    絶えず国家システムの崩壊や通貨制度の解体や隣人によるテロや略奪の可能性を勘定に入れて行動しなければならない国民は確かにデインジャー対応能力は高まるだろうけれど、不幸な国民である。

    p89
    「休職するモチベーション」と「労働するモチベーション」は別のものである。
    ...労働において、その活動の成否や意味や価値についてあなたが「参照」できるような「ほかの条件がすべて同じであるような競争相手」はもう存在しない。
    ...私たちの労働の意味は「私たちの労働成果を享受している他者がいる」という事実からしか引き出すことが出来ない。

    p97
    「義務」を果たしている人間に周囲は優しい(嫌なことに耐えているわけだから)。だが、「創造」に苦悩している人に周囲は冷たい(頼まれてもいないことに血道をあげているわけだから)。

    p121
    自在な視点の転換が出来るということ、矛盾を矛盾のまま引き受けることが出来るという点がトリックスターの知のありようなのである。

    p170
    「自分の属しているシステムの構造や機能がわかっている人間」と「わかっていない(けどそのことに気付いていない、あるいは気付きたくない)人間」の間に超えがたい階級差があることがわかる。
    →「知りません、わかりません、教えてください」と言えることは超重要。一つ上の自分というものは存在せず、一つ上の階層に属する人が存在するだけだから。
    p217人間は自分が欲するものを他人から与えられることでしか手に入れることができない。

    p233
    「強者」というのは「勝ち続けることができるもの」ではなくて「何度でも負けることができる余力を備えたもの」のこと。「弱者」というのは「一度でも負けられない」という追い詰められた状況にある人間のことである。

    p268
    「愛する」とは十全な理解と共感に基づくものではない。そうではなくて、なんだか「よくわからないもの」を冷静に観察し、その「ふるまい方」のパターンをよくわきまえた上で、涼しい顔をして受け容れることである。

  • 図書館で見かけて久しぶりに再読。30〜40個のエッセイの中から、特に興味のある20〜30%程をつまみ読み。

    P22
    男を騙すのはまことに簡単
    ①あなたには才能があるわ。他の人には見えなくても、私にはわかるの。
    ②あなたの顔が好き
    男が待望しているのは、「それが備わっているかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとこと。

    P52
    荒天型育児:母親は子供を「弱者」と想定している。生存戦略は「群れとともにある」こと。
    晴天型育児:父親は子どもを「群れの中での相対的強者」たらしめることが目的。

    P56
    日本というシステムがクラッシュするときに、私はそのカオスを生き延びていけるか、そのためのどのような資源を私は持っているか、開発しつつあるか、という問いを切実なものとして引き受ける。

    P222
    ロゼトの事例が教えてくれるのは、たとえジャンクフードを食い、煙草を吸い、酒を飲んでも、「周囲からの支援と尊敬」のうちにいれば、人間はあまり病気にならないということである。
    だから、あなたが生きる上でもっとも大切なのは「隣人があなたに向ける笑顔」なのである。
    人間は自分が欲するものを他人から与えられることでしか手に入れることができないのである。

    P281
    I cannot live without you.
    これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。
    幼児にとってこのyouは母親ひとりである。
    子どもが成熟するに従ってyouの数は増えてゆく。
    「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが「成熟」の指標なのである。

  •  非婚・少子化の時代をどう生きるか、「働く」とはどういうことか、メディアリテラシーとは、ロハスとは…などなど、著者の人気ブログのコンピレーション本。

     のっけから「お買い上げくださってありがとうございます。」というまえがきを読んで笑ってしまいました。そして、「社会は大人の5人に1人がまっとうだったら、あとは子どもでも何とかやっていける、だから若者よ、できれば5人に1人くらいはまっとうな大人になってくれよ」的なメッセージにも、こりゃなんだと。
     …ということで、思わずふふっと笑う記述も多々あるのですが、いやいや笑ってる場合じゃないでしょと考え込む場面も多々あり、難解で勉強不足を痛感する箇所もあれば、そうそう私の感じた違和感はそれだったんだ!って溜飲が下がる部分もあり、この本に限ってはこれこれこんな本なのよとは、うまくまとめられません。

  • 「ひとりでできることを二人がかりでやる。それによってあなたなしでは私はこのことを完遂できない、というメッセージを相互に贈り合うこと。それがもっとも純粋な交換のかたちである」
    「私たちはそのようにして他者の存在を祝福し、同時に自分の存在の保証者に出会う」
    金言がたくさん。

  • これぞウチダ節。読めば読むほどほんとに深い。”「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが成熟の指標” ”誰にも依存せず、依存されないで生きている人間を「自立した人間」と称してほめたたえる傾向があるが、それは「自立」ではなく「孤立」。”

  • ひとりでは生きられないのも芸のうち
    内田樹23冊目

    「世の中が全部『自分みたいな人』ばかりになった時でも愉快に生きていけるような生き方をする」という言葉に集約されているが、まさしく、現在の資本主義的マインドが浸透した社会ではなかなか実践されていない。資本主義では、情報の非対称性によってお金を儲ける仕組みが起動しているため、やはり自分一人が情報を含めあらゆることを独占したほうが効果的である。ひとりで生きていけるという豊かな時代の発想が、現在の日本の病理の根底にあるが、そもそも歴史をさかのぼればこのような状況は極めて限定的な状況であり、元来人は一人では生きられないものなのである。

    ・労働について考えるとき、どうしたら能力や成果に応じた俸給を与えられるかではなくて、どうしたら個人はその能力の限界を越えられるようになるかを考えるべきである。そもそも、労働はオーバーアチーブである。均質な労働のセクショナリズムを浸透させ、フェアな給与を与えようと仕組みを作っても、働く人は、与えられたセクションでしか働かなくなる。バレーボールにおいても、誰かのミスを誰かが修正する、修正の連鎖が勝利をもたらす。もちろん、分業という観点からポジションは存在するが、誰かがミスったからと言って、自分のポジションの仕事に固執し、これはあいつのミスだからと言ってボールを追わなかったり、瞬時に手を抜く人間はコートに不必要とされ、除外されるのがオチである。おそらく、人間の能力の限界は、誰かのミスのしりぬぐいをしている瞬間に、飛躍的に向上するのではないかと思う。これは曲がりなりにもバレーボールを10年間やった経験的実感である。
    ・労働とはほんらい贈与であり、既にうけとった贈与に対する反対給付の債務履行なのである。労働の意味は、「私たちの労働成果を享受している他者が存在する」という事実からしか引き出すことが出来ない。
    ・働く意義は、働いたときにしかわからないし、能力や適性は仕事の前にあるモノではなく後に発見されるものである。
    ・無規範状態を生き延びるための暫定的な規範を持っているかどうかが私たちの成熟の規範であった。時代の分かれ目や、価値観を異にする複数の世界のインターフェイスでふるまうためには自在の視点の転換が出来る事や、矛盾を矛盾ののみこめるトリックスターの知が必要である。

    本書で一番面白かったのは共同体の作法という章である。
    ・酒杯というものは、卓上に置いたままだと不安定に見えるので、つい手に取りたくなるような形をしている。杯を受けたものは、床に置くことなく、隣人に譲り渡すことが、食器の形態そのものから要請されている。宴会でも、未だに自分のグラスに自分で酒を注ぐことがタブーとされるのは、「自分の欲するものは他人に贈与することでしか手に入らない」という人類学的真理を物語っている。
    ・牛を殺して食べる事に関する禁忌は世界に多く存在する。牛を殺す映像を見ることから生じるいたたまれない感覚というものは、この問題に対しては触れない方が良いというシグナルを送っている。「羊たちの沈黙」に登場するハンニバルレクター博士は、人間を殺して食うことによって動物を殺して食う人間の罪を贖っているともとらえられる。そして、今のところ世界で最も牛を殺しているアメリカ人が、多くの「罪深い人」を探し出して殺すことに熱心である
    ・個体の持つ原子のランダムウォークする割合は、個体が大きくなるにつれて低下するという量子力学(?)の見地から書かれた、武道と複合的身体の話も面白かった。

    ・死者のメッセージ
    私たちは常に「私の欲望」を「死者からのメッセージ」として受け取る。自分自身の貧しい限界を超えるような仕方で「自分の欲望」を触発するために「他者からのメッセージ」として受け取られねばならず、「死者のメッセージ」は書き換え不可能であるゆえに、「他者からのメッセージ」の中で最も遂行性の高いメッセージとして受け取られる。
    ・正しい葬儀
    正しいもの儀式とは、「死者があたかも存在しているかのように生者がふるまう」ことで達成できる。死者に対して、生者が「あなたといつでもコミュニケーションを取れるし、今後もとり続けられる」と誓約することで、死者は成仏する。
    コミュニケーションとは「あなたの声がよく聞き取れない」と告げ合う者たちの間でのみ成立する。「だから、もっとあなたの話が聞きたい」という懇請によってコミュニケーションは前に進む。逆説的ではあるが、コミュニケーションは「それが成立していない」ということによって生成し、「成立した」と宣言することで消滅する。
    だから、正しい喪の儀式とは、「あなたがここにいる」と宣言することによって「死者をここではないどこか」へ送り出すのである。
    ・あなたがいなければ生きていけない
    人間は、誰かの「あなたなしでは生きていけない」人になることによって、存在の根拠づけをしている。そして、人はまた、「自分の欲するものは、誰かに贈与することでしか受け取ることが出来ない」為に、相互に「あなたなしでは生きていけない」というメッセージを交換し、互いの存在証明をしている。「その人がいなくては生きていけない」人の数の多さこそが、その人の成熟の指標なのである。自分一人で生きていけると考え、他者からなんの贈与も交換も受けない人間は、実のところ、誰からも必要とされていない。

    この話を聞いてワンピースのルフィを思い浮かべた。仲間に対して「俺はお前がいなければ海賊王になれねえ」と叫ぶことのできるルフィはまさしく、実は、最も成熟した人間なのである。

  • 求職するモチベーション(=自己利益の欲求を他者と争う)と労働するモチベーション(=集団のために行うもの)は別物である。
    →だから、就職活動に違和感を感じたのか!
    自己利益の欲求が労働ではない?

    人間は自己利益の追求を後回しに、共同体全体のパフォーマンスを向上させることに快楽を感じる能力によって、他の生物を圧倒する強さを獲得したいきものである!

    そして、そんな労働こそは義務なのである。
    自己利益の追求を掲げれているのも平和な社会に生まれれたおかげ。

    終身雇用も非正規雇用も、有限。期限がある。

  • ずっと手が伸びず、やっと比較的読めそうなⅠ,Ⅱ,Ⅴ,Ⅵ章とあとがき以降を読んだ。

    なるほど、こういう人はこんな風に物事を整理するのか、すごい、と感心した。納得出来る出来ない以前に自分はこういう思考を避けていること、自身の余白のなさを再認識。

    仕事についての箇所と、自殺についての箇所は確かにそうなんだろうな、と思った。

    あとは、他人との関係で、まずは贈ることから、という点。

    大変勉強になりました。
    またそのうち、もう一度ちゃんと読むだろう。

  • タイトルがいい。
    内田先生曰く、「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが「成熟」の指標なのである、と。
    自分ができないことは人にやってもらう。そうして空いた時間を、自分ができることをやる時間にあて、さらに誰かの分もついでにやってあげる。その繰り返しで相互扶助のネットワークができていく。
    誰もがひとりで生きていける社会は生きやすいかもしれないけど、長くは続かない、ほんの一部の場所でほんの一瞬だけ、成り立つもの。
    一人で百万稼ぐのもいいけど、何かあったら一万貸してくれる人が百人いると心強い。一人で家一軒建ててしまえる財力があるのもすごいことだけど、図面が引ける人、木が切れる人、骨組みを組める人、床が張れる人、インテリアに詳しい人…を知っていて、みんなの力を借りて家を建ててもらえるということも一つの「成熟」ということなのかな、と思った。

著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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