レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫 う 19-11)

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  • Amazon.co.jp ・本 (379ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167801489

感想・レビュー・書評

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  • 最近よく読む内田樹氏が師と仰ぐレヴィナスの哲学について、内田氏が弟子の立場で語るもの。レヴィナスの主張の内容より、面白い人ってどういう視点で師匠を選ぶのかがわかり興味深い。師の知識は無限であり弟子はその香りをちょっと嗅ぐ程度とか、大洋の一滴を掬うようなものという感覚はなるほどと思う。レヴィナスの主張を理解(と言ってもかなり難解だが)しつつ、自由や男女平等についても学べる良書。

  • 解説書? としては十分に難解だった。
    でと、なんとなくつかめてきた気もする。

    弟子と自称する内田樹さんの始まり方も良かった。
    安息日には文字を書かない敬虔なレヴィナスのこぼれ話も可愛かった。

    内田さんの本はもう少し読んでみようと思う。
    まぁ、まずは、レヴィナスの『実存から実存者へ』を読もうと思う。

    2016.8.16.

  • 第1章。自己の不能は、世界を俯瞰する視座を持たなければ自覚できない、それが「師」を持つことの意味。タルムード解釈では、見解の一致よりも、それぞれの章句からどれほど多様な意味を引き出しうるかが重視される。自己の不能を自覚する時、「他者」が私の前に現れる。「全体性を志向する主体のモデルがオデュッセウスであるとすれば、無限を志向する主体のモデルはアブラハムに求められる(87頁)」。
    第2章。フッサールの現象学は、対象よりも意味という観念に優位性を与えたことにより、意味を持つが対象として十全には把持できないないもの、すなわち「他者」についての厳密な学となり得る可能性があった。フッサールは「見る」という事例(リンゴの木、さいころ)に即して対象認識を論じるが、レヴィナスは、「見る」という動作によってはほとんどその関係を記述したことにならないような対象(愛される人、書物)を、現象学的考察の主題にすえる(155頁)。「神を表象してはならない。「自分のために」偶像を作るとは、視覚を中心として、世界を整序することである(162頁)。フッサールの「他我」とレヴィナスの「他者」の違い。
    第3章。「「あなたは私以上に倫理的であるべきだ」という言葉ほど非倫理的な言葉はこの世に存在しない。倫理性と主体性は「私はあなたより先に、あなた以上に有責である」という宣言によってはじめて基礎づけられる(303頁)」。「倫理を基礎づけるのはこの「選び」の直観である。「私は特別の地位にあるという意識、選びの意識を抜きにしては、道徳的意識はありえない(315頁)」。
    などなど、今まであまり触れたことのない、ユダヤ教的な発想をベースにした思想が新鮮だった。これらを念頭におくと、ユダヤ教の選民思想や偶像崇拝の否定に対する見方もかわってくる。

  • (内田樹先生の信者だから)

  • 愛について真正面から考えるには歳をとりすぎたのかもしれないが、ここに書かれているアクロバティックな論理だけで充分に官能的だ。
    たった1冊の紹介本を読んだだけではとても充分に理解できたとは思えないが、ここに書かれているレヴィナスの「顔」に関する文章を読んだとき、以前映画館で見たキシロフフキーの「ある殺人に関する物語」「ある愛に関する物語」を思い出した。映画というものがスクリーンの向こう側のまなざしとの対面なのであればそれは顕現された「他者」そのものなのだと思う。

  • やっぱり難しい…でも分からないものほど面白い。
    ーー知性とは「私は…を知っている」という知的達成の累積ではなく、「私は…について、不十分にしか知らない」という不能の語法を通じて錬磨される、そうレヴィナスは考えるのである。ーー

  • レヴィナスにそれほど興味があった訳ではないが、著者の教育論を読んだらめちゃめちゃ面白かったので、これも読んでみた。固いといえば固いが、それ以上に面白かった。

    「人間の世界が成立するには——正義が, 裁きの場が成り立つためには——他の人々に対する有責性をおのれ一人の身に引き受けることのできる誰かがいなければならない」
    「自分のなしたこと以上の責任を負うという, この有責性の過剰が生起する場所が宇宙のどこかにあり得るということ, それがおそらく畢竟するところ, 『私』の定義なのである。」

    この2行は私が最も好きな文である。直接の関わりのない他者に対する自身の有責性という概念は現代的な文脈では理解されがたいところだろう。しかし、特に近しい他者の死に直面した際に、自分自身が生かされていることに無条件に罪悪感を感じるという経験をした人は少なくないのではないだろうか。そういった状況から自身を救い出すためには、自分が何かを背負って生きているという思想を持つことが唯一の手段となるのかもしれない。ホロコーストでのユダヤ人達の死が、レヴィナスのこういった思想の背景にあるらしく、それを考えれば、とてもしっくり来る。

  • 本当の大人の作法で、名越先生が絶賛していたが、その気持ちがよくわかる。

  • 書物の表象不能性。受動性により基礎付けられる主体。陽の当たる場所から身を引くこと。代替不能の有責性。相互性の否定。

  • 内田樹さんの師匠レヴィナスさんについての内田さんの本。主体は創発すすものだという主張だと思って読んだ。最近の私の流行における右脳と左脳の話は、男性と女性というメタファーで愛の現象学という部分で取り扱われていると思って読んだ。なんで思って読んだかって書くかっていうと、テキストは開かれているので誤読してよいから。(かな)。しかし、ローマ人の物語とかを読むと辺境の地にしか思われなかったフランスが、何故哲学とか文化とかの中心地になっていったのか非常に興味深い。やっぱフランス革命とかが効いているんですかね。世界史とか全然くわしくないのでわからないけど。今でも文科系女子には燦然たる位置を保つパリ。こういった本が、woody allenのパリの映画(名前忘れた)とかにもつながっているかと思うと感慨深い。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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