終点のあの子 (文春文庫 ゆ 9-1)

著者 :
  • 文藝春秋
3.77
  • (166)
  • (394)
  • (271)
  • (39)
  • (7)
本棚登録 : 3419
感想 : 335
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167832018

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『うちらが卒業するときになっても、ずっと工事してそうだよね』、『工事が終わったら、まずい理由でもあんのかな』と、いつまで経っても終わらない駅の工事。”永遠に未完の工事”とも揶揄される駅の工事。

    1885年に開業し、乗降客数世界一としてギネスブックにも認定された”新宿駅”。1882年から始まった工事が未だ続いているスペインの”サグラダ・ファミリア”にも例えられるように、”新宿駅”は135年以上にも渡って延々と終わりのない工事を続けています。『何年も作っては壊すを繰り返している』というその工事は、何かしら目的を持ってはいても最終的な完成図を持ちません。それは、乗降客数世界一だからこそ、終わらない、終われないものなのかもしれません。

    さてここに、そんな”新宿駅”のように終わりのない工事がいつまでも続く、とある駅の最寄りの高等学校に通う女子高生たちを描いた物語があります。いつまでも続くそんな工事の風景を見て『工事は永遠に終わらないのかもしれない』と考える女子高生たち。この作品は、そんな彼女たちの思いの先に、学校のクラスでの日々を、そして彼女たち自身の人生を重ねてゆく物語です。

    『一体いつ終わるのだろう』と通学する私立女子校の最寄り駅の工事を見て思うのは立花希代子。そして、『やる気あんのかなー』と言うのは中等部から同じグループだった森奈津子。『工事が終わったら、まずい理由でもあんのかな』と話しながら、高校の入学式に向かう二人。そんな時『完成しないというところに良さがあるんだよ』といきなり背後から声がして振り向くと『丈の短い青色のワンピースを着た』、『見知らぬ女の子が立ってい』ました。『スペインのサグラダファミリアみたいにね…』と言い残し『スキップせんばかりの足取りで希代子たちを追い越して行った』女の子。『「はあ?」というふうに半笑いで首を傾げた』森ちゃんに対して『知らない人にいきなりしゃべりかけ、言いたいことを言うなんて、なんだかすごい』とひそかに感動した希代子。『新しい担任は、世界史の名村洋子先生だった。なっちゃんこと名村先生』という高校のスタート。『森ちゃんとまた同じクラスになれたことはラッキーだ』と喜ぶ希代子。教室を見渡すと『外部から入ってきた女の子たち十数名がそれぞれ緊張した面持で席に座っていた』というその中に『朝の青いワンピースを着た女の子がいるのに気がついた』希代子。『全員グレーの制服を着ている中、当然のことながら彼女はものすごく目立っていた』という彼女。そして『皆さん、出席番号順に自己紹介をしましょう』という先生のかけ声で自己紹介が始まりました。当たり障りのない挨拶が続く中、『奥沢朱里です』という『ちょっと舌っ足らずな甘い声に』顔を向けた希代子の目に『あのワンピースの子』が立ち上がったのが映ります。『皆、制服着てるから驚きました。入学式って、好きな格好しちゃいけないんだね。高校からの入学です。よろしくね』というその挨拶に『一瞬静まり返った後、遠慮がちにくすくす笑いと、ささやきに満ちた』教室。『ちょっと変わった子が空気を読まずに何か言い、皆がひく。自分がしくじったような気持ちになる』と、いたたまれない気分になる希代子。そしてそんな高校生活も一カ月半を過ぎた頃、『ねえねえ、立花さん、そのメロンパン、私のメロンパンと交換しない』と話しかけてきた朱里は『よければ一緒に食べようよ』と希代子を誘います。『半月足らずでお弁当のグループはしっかりできあがっていた』こと、そして『突然お昼によく知らない子をゲストに迎え入れることができるほど、柔軟ではない』というグループのことを気にして『ええーと、その。二人で食べよっか』と朱里を廊下へ連れ出した希代子。『私と一緒だと、皆とはだめなの?』と訊く朱里に『この子はKYだ、と少しうんざりした』希代子。『誘われた希代子がなぜこんなに気を回さねばならないのだろう』と不満に思う希代子。しかし、それをきっかけに『希代子と朱里は急速に親しくなっていった』という展開を辿る二人の関係。そして、その先にまさかの大波乱が待ち受けているとはよもや思わない二人のその後の高校生活が描かれていくこの短編。六つのグループからはみ出ることを良しとしない学校生活の息苦しさを見事に描き出した好編でした。

    四つの短編から構成される連作短編の形式を取るこの作品。柚木麻子さんのデビュー作として、まず一編目の〈フォーゲットミー、ノットブルー〉が”オール讀物新人賞”を受賞し、編集者からの勧めを受けて残りの三編が書き下ろされたという経緯をたどります。そんな〈フォーゲットミー〉について、『完全に加害者の立場に感情移入しちゃって、いじめられる朱里への愛おしさと憎らしさで喜々として書いてしまったんです』と語る柚木麻子さん。そんな柚木さんが描く物語は、『よければ一緒に食べようよ』と朱里が希代子をランチに誘ったことからスタートします。すでに高校スタートから一カ月半が経過し『クラスには六つのグループが存在する』という中での突然の朱里の誘いに戸惑う希代子。グループの関係性にも気を配り、二人で食べることでその場を凌ごうとする希代子に対して『私と一緒だと、皆とはだめなの?』と不満に思う朱里。『この子はKYだ』と感じる希代子ですが、そんな二人のランチの時間を過ごしてみて、『休み時間が、もっと長ければいいと心から思』い、『この子のことをもっと知りたい』と気持ちが変化していく希代子。一方で、朱里との時間が『森ちゃんたちとお弁当を食べながらする会話の百倍楽しい』と、グループの関係性と比較してしまったことから物語は大きく展開し出します。女子ほどではないにせよ、男子にだってグループは存在します。そもそも学校を出て就職したって会社内で何かしらのまとまりは存在するでしょうし、政治の世界に派閥が生じるのだって、その行き着く先とも言えます。人は何かしら自分の寄る術を求め、何かに属することによって心の安定を求めるところはどこまでいっても、どんな集団に入っても変わりません。これはもう生物としての性なのだと思います。そんなクラスの中で形成されるグループについて、柚木さんはそのグループ間に存在する格差に次の二編で焦点を当てていきます。

    『高校に入ってから突如、階級制度が発生した』と感じている森奈津子が主人公を務める二編目〈甘夏〉。一編目で希代子の中等部時代からの友人として登場したものの、どこか目立たない存在である奈津子。そんな奈津子が『自分の階級が低いことを日々実感していた』と内に秘める複雑な感情が起点となって物語は進みます。そんな低い階級に位置する自身の立ち位置の変更を目指して大胆な行動をとる奈津子。その行動は、奈津子にとって全くの予想外な結末へと彼女自身を向かわせます。また、それに続く三編目〈ふたりでいるのに無言で読書〉では、クラスの中で『所属する華やかな軍団』の頂点に立つ菊池恭子と、見下し対象の『オタクグループ』に属する保田早智子の夏休みの偶然の出会いから生まれた小さな交流の行方が描かれていきます。『あんなに綺麗な人が、私の話を楽しそうに聞いてくれた』と喜ぶ早智子に対して、『こいつ、ブスだけど結構可愛いかも』というその関係の始まりは、やがて『二学期までに保田を変身させるのだ。恭子のグループの一員は無理としても、どのグループにも自由に出入りできるくらいの地位に引き上げたい』と考えるようになる恭子の気持ちの変化、その心の内が見事に描写されていきます。自分のクラス内での地位向上を目指した奈津子と、早智子の地位の引き上げを目指した恭子。女子校のクラスの中という極めて狭い世界の中での微妙な力関係、それはまさしく”スクールカースト”という言葉で語られる世界です。この作品から三年後に、柚木さんは「王妃の帰還」という”スクールカースト”をマリー・アントワネットが生きたあの時代、フランス革命前夜の人々が熱く燃えたそんな時代に重ね合わせて描く傑作を送り出されます。この作品で描かれる学校世界はまさしくその前夜を見るかのようでもあり、それぞれのカーストに所属する面々が感じる”スクールカースト”に思い描く率直な感情を垣間見れたようにも感じました。

    そして、作品は四編目の〈オイスターベイビー〉で時計の針を大胆に進めたその先の未来へと読者を誘います。それは、『奥沢朱里が高校を卒業してそろそろ四年が経過しようとしている。あの駅の工事はまだ終わっていないらしい』という、駅の工事だけが同じように続くものの、まさかの四年後、すでに大学の卒業年へと至った朱里視点の物語でした。小・中・高・大と進んでいく中で、次の段階に進んだ自分がそれ以前の段階を一気に幼い時代、遠い過去のように感じることがあると思います。それぞれの時代を精一杯生きる中では、過去の段階に思いをはせる余裕などなく毎日は過ぎていきます。柚木さんが四編目で設定した大学四年という時代は、その次の時代の自分を見据える段でもあり、良い意味でも悪い意味でも前の段階である高校時代はすでに遠い過去となった、そんな時代でもあります。苦い記憶を封印したいという意識からか『共学の美大に入ってからは、できるだけ異性と接するようにしてきた』という朱里。しかし『この四年間は迷いだらけだった』という朱里は『カメラを触っているだけで、自分の居場所が確認できるようで、心が温かくなる』とついに自分の居場所を見つけます。しかし、『この駅来ると、いろいろ思い出しちゃう』と、『空気を読め。皆に合わせろ。私たちの気持ちを逆撫でするな』と苦しめられたあの時代の辛い記憶も蘇ります。そして、そんな大学生活を送る中で、『朱里にとっての終点は、向こうにとっては折り返しの始発駅に過ぎない』ということに思い至る結末が描かれていきます。それは『いじめられる朱里ちゃん側を書く必要があった』と語る柚木さんが導き出したこの連作短編の結末に相応しいもの。いじめた側の希代子のことを『私のことを、知りたかったのかな』と漠然と朱里が思い出すその先に光を見るその結末は、そこに四年という年月を経て、高校時代の複雑な思いを決着させた朱里が次の時代へと向かう姿を垣間見るものだと思いました。

    『希代子が朱里になれないように、朱里も希代子にはなれない』という、言わば当たり前の結末を見る物語。それは、高校時代という多感な時代にあって、『あの時はああするしかないって思っていた』と、その時々で出した最善の結論を繰り返す日々を生きた結果でもありました。永遠に終わらないかのように続く駅の工事、それは学校での日々の中でも、学校を卒業しようとも、そして就職して大人になろうとも、どこまでいっても完成することのない人間関係のあり方を、そして答えのない自分自身の人生を模索し続けながら生きる人の人生をそこに見る物語でもありました。

    高校時代を生きる少女たちの細やかで繊細な心の内を鮮やかに描き出したこの作品。「終点のあの子」という書名から受ける寂しそうな印象が、読後に一気に力強いものに変化した、そんな風に感じた作品でした。

  • いつも電車や街中でみかける女子高生は存在だけでキラキラ輝いて美しいと思うけど、そういえば当事者の時ってこんなに悩んでグルグルしてたわ…と思い出しました。
    憧れの存在がいたり、社会に出ようとしてみたり、裏切ったり裏切られたり…いまでも美化できない苦くてしょっぱい思い出を昇華してもらったように思います。
    「王妃の帰還」も舞台は似てるけど、より現実的だから世界に入り込みやすいです。

  • 四篇からなる連作短編集。
    中高一貫のプロテスタント系女子高を舞台にしたもので、高校一年生の同じクラスの色々な人物が主人公となっていくので、様々な視点から一つのクラスを眺めているようで立体感があって楽しかった。
    短編四つのうち三つは同じ時間軸だけど、最後の一つはその四年後、大学四年の時のストーリー。

    私も中高一貫の女子校に中学から通っていたため、女子同士の憧れや嫉妬やその他色々混ざった複雑な気持ちがよく描かれているのが分かるし、当時を思い出したりした。
    色々なグループに属するそれぞれの女の子の心の内というのが主軸なので、ちょっと苦しいような切ないような気持ちになったり、共感したり。。
    朱里のその後や希代子の大学生活も気になる。

  • 柚木麻子さんと朝井リョウ君は仲の良いお友達。
    らしいのだ、どうも。
    二人のツイッターを読むと頻繁にお互いが登場してくる。
    馴れ初めは何だったのだろう?
    いやいや、そんなことはどうでもよい。
    でも、柚木さんの比喩は朝井君の比喩に雰囲気が似ている。
    朝井君のが切れ味鋭いアーミーナイフだすれば、柚木さんのは、少しやんわりとした果物ナイフというような違いはあるけれど。
    どちらも、比喩の表現はきらきらと光り輝いている。

    男子高出身の私には、本当のところは分かってないのかもしれないが、彼女のこの作品は高校女子の心の機微や切なさなどの心理描写が秀逸だ。
    登場人物が見事に女子女子しているのだ、みんな。
    女子高の子ってこんなに面倒くさいのかと分かったら、高校時代に付き合ったりしなくて良かったと思った。
    いや、それは嘘だが……。
    私たち男子高の男どもは、こんな些細なことで悩んだりしなかったよな、と遥か昔を振り返り思うのだが、それってひょっとして私だけだったのか?
    受験勉強と野球部の部活漬けで、ただひたすら家と高校往復の毎日だったので、他のことを考える余裕がない高校生活を送っていたからなのか?
    うーむ。今さらながら高校の同級生に聞いてみたい気分だ。

    ま、それはともかく、柚木麻子の文章は私の好みである。惚れた。
    噛み締めると酸っぱい檸檬のようなストーリーのタッチも独創的だ。
    本のタイトルの「終点のあの子」も、一作目の「フォアゲットミー、ノットブルー」もセンスが感じられる。
    そんなわけで、これから彼女の作品を何作か読んでいくことに決めた。
    大好きなお嬢様学校の出でもあることだし。
    恵泉女学院出身。まさに憧れの秘密の花園的雰囲気むんむんではないか。
    男なんて、そんな単純な生き物ですよ、はい。

  • みんな「自分」を持ってるから、人間関係って難しい。

    当初電子書籍を購入したが、中一の娘に読ませたくなり文庫本も購入。
    娘がこの本をちょうど読んでいる時に些細なことから友だちとの喧嘩が勃発。
    愚痴を聞きつつ、「とはいえ、相手にも「正しい自分」があるからさ」と言うと、この本の影響があったのか、妙に納得したらしく、ほどなくLINEで友だちと仲直りしていた。
    そのあとで、ぼそっとひとこと「女子ってめんどくさいよね…」

  • 中高一貫校のプロテスタント系の女子校の少女たちの物語。同時期の出来事がそれぞれの視線から描かれていて面白かった。自分も同じような環境に居たので少女たちの気持ちに共感できるところが多々あった。

  • 個人的には早智子と恭子さんの話が1番印象に残りました。
    どの話も結末がスッキリする訳ではないからこそ、すごくリアルな女子高生たちを描いてるように思います。
    当たり前だけど、自分から見たら羨ましい存在の人も、それぞれ悩みや葛藤を抱えているんだな…

  • 今をハッピーエンドで終わることって、本当はあんまりないのかも。だって、人生はそこが終点じゃなくて、まだまだ続いていくのだから。
    この物語の女の子たちのお話は、どれもすっきりと終わっていない。残酷さや諦めや、後悔に劣等感。もやもやとしてしまう。けど、私もそうだったのだろう。
    女の子の世界は、目まぐるしく息苦しい。

  • 都内のとあるお嬢様高校は、中等部からの内部進学の生徒と高校から新規入学する生徒の両方がいる。中等部からの内部進学だった希代子は、高校から入ってきた写真家の娘だという朱里の自由闊達さに憧れるが…。
    女子校の高校生という多感な少女たちを描いた短編集。

    「乙女の密告」や「女子校育ち」のレビューでも書いた通り、私は首都圏某所の中高一貫女子校を出ており、小説などでも女子校に関する描写はつい細かいところまで気になってしまう。
    この小説は、作者自身が中高一貫女子校出身ということもあり、今まで読んだ「女子校もの」(そんなジャンルが存在するかどうかは置いておいて)で一番等身大に描かれていると思った。

    女子の間で、曖昧に、だけど確実に存在する序列とグルーピング。これらを飛び越えて、別のグループに所属してみたり、別のグループの子と交流することは非常に難しい。この世渡りで失敗してしまうと、元々いたグループからさえも爪はじきにされて孤立してしまう。
    ことをさらに厄介にするのは、往々にしてこれらの女子校はバイト禁止の進学校なので、彼女たちは家庭と学校以外の居場所が無く、学校における自らの立ち位置が、そのまま自分のアイデンティティの非常に重要な部分となってしまう。
    不安定で居心地も決して良くないのに、それにしがみつかなくてはいけない大変さといったら!たとえ学校の外、「みんな」の目が無い場所で、ふとした瞬間にそういう序列から外れる交流ができたとしても、ひとたび学校に戻ればそんな交流があったことは隠さなければならないのだ。

    万人受けする世界観ではないが、一度でも似た経験をしたことある人なら深く共感しながら読める一冊だと思う。

    解説でも書かれていたが、作者の選ぶ固有名詞が絶妙。
    「確かにこの子だったら高輪ウィングのロクシタン(代官山じゃないところがまた上手い)で買い物しそうだわ~」とかいちいち納得してしまう。

  • いやいや、おもっしろい。

    いちばん真ん中ポジションの女の子なら、
    恭子以外の立場はみんな少しくらい経験があると思う。
    適度に上位グループとも下位グループともそれなりに仲が良く、
    どこにいてもそれなりにやっていけるポジション。
    私はそんなポジションに中高とずっといたので、
    こういう気持ちが分かりすぎて恥ずかしかったです。
    昔の傷をつつかれているみたいでした。

    何であの頃ってしょーもない優越感や、
    しょーもなさすぎる羨望や嫉妬心にとらわれ続けてしまうんだろうな。
    ずっと熱病におかされてる感じ。
    狭い世界でそれだけがすべて、あれは異常だ。
    高校を出たら終わりってものでもない。
    あの頃の生活は何かしらに尾を引くと思う。
    人格とか、価値観とか、影響し続けてると思う。
    だから女はいつまで経ってもままごとみたいなことを繰り返す。
    ばかみたいに下らないのに、笑い飛ばすことなんてできない。
    女という生き物はほんとうに馬鹿だと思う。
    それでも女が好きなんだから、手に負えない。下衆い。

    甘い蜜を、みんなが吸いたい。
    見せびらかしたい。
    蜜やかな秘密という甘い甘い果実を、
    ひとりじめになんか絶対できないのが女という生き物だと思います。

著者プロフィール

1981年生まれ。大学を卒業したあと、お菓子をつくる会社で働きながら、小説を書きはじめる。2008年に「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を書きつづける。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞と、高校生が選ぶ高校生直木賞を受賞。ほかの小説に、「ランチのアッコちゃん」シリーズ(双葉文庫)、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』(どちらも新潮文庫)、『らんたん』(小学館)など。エッセイに『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)など。本書がはじめての児童小説。

「2023年 『マリはすてきじゃない魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

柚木麻子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×