こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

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著者 : 渡辺一史
  • 文藝春秋 (2013年7月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167838706

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こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)の感想・レビュー・書評

  • 障害者ノンフィクションとして読むと、乙武洋匡が『五体不満足』で(その後、著者自身も後悔する)明るく元気な障害者像を打ち出してから 5年後の 2003年、障害者の聖化に真っ向から NO を叩き付けた快作だが、しかし、それはあまりにも浅い読み方だろう。この本は、障害者と介助ボランティアの話ではなく、人間達と人間達の話なのだ。「生きるとは何か」「人と関わるとか何か」を異常に濃密な人間関係の中で考え続けた著者の苦悩録なのだ。筋ジストロフィー患者シカノの圧倒的な存在感を背景に一気に読ませる。タイトルも秀逸。

  • どんな人でも、読んでおいて後悔しない本かと

  • 筋ジストロフィーの鹿野靖明氏と彼を支えるボランティアの日常を描いた内容です
    が、一般的な障害者と介助者とのイメージとは大きくことなり、介助される側の
    鹿野氏に一切の遠慮はなく、介助する側を教育までするというこれまでの概念が
    覆される内容でした。
    自分で何もできない鹿野氏にはそうせざるをない状況なわけですが、一般的な施設
    には入らず、親の家での介護も選択せずに自分の力でボランティアを募って生きて
    いくと決めて実践したのは本当にすごいなと感じました。
    各ボランティアの面々も個性的でユニークなエピソードが満載でした。
    それぞれが鹿野という人を通じて自分の人生や生き方を見直し、影響を受けている
    様子をみて鹿野氏が誰に対しても全力で向かい合っている結果なのだろうなと感じ
    ました。
    印象に残ったコメントとしては、「”あつかましさ”っていうのが人にとっていかに
    大事か。~、最初は嫌がられても、追い返されても、はねつけられてもね、情熱
    さえあれば、結局人って動いてくれるし、最終的にはわかってくれるんだよね。」
    ズバリこれです。
    今の自分には足りないなぁ~と読んでいてつくづく実感しました。

  • 2016.2.24
    ボランティアが弱者である障害者に献身的に手を差し伸べ、障害者はその介助に感謝する。ボランティアは人のために役立つことが出来て充実感が得られる。その関係性に感動。とか、障害があってもそれを乗り越え精一杯生きる姿に感動というような日テレの24時間テレビ的なものでは全くない。
    何なんでしょう?結局は障害とか関係なく、ただ人間と人間、鹿野さんと周りの人の関係性が面白いんだと思う。それにしても鹿野さんのしぶとさ、生への執着が半端ない。エネルギーそのもの。

  • タイトルの雰囲気にひかれて読み始め、かなりの大著ながら、3日ほどで読み通すことになった(kindle版)。ケアをし、ケアをされることの、抜き差しならぬ状況に胸がつまる。しかし、つまりながらも、これが日常なのだ、生きるということなのだ、という声も聞こえる。平和ぼけならぬ、健常ぼけの私も、遠からずケアされる側に回る確率が高く、同じように生きる覚悟はあるのだろうか。

  • おもしろい。筋ジスを患う著者の、日常から死までを本人主観の独特な文体で書かれたもの。外野から見る障害者のイメージをことごとく破壊してくれる頼もしい内容。日々の奮闘ぶり、それもかなり攻撃的な言葉遣いながらも人間らしく不思議と愛着がわく。身近にいるような錯覚にとらわれる。読後感がすがすがしい。元気のないときに た読みたいなぁと思う。

  • シカノさんはとても強くて弱い。

    筋ジストロフィーのシカノさんにとって1日の生活が「生きる事」そのもの。
    命がけで今を生きるシカノさんと共に過ごしたボランティアさん達から、教わる事がとても多かった。

    印象的なタイトル。
    おしゃべりで、なんだかんだ不死身のように思えるシカノさん。
    厳しいテーマを扱いながら、なんとなくユーモラスなのはシカノさんのお人柄なのか。
    一生懸命伝えてくれた事を、少しでも活かせていけたらと思う。

  • 進行性筋ジストロフィーを患っている鹿野靖明(しかのやすあき)と彼の自立を助けるためのボランティアとの記録。

    著者もボランティアの一員となって、鹿野と長い時間を過ごし、多くのボランティの話を聞いて、構成された本。

    まず、びっくりしたのが、筋ジストロフィーの鹿野が、自分の人生を生きるために自立するところ。
    障害者は誰からの援助なしには生きていくことはできない。その援助はたいていの場合、家族なのだが、彼は親の人生を自分の援助だけに費やしてほしくない、それに人として生きていくためには自立する必要があると強く思い、実現した。
    有償と無償のボランティアを組み合わせ、24時間援助体制を組む。
    素人のボランティアには、痰の吸引や、下の世話、体の位置を変えることなどを教えて一人前にしていく。
    誰の世話にもなりたくないという人間の持っている気持ちをすっかり捨てなければ、自分が生存していかれないのだが、鹿野は我妻や小山内の影響、エド・ロングの出会いで、障害者の自立に目覚める。
    そういった障害者としての権利を考え始めていく段階で書かれていたエピソードが衝撃だった。

     
    P1841970年脳性マヒの2人の子どもを育てていた母親が、思い余って下の娘の頸を絞め、殺害するという事件が起こった。しかし、事件後、この母親に多くの同情が集まる。母親を殺害に追い込んだのは、日本の福祉施策の不備であり、母親もまた被害者なのだーー。近所の人や同じ障害児をもつ母親を中心に、加害者である母親の「減刑」を嘆願する運動が開始された。ところが、この「減刑」に激しく異を唱えたのが、脳性マヒ者のグループ「青い芝の会」。
    もし、減刑が認められるなら、「脳性マヒ者は殺されても仕方のない存在」ということになる。減刑は、脳性マヒ者の「生きる権利」の否定である。

    う~~~~~む。
    今までであれば母親への同情しかなかった自分を思い返して冷や汗がでる。
    人の正しい権利とは~一見しただけでは誤解ばかりかもしれない。

    P209 エド・ロングとのやりとり
    「主張すれば与えられる。主張しなければ与えられないということですか」
    「そのとおりだ。だからこそ、主張することを恐れてはいけない。会談を登れないなら、デスクを一階に置いてくれと頼めばいい。また、エレベーターをつけろと主張すればいい『できない』ということに、必要以上に目を奪われてはいけない。

    「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何か頼むことを躊躇しないでほしい。健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている。一番だいじなことは、性心的に自立することなんだ」

    P445 鹿野さんにはポツンとひとりになれる場所も時間もないことを思うと切ない。

    ボランティアの間で回すようになった「介助ノート」の存在は大変貴重なもの。
    ボランティアとはなにか、
    介助とはなにか、
    鹿野のワガママぶりをどのように受け取るのか

    鹿野さんの生きる力の強さに、ボランティアは集まり、
    介助ボラを続けていく。

  • 良書だが冗長。だが、良書…。途中でダウン。だって話が長いんだもん!

  • 鹿野に会って人生が変わったという一人、斉藤大介の「フツウ」というキーワードが離れない。
    彼へのインタビューを受けての著者の文章より。

    “本当に、フツウの障害者を、フツウの健常者が、フツウに介助し、それがまったく「特別なこと」ではない、という時代が来れば、どんなにいいだろうと思う。
    しかし、言葉で言うのは簡単だが、それこそが難しいことではないのか。”p.461

    フツウってなんだろう?私はフツウに生きているの?鹿野にとってフツウとは?私と違うのか?
    本当に、1ページごとにいろいろ考えてうなってしまう。
    今の時代、障害あるなしに関わらず、フツウに生きることが難しかったりする。私は私の生き方を、一日一日を生きていく。

    著者の障害という(障がいと書かない)表記の仕方の注記を読んで、彼の考え方に深く共感した。
    丁寧に、地道に練り上げられた文章。

  • 【ボランティアの現場、そこは「戦場」だった――】自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション!

  • かなり前から気になっていたこのタイトル。予想していた内容とは少し違ったけど、読んでよかった。
    ほんとに全然知らなかったことをたくさん教えてもらった。だからと言って、この本をきっかけに私が何か行動に移せるかといえば、それはそれで簡単なことではなく。でも、とりあえずこの本読んだことを忘れずにいたい。

  • 筋力が段々低下してしまう遺伝性疾患「筋ジストロフィー」になってしまった鹿野氏の生きざまを書くノンフィクション。自分で出来ることはどんどん少なくなっていき、限られているが、病院でも親元でもなく、自宅でボランティアの介護を受け生きる。
    鹿野氏のキャラと介助ボランティアを知り衝撃。

    私がやったことのある、あるいはボランティアをするならばと頭に描いていたボランティアは、全然ボランティアでは無いなと思い知らされる。
    本の中の辛い思いをしてまで、何でボランティアしているのだろうと、考えるボランティアたち。またそれぞれの考えも、関わり方も違うが、ボランティアをすることで成長していく様を見て凄いなと思う。

    技術の進歩で、長期間の存命が可能になった。しかし、そのため病院から敬遠されるようになった。現行の制度では、入院が長引くほど、病院に支払われる「診療報酬」が減額されるからだ。そのため、在宅医療の体制が不十分なのに、退院させ、家族が死に物狂いで、介護に当たらざるをえない。
    その中で、現状を変える試みとしての在宅生活。

    【ボランティアたちの声】
    ボランティアをすることで、自分を知る

    自分では理性的、冷血と思っていても、辛い人を助けることにより、自分の直情的な部分を感じる

    ボランティアとは、「助ける」ことと「助けられる」ことが融合し、誰が与え誰が受け取っているのか区別することが重要ではないと思えるような、不思議な魅力にあふれた関係発見のプロセスである。

    学生で自由な時間はあるが、不安な感覚があり何かやりたいと思い、ボランティアを始めた。

    ボランティアもただ黙って相手の要求に従っていればそれが介助かのか、違うんじゃないかと思う。自分が出来ないときは「できません」とか「ちょっと待って」と言うことも大事なんじゃないか。これが出来ないと続かない。

    今の若い人たち、健常者の社会には「いきる手応え」が少ないのではないだろうか、人生の深みを感じる機会があまりに少なくなっているのではないだろうか

    鹿野氏もボランティアも自分のやっていることはスゴイとか、物事を大げさにしすぎている。介助する方も自分達のやっていることは社会的に意味のあることだみたいな、おごり高ぶりがあるし、一人の障害者を介助するくらいで、本当のやさしさとはとか、思いやりとはとかを論じ始め、違和感があった。

    介助の経験を通し、介助、障害と言うものが、意外に身近なものであることを知ることができた。この世の中で起こっている出来事のなかで、自分にまったく関係がない、なんてことはほとんどないのではないだろうか。交通事故でも、犯罪でも、病気でも、戦争でも生きている以上他人ごとではない。

  • タイトル秀逸。もちろん内容も。
    障害を持って生きている人と支える人。お互いが生身の人間としてぶつかりあっている様が伝わってくる。

  • 衝撃的な作品。

    泣けるし、笑える。

    素直に生きること。
    必死に生きること。
    そのためのワガママの憎めないところ。
    その生々しさ。
    人を頼ること、支えているのか支えられているのかわからないくらいに。
    言葉を慎重に、大切に遣う文章も素晴らしい。

    ○他者との遭遇

    ○相手を受け止めながらも、突き放すこと。そして、突き放しながらも、信じていること。(474頁)

  • 自立とは、誰の助けも
    必要としないという
    ことではない。

    どこに行きたいか、
    何をしたいかを
    自分で決めること。
    自分が決定権をもち、
    そのために助けて
    もらうことだ。

  • 人と人の関係に迫った、とても良い本だった。
    いわゆる「障がい者とボランティア」の本じゃない。
    友人関係、恋人、親子、同僚…など、人間関係の芯に迫った本だった。

  • 「自己責任論」が幅を利かせる時代、自分の人生を自由に選択できるという心地よさを享受できるのは素晴らしいが、同時にそれは、その代償として「人に頼る」ことがとりわけ難しくなることをも意味する。鹿野氏のやり方は、ある意味でそんな時代の流れに反しているように思える。
    進行性筋ジストロフィーを患い、自分ではほとんど何もできない。"それなのに"病院で過ごすわけでも家族に頼むわけでもなく、ボランティアに任せるというのが彼のやり方だ。
    他人に過度に干渉されないこと、逆に自分も極力迷惑を掛けないことこそが、現代に於けるある種のマナーのように考えられている。でも、生まれながらにして障害を持っていたり、家庭環境に恵まれなかったり、そういった自己で決定するという「自由」をそもそも謳歌できないまま、単に不利益だけを被ることになってしまったらどうだろう?他人の援助ですら引け目に感じ、公的な支援だけに頼らざるを得ない―それが多くの“弱者”たちの現状なのかもしれない。鹿野氏のやり方はその社会に一石を投じている。彼は、所謂「迷惑」をかけまくりである。彼の介護には24時間ボランティアが付きっきりでなければならない。そのくせ夜中にバナナがほしいとボランティアを起こすなんて。あぁ自分がボランティアの立場だったら耐えられないだろうな…と正直思ってしまう。
    でも、こうした"わがままな"彼の隣で寄り添うボランティアたちは、次第に彼ら自身の内部で化学変化を起こしいく。たとえば30歳を過ぎて医学部に転じるボランティアがいることなど、良い例なかもしれない。「自己責任」社会は、つまり人とのマイナスの関わりを極力避けようとする社会だ。人間社会の化学変化だから、その結果は勿論予測できない。どうなるかは分からないことに対してその都度対処するということは、高度にシステム化された快適な社会の最大の弱点なのだ。ボランティアたちは、そんなシステマティックな社会の在り方とは対照的に、人との関わりの中で悩み、時にそれを他者にぶつけ、そして何かを獲得していく。そしてそのプロセスの中で自分の生きる意味を見出しているようにも見える。
    単なる障害者のルポ?いえいえ違います。人との関係性が希薄になる中で、人との交流の中で生じる化学変化のようなものがいかに生きる意味を与えてくれるのか、そしてそんな人との関わり合いの難しさや残酷さ、そして喜びや充実感、そんなことを読者に伝えてくれていると私は思う。

  • 鹿野さんとそのボランティアの人たちの話。鹿野さんは筋ジスという難病だけれど自宅で生活することを選び、アルバイトを募集して生活する。アルバイトは学生や主婦などなどが常時誰かが入ってはやめ、常に40人ぐらいのシフト制。
    最初は同じ話を繰り返す本かと思っていたけれど、どんどん中身が厚くなり面白くなる。
    鹿野さんとその周囲の人たちの長所も短所も厚く書いてある。
    鹿野さんの恋愛話も。介護する者とされる者、「対等」とは何かということが特に考えさせられた。

  • たぶんこの著者の距離感が、読み手をすっと引き込むんだと思う。そうか、なんにも知らなかった、と生きるということを同じ目線で考えられるような気がする。そして、読みながら、待て待てと思う。読んだだけでわかった気になるのは間違ってる、やっぱり。もちろん、知らないより知っているほうがいいだろうけど、読んだだけで何かを語るわけにはいかないなあ。もっと自分から掴みにいかないとわからないことが、山ほどあるはずだから。
    せめてそういう気持ちはしっかり覚えておこう。

  • 24時間他人に介助されなければ生きていけない筋ジストロフィーの患者とそれを支えたボランティアたちの交流を描いたノンフィクションです。単に障害をテーマにしたもの ではなく、「ケア」や「ボランティア」をめぐる問題を色々と考えさせてくれる本です。いくつかのボランティア活動に関わっていた大学生のときに読んで、今でも強く印象に残っている本です。

    人間科学部 T.A


    越谷OPAC : http://kopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1000911322

  • 筋ジストロフィーという難病を患い、人工呼吸器をつけながら、自立生活を営む鹿野靖明氏を負ったノンフィクション。ボランティアで24時間のサポート体制を作って、生活すべてにおいて他人の手を借りながら生きている彼の、日常。「ボランティア」とは何なのか、「人を支える」とはどういうことなのか、障がい者の自立に向けた社会、行政との戦い。著者自身、取材をしながら、鹿野氏の環境に巻き込まれていき、いわゆる一般的な「障がい者」のイメージと、彼の実際の日常とのギャップに違和感を感じたりしていくのが、読んでいる私の感覚と沿っている感じもして、これから自分はどう考えればいいのか、どう接すればいいのか、考え直すきっかけになったと思います。多くの人に知って欲しい一冊ですね。

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こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)の作品紹介

ボランティアの現場、そこは「戦場」だった――自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション!

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)はこんな本です

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