1985年のクラッシュ・ギャルズ (文春文庫 や 43-2)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (313ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167900625

作品紹介・あらすじ

3月22日、長与千種がリングに復活する!日本中を興奮の坩堝にまきこんだ長与千種とライオネス飛鳥。そして彼女らに涙した全ての少女たち。あのときとそれから。真実の物語!

感想・レビュー・書評

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  • 著者の柳澤健さんが自ら「最高傑作」とおっしゃるだけのことはある作品。ライオネス飛鳥と長与千種とで結成された女子プロレスのコンビ・クラッシュギャルズの評伝。これもまた人間世界のあらゆるドラマが織り込まれた女子プロレスの青春記。女子プロに関心がない人でも読めば必ず引き込まれると思う。

    ちょっと時間がないので、またヒマな時に詳細を必ずや書き足します。

  • キンドルのセールで購入(200円弱)。

    クラッシュギャルズの時代と絡めた時代考察かと思いきや、クラッシュギャルズそのものについての考察だった。

    世代的にはドンピシャだが、女子プロは見ていて涙が出てきてしまうので、あまり見ていなかった。ここに書けなかったことも多いだろうが、それでも十分に面白く、まだまだ読み足りないという印象を受けた。

  • 最後まで著者を勘違いしてました。やられた。
    クラッシュギャルズは世代的には少々当たってるのだけど、全くはまれなかったので、ハマってた人達の心境が面白い。
    そして女子プロの過酷さはもはや感動モノ。

  •  冒頭を読み始めたら最後まで読むのを途中でやめられないほど面白く、読むのが遅いオレには滅多に無い読書体験だった。クラッシュ・ギャルズに全く思いいれもないしそれほど興味もなかったのだけど、それでも大変おもしろくてぐいぐい引き込まれた。普遍的なものがたくさん描かれているからだろう。間違いなく名著である。中でも中高生の女子がかっこいい同姓に惹かれる理由が語られているのが面白かった。全日本女子プロレスの経営のいい面と悪い面も面白い。

     長与千種の方が圧倒的に人気があったことも初めて知った。彼女の天才性が周りをざわつかせている感じや、ファンが彼女の計算高さを知っていても熱狂するのも面白かった。改めてあの時代にきちんと見ておけばもっと面白かったのだろうともったいない気持ちになった。

  • 2014(底本11)年刊。本書は1980年代半ば一世を風靡した女子レスラー、クラッシュ・ギャルズ/長与千種とライオネス飛鳥の評伝。が、そこに彼女らのファンが高じてプロレスライターになった伊藤雅奈子氏の視点が加わることで、読者としては同時代感が付与される。自分の物語として読めるような本書の仕掛けは上手い。私自身は伊藤氏より少し上の世代。また、当時でも、彼女らが歌も歌うアイドル・レスラー程度の知識はあったし、それより前のプロレスブームもあって、巧妙な演出下で行われる興行がプロレスだ、程度の知識は持っていた。
    ゆえに、彼女らに嵌ることはなかったものの、会場を埋め尽くす女の子たちの黄色い歓声が、従前のプロレス(特に男)とはだいぶ違うなぁとの感はあった。が、彼女らもアスリートながら、集客力を要するプロ。アスリートとしては恵まれなかった長与と、「プロ」としては長与に見劣りした飛鳥とが、各々の立ち位置を探し続ける相克物語としてみれば、多くの類似の物語を探せるし、彼女らに感情移入し得るはず。加え、80年代と10年代の断絶を雄弁に語る11章以降が秀逸。

  • 見てたんだよねー。小学生の時、母と一緒に。女子プロレス。
    華奢な千草とボーイッシュな飛鳥と、そして極悪同盟の皆様。。

    本著では、当時見えなかった舞台裏をもう一人の少女の物語も絡めながら進行していく。その絡め方が秀逸で、アラフォーの読み手は昭和のあの頃を思い遠い目。時代は変わった。

    時を同じくして見たYouTubeダンプ松本のルポも同時視聴オススメ。

  • 2014/11/13購入
    2014/12/8読了

  • 【3月22日、長与千種がリングに復活する!】日本中を興奮の坩堝にまきこんだ長与千種とライオネス飛鳥。そして彼女らに涙した全ての少女たち。あのときとそれから。真実の物語!

  • 近所の本屋で、文庫の新刊が面陳されてるところで、これが気になり、ぱらぱらーっと「あとがき」などをめくると、井田真木子さんの名前が出てきた。著者は、井田さんの担当編集者だったことがある。読んでみたくて買ってきた。

    私が井田さんの本でおぼえているのは『同性愛者たち』(文庫になった『もうひとつの青春―同性愛者たち』が2012年に再刊されている)。その後、若くして亡くなられたことが記憶に残っている。

    1985年のクラッシュ・ギャルズ、というタイトルが私にはピンとこない。長与千種とライオネス飛鳥のペアの存在は知っていたが、1985年で私が思い出すのは、日航機墜落の8月12日と、やたら大騒ぎだった阪神の優勝くらい。その年にクラッシュの人気は最高潮だったという。

    大阪城ホールは10代の少女たちで満員だったという。85年に高校生だった私の同級生にも、きっと大阪城ホールへ行き、クラッシュに声援を送った人がいたのだろうと思う。中学の同級生にはアイドルの追っかけをしてる子もいた。そういう何かに入れ込む情熱が私にはなかったけれど。

    著者は、編集者として勤めていた会社をやめたあと、ライオネス飛鳥の評伝原稿の依頼をうける。取材して書いた記事によって「クラッシュ・ギャルズとは何だったのか」を読者に伝えることはできたつもりだが、しかし「なぜ少女たちはクラッシュをあれほどまでに深く愛したのか」「クラッシュが輝いた1980年代は、少女たちにとってどのような時代だったのか」(p.303)については、よくわかっていたなかったと著者は書いている。

    そして、クラッシュのふたりのほかに、もうひとりの主人公(=ライオネス飛鳥親衛隊長から雑誌編集者になった伊藤雅奈子さん)を立てて書かれたのが、この本になる。「あとがき」の三人目の主人公について書かれたところを、本文を読み終わってから読んだ私は、やっと腑に落ちた。冒頭で出てくる、テレビの深夜番組で女子プロレス中継を見ている少女が誰なのか、これはノンフィクションではなくて、語り手をおいたフィクション仕立てなのか?とも思ったのだった。

    父と母に置き去りにされ、親戚をたらいまわしにされて育った長与千種、スポーツ万能だったライオネス飛鳥、ふたりが自分の未来を見たのは女子プロレスだった。トップで入団テストを通り、「おまえは強い」と言われた飛鳥と、「お前らの代わりはいくらでもいる」と言われた千種。ふたりがそれぞれに女子プロレスの世界に入り、クラッシュとしてペアを組み、人気の絶頂を経て、引退、そしてまた復帰…という道筋は、自分が全く知らないこんな世界があるんやなと思った。

    クラッシュに新鮮なイメージを与えようと、長与千種が髪型や仕草の細部にまでこだわった、というところが印象的だった。
    ▼クラッシュの基本イメージは「中性」である。
     千種の中学時代、後輩の女生徒たちは、男にも女にもなりきれない千種に憧れ、深く愛した。心の奥底で、自分が女であることを悲しんでいたからだ。
     思春期は内なる性と向かい合う季節である。
     思春期の少女たちいんとって、女であることは屈辱でしかない。かといって男を愛すれば、自分が女でしかないことを突きつけられるだけだ。だからこそ少女たちは、女であることから自由な女を愛する。
     中学時代の長与千種は、後輩たちからそのように見えたからこそ愛されたのである。
     理屈ではなく、実感としてこの構造を知る長与千種は、クラッシュが少女たちに愛されるためには「中性」のイメージが必要だと考えた。(pp.105-106)

    髪をストレートで揃えて、純粋で清潔な雰囲気を出し、リングではニコリともせず闘志むき出しのイメージを出す。強大かつ理不尽な敵にさんざんに痛めつけられ、流血を強いられる美少女を、勇敢な友が窮地から救い出し、ついには劇的な逆転勝利を得る―そういう「物語」の新鮮さだけでなく、クラッシュはプロレスのスタイルも新しかったという。

    ▼プロレスのスタイルもまた、既成の女子プロレスの概念から一歩も二歩もはみ出すものだった。強い当たりのキックを使い、多種多様なスープレックスを練習もなしに使い、関節技はギブアップするギリギリのところまで攻める。
     これまで女子プロレスには押さえ込みはあっても関節技など皆無だったし、ジャーマンを使うレスラーさえほとんどいなかった。
     ところがクラッシュは天龍同盟のサンドイッチ・ラリアット等、男子が出した最新の技を即座に取り入れ、次の大試合では必ず出した。(p.107)

    ビューティー・ペアの時代には、観客はプロレスよりも歌を聴きにきていた。「ところが、クラッシュ・ギャルズの若いファンたちは、長与千種によってプロレスの魅力に目覚めていったのだ」(p.109)。

    "自分を最大限に表現する"ことにかけては、千種は天才的である。観客は、千種と一体になって試合を戦っているような感覚を得る。「親衛隊や追っかけになるほどではなくても、長与千種に憧れて女子プロレスラーになった選手はすごく多い」(p.165)という。

    そんな千種に、飛鳥は食われてしまう。プロレスラーとしては自分のほうが上なのに、自分が千種の引き立て役になっているという思い、プロレスラーがなぜ歌を歌わなければならないのかという思い(テレビ中継が、歌を要求した)、そんな中で飛鳥は鬱におちいり、千種と一緒にはいられないと、クラッシュは分裂。

    その後、スーパースターズ・ユニット(SSU)を結成し、ヒール(悪役)に転向して暴れまわるようになった飛鳥は、クラッシュ時代の自分を、あの頃の私は自分のプロレスをしていなかった、クラッシュとは結局千種のプロレスだったと振り返る。

    ▼ところが、ヒール転向後の飛鳥は、頭と肉体を使ってベビーフェイスと観客の心を自在に動かすというプロレスの醍醐味を知った。
     そしていま、自分は長与千種を動かし、クラッシュ・ギャルズを愛した観客の心を思い通りに操っている。…(略)…
     ヒールとして初めて向かい合ってみると、長与千種は驚嘆に値するベビーフェイスであった。ヒールがやりたいことを瞬時に理解し、攻撃のひとつひとつをドラマチックに演出してくれる。ごく普通の攻撃が、長与千種という増幅器を通れば恐怖の拷問技と化す。長与千種という稀代のベビーフェイスと戦えば、ヒールは世界で最も恐ろしい悪魔に見えるのだ。これほどのベビーフェイスを、飛鳥は他にひとりも知らなかった。(pp.268-269)

    プロレスの悪役がふりまわすパイプ椅子とか凶器とか、それによる怪我や流血、そういうのがちょっと…と私は思っていたのだが、プロレスのおもしろさが、ほんの少し分かったような気がした。井田さんの『プロレス少女伝説』も読んでみたいと思う。あと、著者の書いた『1976年のアントニオ猪木』も。

    (4/9了)

  • クラッシュ・ギャルズという名前は知っていてもどんな二人なのかは知らない。彼女たちの全盛期に生まれ落ちた僕が楽しめるのかという疑問はすぐに払拭された。
    長与千種とライオネス飛鳥の幼少期から女子プロに入っていくまで、そこからの葛藤と戦い。時代を作った二人と他の女子プロレスラーとの関係や全女という組織、そして時代が変わっていく中でもがきながら輝いたこの二人を時系列で追いかけながら、彼女たちのファンであったひとりの少女(のちに編集者になる)をもうひとつの視点として入れていることでクラッシュ・ギャルズという存在をさらに浮かび上がられている。

    読んでいて栄枯盛衰というしかないのか。彼女たち、いわゆるレジェンドが復活しその輝きに勝てる後輩がいない、新人がいないという時にその歴史はどうやっても終わっていくという宿命からは逃れらない。
    これは春日太一著『あかんやつら』とも共通している。東映京都撮影所の始まりから今に至るまでを書いている作品もどうように栄枯盛衰を描いていた。時代という大きな流れの中で以前のように立ち行かなくなっていく、そして新人を育てる事ができない、あるいは時代の変化によって新人そのものがいない。

    大きな物語の終焉はどこか似ている、それはこの日本の戦後体制の終焉と共にいびつな変化をつげる時代の中で既存のシステムが崩壊している事と直結しているのだろう。

    読み物として知らなくても楽しめる。そして時代というか光り輝くものの終焉とは一気にではなく絡み合った要素によって次第に輝きを奪っていくものなのだろう。

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。文藝春秋に入社し、「週刊文春」「Sports Graphic Number」編集部等に在籍。2003年に退社後、フリーとして活動を開始。デビュー作『1976年のアントニオ猪木』が話題を呼ぶ。他著に『1993年の女子プロレス』『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス』『1984年のUWF』がある。

「2017年 『アリ対猪木』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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