- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167909864
感想・レビュー・書評
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清水潔『「南京事件」を調査せよ』文春文庫。
『桶川ストーカー殺人事件ー遺言』『殺人犯はそこにいるー隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』と比べると少し歯切れの悪さを感じる。77年前に起きた南京事件を調査報道により紐解こうというのだから、それも致し方無しなのだろう。歯切れの悪さを感じた原因を考えると、終盤になり、南京事件の調査から報道に対する弾圧に論調が変化し、調査結果を明言していないことではなかろうか。
南京事件があったのは事実だろうが、様々な隠蔽工作や埋没した証拠により今となってはその規模や事件に至る背景は特定出来ない。それが南京事件を虐殺なのか大虐殺なのか明言出来ない理由なのだろう。
それでも、清水潔は南京事件と真摯に向き合い、過去の事実を示す証拠を探し出し、それらを1つずつ丹念に繋ぎ、事件の有無・真相・規模などを定義しながら明らかにしていく。その手法と過程には学ぶべき点が多い。
本書は清水潔が手掛けたテレビ番組『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』の取材をベースにまとめられているとのこと。詳細をみるコメント1件をすべて表示-
nohohon08739さんいいねをありがとうございます。参考になるレビューをありがとうございますいいねをありがとうございます。参考になるレビューをありがとうございます2018/01/27
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1937年12月、日本軍による南京大虐殺はあったのか、なかったのか。詳細な調査報道により事実を明らかにする著者の真骨頂がここにある。ただ、第5章以降は正直いらないかな...。事実を集積し、クリティカルに論ずることからは若干乖離している。また、他の虐殺についての言及もいらない。それは読者が考えるべきことだからだ。
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清水潔が南京事件(敢えてそう呼ぶ)の調査報道をしてるってそりゃ読むでしょう。素晴らしい一冊。 NNNドキュメントの該当の回も併せて観たのでわかりやすかった。南京事件は高校の頃に知って、歴史は語る側によって幾つもあるんだという事を理解できた思い出深い話題なので興味深く読んだ。まあ捕虜は1万人単位で殺してるなあというのが合理的な判断だと思う。この調査報道のスタイルはとても素晴らしいと思う。
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1937年12月中華民国の首都。何が起きたのか。
兵士たちの日記、証言、スケッチ、中国側犠牲者の家族の証言、そして裏取り。
事件記者の調査報道という手法で事実を浮き彫りにしていく。
1990年代。
「戦中はすべてが間違っていた」とした時代から、
「もう一度何がダメで何は正しかったのかを見返そう」とする時代。
吉田清治氏の慰安婦強制連行発言は事実ではないと判明。
しかし、それで慰安婦問題そのものが存在しないとするのは飛躍し過ぎだ。
南京事件は否定できない。
ただ、その事実を示そうとする試みに意図せず誤りが入り込んでしまうことはある。
本多勝一氏「中国の旅」。
一か所の写真キャプションの誤り。
「アリの一穴」。いや、一穴開けても一冊丸ごとの決壊はない。
それでも、いつかは決壊すると言い続ける人たち。
それを「一点突破」と言う。
本書はNNNドキュメントの取材記録でもあるが、初回放送は2015年10月4日(日)。
放送後の評価は高く数多くの賞も受賞した。
それでも「一点突破」しようとした産経新聞。
ただ、その一点すらない。
抗議文は日本テレビのホームページに掲載されている。
http://www.ntv.co.jp/document/info/archive/20161016.html -
私はこれを読むまでは南京事件などなかったのだとか、一般人というのはすべて便衣兵だったのだ、30万人など当時の南京にいなかったのだからその数字は中国のでっち上げなのだという意見を信じたいという側の人間だった。それは現代の平和な日本に住み、優しくまじめな日本人を見ていてそんなことがあり得るのだろうかと考えていた。しかし、この本を読んで、兵士の日記や写真から人数の正確さは証明できないまでも日本兵が犯した殺戮は否定しようもない。人数は関係ないのだと思える。兵士の日記には切り取られて事実がわからない部分が何ページかあったそうだ。それだけでどれほどの恐ろしいことが行われていたのかが逆に想像できてしまう。これまで朝鮮への軍隊の出兵は日本人を保護するためと言われていたりするが、後々まで日本軍は兵を引くことをしなかった。朝鮮にも中国にも明らかな侵略だったと思える。私は戦国時代の日本を思い起こした。切腹と捕虜になるくらいなら自害するという考え方は日本人の独特のプライドの高さだと思った。もちろん戦争とはこういうもので日本だけがそうではないが、他国と同様日本人も相当なひどいことをしたという事実はしっかりと認めていく必要があり、決して消し去られるものではなく、また繰り返してはいけないと思った。被害者は忘れることは不可能だと思うけれど、それでも未来に向かって互いに手を携えていかなくてはいけないと思う。互いに自分たちの都合の良いように解釈するのはもうやめなくてはいけない。
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清水潔のジャーナリズム、もっと具体的に言うと、取材や調査の仕方が徹底的で好きだ。だからこそ、彼が南京大虐殺に挑むとなれば、これを読まない手はない。真相が暴かれると期待する。しかし、今回はさすがにハードルが高い。既に関係者が殆ど生存しておらず、調査し尽くされてきた分野。自ず、過去の調査を辿り、そこで手に入れた日記を頼る事になる ー 目新しい事は、やはりない。
その日記が正しいかを追求しなければ、結果、日本政府の基本的理解の通り、虐殺はあった、しかし、数は諸説あるという結論に至る。そこで、調査停止。うーむ。
どうしたのか、そこから、虐殺否定派への抗弁となり、更には、自らを戦争加害者の孫、被害者の息子としと、奇妙なバランスを主張しながら、旅順大虐殺を紹介する。旅順の虐殺も、日本政府の歴史認識として、あったと認めているもの。清水潔、果ては、中国人を蔑視していた自らに気付き、反省と自己分析へ。その感情はわかるのだけれども…
究極の違和感は、結局、政府の歴史認識と同じ、虐殺はあったというスタートから一歩も動いていない、しかし、何故か、政府批判が混ざる点。あると言っている政府を批判しながら、自らも、あると言っている。戦争批判イコール、自民党批判?単純過ぎ。清水潔も衰えたか?うーむ。
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★4.0
正確な犠牲者数は不明なものの、何らかの虐殺が南京であったのだろう、と漠然と思っていた。が、「南京事件」に関しては、あった・なかったという真逆の意見が常に対立し、ずっと不思議に思っていた。そんな疑問を、信頼を寄せるジャーナリストの清水氏が解き明かしてくれた。「南京事件」を体験した人たちの日記等を基に調査された内容は、日本人としては受け入れ難い事実ではあるけれど、加害者としての日本を潔く認める必要があると思う。また、「南京事件」とは関わりがないけれど、婚約者に遺した特攻隊員の手紙があまりに切ない。 -
日中戦争において日本軍が南京で中国の一般市民を虐殺したとされる南京事件。未だに「中国のねつ造だ」「中国のプロパガンダだ」と主張する人も多く、某大手新聞社もその見解を支持しています。著者の清水氏は従軍兵士の日記を基に可能な限り「事実」を追い求めて取材を進めています。そのプロセスは理詰めで飛躍がなく、非常に説得力のあるものです。本書を読んだ個人的な印象としては南京事件は”あった”と言ってよいのではないでしょうか。
南京事件の取材の延長上に、日清戦争で起こったもう一つの虐殺の件にも触れています。日本では教科書にもほとんど取り上げられることのない出来事であり、私も初めて本書を読んでその存在を知りました。
太平洋戦争を顧みる報道では「原爆・空襲・沖縄戦」などが多く、これは戦争によって被った被害者の視点と言えますが、日本が加害者となった事象についての報道はまだ数少ないのが現状です。その状況に一石を投じる一冊であることは間違いないと思います。次の一文が印象的でした「どれ程に長い時間が過ぎ去って、加害者側からはもはや消し去りたい歴史であっても、被害者たちは決して忘れることはない。戦争とは、つまりそういうことなのであろう」 -
戦争は悲劇しか生まれない。命の尊厳や人権を蹂躙されて精神が蝕まれる。それは加害側・被害側双方であり、どうもこの国は被害側の視点でしか語ろうとしない。それでいいのか、日本の加害もしっかと過去に刻み込まれている。そこを看過するのは罪深い。私たちは加害の出来事を知る学びを大切にすべきである。それが歴史、平和につながる歩みではないか。民族という大雑把なカテゴリーに固執する思想に持続可能性などあるものか。
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南京大虐殺は中学校の時に5行ぐらい登場した。先生が「あまり深堀りしません」と、ほとんどスルーだった。
大人になって、テレビで知って「嘘だ…信じたくない」と思って、祖母に聞いたのを思い出す。「日本人は悪いことしたの?」と。返事は「うーん、確かあったんだと思うよ。戦争は人が狂うから。」だった。
それから「第二次世界大戦は、日本がアジア圏を守るための戦争だったけれど、勝者に歴史を書かれて悪者にされた。」という説を容易く信じた。
おそらく、「信じたいものを信じてしまう」というやつだったと、この本を読んだ今は思う。かくいう私も、清水氏がいう「一点突破派」だったのだ。
人数がありえないから「捏造に違いない」と。
そして、日本人を何かと陥れようとしたり、敵視してくる中国人をどこか侮蔑の思いで見ていた。
近場に中国人がいてもどこか「日本人に、憧れる下級民族」みたいな思いがあったと思う。
そして、この本を手に取ったのも「捏造を肯定してくれるだろうから」という動機が潜んでいたのは否めない。
だけど、だけど。
読んでいる最中に、がっくり心が折れた。
この中のことに一つ一つ裏付けがあるのも、否定しようがない。何より、日本が「なかったことにしたい」ときの方法が今と全く変わってない。
愕然だった。
「自分の見たいものを見たいように見たい」や
「明確になっていないものを知りたい事実に基づいて早くジャッジしたい」という気持ちは、本当に「知る」ことに結びつかない、ということを、この本(清水氏)はしっかり教えてくれた。
事実がしっかりと中立に明確になったとき、それは自分にとって不都合な事実かもしれない。だけど、それこそを受け止めるということ。それが「知る」ことなのかもしれないと感じた。
日本人として、人間として、「過ちは繰り返せない」と痛切に感じた。心に残った1冊。
YouTubeに、この本が映像になった番組が出ていて、リアルに目視で内容を確認出来て、戦争は本当に人間を人間ではなくしてしまう、と感じました。